「タイムマシーン、自分で使わないんですか?」
えーー……レンチ渡しながら言うこと?
しっかりぼくが握ってから手を離すきみのおかげで、レンチを落とすことはなかったけれど。ぼくの集中力は格段に落ちたよね。
そういうのって、世間話的に言うことかなぁ。
……言うことかぁ。
タイムマシーンまだ値段はするけれど結構周知したからなぁ。
キュッキュッってボルトを締めて。
外注してあるケーブルが届くまでまだあるから、まあ、進捗としてはいいほう。
もうちょっと作業しとこうかな。
集中力がいらない作業をしつつ、きみとのお話しを再開する。
タイムマシーンを使うか否か。
「使わないよ」
「……あなたが開発したのですから、何か、使いたい理由があったのではないですか?」
「ん~……、これ、きみをつくるときの副産物だから、そこまで重要じゃないの。いまは、使いたいっていう人がいるから作ってるけれど。外注したいのに、きみが特許取れって言うから」
「研究費はいくらあってもいいでしょう? 生活費もそこから出ているんですから。そこ、ナットを忘れていますよ」
「ゔあぁあ」
もう、やんなっちゃう。
「わたくし、そういうことできますから、任せて下さればいいのに。人を雇うのも手でしょう?」
「だってきみ、そういう用途じゃない。ここにきみ以外入れたくない!」
「昨日はわたくしが作業したじゃないですか」
「だから今日はお休み」
納得いってないお顔。
きみってば、効率厨の完璧主義。そう言うと、きみは苦い表情をするけれど。
ぼくにナットを渡して、ぐるりと確認してから、またお話し。気になることがあるのはいいこと。調べても分からないなら、知ってる人とかものを使うのも当然。
ぼくのこころを知って、きみはどうするんだろ。
「使わない、ということは、後悔とか未練とかがないということですか?」
「ん〜、死ぬほど後悔したこともあるし、やっときゃよかったぁ〜なんてことは数えきれないよ。でもぼくは使わない」
「どうしてですか?」
「理由は三つ」
きみが淹れてくれたコーヒーを飲んで。
「まず、やり直さなきゃいけないほど、いまを生きれないわけじゃないから。人間の忘却機能、侮れない」
「なるほど」
「きみにもつける?」
「いいえ」
「二つ目。中毒になるから」
「中毒ですか?」
「やり直してもやり直しても、結局どこかで許せないことが出てくる。タイムマシーンなしじゃ生きられなくなるの。本末転倒。ザマないよ。はじめからやんなきゃよかったーってなるの、目に見えてる」
「依頼者には止めないんですね」
「その人の勝手。値段も高くしてるから、ふるいにはかけてる」
何とも言えなさそうなきみのお顔。そういうところ、むかしから変わんない。
「では、三つ目は?」
「この世界を捨てたくないから」
「捨てる、ですか」
「タイムマシーンを使って観光するだけなら、うん、まだいい。何かを変える目的なら、それは世界を捨てること」
一拍置いて。
「あのね、タイムマシーンは世界線を辿るの。世界線はね曲線。人生で等速直線運動はあり得ないでしょ? 山あり谷ありって。その加減速で曲線ができるの。だから、過去に戻って、ほんと、極端に言えば石ころの位置を変えただけで曲線がズレる」
「はあ」
「そうするとね、蓋然的だけど、過去と未来を結ぶ点がね元とは違う座標になることがある。このへんもピンキリ。過去に行って戻ってきたぼくと、過去に行ったぼくは必ずしもまったくの同一人物じゃない可能性もあるの」
「へぇ」
相槌の三種の神器みたいになってる。
だから何だ、って。
「つまりね、ぼくがタイムマシーンを使うってことはね、いま、ぼくとお話ししてるきみを捨てて、ぼくは過去を変えた先にいるきみに会いに行くの。きみのところにはね、なんかどこか違う、そんなぼくが帰ってくる。そういうこと」
「……」
「ぼくはそんなこと、絶対いや。だから使わないの。いまのぼくが、いまのきみとお話しして、生きていることが一番だいじ」
黙りこくったきみはしばらく何も言わなかった。ただ、ぼくがコーヒーをのんだり、作業してるのを見つめて。
チラッと見れば、思考が働いてる。
うん、いい傾向。
じーっとまだ製作途中のタイムマシーンを睨んでから、スッとぼくに視線が戻る。
「あなたのほうが、よっぽど完璧主義ですよ」
「えー?」
「ちょっとの違いで、分岐によって、世界がいくつもあると思えてしまうのですから」
「んふ、嫌味?」
「敬意です」
きみってばひどい。
ぼくからレンチを取り上げるんだから。
#タイムマシーン
「おでかけ?」
「えぇ」
きみの手はお皿の水気をタオルで拭きとって、棚に戻した。
ちょっとだけ小腹が空いて、パンをおやつに。紅茶風味のバケットをカリカリにトースターで焼いて、クリームチーズと合わせて。すっごくおいしかったけれど、きみってば
「ちょ、これ、赤くて焼けてるのか分からないんですけれどッ⁉ エッ、これ、焼けてます?」
ってうるさかったの。
焦げないように時間を設定してるんだから。
ぺろりと食べて、残り少ない午後はどうしようかと考えていたときに、きみが提案してきた。
おでかけ。
「どこいくの? あっ、もしかして、おひとり様一個の卵?」
「そうじゃなくて」
くすくす笑うきみ。
「少しおしゃれをして……、そうですね、気合いを入れて夜は外で食べましょう」
「ん、いいね」
……って話だったから、てっきりそういう、なんか、こう、おしゃれなところに食べにいくんだと思ってた。
ふと横を見れば、ウキウキで食券を持つきみ。
ささっと来た店員さんに、
「ニンニクマシマシセアブラオオメノバリカタデ」
やべえ呪文。
ふんふん、って聞いていた店員さんが厨房で大声で短い呪文。もう、このお店お客も店員もやべえのしかいないんだと思うの。
そういえば、家出るときは気付かなかったけれど、きみのそのお洋服もそう。気合い充分。この前、いきなり書道がしたいって言って思い切り墨跳ねさせたやつ。
そういう感じの服になったからわりかし気に入ってた。もしかして、模様を足すつもり?
運ばれてきたニンニクマシマシ。
やば、においやばっ!
「ふふ、明日が平日の日には食べられませんよ、こんなやべえの」
「知ってた? 餃子もニンニクマシマシ」
「もうっ、最オブ高ですね!」
あ~、豪快にすすった。
スープが跳ねるのを気にせず、思い切り。
「おいしい?」
「おいしいです‼ 生きる理由はこんなにすばらしんですね!」
「んふ、そうだね」
アッ、きみってば替え玉の食券用意してる。
周到だぁ……!
食べ終わってから毎回気付く、気づかされることもあるよね。
お腹は不必要にパンパンだし。
血中の塩分濃度が爆上がりして明日はむくんでそう。なんなら、今の段階で血管が薄ら痛い気がしてくる。
きみのお洋服、おしぼりで染み抜きした跡がばっちりまだ乾いてないし。
でも、こんなんだからこそ、何もかもが満たされて、ぶっちゃけ今がよければ良し! って、宵越しの金は持たないみたいに気が強くなっちゃう。
「……食べましたね」
「……食べちゃった」
「ちょっともうひとつ、許されないこと言ってもいいですか?」
「あのね、ぼくたち気が合う」
さっさと家に帰って、いつも通りのダラダラできる部屋着。TV画面には好きな映像が流れて。
ローテーブルにパーティー開けしたポテチ。
カチャッ、……プシュ!
もう、それはそれは、耳心地のいい音。
「かんぱーい」
もしかしたら今日はベッドまでいかずに、ここで寝落ちしちゃうかも。
だから、暖房はタイマーもなしに点けっぱなし。
きみとぼく、すっごい罪なことしてる!
#特別な夜
どうしよう。
もう夜だし、「おやすみ」って自室に入ったわけで。つまりはもう、寝る間際。ぼくだって、電気も消してベッドの上で布団を持ち上げて寝転がる寸前。
きっときみはもう眠ってる、か、ゆっくり自分の時間を過ごしてる。
本を読むのが好きだから、ページをめくって没入してるかも。紅茶が好きだから、香りとあたたかさで一杯を楽しんでるかも。あたたまってきた布団でぬくぬくするのが一等好きだから、まどろみながら、しあわせいっぱいかも。
いまこの瞬間、あくびをして眠ったかも。
きみのお部屋はとなり。
少し耳を澄ませてみるけれど、なあんにも聞こえない。ページをめくってるのかも、口許に紅茶を運んでるのかも、毛布を手繰り寄せてるのかも、あくびをしたのかも分からない。
たまに聞こえてくるカッスカスのハミングも。
いま、きみがどうしてるのか、何も分からない。
ぼくの気持ちはこんなにはっきりしてて、悶々、ゆらゆら、ぐらぐら、叱責叱責。
眠っていつの間にか朝になってれば、「おはよう」って言えるんだから。
ごろんごろん、もぞもぞ。
ぜんっぜん眠れない。
むしろ、どんどんと抑えられなくなってくる。どうしても、どうしても無理。
ベッドから降りちゃうの。
ドアの前で唸って唸って迷って。
でも、だって、嘘言えない。
ぼくってば、けっこう自分に正直。
ドアノブ握っちゃった。
廊下。
真っ暗で、冷たくて、ふよふよと浮いているホコリが鼻をくすぶるの。
ペタペタ、……立ち止まって、手で壁を伝って、ペタペタ、ペタペタ、素足がとってもうるさい。心臓もずっとドンドコ、ドンドコ。
なんだか口の中も乾いてきたかも。
どんなに牛歩でも、きみのお部屋の前。
もういっかい確かめたくて。
耳を澄ませてるのに、ほんと、ぼくの耳ってば緊張しすぎて自分の音しか拾えない。しょうがない、しょうがないよね。
こぶしをつくって、ドアに――――だめ、できない。こころが準備できてない。でも、もう、決まっちゃってる。だから。ね、やるしかないの。
いっぱい深呼吸。……ちょっと廊下ほこりっぽい。明日、お掃除しよ。
じゃなくて、もう、コンコンってできない。
声かけよう。
ドアノブを握って。
口は開いたんだけれど、声がぜんぜん喉から出てこない。空気をはき出して、もういっかい。
すう、はあ、すう、はあ……。
深呼吸はさっきしたでしょ!
ドアにひたいをつけて。
心臓が痛い。こころがびくびくして、ちょっとくちびるが震えてる。
ほんとにほんとに、小っちゃく。
きみことを呼ぶの。
「はあい」
きみのお声。
タタタ、って小走り。――――ガチャン。寝間着のきみ。
「どうしました?」
「……んふ、会いたくなっちゃったの」
もうね、あり得ないくらいに、こころが、目が、耳が、満たされちゃったの。
満たされちゃったの。
#君に会いたくて
あそこに浮かぶのはなんだろう――――そんな好奇心だった。
ごくごく微量な空気。膨張し続け、終焉と誕生を繰り返して。光年のかがやきと反射が暗闇の安寧と秩序を助ける空間。虚無や時空を喰らうおそろしいものもある。それらをうまく巧みに避けてきたのだろう。
すぃーーっと寄って。
いきものだ。
なまものと書くあれ。しかしどうして、ぴくりとも動かず、ふぅらふぅら、抵抗も摩擦もなく微々たるもの引力に取り合われてゆっくりと進んでいる。
これらは同じ造形をしていた。
頭部に胴体、四肢。皮膚の上にひらひらしたものをまとって。
対のように絡まって、離れず放さず。
引き出しを引いてページをめくるように、全知を探って。――――ああ、そうだ、人間。
疑問。
見渡せどこれらの星はない。船もなければ、残骸すら見当たらない。どこから、どれくらい、漂っているのか。
気になってはみるが、はたして能力も術も持ち合わせていない。全能に取り揃えはなかった。
惜しいこと。
とすれば、これらのすべてはこれらの中にしかない。存在し得ない。
すべて、すべて。すべて、がだ。
どこで生まれ、どこでどのように育ち、どうして二体で、何があって漂うのか。誰で、識別される音は何で、所縁が何か。
記録は記憶はその情報は、これらの中に綴じて閉ざされている。
それらが開けるのはいつだろうか。
何が起因となるのか。
……ううむ、気になる。甚だ爆発的な好奇心に殺されかける気分になるほど。気になる。気になってしまう。
よしんばどこかの星に着けたとして。
閉ざされたまま永久凍土か。開く術を滅するように即火中か。
悩む、悩み悩み。
手引きは無作法か。つくりかえるか否か。
――――標をつけよう。
あとで、留まったら追ってみよう。
不動か焼滅か。それとも還るか。育つか。
手を入れず。任せてみよう。
何かの変化が、これらの望んだ臨んだものが、開けて全知の一部となる日を幸いと願って。
この記録はページにせずめくらず。
手の甲にでも記しておこう。
#閉ざされた日記
少し厚手のアウターを差し出したあなた。その眉間には滅多に入らないシワが。ぎゅっ、と口の端を結んで。
それでも、「着て」と言ってわたくしが腕を通して落ち着くまで確認してゆくのだから。
背中合わせに並んだ木製のベンチ。
ギシッ、と木板が歪む音。
ビュゥウウ――ッ、と吹く風は確かに冷たい。
冷えてしまった身体を縮めてもそれほどあたたかくはなく。けれども、あれほど茹だっていた頭はその風に窘められて。
まばたきをしてもあっという間に目は乾いてしまう。だから何度もしばたいているうちに、気づいてしまえる。
はぁ、と吐く息はまだ白くはない。
「ごめんなさい。ひどく感情的になりすぎました。あなたをこんな、一等寒い空に引きずり出したかったわけでは……いいえ、引きずり出したことを反省しています」
「うん。ぼくも、ごめんなさい」
またギシッ、と音。
「あんなに、淡々ときみをなじるつもりじゃ……んーん、つもりだったけど、したらだめだった」
うしろから鼻をすする音がするんです。本当に、わたくしはなんて乱暴なことを。
ベランダから戻ってきたあなたは首を竦めて震えながら掃き出し窓を閉めて、「さむいね。もう冬だよ」と暖房を。それにわたくしがギョッとして、点ける点けないの口論に。
……本当に幼稚なわたくし。
飛び出して追いかけさせるなんて。
足許の色づいた落葉を、強く芯のある風がくるくると遊ばせる。昇ってきたそれがわたくしのひたいを叩いた。
――――くしゅんッ‼
ギシギシッ、と軋んでから背中を預けた音。
あなたの背後から横に移動して。
もこもこのアウターの襟に鼻下を埋めている。いつもならマフラーもきちんと巻いてくるのに。
しょも、と目を伏せて。
「帰ろ」
「えぇ」
ぶるっと震えたあなたに肩を寄せる。
いつの間にか眉間のシワは伸ばされていて、口許も口角が上に。
結論が出たのか「んふ」と漏らした。
ビルとビルの間を一等強い風が吹き抜けていった。煽られたわたくしたちは目を瞑って反射的に顔を上げる。
おさまった風。
薄く開いた目に、鮮やかに紅葉した街路樹が。その枝から葉っぱを千切り飛ばした。その時刻に設定されていたLEDライトが一気に点灯。
沈みかけの夕日とともに目を、こころを、刺激してくる。
「はあ」
「わぁ、きれい」
「えぇ本当に――――ふふっ」
「え、なに?」
「風に髪が遊ばれて、いい感じですよ」
「エッ! なおしてよ」
「わたくしが?」
「鏡がないから、きみ以外に客観的にきれいにできる人がいないの」
「そのままでもいいですよ?」
「え~~信じるからね? ぼく、さわんないよ?」
「玄関の姿見で確認したら、きっとあなたも、気に入りますから」
じとー、と疑わしそうな目。
それに口角を上げて返す。
「わたくし一枚脱ぎますから、暖房を点けましょう。確かに寒いです」
「一枚脱いだら、きみ裸。ぼくが背中にカイロ貼るし、きみがあったかいスープつくってくれるからへいき」
へら、と笑うあなた。
「帰りにトマト缶買って帰ろ」といまの気分を言うから、わたくしも思わずほしいものが浮かんで。
「コンビニに寄ってもいいですか?」
「ぼく、ウィンナーがいい」
髪型も献立も決められてしまって。
この木枯らしは何号目なんでしょう、とふと思うのです。
#木枯らし