病室
休める。休んでいいのだということがまず信じられなかった。ご飯を作らなくていいのだ。皿を洗わなくていいのだ。掃除もしなくていい。働かなくていい。むしろ働くと怒られる、それが私にとってはじめての病室であった。でも病室はつまらなくて私はすぐに退屈して働きたくなった。まだ病んでいる私は病室で寝ている。これは休暇なんだろう。隣のベッドの人が夜中に呻いていてびっくりしたけど、それでも休暇なんだと思う。なるべく休暇を楽しみたい。明日からなにをしようかな。なんて思いながら私はジュール・ヴェルヌの『二年間の休暇』という本を思い出す。そうよ、休暇は冒険なんだよ。明日からホント何しよっかなぁ。とりあえず図書室いこう。
明日、もし晴れたら
カーテンを開ける。窓を叩く雨、流れてゆく雨。いつもの光景。毎朝同じだが、今朝は電話がかかってきた。
「明日は晴れる。晴れが作れると気象研究班が言ってきたんだ」
無理しなくていいのにと思いながら私は当たり障りなく返事をする。翌朝、私は目覚めて驚愕した。雨の音はせず、ただ優しい光が寝室に落ちてきた。この惑星で雨が降らない朝が来るとは信じられない。私は私なりに気にしてるあいつに電話する。
「成功したの?」
「おお、そうだよ。晴れたらデートしてくれるんだよな?」
だから、一人でいたい
ドアが閉まった。私はドアの外に立ちすくみ、今言われた言葉を反芻する。
「ぼくはきみを傷つける。きみは僕を苛立たせる。だから、一人でいたい。ぼくたちは離れているべきだ」
言葉の意味はわかる。わかるけれどわかりたくない。一人でいたい気持ちはわかる。私もどっちかというと一人でいたいたちだ。それはそれとして、それでも、傷ついても、あなたといたかった。いやむしろ…私はあなたを傷つけたかったのだろう。私はにんまり笑う。とても素敵な傷つけ方を思いついた。あなたは一人になる。一人でいたらいいと思う。でもあなたは永遠に私を忘れない。ここは四階。私は外付けの階段から飛び降りる。
澄んだ瞳
これほど澄んだ瞳を私は見たことがなかった。うっすらとあがる口角。こちらをまっすぐに見つめる瞳。その瞳には悩みも迷いもなく、ただ無心にこちらを見つめるように思われた。しかし筆頭医師は悲しげに彼を見やった。
「これは1000ヤードまたは2000ヤードの凝視と呼ばれるものです。彼らの瞳は澄んでるんじゃありません、拒否しているのです。拒否こそ澄んでるんだという考え方もありますけどね」
***
作者より。意味がわからない人は「1000ヤードの凝視」で検索してみてください。
嵐が来ようとも
嵐が来るのだと大人たちが噂し始めた。しばらくして嵐がもうすぐ来るのだと公式のニュースで流れた。嵐を知らない幼年組は少し不安そうだが、大人たちが幼年組のこどもたちを優しく諭す。
「嵐は怖くないのよ。嵐は私たちに富をもたらすの。たくさんの貴金属や肉や魚、誰も知らないような本を落としてゆくこともあるの。だから大丈夫」
私は来年成人だ。私が幼年組のころ嵐がきた。村の勢力が書き換わり、食べ物も、飲み物も、着るものも、歌も、物語も変わってしまった。みんなその変化をあまりに気楽に受け止め、過去の村のことを忘れてしまったようなのが怖かった。
また嵐が来るとして。私は私でいられるだろうか。私は私でいたい。嵐が来ようとも。