朝起きたきみは、まずベッドを整える。クローゼットと水場を行き来して、身形を納得ゆくまで。
今日はぼくが担当。
きみがセッティングしたテーブルにお皿に盛り付けた朝食を置いて。楽しみながらも所作に気をつけて、「いただきます」「ごちそうさま」もしっかり。
冷たい水道水にぼやきつつ、きみの手は手際よく順序よく。泡から救い出したら水気も残さない。
バラバラ、し忘れ、入れっぱなしのぼくを叱りながら選別して洗濯機。
合間に花のお世話。
きみのお目々はお花にうっとり。
ベランダで気持ちよく日光に当たりながら、テキパキと吊るして。
きみが好む紅茶。
その手さばきはもう、誰かが言った「芸術だ」。ぼくはじーって見ちゃう。やべっ、お湯回しすぎちゃった。
テレビを点けたらどこかの、なんか、いい感じの景色。大自然。
ナレーションにうんうんって頷くきみ。
「こんなきれいなところに、一度は行ってみたいですねぇ」
「……」
ぼくはいまのままで充分。これ以上はちょっと、美しいの過剰摂取になっちゃうの。
ふと、気になる。
「ねぇ、きみの美しいってなあに?」
「え」
振り返ったきみはきょとん。
じわじわと考えが巡って、棄却して、一瞬こころが揺さぶられて、やっぱり違って。トライアンドエラー。
お目々がすっごく動く。
「あ」「え…」って言い詰まって、たぶん、考えすぎ。頭がぐるぐる。パンクしそうに。
豊かな分、言いたいことがありすぎて選べない。よくあること。
きゅ、って口を引き絞ったきみは、納得できてないお顔。「まっ」、一回詰まって。
「まだ、何も言えることがありません。もっと経験を積んで吟味します」
「わぁ」
――――なんて美しい□□□□(文字数不順)‼
#美しい
家の一室。この世界に来れる毎週末を、ぼくはそれはもう、すっごく心待ちにしている。
床板が外されたそこ。
冷たい波がバシャバシャ周りの床を濡らしてるけれど、ぜんぜん平気。気にしない。だってそのためのお部屋。
透き通る彩度の高い水色が、切り取られて加工された写真みたい。部屋の窓から射し込む陽光にチラチラ。とっても美しい。
まだまだ息を切らして、そっと覗くの。
はぁ、って息をついた瞬間――――、
「ぅあ⁉」
バチャンって飛沫を上げて。まるで水族館のショーの演目。
仰け反ったけれど、ぼくもばかしゃない。
バッてビニール傘を開いて。
ぼたたたた――――、豪雨の音。
まだ波立つそこから、ぽちゃり。
きみがお顔を出す。ぼくたち――ヒトと同じ造形をしたそのお顔は、眉を寄せてね、すっごく白々しいお顔。
じとーって睨んでくるの。
「遅いですよ」
「きみが早すぎるの。あと、ぼく、危うくびしょびしょ。いつもいつも。何か言うことないの?」
「おや、水もしたたる何とやら。惜しいことをしましたね」
「季節考えて。いま、いちばん寒い季節」
くすくす。手の甲で口許を隠してるのに、水面からはパチャ、パチャ、って尾ひれが楽しそうに跳ねてるから丸分かり。
こんなに寒いのにきみの顔色はいつも同じ。
触れたら、普通にあったかい。ほんと、体温が高いんだから。
「ちょっと、冷たいです」
「いいでしょ、冷たい海にいるんだから」
「あたたかい海から顔を出しているから、顔は寒いんです。あなたこそ、寒いところにいるから冷えるのでしょう?」
「これでもこのお部屋はあたたかいの。末端冷え性だからお手々が冷たいの」
「難儀ですね」
「きみに言われたくないなぁ」
海の中から床に肘をついて、頬杖をつくきみ。
はーっ、はぁーっ、って何度も息を吐き出して空中にできる白い蒸気をたのしんでる。
無邪気でこどもみたい。っていうと、きみは呆れたみたいに言うの。「あなたたちが海に潜ったときも同じような反応をしていますよ」って。
「あ、わたくし、あれがたべたいです。前にたべさせてくれた、お魚の」
「あー……えと、お寿司?」
「そう! それです」
「何のネタがいいの?」
「炙りはらみがいいです」
「好きだねぇ、脂身。……ねえ、共食いになんないの?」
「え? だって、あなたたち、豚も牛も食すじゃないですか。それに、海のいきものだって、他の種類の海のいきものをたべますよ?」
「そういう認識なの?」
「地上のいきものは、ヒトだけなのですか?」
「ちがうね」
「そうでしょうとも」
早く寿司を持ってこい、って顔してるけれどさ。なんだかちょっと、納得ゆかない。昔読んだ童話のせいかな。
きみの身体にヒトの不死身につながるものはない、とか。ぼくときみが同じだけの寿命、だとか。魚だけじゃない肉も、きみが好き、だとか。
わりかし、ぼくの常識と無意識の思考の構築とは食い違うから。
「あっ、あと!」
「まだあるの? きみってば食いしん坊」
「誰でも同じですよ。お酒、お酒持ってきてください! 好きです、お酒、とっても好きです!」
「いいけど、きみ、帰れなくなるよ? 他のお魚にたべられちゃうかも」
「泊まってゆきます」
「え」
「浴槽か水槽にお水、張ってください。わたくし、寝相はいいほうですよ? 水質も選びません!」
「いいけど。きみ、寝相けっこう悪いよ? 尾ひれ、めっちゃ動く。夢でクロールしてるし」
「え゛ッ」
ぼちゃん、って沈んだきみの尾ひれ。今度はぼくがくすくす笑う番。
ちょっと落ち込んでるきみのために、台車に載せた浴槽に海水を汲み上げる。
まだ尾ひれをぎゅ、って握るきみを浮かべて。
ヒトの世界――――ぼくの世界にご案内。
この家だけは、この空間だけは、ちっちゃなこの世界は、きみとぼくが共有する世界。
「ね、元気出して」
「……今度、おいしい海の幸を献上します」
「んふ、たのしみにしとく。あ、それと、採取したいものがあるんだけど」
「いいですよ、探しておきます」
けっこう、win-winだったりする。
#この世界は
#どうして
鈍い音とともに、赤いものが飛び散った。
――――ドンッ! 重い音。
ぼくの目の前で本当に、本当に、ゆっくりと崩れてゆくきみ。そんなきみに手を伸ばすことができなくて、木製の角やその上でカチャ、ガチャ、と鳴る音を聞きながら走った。
鼓膜が、心臓が、映像が、すべてがスローモーション。空中を舞う埃さえもその軌道がはっきり見えていたくらいに。
「ねえッ! 大丈夫⁉ しっかりして‼」
両膝をついてきみを抱き起こした瞬間に、うってかわって時間は足を速めるの。
きみの胸元にはべったりとぬめりのある真っ赤な液体。抱き起した背中にもべったり。ぼくのことも濡らしてゆくの。
もう半ばパニック。
ぺったりと湿った髪。
大粒の汗が浮かんでは流れて、苦しそうに呼吸をする。眉間に寄せられた眉。
何度も何度も名前を呼んで。
ぼくの頭はもう、「なんで」「どうして」って思考がはたらきかけては、それを拒絶するみたいに頭が痛くなる。
薄く開いたきみの目。
力なく伏目なのが、のろのろと瞼とともに上がってきた。うろうろと揺れる瞳がぼくを見つけて。
へにゃりと笑ったきみは、弱弱しい。
つっかえて、つまって、それでもきみは声を絞り出すの。
ぼくもそれを止めない。
だって、これは――――、
「ふふ……、なんて、顔を……してるんですか」
「だって、だって……ッ」
「そんな、顔、しないで、ください」
伸ばされたきみの手がぼくの頬を。べちゃり、ぬちゃぁ……ってきみの跡が残る。
それを見てきみってば満足そうにしちゃってさあッ‼ 今のぼくがどんな気持ちかも知ってるくせに。なのに、どうして。
ほんと、ほんときみってば、いじわる。
はあ、って熱を体内から絞り出すような息。そんなんで許されると思ってるの?
「ねえ、あのね、ひとつ、聞きたいの」
「……ええ、どうぞ」
もう一度ね、きみのお顔をよく見るの。
「どうしてぼくたち、こんな、迫真に大根役者、できるの……?」
「――――ぷっ、んンッ……わ、笑わさないでくださいっ」
「ねえ、だって、残り少ないケチャップにやられて、きみがいつの間にか上達した受け身と変なテクニックで倒れて」
「ンふっ……」
「もう、たのしみにスプーンも持ってたのに、何でかぼくもスイッチ入っちゃって。身幅見誤ってテーブルの角にぶつけるし、痛いし、膝普通に強打してたぶん青痣できてるし」
「もうっ……っふふ、だめっ、……笑っちゃいます……ッ、ん、んははっ」
「どうしてかきみってば、背中も濡れてるし。ぼく、ズボン汚したし。あっ! あと、もしかして暖房暑かった?」
「ふふ、っ、んふ、……暑いです。あなたの寒がりもわたくしに妥協してくださればいいのに」
すっくと立ちあがるきみ。
テキパキと濡れた床を掃除して、ぼくの頬につけたケチャップも拭って。
「さ、ごはんにしましょう」
「……その恰好で?」
まだ赤まみれ。
「えぇ。このあとどうせ、出掛けるのに着替えますし。この服も、あなたのズボンも捨てる予定でしょう?」
「……そう、だけど。ねえ、なんで背中も濡れてるの。さらさらしてるからケチャップじゃないでしょ」
「ふふ、小っちゃいジップロックに血糊仕込んでおいたんです。倒れたときに、わたくしの自重で口が開くようにして。食用赤色102号ですから、飲めますよ、それ」
「のまないよ!」
きみってば、どうしてそんな、いい笑顔なの!
「聞いてください」
「寝支度しながらでもいい?」
「それと対のパジャマはまだ乾いていませんよ」
「……雨めぇ」
「聞いてください」
「どうふぉ?」
「歯磨きをしながら向かないでください」
「ん」
「わたくし、」
「わたくし、やってみたいことがたくさんあるんです。2進法で那由多に羅列されるくらい」
「ふぅん、続けて?」
「この前あなたが海に連れて行ってくれましたね。大脳辺縁系相当がチカチカするくらいの光景で。それでわたくし、泳いでみたいんです」
「水と塩と金属のなかで?」
「だめなら塩素のなかでも。とにかく、泳いでみたい」
「真水じゃだめ?」
「広くありませんもん」
「こだわるねぇ」
「それから、夢も見てみたい」
「きみ、見ないもんね……試してみる?」
「それ、あなたがつくった動画を垂れ流すだけでしょう? あなた、センスがありませんから」
「ひ、ひどい」
「そうじゃなくて、今日のこと、過去のことを、深く深く脳幹から引っ張り出してごちゃまぜにして、わたくしの思考も加味されて。ふふ、体調が悪いと混沌で滑稽なつぎはぎが見れるのでしょう?」
「クソダサパワポみたいなやばいの見る」
「わたくしはどんなやばいものを見るのでしょう」
「疲れてもみたい」
「せっかく疲れ知らずなのに。贅沢なねがい」
「あー疲れた、と、疲労感と達成感が何なのか感じてみたいんです。それで眠りに誘われて。朝に筋肉痛の発生、疲労感の残留。湿布を貼って、2度寝して」
「ぼくはね、一日が68.5時間以上になればいいのにって思う」
「皮肉な人」
「1番やってみたいのは、飲食です」
「うーん、きみのお口に感知器官をつくって、電流が流れたら味と感知する刺激がシグナルで受け取れるとか」
「……野暮ですね。あなたと酒を酌み交わしてみたいんです。麦芽のビールは風呂上りとか、有酸素運動後に、1口目がおいしいのでしょう? あなたがおいしいおいしい、というわたくしの手料理の味も知りたい」
「ふぁ、眠い。まあ、ぜんぶ、世界の誰かの技術が提供されるか、ぼくの技術力が爆発的に上がったらね」
「そのときまで、あなたがいればいいのですけれど」
「はいはい、背中のシャツまくって」
ガチャン――窪みにちょうどなコネクタが、わたくしの背中にはめ込まれる。200Vの電流が徐々に省エネモードを解除してゆき、発熱量が増して。
あなたがわたくしのために用意してくれたベッド。そこへ横向きにボディーを倒す。沈む心地はあれど気持ちいいのかは分からない。
軽量化が成功したわたくしは、あなたと同じくらいの重量。
叶うことが難しいのは分かっている。ですが、せめて。せっかく思考と知識があるのだから、それらが何なのか予測して。自分に当てはめていたい。
現実の外側で思い描いて。
スリープモードに移行しながら、思うのです。
「はぁ、ニンニクマシマシセアブラオオメのバリカタで、この腹を満たしてみたい……」
#夢を見てたい
お買い物から帰ってきたら、きみはソファでうたた寝。クッションに頭を載せて、バンザイみたいな恰好で。ちょっとお口が開いているし、片足がソファから落ちてる。
ほんとならね、毛布をかけてあげたい。
けど、きみってば、いらないところで敏感。ぼく、47敗2勝。ね、もう偶然にかけるのもばかみたい。
暖房を入れて。
ゴォオオオ――って音。
「んふ」
キッチンでちょっと仕込み。
トマトソース煮込みのチーズハンバーグだってつくれちゃう。あと、この前もらったお野菜はマリネにしちゃおっかな。
あのパン屋さんすっごく並んでた。
けど、ぼく、がんばった。だからスライスして、あとでオーブンでブン。
ちょっとカリカリするくらいがいいよね。
壁に設置してある給湯器のリモコン。浴槽はからっぽ。【自動】っていうボタンを。
『お湯張りをします。お風呂の栓を閉めて下さい』
「はぁーい」
浴室はカビが生えないようにって、窓が全開。凍っちゃう! って思うほど。
窓もお風呂の栓も閉めて。
ジャアーーってお湯が湯気をたてながら浴槽に嵩を増やそうとしてる。こういうのってちょっと応援したくなっちゃう。がんばれーって。
……ならない? あ、そう。
ベランダに出て洗濯物を取り込むの。畳むのはね、きみのお仕事。明日はぼくの番。
枕カバー洗ったんだった。
鼻先を恐る恐るうずめるの。
――――すぅ……よ、よし、まだへいき!
性別問わずにするっていうから、ほんと、困っちゃう。
ソファの前。
きみは器用に落ちずに寝返りをうって。寝れなくなるよ、って言ったことがあったけど、夜に普通に(なんならお昼寝してないぼくよりも早く)寝てたから言うのもやめた。
たまに変な寝言言ってる。
突然クソデカボイス出すのはやめてほしい。
でも寝顔はすき。
すっごく気持ち良さそう。
ガチャ――――浴室。
浴槽にはたっぷりの少しだけ熱めのお湯。足からゆっくり入って、肩までどぷり。
「あ゛~~、さいっっこう」
ちゃぷん、ちゃぷん。
お夕飯、よろこんでくれるかな。きみの好物ばかり仕込んだから。んふ、たべるときのきみのお顔がね、ありありと浮かぶの。
ごはんたべてるときのきみ、すっごく満たされたお顔をしてて、つくり甲斐ある。
弾んだ声まで聞こえてきちゃいそう。
パシャン、パシャン。
うねうねとぼくの肌色が波立って。
ふと見上げれば、浴室の角にちっちゃな虹。壁も床も浴槽も白いから、反射したら虹色の光ができちゃう。
チカッ、チカッ――――なんだか特別な気分。
「んふ、しあわせだぁ」
そういう気持ちになっているとね、時間がすぐに過ぎて、のぼせちゃうんだよ。
#ずっとこのまま