あにの川流れ

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1/15/2023, 1:08:03 AM

#どうして


 鈍い音とともに、赤いものが飛び散った。
 ――――ドンッ! 重い音。
 ぼくの目の前で本当に、本当に、ゆっくりと崩れてゆくきみ。そんなきみに手を伸ばすことができなくて、木製の角やその上でカチャ、ガチャ、と鳴る音を聞きながら走った。
 鼓膜が、心臓が、映像が、すべてがスローモーション。空中を舞う埃さえもその軌道がはっきり見えていたくらいに。

 「ねえッ! 大丈夫⁉ しっかりして‼」

 両膝をついてきみを抱き起こした瞬間に、うってかわって時間は足を速めるの。

 きみの胸元にはべったりとぬめりのある真っ赤な液体。抱き起した背中にもべったり。ぼくのことも濡らしてゆくの。
 もう半ばパニック。
 ぺったりと湿った髪。
 大粒の汗が浮かんでは流れて、苦しそうに呼吸をする。眉間に寄せられた眉。
 何度も何度も名前を呼んで。
 ぼくの頭はもう、「なんで」「どうして」って思考がはたらきかけては、それを拒絶するみたいに頭が痛くなる。

 薄く開いたきみの目。
 力なく伏目なのが、のろのろと瞼とともに上がってきた。うろうろと揺れる瞳がぼくを見つけて。

 へにゃりと笑ったきみは、弱弱しい。
 つっかえて、つまって、それでもきみは声を絞り出すの。
 ぼくもそれを止めない。
 だって、これは――――、

 「ふふ……、なんて、顔を……してるんですか」
 「だって、だって……ッ」
 「そんな、顔、しないで、ください」

 伸ばされたきみの手がぼくの頬を。べちゃり、ぬちゃぁ……ってきみの跡が残る。
 それを見てきみってば満足そうにしちゃってさあッ‼ 今のぼくがどんな気持ちかも知ってるくせに。なのに、どうして。

 ほんと、ほんときみってば、いじわる。
 はあ、って熱を体内から絞り出すような息。そんなんで許されると思ってるの?

 「ねえ、あのね、ひとつ、聞きたいの」
 「……ええ、どうぞ」

 もう一度ね、きみのお顔をよく見るの。

 「どうしてぼくたち、こんな、迫真に大根役者、できるの……?」
 「――――ぷっ、んンッ……わ、笑わさないでくださいっ」
 「ねえ、だって、残り少ないケチャップにやられて、きみがいつの間にか上達した受け身と変なテクニックで倒れて」
 「ンふっ……」
 「もう、たのしみにスプーンも持ってたのに、何でかぼくもスイッチ入っちゃって。身幅見誤ってテーブルの角にぶつけるし、痛いし、膝普通に強打してたぶん青痣できてるし」
 「もうっ……っふふ、だめっ、……笑っちゃいます……ッ、ん、んははっ」
 「どうしてかきみってば、背中も濡れてるし。ぼく、ズボン汚したし。あっ! あと、もしかして暖房暑かった?」
 「ふふ、っ、んふ、……暑いです。あなたの寒がりもわたくしに妥協してくださればいいのに」

 すっくと立ちあがるきみ。
 テキパキと濡れた床を掃除して、ぼくの頬につけたケチャップも拭って。

 「さ、ごはんにしましょう」
 「……その恰好で?」

 まだ赤まみれ。

 「えぇ。このあとどうせ、出掛けるのに着替えますし。この服も、あなたのズボンも捨てる予定でしょう?」
 「……そう、だけど。ねえ、なんで背中も濡れてるの。さらさらしてるからケチャップじゃないでしょ」
 「ふふ、小っちゃいジップロックに血糊仕込んでおいたんです。倒れたときに、わたくしの自重で口が開くようにして。食用赤色102号ですから、飲めますよ、それ」
 「のまないよ!」

 きみってば、どうしてそんな、いい笑顔なの!




1/13/2023, 11:55:12 PM

 「聞いてください」
 「寝支度しながらでもいい?」
 「それと対のパジャマはまだ乾いていませんよ」
 「……雨めぇ」

 「聞いてください」
 「どうふぉ?」
 「歯磨きをしながら向かないでください」
 「ん」
 「わたくし、」

 「わたくし、やってみたいことがたくさんあるんです。2進法で那由多に羅列されるくらい」
 「ふぅん、続けて?」
 「この前あなたが海に連れて行ってくれましたね。大脳辺縁系相当がチカチカするくらいの光景で。それでわたくし、泳いでみたいんです」
 「水と塩と金属のなかで?」
 「だめなら塩素のなかでも。とにかく、泳いでみたい」
 「真水じゃだめ?」
 「広くありませんもん」
 「こだわるねぇ」

 「それから、夢も見てみたい」
 「きみ、見ないもんね……試してみる?」
 「それ、あなたがつくった動画を垂れ流すだけでしょう? あなた、センスがありませんから」
 「ひ、ひどい」
 「そうじゃなくて、今日のこと、過去のことを、深く深く脳幹から引っ張り出してごちゃまぜにして、わたくしの思考も加味されて。ふふ、体調が悪いと混沌で滑稽なつぎはぎが見れるのでしょう?」
 「クソダサパワポみたいなやばいの見る」
 「わたくしはどんなやばいものを見るのでしょう」

 「疲れてもみたい」
 「せっかく疲れ知らずなのに。贅沢なねがい」
 「あー疲れた、と、疲労感と達成感が何なのか感じてみたいんです。それで眠りに誘われて。朝に筋肉痛の発生、疲労感の残留。湿布を貼って、2度寝して」
 「ぼくはね、一日が68.5時間以上になればいいのにって思う」
 「皮肉な人」

 「1番やってみたいのは、飲食です」
 「うーん、きみのお口に感知器官をつくって、電流が流れたら味と感知する刺激がシグナルで受け取れるとか」
 「……野暮ですね。あなたと酒を酌み交わしてみたいんです。麦芽のビールは風呂上りとか、有酸素運動後に、1口目がおいしいのでしょう? あなたがおいしいおいしい、というわたくしの手料理の味も知りたい」

 「ふぁ、眠い。まあ、ぜんぶ、世界の誰かの技術が提供されるか、ぼくの技術力が爆発的に上がったらね」
 「そのときまで、あなたがいればいいのですけれど」
 「はいはい、背中のシャツまくって」

 ガチャン――窪みにちょうどなコネクタが、わたくしの背中にはめ込まれる。200Vの電流が徐々に省エネモードを解除してゆき、発熱量が増して。
 あなたがわたくしのために用意してくれたベッド。そこへ横向きにボディーを倒す。沈む心地はあれど気持ちいいのかは分からない。
 軽量化が成功したわたくしは、あなたと同じくらいの重量。

 叶うことが難しいのは分かっている。ですが、せめて。せっかく思考と知識があるのだから、それらが何なのか予測して。自分に当てはめていたい。
 現実の外側で思い描いて。
 スリープモードに移行しながら、思うのです。

 「はぁ、ニンニクマシマシセアブラオオメのバリカタで、この腹を満たしてみたい……」



#夢を見てたい



1/13/2023, 4:52:38 AM


 お買い物から帰ってきたら、きみはソファでうたた寝。クッションに頭を載せて、バンザイみたいな恰好で。ちょっとお口が開いているし、片足がソファから落ちてる。
 ほんとならね、毛布をかけてあげたい。
 けど、きみってば、いらないところで敏感。ぼく、47敗2勝。ね、もう偶然にかけるのもばかみたい。

 暖房を入れて。
 ゴォオオオ――って音。

 「んふ」

 キッチンでちょっと仕込み。
 トマトソース煮込みのチーズハンバーグだってつくれちゃう。あと、この前もらったお野菜はマリネにしちゃおっかな。
 あのパン屋さんすっごく並んでた。
 けど、ぼく、がんばった。だからスライスして、あとでオーブンでブン。
 ちょっとカリカリするくらいがいいよね。

 壁に設置してある給湯器のリモコン。浴槽はからっぽ。【自動】っていうボタンを。

 『お湯張りをします。お風呂の栓を閉めて下さい』
 「はぁーい」

 浴室はカビが生えないようにって、窓が全開。凍っちゃう! って思うほど。
 窓もお風呂の栓も閉めて。
 ジャアーーってお湯が湯気をたてながら浴槽に嵩を増やそうとしてる。こういうのってちょっと応援したくなっちゃう。がんばれーって。
 ……ならない? あ、そう。

 ベランダに出て洗濯物を取り込むの。畳むのはね、きみのお仕事。明日はぼくの番。
 枕カバー洗ったんだった。
 鼻先を恐る恐るうずめるの。
 ――――すぅ……よ、よし、まだへいき!
 性別問わずにするっていうから、ほんと、困っちゃう。

 ソファの前。
 きみは器用に落ちずに寝返りをうって。寝れなくなるよ、って言ったことがあったけど、夜に普通に(なんならお昼寝してないぼくよりも早く)寝てたから言うのもやめた。
 たまに変な寝言言ってる。
 突然クソデカボイス出すのはやめてほしい。

 でも寝顔はすき。
 すっごく気持ち良さそう。

 ガチャ――――浴室。
 浴槽にはたっぷりの少しだけ熱めのお湯。足からゆっくり入って、肩までどぷり。

 「あ゛~~、さいっっこう」

 ちゃぷん、ちゃぷん。
 お夕飯、よろこんでくれるかな。きみの好物ばかり仕込んだから。んふ、たべるときのきみのお顔がね、ありありと浮かぶの。
 ごはんたべてるときのきみ、すっごく満たされたお顔をしてて、つくり甲斐ある。
 弾んだ声まで聞こえてきちゃいそう。

 パシャン、パシャン。
 うねうねとぼくの肌色が波立って。

 ふと見上げれば、浴室の角にちっちゃな虹。壁も床も浴槽も白いから、反射したら虹色の光ができちゃう。
 チカッ、チカッ――――なんだか特別な気分。

 「んふ、しあわせだぁ」

 そういう気持ちになっているとね、時間がすぐに過ぎて、のぼせちゃうんだよ。



#ずっとこのまま


1/12/2023, 2:32:00 AM

 きみが突然、デパートに行こうって言うから。何か欲しいものがあるのかな、って思ったの。
 デパートに着いてみたらびっくり。
 人が多いし、みーんな寒いからか肩寄せあってたのしそうなの。しかも、デパ地下が大盛況。あ、もしかして! ってちょっと期待。けれど、ぜーんぜんそんなことなかった。きみってばスタスタ。

 もう、何なのさ。
 ちょっと期待しちゃってばかみたい!

 エスカレーターで、一階二階三階……そんなに昇るならエレヴェーターでよくない? そしたら、乗るべき人が乗れるように。
 そういうところ、律儀で気持ちいい。

 連れて来られたブース。
 え、これ結構なブランドのお店じゃないの? きみってば、ちょっと倹約思考。あんまりイメージないのに。
 並べられている防寒具。
 ……値札をね、ぺらり。もう、もう、卒倒!

 なのにきみったら、

 「どれがいいでしょうか。……あなたなら、どれを選びます?」
 「!、!、!? ぼ、ぼくに選ばせる気!?」
 「参考にします」
 「ゔぁあ!」

 ひどいこと言うんだから!
 選べ選べって。ぼ、ぼく、モールの安売りとかファッションセンターとか百均くらいでしか買わないよ。審美眼とか慧眼とか持ってないんだから。

 とにかくきみに似合いそうなものを、機能性とかあったかさとか、必死で見繕う。店員さんに話しかけられないかビクビクしながら、冬なのに嫌な汗いっぱいかいた。
 ふい、と見ればきみ、店員さんと普通に話しちゃって!
 ぼくがばかみたい!

 選んだものをきみに見せて。
 もう、値札なんか気にしてやらないんだから。

 ぼくが選んだものと、きみが選んだものを見比べたり、着けてみたり。うんうん、って。
 …………きみがたのしいなら、いいや。

 「ちょっとこれ、着けてみてください」
 「ぼくが?」
 「客観的に見たいんです」
 「ふぅん」

 ぴったりな二対。
 親指から小指まで寸分違わず。

 「うん、良さそうですね」
 「でもこれ、きみの趣味じゃないよね?」
 「ええ。あなたのですから」
 「は」

 流れるようにぼくから手ぶくろを取って、店員さんに渡そうとするんだから!
 そういうの、そういうところ……!!
 確かにぼくの好きなデザインだけれども!!

 「ねーえーっ! お財布寂しくなっちゃう!」
 「パンパンですから、減らすのがいいですね」
 「きみの買うって言ってた!」
 「言ってません」

 くそうっ!

 ピッてお会計されたそれは、目を塞ぎたくなるほどの表示が出てて。しかも、別途できれいなラッピング。ほんと、ほんとさぁッ!

 「……ありがと。うれしいけど、なんで急に」
 「あなた、自転車に乗るでしょう?」
 「うん」
 「コートにマフラーはするのに、手ぶくろをしていなかったから」
 「……うん。片方失くしたの」
 「ふふ、いい機会でした」
 「……ありがと」
 「えぇ。どういたしまして」

 めっちゃうれしい。
 絶対今度着ける! 失くさない! って思ってたんだけど――――家から出て、おっきな坂道下ったところで気づいたの。

 「あ゛ッ! 手ぶくろ忘れた!! ゔぁああッ」

 グリップを握る手が真っ赤っ赤。
 ……すっごく、すっごく、さむい。悴んでるし、ジンジン。せっかくきみが、あったかいように、って買ってくれたのにぃ!

 ぼくのばかぁあ!!



#寒さが身に染みて



1/10/2023, 2:34:09 AM


 あなたが、ふと空を見上げたのは薄暮時だった。そろそろ茜色が闇に溶けて、夕日のほとぼりがすーっと濃い青色になじんでゆく。
 いわゆるブルーアワー。
 その独特な雰囲気の中をあなたと並んで歩く。

 たまには道をそれてみよう、と入った路地裏で首尾よくにおいに惹かれたパン屋。おしゃれな紙袋に小麦のフレーバーを溜め込んで。

 「あ、二日目」
 「え?」

 見上げているあなたの視線を辿れば、西の低い空に浮かぶ瘦せた月。

 「あのね、昔のカレンダーでね、太ってく月はね三日の月」
 「え、今あなた、二日って」
 「月始めはね、ゼロ、イチ、ニって始まるんだよ。だから三日月は二日目。一日目の二日の月って、見えないの」
 「へ、へぇ……」

 そこから始まるあなたの三日月ウンチク。

 「べつの宗教ではね、三日月からひと月が始まるんだよ。そういうお国はね、国旗に三日月があるの」

 「三日月はね、クレセットって言うの。あのね、音楽のクレシェンドの語源」

 「アルテミスがね、三日月で方角を教えてくれるの。弓の形なの。そうしたらね、迷わない」

 後ろ手に組んで、たのしそうにそう話すあなた。ぶっちゃけ内容はぜんぜん頭に入らないけれど。いつの間に三日月博士になったのか。
 めんどく――――、奇特な人。
 面倒くさいだなんて言ってません。
 言ってませんったら。

 チラ、とわたくしが持っている紙袋に一瞥。

 「ねえ、きみがさっき買ったパン、なあに?」
 「パンですか? クロワッサンですけれど」
 「んふ、それも三日月が語源」
 「そうなんですね! 知りませんでした」
 「あのね、国旗に三日月のあるお国と戦って勝ったの。その戦勝記念。国旗とおなじ形をたべて、食ってやったぞ! って」
 「考えるものですね」
 「きみのクロワッサンはねマーガリン。まっすぐなのはね、バター」
 「区別のための形だったんですか、これ」

 何となく、まじまじと紙袋の中身を見た。
 見ただけでマーガリンは分からないのに。どうしてか、気になってしまう。

 くすくす、と笑うあなたが見れたので。
 まあ、良しとして。

 「月始め二日の三日月。ひと月にね、一回しか見れないの。空の上に昇るとね、月の角度が変わるからね真っ暗。お月様見えないんだよ」
 「エッ、そうなんですか?」
 「だから見れたらラッキー。幸運。みんな使う。ゲン担ぎ。ねえ、願いごと、どうぞ」
 「エッ、え、いきなりですね?」

 いきなり言われると普段願っていることも、分からなくなる。そして、思い出せない。
 あなたを見ればさっさと願ってしまっていて。
 おいてゆかれないように何とか、何とか、絞り出す。――――明日のお掃除ですべてのほこりを一掃できますように。
 ……本当に、これでいいのか、わたくし。

 また、くすくす。

 「言えた?」
 「い、言えました……」

 にやぁ、と意地悪な笑顔。
 これは碌な願いごとが言えていないのを見透かされている。

 「あっ、あなたはどうなんです?」
 「んふ、願いごとって言ったら叶わないんだよ。だからひみつ」

 いつの間にか、街路灯や建物の向こうのネオンがその光彩を強くしていて。三日月だって見えやしない。
 道路照明のちょうど真下のあなたは、生き生きとしている。それはもう、至極に。

 わたくし、もてあそばれましたね……?




#三日月



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