萌葱

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2/3/2023, 9:34:44 AM

「私を忘れないでなんて、自分勝手で未練がましいことは言いません」
彼女はそういって僕に青く小さな花を握らせた。
「ただ、私はあなたを心からお慕いしていたということは、知っていてください」
僕が何というべきか言葉に詰まっていると、彼女はふっと笑みを漏らした。なんだか泣く寸前のような今にも崩れそうな笑みだった。
「…とかなんとか言って、馬鹿みたいですね。「真実の愛」なんて花言葉の花は他にもあるのに。…わざわざ勿忘草なんて選んで、本当に…」
彼女はぐっと唇を噛んで俯いた。しかしすぐにぱっと顔を上げて微笑んだ。
「…今までありがとうございました」
そう言うと彼女は踵を返して足早に歩いて行った。
情けないことで、僕がどうすることも出来ず、ただ立ち尽くしていると、こちらに背を向けたまま彼女は少し震えた声で言った。
「そんな花渡しておいてなんですけど、…どうか全部忘れてください!私の事なんかこの先思いださないでください!」


忘れようとしたって、忘れることなんて絶対に出来ない。僕が身勝手に傷つけた君の事は、この先きっと忘れることなんて出来ないだろう。いや、忘れてはいけない。

だけど、君はどうか僕の事を忘れて欲しい。
こんな最低な奴なんか、忘れて幸せになってください。
…最後まで身勝手でごめんね。

2/2/2023, 3:00:34 AM

ぶらんこに乗ろうか、なんて言い出したのは僕と彼のどっちだったっけ。
いや、そもそもこんな夜に散歩したいなんて言い出したのはどっちだっけ。

僕らは真っ暗な夜の道を、ろくな会話もせずに歩き続けていた。時折ぽつぽつとだけある街頭の光に照らされる彼の顔は憂いをおびて何か深く沈んでいるように見えて話しかけづらかった。どうしたの、なんてとてもじゃないけど言えなかった。彼を慰めるどころか、僕の不器用な慰めや元気づけの言葉はかえって彼を傷つけてしまいそうだった。

ひたすらに無言のまま歩き続けていると公園を見かけた。公園といっても、ぶらんことすべりだいしかないとても簡素で小さな、公園といってもいいのか分からないくらいのものだったけれど。

…ああ、そうだ。それで僕はぶらんこに彼を誘ったんだ。遊べば元気になるかな、なんて子供じみた考えで彼をぶらんこまで連れて行った。さすがにこの歳になってすべりだいはキツいと思ってぶらんこにしたんだ。思い出した。

僕は彼をぶらんこに座らせ、肩を押して、彼のぶらんこを漕いだ。彼は訳が分からないといったような顔をしていたけれど、ただ黙ってぶらんこに乗っていた。

夜空に向かって、綺麗な弧を描いて彼は飛び出したと思ったら、またすぐに僕のところに戻ってくる。
それを僕はまた押してやる。ぶらんこは勢いを増して行く。次第に彼は自分で上手くバランスを取りながら、ぶらんこが上がるギリギリまで勢いづけて漕いで行く。

僕は離れてぶらんこを漕ぐ彼を眺めていた。
何往復か漕いだあと彼は僕の方を向いた。
「元気出た」
さっきと打って変わって、スッキリとした笑みをたたえている。
僕もつられて微笑んだ。
「それは良かった」
背中を押したいと思っていたものの何だか物理に押すだけになってしまったけど、まぁいいか。
不器用だけど不器用なりに精いっぱい彼を支えていきたい。これからもどうか良い友人として、出来れば拠り所として、こいつの側にいられますように。

1/25/2023, 9:55:47 AM

ただあの日は、僕が学級日誌にシャーペンを走らせる音だけが、僕と君しか居ない放課後の教室に流れていた。たしか君は僕の横の席に座ってスマホをいじりながら、僕が日誌を書き終わるのを待っていた。

しかし、僕と君の間に会話はなかった。
僕が話しかけても、君は何処か上の空で、ぼんやりとした返事しか返ってこなかったものだから、何か考え事をしているのだろうと思って、僕は口を閉じて、日誌をさっさと書いてしまおうとせっせと手を動かしていた。
君が僕の名前を呼んだのは、たしか日誌をもう少しで書き終わるって時だったと思う。
僕は顔を上げて、隣に座る君のほうを向いた。
途端に目にきつい光が飛び込んできて、うっ、と顔をしかめた。君は逆光を浴びて全身黒のシルエットみたいになっていたことを覚えている。
君は僕の顔を見て、しっかりとこう呟いた。
「好き」

驚いた。僕はポカンと間抜けに口を開けて君の顔を凝視していたことだと思う。といっても、君の顔は逆光のせいで真っ黒になっていて、表情なんか分からなかったのだけれど。
何秒だっただろうか、僕はフリーズしてしまっていた。

そんな僕を解凍させたのは君の一言だった。
「なんてね、冗談だよ」
その言葉を聞いて酷く安堵した。だって君を恋愛的に好きだとか、そんなの考えたことがなくて、凄く動揺したから。
僕はほっと息を吐いて笑った。
「びっくりしたー!だよね、冗談だよね」
相変わらず君の表情は分からなかったけれど、多分笑っているだろうと思っていた。

けれど、本当は泣き出しそうな顔をしていたらしい、今初めて知った。

「それ、本当?」
僕が隣で歩く君にそう尋ねた。君はむっと顔をしかめた。
「本当だよ、マジで傷ついた」
「…ごめんね」
僕が謝ると、君はふふっと微笑んだ。
「まぁ、良いけどね」
そう言って、君はするりと僕の指に指を絡めた。
恋人つなぎだ。
「今はこうだから、許す!」
君はにこにこと笑っている。僕も笑って繋がれた手をぎゅっと握りしめた。

1/23/2023, 3:03:21 PM

夢というのはいつだって奇想天外で、急に始まり急に終わるものだ。場面転換も目まぐるしく、人が出てきたと思ったらいつのまにか消えていたりする。
それに自分の願望にひどく影響された、自分勝手で都合のいいもののことが多い。他の人の夢がどんなものなのかは知らないが、少なくとも僕にとっては夢ってそんなものだ。
「楽しいね」
彼女はにこやかに微笑みながらそう呟いた。
そんなことありえるのだろうか。
明日になれば人類は全て滅亡するというのに。呑気に踊って、それを楽しいと感じるなんて。


こんな夢をみた。
明日隕石が降るとかなんとかして、人類、いや、全てのものが滅亡すると言う日の前日に、彼女とただひたすら踊り続けると言う夢だ。夢なのだから、どうして地球やらなんやらが滅亡して人が死んでいくのかは曖昧だったが、取り敢えず、夢の中の僕は明日死ぬということだけははっきりと確信していた。
そんななか、彼女と踊り続けたのだ。映画とかで王子と姫がくるくると踊っているあれを踊り続けた。踊っていた場所は、海の目の前の白い砂浜、ショッピングモールのど真ん中、学校の階段の踊り場だったりと気づいた時には場所がよく分からないところに変わっていた。おかしなことだが、夢の中の僕はそれには疑問を抱かなかった。
ただ、僕が考えていたのは、どうして彼女は僕と踊ってくれているのだろうということだった。普通、明日死ぬとなると、家族や恋人、親しい友人と一緒にいることを選ぶのではないか。僕は彼女の家族でも恋人でも、特別親しい友人でもない。なのに彼女はどうして僕と踊り続けているんだろう。

僕はどうして、ただの友人の一人である彼女と、踊り続けているのだろう。

1/21/2023, 8:01:39 AM

彼は海を見ながら
「綺麗だな」
と呟いた。いつもと同様の、人好きのする優しげな笑みを貼り付けて。

僕は缶コーヒーを一つ彼の方に投げやった。海から少し離れたコンビニで買ったそれは少しぬるくなってしまっていた。
彼は受け取ると、「ありがとう」とプルタブを引いた。かこんという無機質な音があたりに響く。
自分もコーヒーを啜りながら、ちらりと彼に目線を移す。
彼はやはり、黒くぼやけた瞳で海を見つめていた。


彼は海で出来ているのではないかと思うことがしばしばある。

大抵の事は優しげな笑みを浮かべて受け止めてくれるし、怒っているところを見たことがない。これまでにこんなに「海のように広い心」という表現がピタリとあう人に僕は出会ったことがない。

それだけじゃない、彼のあの底抜けに黒い瞳に見つめられると、あっと言う間に彼に飲み込まれてしまいそうになる。もう一生日の光を浴びることが出来ず、陸の上に立てない気さえする。


人間が海の事で知っている事と言ったら5%くらいしかないらしい。

いち友人として、結構な時間を彼の隣で過ごしてきたが、僕は彼について何も知らない。何を考え、海を見つめているのかも分からない。

海で出来た心の奥底には何があるのだろうか。
僕には触る事はもちろん、見ることさえ許されないのだろうか。

きっと、僕はすでに彼に飲み込まれたのだ。初めて彼と目を合わせたときからきっと、ずっと溺れているのだろう。足掻いたって陸の上には二度と戻れない。

それなら、いっそのこと引き摺り込んでくれよ。
彼の海底に潜む何かに僕は懇願する。
しかし、依然として、その何かは僕に姿を現さない。

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