僕の中には怪物が住んでいる。僕の喜怒哀楽の全てに干渉してくる、黒くてしゃがれた声の禍々しい怪物が住んでいる。
「それってイマジナリーフレンドって事?」神妙な顔つきで、前の席に座る彼女は聞き返した。「わからない。ただ、僕はいつもその怪物のご機嫌を伺いながら生活してる。だから、自分の言動に自信がない。何よりそう感じてしまう僕自身が怖くてしょうがない。いつか消えてくれるといいのだけど。」
僕は俯きながら呟いた。人にこの話を話すのは初めてだった。自分でも不思議だ、僕は何故彼女にこんな話をしてしまったんだろう。夕暮れに染まる教室はやけに静かだった。放課後の運動部の掛け声が遠くから聞こえてくる。たまたまだ。たまたま放課後の空気を楽しみながら、教室で読書している僕に、彼女が声をかけてきた。彼女と雑談しているうちについ口が滑ってしまった。
言うべきじゃなかった、と言う後悔が全身を包む。
彼女は少し考えてから、言葉を紡いだ。
「その怪物が嫌いなの?」「だって、変じゃないか。」「…でもその怪物君はきっと君が好きだよ。心配性なんだよ。」「そんな事考えたことなかった…。」「話してくれてありがとね。私は変じゃないと思うよ。この世でただ1人の君だもの。うまく言えないけど、色んな人がいるんだもの。心に天使や悪魔、怪獣なんでもいていいんだよ。」
彼女は朗らかに言った。
彼女の笑顔が純粋に綺麗だと思った。
心の中で怪物が喉を鳴らした。
するとあら不思議、怪物の黒い皮膚から徐々に光が溢れ出し、満足そうに光った。
(よかったな、ずっと欲しかったんだろ?自分が存在することをただ受け入れてくれる何かにずっと飢えていたんだろ?)
「………っ」
僕は込み上げてくる感情の波に飲まれながら、涙を堪えた。
その日から、怪物は心の中でいつも嬉しそうに笑う。自己否定を辞めた瞬間に怪物は…怪物じゃなくなったのかもしれない。
「手のひらを広げてごらん?君にだけおまけだよ。美味しい宇宙をご賞味あれ。」
そう言って、駄菓子屋のお婆さんは、僕の手のひらに金平糖をおまけしてのせてくれた。手のひらで夕日に照らされてキラリと光る金平糖はさながらお星様みたいだ。「お婆ちゃん、ありがとう。」金平糖を一粒手にとって口の中で噛み締める。甘い。そうか…宇宙に味があるならば、甘いのかな…なんて考えながら、目を閉じて味わった。不思議と、瞼に美しい天の川銀河や宇宙船が横切った気がした。あ、箒星だ。ぶ、ぶつかる!
僕は焦って目を開いた。心臓の音がうるさい。不思議な体験だった。
僕の想像力も捨てたものじゃないかもしれない。あるいは、この金平糖を食べた事で、本当に宇宙を透視したのかもしれない。
駄菓子屋のお婆さんは僕を見て満足げに微笑んだ。
嵐の次の日、僕は庭で雲を拾った。小さな手のひらサイズの雲を拾った。風の悪戯か、こんな地上まで落ちてしまった可哀想な雲は、僕の手のひらで雨を降らした。「お母さん、雲飼っていい?」家に帰ってさりげなくお母さんに聞いてみる。「駄目よ、元いた場所に返してきなさい。」お母さんはこちらを見向きもせずにそう言った。僕はがっかりして、庭に戻った。手の中で雲は元気よく暴れている。僕は少し名残惜しいけど、手を思いっきりお空に近づけて、そっと空に雲を離した。
「ばいばい。もう落ちてきちゃ駄目だよ。」雲に僕の言葉が届いたのかどうかはわからない。雲は元気よくお空の彼方に飛んで行った。
僕の祖父が大切にしていたフランス人形。ずらりと書斎に並ぶ様が子供の頃は怖くてたまらなかった。目と目が合うとその透明な瞳に全てを見透かされそうで、正直苦手だった。ある初夏の夜の事だ。僕は夜中にトイレにおきて、祖父の書斎の前を通りかかった。「あれ?」書斎の扉が僅かに開いていて中から囁き声が聞こえてくる。僕は半分寝ぼけていたが急に意識が覚醒した。心臓の音がやけにうるさい。このまま何も見なかったことにして通り過ぎれば僕はありふれた日常に戻れるだろう。けれど、声の主がそれを許さなかった。「おいで、坊や」月をバックライトに、フランス人形達はくるりくるりと踊っていた。僕は立ち尽くした。「お祖父様には今夜のことは秘密よ」クスクスと微笑みながらフランス人形は言った。立ち尽くす僕に構わずフランス人形は月夜の舞踏会を楽しんでいた。
あの後、僕はどうやって部屋に戻ってきたのか、正直思い出せない。それ以来頑なに僕は書斎へ近づくことを躊躇った。10年後、祖父の遺品整理をしに実家の書斎に足を踏み得れた時、僕は驚いたものだ。あの頃と違って埃を被っていた彼女達は、僕を見つめると、静かに透明な涙を流したのだった。
主人亡き書斎の人形達。彼女達は祖父が亡くなった後も人知れず夜に踊っていたのだろうか。
真相はわからない。けど僕はあの時のように彼女達への恐怖はなくなっていた。共に祖父のいない悲しみを共有できる者同士、僕も気がつけば泣いていた。
「おめでとうございます!貴方は1等賞地球人に生まれ変わる権利を得ました。ささ、こちらの次元ワープトンネルへとお進みください。」1等賞で、地球人生まれ変わりの権利か…昔はプレアデス星団やアンドロメダ銀河行きが当たったのに。ここのアトラクションの質は落ちてるな…なんて思わず苦笑いしてしまった。しかし、せっかくだ、一時の夢を体験しに地球人になるのも悪くはないかもしれない。僕は自分を納得させながら、テキパキと手続きをこなす係員に目配せした。「一つだけ確認があるのだけど…僕の魂の知り合いで地球に住んでるやつはいるのかい?」
「あ、今確認致しますね…!あなた様の魂にゆかりのある生命体は現在地球にはいません。」
「そうか…まぁまっさらな状態で楽しむのもたまにはいいか。過去世に対するしがらみが全くないのは逆にスリルがあって楽しめるかもしれない。」僕は目を細めた。
トンネルの入り口は真っ暗で、先が見えない。僕は鼻歌を歌いながら、一歩踏み出した。僕とこれから出会うであろうたくさんの「貴方」を思い浮かべながら、いつのまにか走っていた。