萌葱

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4/22/2023, 1:48:33 PM

君は僕の手首を掴み、引いて歩いた。痛くないようにと幾分手加減はしてくれているのだろう。しかしそれでもしっかりと、離さまいというような意思が籠っているような君の手を、僕は振り解けずにいた。
いや、解こうと思えば、直ぐに解くことが出来た。僕の手首を掴んでいる手を捻りあげるなり思いっきり手を後ろに引くなり、どうとでもできたはずだ。けれど僕は君の手を振り解けずにいた。いや、解かずにいた。だから君が歩けば、僕も着いて行かねばならなかった。

君のシャツが生ぬるい潮風で膨らんだりへこんだりするのをぼんやりと見つめたまま、君に手を引かれるがままに歩いていった。歩く度にスニーカーの中に砂が入っていくようで、ほんの少し重くなった足を持ち上げてただひたすらに着いていく。

次第に海が近づいて来て、遂にもう目の前というところまで連れて来られた。そこで止まるかなと思っていると、君はばしゃんと音を立てて、陸に打ちつける海水に足を突っ込んだ。たしか君もスニーカーを履いていたはずだ。それなのに何の躊躇いもなく、履いたまま足を突っ込んだ。僕も手を引かれるがままにスニーカーを履いたまま海へと足を着けた。
さらに君はずんずんと海の中へ入っていく。僕はただそれに着いていく。

胸の少し下辺りまで海水が持ち上がってきたというところでようやく君は止まって僕を振り向いた。
君は泣きそうな顔をしていた。薄く唇を開いて少し震えた声を上げた。
「何で何も言わずに着いて来てくれたの、」
僕は少しだけ口角を上げて見せた。多分凄く下手くそで歪な笑顔になっていたことだろう。
やっぱり君に着いていくのなんて間違いだったのかも知れない。

けれど、たとえ間違いだったとしても、
こんなの間違いだって気付いていたとしても、僕は君の必死で縋るような手を拒絶するなんてこときっと出来なかった。

4/22/2023, 1:44:11 AM

心から雫となって溢れ落ちた思いは、足元に溜まっていたもののいつのまにか蒸発していった。
いずれは零れ落ちるものもないほど、すっからかん
になっているのでしょう。

3/24/2023, 9:43:11 AM

「僕たちって何なんでしょうね?」
彼が缶ビールを爪先で弾いて言った。
僕は雲がかった満月から彼に視線を移す。
彼は僕の方を見ずに缶ビールを口元に傾けた。
ごくりとビールが飲み込まれていく音が聴こえる。
「何、とは?」
僕が尋ねると、彼はやはり視線を宙に彷徨わせたまま、
「僕たちの関係ですよ」
とぽそりと返した。
僕ははて、と思わず首を傾げた。
関係。僕と彼の関係?
「友達でも恋人でもない。ただ、満月の日だけ一緒にこの公園のベンチに座ってお酒を煽る僕たちの関係って何なのでしょうね」
彼はそう言うと、ガサゴソとコンビニのレジ袋を漁る。二本目の缶ビールを取り出し、かこんと音を立ててプルタブを引いた。

彼と出会ったのはいつだったか今になっては思い出せない。ただ、満月のいつの日か、僕はえらくその美しさに感動して、外で月を見ながら酒を呑もうと思い立った。
近所の公園に缶に入った酒を何本か持ち寄った。
それからベンチに座って、月を見ながら酒を呑みはじめて、程なくしてから彼が同じく何本かの酒が入ったレジ袋を提げて現れた。
彼は僕を見て、ぷっと吹き出した。
酒をレジ袋から取り出して
「同じです」
と笑って言った。僕もつられて吹き出した。

その日から僕と彼の付き合いは始まった。
満月の日だけ、肩を並べて酒を呑む。
確かに名で言い表せない奇妙な関係だ。
だけど僕はそれでも良いと思った。

僕も彼と同じようにビールをごくりとやってから言った。
「強いていうなら特別な関係、ですかね」
彼は少し驚いたように僕に視線を向けた。
「別に、名前で言い表せる関係ばかりしかこの世の中にあるわけじゃない、変に名前なんかつけなくても大雑把に特別な関係とでもしておきませんか?」
彼はふっと笑い声を漏らした。
「…そうですね、そうしましょうか」
それから彼は、
「でもえらくロマンチックな関係ですね」
と揶揄うように続けた。
僕は少し照れ臭くなってしまって誤魔化すようにビールを煽った。

3/7/2023, 1:06:56 PM

月に手を伸ばす。
月の光を受けた爪がキラキラと光った。

「月が綺麗ですねぇ」
隣に座っていた彼は、ため息混じりの穏やかな声でそう言った。私は曖昧に笑って頷く。
彼は知っているのだろうか。月が綺麗ですねという言葉は、夏目漱石がI love youを日本語訳する時に使われた言葉だということを。最も、夏目漱石がそう訳したのはガセだとも言われているのだが。

彼は続けて言う。
「死んでも良いって感じですねぇ」

どうやら知っていたらしかった。
彼は私と同じように片手を月へと伸ばした。
彼の手が揺れ、コツンと彼の爪と私の爪がぶつかり合う。それから彼は私の指をするりと絡めとった。
彼は私の顔を見つめて頬を緩める。
「ねぇ?」
幸せそうに微笑む彼を見ていると、私もなんだか暖かな堪らない気持ちになった。
「自信たっぷりだね」
私が笑いながらそう言うと、彼もクスリと笑い声を漏らした。
「うん。だってそうでしょ?」
彼はそう言うとぎゅっと私の手を握る手に力を込めた。

「そうだね。…本当に死にたくはないけどね」
私も繋がれた手をぎゅっと握り返す。
「月が綺麗だねぇ」
私がそう呟くと、彼は満足そうに笑った。

3/1/2023, 10:03:59 PM

側にさえ、居られれば良いと思っていたのに。

気がついたら、君は僕の隣で寝ていた。
ゲームをしていてうっかり寝落ちたのだろう。腕はだらりと垂れ下がっており、ゲーム機はソファから落っこちそうになっていた。ゲーム機を拾い上げ、そっと机に置く。
君はいっこうに起きる気配がなく、すやすやと心地よさそうに寝ている。
僕は君の頭に手を伸ばした。そっと撫でてみる。
さらりとした君の髪は僕の指のあいだをするりと通ってゆく。

ちょっと前だったら、それだけで十分幸せだった。
でももう、髪を撫でるだけじゃ足りないよ。
僕は酷く欲張りになってしまった。

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