どうしよう。
もう夜だし、「おやすみ」って自室に入ったわけで。つまりはもう、寝る間際。ぼくだって、電気も消してベッドの上で布団を持ち上げて寝転がる寸前。
きっときみはもう眠ってる、か、ゆっくり自分の時間を過ごしてる。
本を読むのが好きだから、ページをめくって没入してるかも。紅茶が好きだから、香りとあたたかさで一杯を楽しんでるかも。あたたまってきた布団でぬくぬくするのが一等好きだから、まどろみながら、しあわせいっぱいかも。
いまこの瞬間、あくびをして眠ったかも。
きみのお部屋はとなり。
少し耳を澄ませてみるけれど、なあんにも聞こえない。ページをめくってるのかも、口許に紅茶を運んでるのかも、毛布を手繰り寄せてるのかも、あくびをしたのかも分からない。
たまに聞こえてくるカッスカスのハミングも。
いま、きみがどうしてるのか、何も分からない。
ぼくの気持ちはこんなにはっきりしてて、悶々、ゆらゆら、ぐらぐら、叱責叱責。
眠っていつの間にか朝になってれば、「おはよう」って言えるんだから。
ごろんごろん、もぞもぞ。
ぜんっぜん眠れない。
むしろ、どんどんと抑えられなくなってくる。どうしても、どうしても無理。
ベッドから降りちゃうの。
ドアの前で唸って唸って迷って。
でも、だって、嘘言えない。
ぼくってば、けっこう自分に正直。
ドアノブ握っちゃった。
廊下。
真っ暗で、冷たくて、ふよふよと浮いているホコリが鼻をくすぶるの。
ペタペタ、……立ち止まって、手で壁を伝って、ペタペタ、ペタペタ、素足がとってもうるさい。心臓もずっとドンドコ、ドンドコ。
なんだか口の中も乾いてきたかも。
どんなに牛歩でも、きみのお部屋の前。
もういっかい確かめたくて。
耳を澄ませてるのに、ほんと、ぼくの耳ってば緊張しすぎて自分の音しか拾えない。しょうがない、しょうがないよね。
こぶしをつくって、ドアに――――だめ、できない。こころが準備できてない。でも、もう、決まっちゃってる。だから。ね、やるしかないの。
いっぱい深呼吸。……ちょっと廊下ほこりっぽい。明日、お掃除しよ。
じゃなくて、もう、コンコンってできない。
声かけよう。
ドアノブを握って。
口は開いたんだけれど、声がぜんぜん喉から出てこない。空気をはき出して、もういっかい。
すう、はあ、すう、はあ……。
深呼吸はさっきしたでしょ!
ドアにひたいをつけて。
心臓が痛い。こころがびくびくして、ちょっとくちびるが震えてる。
ほんとにほんとに、小っちゃく。
きみことを呼ぶの。
「はあい」
きみのお声。
タタタ、って小走り。――――ガチャン。寝間着のきみ。
「どうしました?」
「……んふ、会いたくなっちゃったの」
もうね、あり得ないくらいに、こころが、目が、耳が、満たされちゃったの。
満たされちゃったの。
#君に会いたくて
あそこに浮かぶのはなんだろう――――そんな好奇心だった。
ごくごく微量な空気。膨張し続け、終焉と誕生を繰り返して。光年のかがやきと反射が暗闇の安寧と秩序を助ける空間。虚無や時空を喰らうおそろしいものもある。それらをうまく巧みに避けてきたのだろう。
すぃーーっと寄って。
いきものだ。
なまものと書くあれ。しかしどうして、ぴくりとも動かず、ふぅらふぅら、抵抗も摩擦もなく微々たるもの引力に取り合われてゆっくりと進んでいる。
これらは同じ造形をしていた。
頭部に胴体、四肢。皮膚の上にひらひらしたものをまとって。
対のように絡まって、離れず放さず。
引き出しを引いてページをめくるように、全知を探って。――――ああ、そうだ、人間。
疑問。
見渡せどこれらの星はない。船もなければ、残骸すら見当たらない。どこから、どれくらい、漂っているのか。
気になってはみるが、はたして能力も術も持ち合わせていない。全能に取り揃えはなかった。
惜しいこと。
とすれば、これらのすべてはこれらの中にしかない。存在し得ない。
すべて、すべて。すべて、がだ。
どこで生まれ、どこでどのように育ち、どうして二体で、何があって漂うのか。誰で、識別される音は何で、所縁が何か。
記録は記憶はその情報は、これらの中に綴じて閉ざされている。
それらが開けるのはいつだろうか。
何が起因となるのか。
……ううむ、気になる。甚だ爆発的な好奇心に殺されかける気分になるほど。気になる。気になってしまう。
よしんばどこかの星に着けたとして。
閉ざされたまま永久凍土か。開く術を滅するように即火中か。
悩む、悩み悩み。
手引きは無作法か。つくりかえるか否か。
――――標をつけよう。
あとで、留まったら追ってみよう。
不動か焼滅か。それとも還るか。育つか。
手を入れず。任せてみよう。
何かの変化が、これらの望んだ臨んだものが、開けて全知の一部となる日を幸いと願って。
この記録はページにせずめくらず。
手の甲にでも記しておこう。
#閉ざされた日記
少し厚手のアウターを差し出したあなた。その眉間には滅多に入らないシワが。ぎゅっ、と口の端を結んで。
それでも、「着て」と言ってわたくしが腕を通して落ち着くまで確認してゆくのだから。
背中合わせに並んだ木製のベンチ。
ギシッ、と木板が歪む音。
ビュゥウウ――ッ、と吹く風は確かに冷たい。
冷えてしまった身体を縮めてもそれほどあたたかくはなく。けれども、あれほど茹だっていた頭はその風に窘められて。
まばたきをしてもあっという間に目は乾いてしまう。だから何度もしばたいているうちに、気づいてしまえる。
はぁ、と吐く息はまだ白くはない。
「ごめんなさい。ひどく感情的になりすぎました。あなたをこんな、一等寒い空に引きずり出したかったわけでは……いいえ、引きずり出したことを反省しています」
「うん。ぼくも、ごめんなさい」
またギシッ、と音。
「あんなに、淡々ときみをなじるつもりじゃ……んーん、つもりだったけど、したらだめだった」
うしろから鼻をすする音がするんです。本当に、わたくしはなんて乱暴なことを。
ベランダから戻ってきたあなたは首を竦めて震えながら掃き出し窓を閉めて、「さむいね。もう冬だよ」と暖房を。それにわたくしがギョッとして、点ける点けないの口論に。
……本当に幼稚なわたくし。
飛び出して追いかけさせるなんて。
足許の色づいた落葉を、強く芯のある風がくるくると遊ばせる。昇ってきたそれがわたくしのひたいを叩いた。
――――くしゅんッ‼
ギシギシッ、と軋んでから背中を預けた音。
あなたの背後から横に移動して。
もこもこのアウターの襟に鼻下を埋めている。いつもならマフラーもきちんと巻いてくるのに。
しょも、と目を伏せて。
「帰ろ」
「えぇ」
ぶるっと震えたあなたに肩を寄せる。
いつの間にか眉間のシワは伸ばされていて、口許も口角が上に。
結論が出たのか「んふ」と漏らした。
ビルとビルの間を一等強い風が吹き抜けていった。煽られたわたくしたちは目を瞑って反射的に顔を上げる。
おさまった風。
薄く開いた目に、鮮やかに紅葉した街路樹が。その枝から葉っぱを千切り飛ばした。その時刻に設定されていたLEDライトが一気に点灯。
沈みかけの夕日とともに目を、こころを、刺激してくる。
「はあ」
「わぁ、きれい」
「えぇ本当に――――ふふっ」
「え、なに?」
「風に髪が遊ばれて、いい感じですよ」
「エッ! なおしてよ」
「わたくしが?」
「鏡がないから、きみ以外に客観的にきれいにできる人がいないの」
「そのままでもいいですよ?」
「え~~信じるからね? ぼく、さわんないよ?」
「玄関の姿見で確認したら、きっとあなたも、気に入りますから」
じとー、と疑わしそうな目。
それに口角を上げて返す。
「わたくし一枚脱ぎますから、暖房を点けましょう。確かに寒いです」
「一枚脱いだら、きみ裸。ぼくが背中にカイロ貼るし、きみがあったかいスープつくってくれるからへいき」
へら、と笑うあなた。
「帰りにトマト缶買って帰ろ」といまの気分を言うから、わたくしも思わずほしいものが浮かんで。
「コンビニに寄ってもいいですか?」
「ぼく、ウィンナーがいい」
髪型も献立も決められてしまって。
この木枯らしは何号目なんでしょう、とふと思うのです。
#木枯らし
朝起きたきみは、まずベッドを整える。クローゼットと水場を行き来して、身形を納得ゆくまで。
今日はぼくが担当。
きみがセッティングしたテーブルにお皿に盛り付けた朝食を置いて。楽しみながらも所作に気をつけて、「いただきます」「ごちそうさま」もしっかり。
冷たい水道水にぼやきつつ、きみの手は手際よく順序よく。泡から救い出したら水気も残さない。
バラバラ、し忘れ、入れっぱなしのぼくを叱りながら選別して洗濯機。
合間に花のお世話。
きみのお目々はお花にうっとり。
ベランダで気持ちよく日光に当たりながら、テキパキと吊るして。
きみが好む紅茶。
その手さばきはもう、誰かが言った「芸術だ」。ぼくはじーって見ちゃう。やべっ、お湯回しすぎちゃった。
テレビを点けたらどこかの、なんか、いい感じの景色。大自然。
ナレーションにうんうんって頷くきみ。
「こんなきれいなところに、一度は行ってみたいですねぇ」
「……」
ぼくはいまのままで充分。これ以上はちょっと、美しいの過剰摂取になっちゃうの。
ふと、気になる。
「ねぇ、きみの美しいってなあに?」
「え」
振り返ったきみはきょとん。
じわじわと考えが巡って、棄却して、一瞬こころが揺さぶられて、やっぱり違って。トライアンドエラー。
お目々がすっごく動く。
「あ」「え…」って言い詰まって、たぶん、考えすぎ。頭がぐるぐる。パンクしそうに。
豊かな分、言いたいことがありすぎて選べない。よくあること。
きゅ、って口を引き絞ったきみは、納得できてないお顔。「まっ」、一回詰まって。
「まだ、何も言えることがありません。もっと経験を積んで吟味します」
「わぁ」
――――なんて美しい□□□□(文字数不順)‼
#美しい
家の一室。この世界に来れる毎週末を、ぼくはそれはもう、すっごく心待ちにしている。
床板が外されたそこ。
冷たい波がバシャバシャ周りの床を濡らしてるけれど、ぜんぜん平気。気にしない。だってそのためのお部屋。
透き通る彩度の高い水色が、切り取られて加工された写真みたい。部屋の窓から射し込む陽光にチラチラ。とっても美しい。
まだまだ息を切らして、そっと覗くの。
はぁ、って息をついた瞬間――――、
「ぅあ⁉」
バチャンって飛沫を上げて。まるで水族館のショーの演目。
仰け反ったけれど、ぼくもばかしゃない。
バッてビニール傘を開いて。
ぼたたたた――――、豪雨の音。
まだ波立つそこから、ぽちゃり。
きみがお顔を出す。ぼくたち――ヒトと同じ造形をしたそのお顔は、眉を寄せてね、すっごく白々しいお顔。
じとーって睨んでくるの。
「遅いですよ」
「きみが早すぎるの。あと、ぼく、危うくびしょびしょ。いつもいつも。何か言うことないの?」
「おや、水もしたたる何とやら。惜しいことをしましたね」
「季節考えて。いま、いちばん寒い季節」
くすくす。手の甲で口許を隠してるのに、水面からはパチャ、パチャ、って尾ひれが楽しそうに跳ねてるから丸分かり。
こんなに寒いのにきみの顔色はいつも同じ。
触れたら、普通にあったかい。ほんと、体温が高いんだから。
「ちょっと、冷たいです」
「いいでしょ、冷たい海にいるんだから」
「あたたかい海から顔を出しているから、顔は寒いんです。あなたこそ、寒いところにいるから冷えるのでしょう?」
「これでもこのお部屋はあたたかいの。末端冷え性だからお手々が冷たいの」
「難儀ですね」
「きみに言われたくないなぁ」
海の中から床に肘をついて、頬杖をつくきみ。
はーっ、はぁーっ、って何度も息を吐き出して空中にできる白い蒸気をたのしんでる。
無邪気でこどもみたい。っていうと、きみは呆れたみたいに言うの。「あなたたちが海に潜ったときも同じような反応をしていますよ」って。
「あ、わたくし、あれがたべたいです。前にたべさせてくれた、お魚の」
「あー……えと、お寿司?」
「そう! それです」
「何のネタがいいの?」
「炙りはらみがいいです」
「好きだねぇ、脂身。……ねえ、共食いになんないの?」
「え? だって、あなたたち、豚も牛も食すじゃないですか。それに、海のいきものだって、他の種類の海のいきものをたべますよ?」
「そういう認識なの?」
「地上のいきものは、ヒトだけなのですか?」
「ちがうね」
「そうでしょうとも」
早く寿司を持ってこい、って顔してるけれどさ。なんだかちょっと、納得ゆかない。昔読んだ童話のせいかな。
きみの身体にヒトの不死身につながるものはない、とか。ぼくときみが同じだけの寿命、だとか。魚だけじゃない肉も、きみが好き、だとか。
わりかし、ぼくの常識と無意識の思考の構築とは食い違うから。
「あっ、あと!」
「まだあるの? きみってば食いしん坊」
「誰でも同じですよ。お酒、お酒持ってきてください! 好きです、お酒、とっても好きです!」
「いいけど、きみ、帰れなくなるよ? 他のお魚にたべられちゃうかも」
「泊まってゆきます」
「え」
「浴槽か水槽にお水、張ってください。わたくし、寝相はいいほうですよ? 水質も選びません!」
「いいけど。きみ、寝相けっこう悪いよ? 尾ひれ、めっちゃ動く。夢でクロールしてるし」
「え゛ッ」
ぼちゃん、って沈んだきみの尾ひれ。今度はぼくがくすくす笑う番。
ちょっと落ち込んでるきみのために、台車に載せた浴槽に海水を汲み上げる。
まだ尾ひれをぎゅ、って握るきみを浮かべて。
ヒトの世界――――ぼくの世界にご案内。
この家だけは、この空間だけは、ちっちゃなこの世界は、きみとぼくが共有する世界。
「ね、元気出して」
「……今度、おいしい海の幸を献上します」
「んふ、たのしみにしとく。あ、それと、採取したいものがあるんだけど」
「いいですよ、探しておきます」
けっこう、win-winだったりする。
#この世界は