あにの川流れ

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 「ねえッ、起きて! 起きて起きて!」
 「ふぁ……なんれふかぁ」

 眠たくて眠たくて。
 視界の十分の一だって見えやしない。

 寝る前に点けていた暖房のタイマーもすっかり消えているらしく、もう、もう寒い。なのに、あなたはせっかくあたたまった布団からわたくしを引き摺り出すのですから。
 それでも眠たくて。あなたが何か言っているけれど、耳にすら入ってこない。

 テキパキと服を着替えさせられてゆく。

 「裏起毛のズボンね、はい、履いて!」
 「……んー」
 「首と背中とお腹にカイロ貼っとくね。あとはい、ハクキン持って」
 「ふぁ」
 「寝ないで寝ないで! ヒートテック着た? セーターとベストとはい、ダウンジャケット。コートは防水しといたからこれ着て。マフラーとね、お手々出して? んふ、ほら、椿の耳当て買ったでしょ?」

 裏ボアのスノーブーツ。
 スマホだけ持たされて腕を引かれる。
 もこもこと着膨れ抜群で鼻上までマフラーの姿。そのおかげで冷気は入ってこない。少し冷える目許に、けれどあたたかさ優って。
 手を引くあなたに合わせてかろうじて足は動いている状態。

 サクッ、サクッ、雪を縮める音。
 ボタボタッ、どこからか雪が落ちてまた溜まってししおどしのよう。
 前を歩くあなたが「わっ」「やばっ」「つめたい!」と語彙力のない語彙で騒いでいるのを、どこか遠くから聞いている心地。

 六一年式の老体に最新のスタッドレスとチェーンを付けて。わたくしの膝の上にとす、とカゴが。「落とさないでね」、暗に寝るなと言われてしまった。
 とても難しい要求ですねぇ。

 ガタガタ、ゆらゆら。
 調子のいいエンジン音とともに眠りを誘うゆりかご。ガラスを打つ雪も耳心地がいい。

 「ね、あれめっちゃきれいだよ!」
 「えぇ」
 「やば! 大通りも除雪できてない!」
 「……そうれすね、ふあぁ」
 「信号機って夜に見るとなんかちょっと怖くない? 夜の緊急外来的な」
 「――――――え、なんれすか?」

 どんどんと重力が斜め後ろにかかってゆく。それなりの勾配を上っているよう。背もたれにいい感じに身体が収まって。
 ゆっくり息を吐けばすぐにでも。
 こてん、と意識なんてなくなってしまう。

 揺れがなくなったことにも気づかないで。
 ふとあなたの声がして落ちていた瞼がまた少しだけ開いた。

 「こっち来て」
 「ふぁ」
 「足許凍ってるから気をつけてね」
 「ふぁい」
 「ここに座って? はい、コーヒー。あ、まだカイロあったかい……ね、大丈夫」

 アウトドア用のローチェア。
 足底からザリザリ、と氷を削るような音が。くすくすと笑うあなたが「あとでアイススケートしてもいいかもね」と冗談っぽい声。
 防寒具に顔を埋めてあたたかな空気が肌に触ってゆく。
 それでも、あなたが上を見るように言うから。

 ぼやぼやと全体にモザイクがかかったような視界が一瞬だけ、それに焦点が合う。

 「きれい」

 深い深い濃紺にちりばめられた恒星の数々。
 それらを邪魔する無機質は一切ない。足許から楕円形にずーっと広がる鏡。縁取る陰は不規則に、満遍なく生えて。
 冷たい青色の冷気が辺りを統一している。
 息をすればそこに白い靄が差す。
 よくよく見れば、濃紺にはみどりがかったカーテンが透かされていた。

 「きみとこれが見たかったの」
 「……ふふ、きれいですものね」
 「あのね、星の光はねぼくたちに見えるまで二千年もかかるんだよ。だから、いまもまだ星が生きてるのかは、この瞬間じゃわかんないの」
 「とおいですね……どうやって、知りましょう」
 「あのね、すっごく簡単。二千年後にね、ここに来ればいいの」
 「にせんね……ふぁあ」


 「――――というのを思い出したんです。いま」
 「ふぅん。長い夢だったの?」
 「さあ、どうでしょう」

 あたたかいダイニングで、あなたと向かい合って紅茶を。ふと遠い記憶のような映像を思い出したものだから、聞かせてみればズズッと音をたてて、ティーバッグまで吸い込んでしまう。
 顔を顰めながらあなたはわたくし越しに窓の外を眺めている。

 チラ、と視線を寄越してくるから。
 辿ってみせれば、

 「ね、ほんとかどうか、確かめてみよっか」
 「どうやってですか?」
 「すっごく簡単。そこに行けばいいの。ちょうど頃合いでしょ」

 目を細めたあなた。
 カップから外れた口許を見て、――――ああ、と頷いてしまうのです。





#ミッドナイト


1/27/2023, 6:44:39 AM