あにの川流れ

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#どうして


 鈍い音とともに、赤いものが飛び散った。
 ――――ドンッ! 重い音。
 ぼくの目の前で本当に、本当に、ゆっくりと崩れてゆくきみ。そんなきみに手を伸ばすことができなくて、木製の角やその上でカチャ、ガチャ、と鳴る音を聞きながら走った。
 鼓膜が、心臓が、映像が、すべてがスローモーション。空中を舞う埃さえもその軌道がはっきり見えていたくらいに。

 「ねえッ! 大丈夫⁉ しっかりして‼」

 両膝をついてきみを抱き起こした瞬間に、うってかわって時間は足を速めるの。

 きみの胸元にはべったりとぬめりのある真っ赤な液体。抱き起した背中にもべったり。ぼくのことも濡らしてゆくの。
 もう半ばパニック。
 ぺったりと湿った髪。
 大粒の汗が浮かんでは流れて、苦しそうに呼吸をする。眉間に寄せられた眉。
 何度も何度も名前を呼んで。
 ぼくの頭はもう、「なんで」「どうして」って思考がはたらきかけては、それを拒絶するみたいに頭が痛くなる。

 薄く開いたきみの目。
 力なく伏目なのが、のろのろと瞼とともに上がってきた。うろうろと揺れる瞳がぼくを見つけて。

 へにゃりと笑ったきみは、弱弱しい。
 つっかえて、つまって、それでもきみは声を絞り出すの。
 ぼくもそれを止めない。
 だって、これは――――、

 「ふふ……、なんて、顔を……してるんですか」
 「だって、だって……ッ」
 「そんな、顔、しないで、ください」

 伸ばされたきみの手がぼくの頬を。べちゃり、ぬちゃぁ……ってきみの跡が残る。
 それを見てきみってば満足そうにしちゃってさあッ‼ 今のぼくがどんな気持ちかも知ってるくせに。なのに、どうして。

 ほんと、ほんときみってば、いじわる。
 はあ、って熱を体内から絞り出すような息。そんなんで許されると思ってるの?

 「ねえ、あのね、ひとつ、聞きたいの」
 「……ええ、どうぞ」

 もう一度ね、きみのお顔をよく見るの。

 「どうしてぼくたち、こんな、迫真に大根役者、できるの……?」
 「――――ぷっ、んンッ……わ、笑わさないでくださいっ」
 「ねえ、だって、残り少ないケチャップにやられて、きみがいつの間にか上達した受け身と変なテクニックで倒れて」
 「ンふっ……」
 「もう、たのしみにスプーンも持ってたのに、何でかぼくもスイッチ入っちゃって。身幅見誤ってテーブルの角にぶつけるし、痛いし、膝普通に強打してたぶん青痣できてるし」
 「もうっ……っふふ、だめっ、……笑っちゃいます……ッ、ん、んははっ」
 「どうしてかきみってば、背中も濡れてるし。ぼく、ズボン汚したし。あっ! あと、もしかして暖房暑かった?」
 「ふふ、っ、んふ、……暑いです。あなたの寒がりもわたくしに妥協してくださればいいのに」

 すっくと立ちあがるきみ。
 テキパキと濡れた床を掃除して、ぼくの頬につけたケチャップも拭って。

 「さ、ごはんにしましょう」
 「……その恰好で?」

 まだ赤まみれ。

 「えぇ。このあとどうせ、出掛けるのに着替えますし。この服も、あなたのズボンも捨てる予定でしょう?」
 「……そう、だけど。ねえ、なんで背中も濡れてるの。さらさらしてるからケチャップじゃないでしょ」
 「ふふ、小っちゃいジップロックに血糊仕込んでおいたんです。倒れたときに、わたくしの自重で口が開くようにして。食用赤色102号ですから、飲めますよ、それ」
 「のまないよ!」

 きみってば、どうしてそんな、いい笑顔なの!




1/15/2023, 1:08:03 AM