あなたがずっと「ゔぁ」「ゔあ」と言っている。身体に括りつけられたハーネスを手が白くなるほど握って。前屈みになって足の底で踏ん張る姿は、なんだか少し……滑稽。
言い出したのはあなたなのに。
大きな橋の上。
そこから生まれる娯楽なんて、ひとつ。
「もうそろそろ飛んだらどうです?」
「一緒に飛んでよぉぉおおっ!!」
「嫌ですよ。わたくし、一回飛びましたから」
「ゔぁあ」
ハーネスが取れたらどうしよう。スタッフさんが確認して。ゴムが伸びて切れたら! スタッフさんが確認して。川に落ちたら、死んじゃう! こんなけ確認したんだから落ちませんよ、と宥めて。
ひとりずっと尻込みするものだから、見かねたスタッフさんが「押そうか?」「や゛め゛て゛ッッ」好意を無下にして。
それでも飛ぶ気。
諦めてハーネスを外す選択はしない。
風が吹くたびに竦み上がって、プギーと鳴いているのに。おかしな人。
「もう背中を押してもらいなさいな」
「ちょっ、一回ッ、一回だけっ、お手手握ってぇっ、お願いしますッ」
「はいはい」
「あ゛ぁ゛あ゛ーーーッ、あ゛ったかい゛ッ」
「飛ばないと、次の挑戦者さんが待ってらっしゃいますよ」
「あ"あ"ッッ、うしろの人ッ! ごめんなさいぃッッ」
一歩ようやく踏み出して、飛び降り台の先まで。じっと下を睨むあなたは一歩うしろに下がりそうだったから。
背中に手をやって退路を断つ。
ビクッと怖怖振り返ったあなたに、精一杯の笑顔を贈りましょう。
するとあなたったら失礼。
顔を引き攣らせるなんて。
「ほら、スタッフさんと押してあげますから」
「ヤヴァイすっごく安心するッ安心するけどッ、足場ないのほんとッッ!!」
「はい、いきますよー」
「エッ、ぼくのタイミング――――」
「さーん、にーぃ、いーち、いってらっしゃいませー」
「ゔぁぁぁああああア゛ッッッッ」
一気に重力に引き寄せられていった。人は自然の前に無力だというのを傍から痛感。
水面ギリギリで打ち返されたように、クルクルと回りながら上に引き戻されて。あなたの声が寄せては返すを繰り返してゆく。
なるほど、見ているほうはこんな気分なのですね。だから有名人がやらされるわけだ。
吊り上げられて橋の上に戻ってきたあなたは、ぎゅっとハーネスを掴んだまま。
テキパキと解放されて。
わたくしの腕に掴まって膝をガクガク笑わせている様子は、まるで産まれたての子鹿。……もしくはアイススケートリンク場のあなたにそっくり。
やっぱり、「ゔぁ」「ゔあ」と鳴いて。
何でしょう、そういう生き物に見えてきますね。
「も゛う゛、絶対ッお手手ッ、離さないでッ」
「おや熱烈」
「すっごくドキドキしたッ、死ぬかもしんないッて頭ん中で遺書つくったッ」
「書いてないも同然ですよ」
「あ゛〜〜〜〜ッ、めっちゃよしよしして!!」
「はいはい」
「もう絶対やんないけど、砂浜の中からコンタクト探しだす確率くらいは楽しかったッ」
「それ楽しいんですか?」
「地面があるって、ほんッッと偉大ッ! 当たり前って失って取り戻したすぐはほんと、安心感半端ないッ」
結局、帰りは運転を交代。
あんな足でアクセルとブレーキを踏まれたらたまったものじゃありませんもの。
落ち着いたあなたはガブガブ水分を摂っていますけれど、コンビニも探しておいたほうがよさそうですねこれは。
生きてることのしあわせを口遊んでいたかと思えば、今度は重力の均衡が少しでもズレることを恐れ始めて。
忙しいですね。
わたくしにそんな聞かせても、内容を理解できていませんから、議論できませんよ。
#安心と不安
1/26/2023, 3:45:36 AM