遠くの街に行こう。
君は僕の手をぎゅっと握って言った。
それから何時間汽車に乗って、何時間歩いていることか。
僕たちは汽車に乗る時も、歩く時もずっと手を繋いだままでいた。僕は周りの目があるのと少し気恥ずかしいのとで手を解こうと何度か握りしめる手を緩めたけれど、僕が緩めるたびに、代わりに君はぎゅっとキツく握りしめてくる。あまりにキツく握りしめてくるものだから、僕はなんだか怖くなった。
いったい僕はどこに連れて行かれるのか。
僕は立ち止まった。僕の手を引き、先を歩く君は立ち止まり、こちらを振り向いた。
そして僕が口を開くよりも先に、君は繋いでいた手をゆるりと緩めた。
君はまた、僕を置いて歩き出した。
この夢を見た日から、僕は君と、二度と話すことも会うことも出来なくなった。
後悔している。
「この場所に星のカケラを埋めたの」
彼女は土にざくざくとスコップを刺しながら言った。
「星のカケラ?」
「そう、星のカケラ。…あっ!」
彼女はしゃがみ込んで穴に向かって手を伸ばした。
どうやら見つかったらしい。
彼女は土の中から小さなお菓子の缶を掬い出した。
満足そうに笑い、僕に向かって手招きする。
僕が寄っていくと彼女はバコッと大きな音を立てて缶の蓋を開けた。
覗き込むとそこに入っていたのは封の中に入った金平糖だけだった。
僕はなんだか力が抜ける思いがした。
「…星のカケラって、…金平糖じゃん。」
僕が彼女を振り向くと、彼女は残念そうな表情を浮かべていた。
「何らかの化学変異が起こって本当に星のカケラになってないかなって期待してたのに」
きっと小さな頃の彼女はそれを願って金平糖を埋めたのだろう。きっとこの事実を知ると大いにがっかりする事だ。けれど大きくなった彼女もまた、心から落胆している。
僕は思わず顔を綻ばした。なんていうか、僕の彼女は本当に可愛い。
そんな僕を尻目に彼女はポケットから玩具の指輪を二つ取り出した。金平糖の横にその二つを新たに入れ、蓋を閉じる。
「今度は何に変身させようとしてるの?」
彼女は僕を見てニッコリ笑って答えた。
「星のカケラのペアリング!」
星のカケラのペアリングってのがあんまり気に入らなかったけどそれ以外思いつかなかった…。
コップに並々と博士は「黒い何か」を注いだ。
しゅわしゅわとその「黒い何か」は奇妙な音を立ててコップの中に収まった。
「何です、これ?」
私が尋ねると博士は少し首を傾げた。
「…えっと、なんて名前の飲み物だったかな、」
「…名前忘れたんですか。というかこれ、飲み物なんですか、」
博士はふふっと笑った。笑いながらコップを私に差し出してくる。
「美味しいよ。とても刺激的だけど」
私はおずおずと受け取り、コップの中を覗き込んだ。相変わらず奇妙な音を立てている謎の液体は細かに跳ね、私の顔へと付着した。
「うわっ、何です、これ!?」
私は驚いて思わずコップを取り落としそうになってしまった。本当に飲み物なのか信じられなかった。
「炭酸だからね」
「…たんさんって、」
何なのか思わず尋ねそうになってしまって私は慌ててぐっと唇を噛んだ。聞けば最後、博士の説明が永遠に続く。それは避けたい。しかもどうせ聞いたところで私には理解できないことだろう。
私は意を決してごくりと一口飲み込んだ。
甘い味と跳ねるような刺激が喉を伝っていく。
「…うわぁ」
これまた新しい経験だ。
美味しい、と思う。何だか癖になる感じ。
私はもう一口飲んで、まじまじとこの謎の液体を見つめた。相変わらず液体は跳ね続けている。
面白い。
「それさ、あっちの世界の飲み物なんだよ」
博士は私を見つめて満足そうに笑った。
……博士はまたあっちの世界に行ったのか。
「やっぱり面白いねぇ、あっちの世界は」
博士はまるで子供みたいにキラキラとした表情をしていた。あっちの世界の事を話す時はいつもそう。
「何もかもが新しい。僕は驚かせられてばかりだ。
もっと僕も頑張らないとって気になる」
「…けどあっちの世界の人間はこっちには来られないではないですか。それどころかこんな世界が存在している事さえ、知らないんだから。私はあっちへ行く機械をつくった博士の方が凄いと思う、」
博士はゆるゆると首を振った。
「たまたまだよ。あっちの文明なり何なりはもっと凄い」
…時々不安になる。博士があっちの世界に住み込んで、もう二度とこちらに帰ってこないのではないか、と。
きっとそうだ。
行かないでなんて、言える訳がない。
しかし、この世界に博士をとどまらせるような魅力のあるものがあるとは思えない。
私が博士をここにとどまらせる理由に、なんて何度考えたことか。そんなこと、ある訳がない。
…博士はもうすぐ私の手の届かないところに行く。
私がぼんやりと液体を見つめながらそんな事を考えていると、博士が「あっ」と声を上げた。
「思い出した、それの名前はコーラと言うんだった」
こーら。
私はもう一口、そのこーらとやらを口に流し込んだ。
こーらはなぜかさっきの刺激が嘘のように消え、ただ甘いだけの物へと変化していた。
…なぁんだ。こーらも大した事ないじゃない。
きっとあっちの世界も直ぐに刺激なんかなくなるよ。
だからお願い、こっちの世界に居てください。
なんて、
今日も私は溢れそうな思いをぐっと飲み込む。
「私を忘れないでなんて、自分勝手で未練がましいことは言いません」
彼女はそういって僕に青く小さな花を握らせた。
「ただ、私はあなたを心からお慕いしていたということは、知っていてください」
僕が何というべきか言葉に詰まっていると、彼女はふっと笑みを漏らした。なんだか泣く寸前のような今にも崩れそうな笑みだった。
「…とかなんとか言って、馬鹿みたいですね。「真実の愛」なんて花言葉の花は他にもあるのに。…わざわざ勿忘草なんて選んで、本当に…」
彼女はぐっと唇を噛んで俯いた。しかしすぐにぱっと顔を上げて微笑んだ。
「…今までありがとうございました」
そう言うと彼女は踵を返して足早に歩いて行った。
情けないことで、僕がどうすることも出来ず、ただ立ち尽くしていると、こちらに背を向けたまま彼女は少し震えた声で言った。
「そんな花渡しておいてなんですけど、…どうか全部忘れてください!私の事なんかこの先思いださないでください!」
忘れようとしたって、忘れることなんて絶対に出来ない。僕が身勝手に傷つけた君の事は、この先きっと忘れることなんて出来ないだろう。いや、忘れてはいけない。
だけど、君はどうか僕の事を忘れて欲しい。
こんな最低な奴なんか、忘れて幸せになってください。
…最後まで身勝手でごめんね。
ぶらんこに乗ろうか、なんて言い出したのは僕と彼のどっちだったっけ。
いや、そもそもこんな夜に散歩したいなんて言い出したのはどっちだっけ。
僕らは真っ暗な夜の道を、ろくな会話もせずに歩き続けていた。時折ぽつぽつとだけある街頭の光に照らされる彼の顔は憂いをおびて何か深く沈んでいるように見えて話しかけづらかった。どうしたの、なんてとてもじゃないけど言えなかった。彼を慰めるどころか、僕の不器用な慰めや元気づけの言葉はかえって彼を傷つけてしまいそうだった。
ひたすらに無言のまま歩き続けていると公園を見かけた。公園といっても、ぶらんことすべりだいしかないとても簡素で小さな、公園といってもいいのか分からないくらいのものだったけれど。
…ああ、そうだ。それで僕はぶらんこに彼を誘ったんだ。遊べば元気になるかな、なんて子供じみた考えで彼をぶらんこまで連れて行った。さすがにこの歳になってすべりだいはキツいと思ってぶらんこにしたんだ。思い出した。
僕は彼をぶらんこに座らせ、肩を押して、彼のぶらんこを漕いだ。彼は訳が分からないといったような顔をしていたけれど、ただ黙ってぶらんこに乗っていた。
夜空に向かって、綺麗な弧を描いて彼は飛び出したと思ったら、またすぐに僕のところに戻ってくる。
それを僕はまた押してやる。ぶらんこは勢いを増して行く。次第に彼は自分で上手くバランスを取りながら、ぶらんこが上がるギリギリまで勢いづけて漕いで行く。
僕は離れてぶらんこを漕ぐ彼を眺めていた。
何往復か漕いだあと彼は僕の方を向いた。
「元気出た」
さっきと打って変わって、スッキリとした笑みをたたえている。
僕もつられて微笑んだ。
「それは良かった」
背中を押したいと思っていたものの何だか物理に押すだけになってしまったけど、まぁいいか。
不器用だけど不器用なりに精いっぱい彼を支えていきたい。これからもどうか良い友人として、出来れば拠り所として、こいつの側にいられますように。