コップに並々と博士は「黒い何か」を注いだ。
しゅわしゅわとその「黒い何か」は奇妙な音を立ててコップの中に収まった。
「何です、これ?」
私が尋ねると博士は少し首を傾げた。
「…えっと、なんて名前の飲み物だったかな、」
「…名前忘れたんですか。というかこれ、飲み物なんですか、」
博士はふふっと笑った。笑いながらコップを私に差し出してくる。
「美味しいよ。とても刺激的だけど」
私はおずおずと受け取り、コップの中を覗き込んだ。相変わらず奇妙な音を立てている謎の液体は細かに跳ね、私の顔へと付着した。
「うわっ、何です、これ!?」
私は驚いて思わずコップを取り落としそうになってしまった。本当に飲み物なのか信じられなかった。
「炭酸だからね」
「…たんさんって、」
何なのか思わず尋ねそうになってしまって私は慌ててぐっと唇を噛んだ。聞けば最後、博士の説明が永遠に続く。それは避けたい。しかもどうせ聞いたところで私には理解できないことだろう。
私は意を決してごくりと一口飲み込んだ。
甘い味と跳ねるような刺激が喉を伝っていく。
「…うわぁ」
これまた新しい経験だ。
美味しい、と思う。何だか癖になる感じ。
私はもう一口飲んで、まじまじとこの謎の液体を見つめた。相変わらず液体は跳ね続けている。
面白い。
「それさ、あっちの世界の飲み物なんだよ」
博士は私を見つめて満足そうに笑った。
……博士はまたあっちの世界に行ったのか。
「やっぱり面白いねぇ、あっちの世界は」
博士はまるで子供みたいにキラキラとした表情をしていた。あっちの世界の事を話す時はいつもそう。
「何もかもが新しい。僕は驚かせられてばかりだ。
もっと僕も頑張らないとって気になる」
「…けどあっちの世界の人間はこっちには来られないではないですか。それどころかこんな世界が存在している事さえ、知らないんだから。私はあっちへ行く機械をつくった博士の方が凄いと思う、」
博士はゆるゆると首を振った。
「たまたまだよ。あっちの文明なり何なりはもっと凄い」
…時々不安になる。博士があっちの世界に住み込んで、もう二度とこちらに帰ってこないのではないか、と。
きっとそうだ。
行かないでなんて、言える訳がない。
しかし、この世界に博士をとどまらせるような魅力のあるものがあるとは思えない。
私が博士をここにとどまらせる理由に、なんて何度考えたことか。そんなこと、ある訳がない。
…博士はもうすぐ私の手の届かないところに行く。
私がぼんやりと液体を見つめながらそんな事を考えていると、博士が「あっ」と声を上げた。
「思い出した、それの名前はコーラと言うんだった」
こーら。
私はもう一口、そのこーらとやらを口に流し込んだ。
こーらはなぜかさっきの刺激が嘘のように消え、ただ甘いだけの物へと変化していた。
…なぁんだ。こーらも大した事ないじゃない。
きっとあっちの世界も直ぐに刺激なんかなくなるよ。
だからお願い、こっちの世界に居てください。
なんて、
今日も私は溢れそうな思いをぐっと飲み込む。
2/5/2023, 12:02:15 PM