#9
「お嬢様!ウォード様が外でお待ちですよ!」
慌ただしい声に急かされて、ハイヒールで門へあくまでお淑やかにダッシュする。
「ウォード様!お待たせ致しました!」
「ん?いえ、全然だいじょ…」
ウォード様は、私を見るなり絶句してしまった。
ウォード様から頂いたドレスを着ているから大丈夫だと思うのだけれど、何かおかしいのだろうか?
私が不安に思ってウォード様に声を掛けると、ハッとしたようにウォード様の目の焦点が合った。
「すみません。シェリル嬢があまりに綺麗だったもので…」
「そ、れは、ありがとうございます。」
ウォード様から用事について褒められるのは嬉しくて、それでいて気恥ずかしくて、つい俯いてしまう。悪いように取られないといいな。
「それじゃ、シェリル嬢。私にエスコートさせていただけますか?」
言いながらウォード様は手を差し出す。
「はい!よろしくお願いします!」
その手を取って馬車へ乗り込む。ウォード様の家門のついた馬車に乗れるのは素直に嬉しい。
今後はこんな機会も増えるのだと思うと、想像だけで顔がにやけてしまう。
ああ、そもそも、私がシェリル・ウォードになる日が来るのだった。
馬車がしばらく走ると、1つだけあからさまに綺羅びやかな建物へたどり着く。そう、王城だ。
ここに来るのはデビュタントのとき以来。
やっぱりあの時と変わらず緊張する。
特に今回は、皇太子様へのご挨拶もある。ウォード様の婚約者として恥じぬ振る舞いをしなければ。
決意を新たに会場に入った瞬間、辺りがしーんと静まり返った。
先程まではワルツの音色や、談笑する声がたくさん聞こえてきていたのに。
なんだろうと首を傾げるものの、ウォード様は慣れたように先へ進む。
慌てて置いていかれないようについていくものの、皆の視線が痛い。このままでは視線だけで体に穴が空きそうだ。
そう言えば、ウォード様は悪い噂が立っているのだった。あんな、何の信憑性もない噂。
今直ぐにでも、ウォード様がそんな人ではないと言いたいが、そんなことをしては余計にウォード様の評価が下がってしまう。
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。この度は十五歳の御誕生日おめでとうございます。」
ウォード様が落ち着いた声音で言い、頭を垂れる。それにならって私も頭を下げる。
「ジュダス・ウォードに、シェリル・ルーヴェルトだな。よい。面をあげよ。」
齢十五歳という、私よりも年下の皇太子様は、圧倒的な威厳があった。
殿下の言葉にならって顔を上げる。すると、目に入るのはまだ少年らしさを残した顔だった。
「それでは、これにて失礼させていただきます。」
挨拶というのはこれだけで済むものらしい。案外あっさりしていて拍子抜けだ。
それに、隣にウォード様が居てくれたから不安に思うことはなかった。
「見て。あの、ウォード様よ?」
「彼に祝われる殿下がお可哀想だわ。」
「よくも、顔を見せられるものね。」
ウォード様とそれなりにパーティーを楽しんでいれば、何処かの貴婦人達がウォード様の悪口を言っている。
ウォード様の何を知っているのだと憤りのままに口を出しに行こうと足を踏み出せば、ウォード様が私の手を掴んで引き止めた。
「ウォード様?」
「私は、大丈夫ですから。」
「でも、ウォード様…」
「本当に大丈夫です。シェリル嬢が私のために怒ってくれようというその気持ちだけで十分なんです。」
そう言って、ウォード様は口元に手を持っていった。
その行動に既視感を覚える。昔に似たような行動を見たようなことが…。
そう、あの日。あの日はガーデンパーティーという身内だけのパーティーをしていた日だった。
今のウォード様は、あの日の景色に似てるのだ。あの日見た、彼がしていた行動に。
確か名前は…。
#8
夜会1週間前。
私は、前々からの約束通りウォード様と茶会をしていた。
「珍しいですね。ウォード様の御屋敷で茶会をしようなんて。」
そう。今日はウォード様から、自分の屋敷でしないかとお誘いを受けたのだ。
普段、あまり人を入れたがらないウォード様らしくない選択。何かあるのではないかと期待半分、勘繰り半分だ。
「ええ。今日は色々とあってこっちの方が都合が良かったんです。」
何だかバツが悪そうなウォード様。
今日は私がお勧めの茶店に行く予定だったからなのかもしれない。
「そうなんですか。私は、ウォード様の御屋敷でお茶ができて嬉しいです。」
ウォード様に罪悪感を持って欲しくなくてあえて口に出す。本当のことだから、信じて欲しい。
「そうですか。それなら、よかったです。」
安心したようにウォード様は表情筋を緩ませた。
「あ!そうだ、ウォード様に渡したいものがあるんです。」
言いながら、ポシェットから、空恋石を入れた箱を取り出す。
「贈り物、ってことですか?」
「はい。ウォード様らしいと思って!」
もうどうにでもなれという気持ちで箱を手渡す。
ウォード様は一瞬驚いた後、顔を喜ばせて、目の前でラッピングを開封してくれた。
「これは…空恋石のネックレス、でしょうか?」
「はい。縁起が悪いとは聞いたんですが…お気に召しませんでしたか?」
「いえ。シェリル嬢からのプレゼントとなら何でも嬉しいですよ。ところで、何故空恋石なんです?」
嬉しいことを言ってくれるウォード様。私から物をもらうだけで嬉しいなんて、言われたことがなかった。
「実は…この宝石を見た瞬間、ウォード様だ!って思いまして。」
「私?」
「はい。ちょっと澄んで凛としている感じとか、ほのかに感じる温かみだとか。何より、色がウォード様の瞳に似てるんです。」
「そう。それなら、大事にします。これから夜会の度には毎回つけていきます。」
夜会、という単語が出て思わず反応してしまう。慌てて気にしていない風を装うも、ウォード様にはバレてしまった。
「ああ。夜会のドレスがまだでしたね。それで、今日は我が家までお呼び立てしたんです。」
良かった。ウォード様は忘れてなどいなかった。
安心とともにホッと息を吐き出す。
「それで、だったんですね。」
「ええまぁ、はい。シェリル嬢に似合うのは何かと考えていると沢山頼んでしまいまして。」
恥ずかしそうに照れ笑いするウォード様に、今までのこと全てがどうでもよくなる。
ウォード様のエスコートを受けて、私はドレスが置かれているらしい部屋へと向かった。
「わぁ!」
ドアを開けるなり大量の可愛いドレスが目に入って来て感嘆の声を漏らしてしまう。
「選ぶのが大変でしょう?」
苦笑気味にウォード様は言うけれど、大変というよりも、楽しそうだった。
実は、こういう沢山のドレスから一着選ぶというのが子供の頃からの夢だった私は、今日一日で沢山の願い事が叶うと一人歓喜していたのだった。
#7
マシューさんのお陰でいいひとときを過ごした後。
私達は夕市に足を踏み入れようとしていた。
けれど、夕市と言う割に、最早夜で、大人びた雰囲気が堪らない。
「これ…、私、場違いじゃないかしら?」
思わず溜息とともに漏らしてしまう。こんな場所に私みたいな人が入っても大丈夫なのか。
礼儀作法はあるけれど、年齢の壁を感じる。
そんな溜息に対する返答は2者2様で。
「そんなことないですよ!お嬢様は何時でも完璧です!」
と、私の背中を押してくれるのがガーナ。
「確かにそうですねー。お嬢様にはまだ早いかもしれません。」
と、腹立たしいのがハイル。
歯に衣着せぬ物言いに制裁を加えたくなったが、お陰で緊張が解けたので赦してやる。
「よし、行くわよ!」
自分を励ましながら夕市に足を一歩踏み出す。
瞬間、周りの騒音が何一つ聞こえない静寂が起こり、何かに導かれるようにして足が勝手に動き始めた。
漸く止まったかと思えば、小さな宝石商の前。
何故こんなところに?
疑問に思うものの、折角何かが連れてきてくれたのだからと、店主さんに声をかけてみる。
「あの…すみません」
「…おや?これはこれは可愛らしいお客さんだ。」
マシューさんといい、この店主さんといい、私のことをよく可愛いという。この地区の人達は可愛いと女性に言うのが口癖なのだろうか?
「えっと、宝石を探していまして…」
「そうかい。そこに並べてあるから、自由に見てみな」
店主さんはそう言って、隣の机を指した。言われた通り見ようと少し屈むと、ガーナとハイルの声が聞こえた。
「お嬢様!ここにいたんですか!」
「いきなりどっかに行くから驚いたんですよ。」
ガーナもハイルも心配げだ。完全に2人のことなど忘れていて、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「ここで探してるんですか?」
ハイルが訝しげに訊ねてくる。確かに小さいけれど、ここに導かれたのだからしょうがないじゃない。
「店主さん。凛としていて……」
ガーナが店主さんに聞いてみようと声をかけている。
「っ…あった!」
その瞬間、目的のものを見つけて大声を出してしまう。
ぎょっとしたように周りの人が見てくるものだから、恥ずかしくて慌てて口元を押さえる。
「お、お客さん。それは、空恋石だねぇ。」
「空恋石?」
「おう。見た目は綺麗だが、あんまし縁起は良くねぇぞ。」
贈りもんなら止めといたほうがいいと店主さんは補足してくれる。
空恋、確かに叶わない恋なんて縁起が悪い。けれど、どうしてもコレがウォード様みたいなのだ。
「お嬢様がこれがいいと思うのなら、否定はしませんけど…」
ガーナは、少し微妙そうだ。やっぱり縁起が悪いからだろう。一方でハイルは「ウォード様がこれだと思うならそれでイイんじゃないですか?」と、肯定的。
どうしたらいいのだろう。
「まぁ、所詮は迷信だ。そこまで気にしなくてもいいんじゃねぇか?実際、この石贈って別れた奴らとか見たことねぇし。」
と店主さんがフォローを入れてくれる。
それならば、と、私は購入することにした。
これの他にウォード様だと思えるものはないと思うし、綺麗だったから。
「それじゃ、迷信が飛ぶようにとオマケだ。銀貨5枚を3枚にしとくよ。」
謎の理由でお金をまけてくれ、支払いを済ませた後は綺麗にラッピングしてもらった空恋石をポケットに仕舞う。
時間的にこれ以上夕市にいるわけにはいかず、御暇させてもらう。
ウォード様、喜んでくれると良いな。
空恋石で喜んでほしいなんて無理なお願いかもしれないけれど、そう願わずには居られなかった。
#6
「お嬢様何時まで寝ているんですか?もう着きましたよ。」
ガーナの声でハッと目を覚ます。大した距離もないのに眠っていたらしい。あまりの恥ずかしさにわっと顔を抑える。
「何してるんですか、お嬢様?早く行きますよ?」
本当に心配げな目を向けてくるガーナ。手を差し出しながら御者が呆れ気味に溜息をついている。
何だか居た堪れなくなりながら、馬車のステップを降りる。
降りた瞬間目に入ったのは、貴族、というよりは平民が好んで入りそうなカフェだった。
混雑はしていないから普通に入れたけれど、いつものようなドレスを着ていたら場違いだと追い出されていたかもしれない。
(市の時で良かった。)
そう思いながら扉を潜る。
客席は店内だけらしく、外へ出る扉は入ってきたところの他にはない。
埋まってる客席は3割くらい。中央地区では考えられない空席具合だけれど、南地区ではどうなのかわからない。
「らっしゃい!俺はマシュー。この店の店主だ。おたくらは初めての客みたいだな?」
キッチンからでてきた気さくな感じのおじさんがいきなり大声でそんな事を言うものだから、驚きのあまり口をパクパクと開いては閉じることしか出来ない。
「お嬢様。」
小声でガーナに囁かれて、慌てて意識を手前に戻す。マシューさんが、困ったようにこちらを眺めているのが目に入った。
「あ、すみません。はい。初めてここに来るもので、勝手が分からなくて…。」
「そうかそうか。そりゃあすまんことをした。可憐なお嬢さん方とお付きの人、丁度3人席が空いてるから其処座りな。」
マシューさんが指さした先には、三人掛けのソファがあった。
言われた通り其処に向かって、座ろうとしたところで気がつく。
「あれ?どう座るべきかしら、これ。」
「何でもいいんじゃありませんか?」
御者は面倒くさげにさっさと右端に座ってしまう。
「お嬢様が主ですから、お嬢様が真ん中では?」
「え?っちょ、ガーナ…」
戸惑う私をよそに、ガーナがグイグイ私をソファに押しこむ。
大人しく座ってしまうと、マシューさんが注文を取りに来た。
「この辺の特産物だけを使ってんだが…わからんだろうからな、好きなの選べ。」
「マシュー!ジュディーのお勧めとかどうだ?」
奥の席からそんな声が飛んでくる。ジュディー、とは誰だろうか?この店に詳しい人なのかもしれない。
「ジュディーか。確かにあいつのお勧めは信頼できるな。」
マシューさんは軽く頷いて、「サービスだからちょっと待っててな」と言い残してキッチンに戻ってしまった。
サービスと言ってくださったので、その間にメニュー表を見る。
紅茶にコーヒー、カクテルもあるみたいで、ドリンクだけでも種類が豊富だ。
後はデザートみたいなゼリーにパンケーキやクレープ。幅広いジャンルを取り扱っているみたいだった。
「ほい。ジュディーお勧め、シーグラスだ。」
マシューさんが透き通った青のグラーデションみたいなパフェを渡してくれる。
見ているだけでまるで、波音に耳を澄ませている時のような爽やかな気持ちになれる。
「わぁ。美味しそうですね!」
心からの賞賛を込めて言えば、マシューさんは照れくさげに鼻を掻いた。
「…!」
勝手に先に一口食べていた御者が、驚いた声を漏らす。
「ちょっと、なんで先に食べるの!」
苛立ちのままシーグラスにスプーンを差し入れて口に運ぶ。
「美味しっ…」
ジュディーさんとやらは凄い人だ。確かにお勧めに納得してしまう。正直これで満足してしまった。
「マシューさん。とても美味しかったです。また、今度来ますから、その時に他のメニューも味合わせてください。」
食べ終わったパフェの入れ物を手渡しながらマシューさんにそう言う。
「そうか。それじゃ、ジュディーに伝えとくよ。可愛らしいお嬢さんのためにお勧め品をくれとね。」
冗談ぽく答えてくれるマシューさん。断るお金を無理矢理押し付ける形で支払いを済ませ、店を出る。
「そうだ、お嬢さんの名前は?俺は来る人には皆名前を聞いてるんだ。」
「私?私は、シェリルです。こっちがメイドのガーナで、そっちは御者のハイル。」
「そうか。シェリルちゃんに、ガーナちゃん。ハイル君か。また来てくれよ!」
姿が見えなくなるまでマシューさんは手を振り続けてくれた。
#5
馬車に乗り込み、暫く揺られていると見覚えのない景色に移り変わり始めた。
どうやら私が普段生活しているのは中央地区とやらで、帝都には他にも北地区と東地区、西地区に、今向かっている南地区があるのだとか。
何より驚いたのは、地区によって全然雰囲気が違うこと。
北地区は風の魔力粒が多く、緑色の風。東地区は炎の魔力粒が多く、赤色の風。西地区は、雷の魔力粒が多く、黄色い風。南地区は水の魔力粒が多く、青い風なのだそうだ。中央地区は、全てが均等に混ざるがゆえに無色らしいのだが。
実際、馬車が進むにつれ、窓越しの景色が青みがかっていっている。
魔力粒というのは、コレまた厄介で一地区に一人しかいないという魔法士の魔力源になるとともに、なんの害もない動物たちに中毒症状を起こさせ、魔物化させてしまうというメリットとデメリットを兼ね備えたものだ。
因みに、この魔法士というのは珍しいが故に家族以外には知らせないのだそう。
「お嬢様。後数分で南の市に着きますよ」
ガーナに言われてよくよく景色を注視してみれば、成る程、分かり辛いが夕方のような気もする。
「夕市はついた時には開いているのかしら?」
「いいえお嬢様。馬車が到着するのは夕市が開く一時間ほど前となっております。」
「そうなの。それじゃ、その間何をしようかしら。」
私の学習範囲は中央地区だけで、南地区については学んだこともないし特産品も知らない。
どうしようかと真剣に悩んでいると、御者が嗤いながら言ってきた。
「お嬢様。でしたら近くにいいところがございますよ。」
笑いながら言われるのは馬鹿にされているようで癪だけれど、いいところとやらが気になるので続きを促す。
「ウォード様の贔屓にしてる店ですよ。」
こんなところでウォード様の名前が出てくるとは思わなくて、思わずバランスを崩してしまう。
「ウォード様の!?」
「ええ。気になりますか?」
「気にならないわけがありませんわ!」
「でしたら、其処に向かいましょうか。」
言うなり御者は手綱を握り直す。方向が右に曲がって、どんどんと中央地区に似た町並みになっていく。空気が色づいていなければ、中央地区と言われても疑わなかっただろう。
「南地区にこんなところがあったんですね…。」
ガーナも知らなかったらしく、窓の外を楽しそうに眺めている。
「はは。この辺りはマイナーですからね。この辺に住んだことでもない限り南地区の住人ですら知らないんじゃないでしょうか?」
「?それじゃ、貴方やウォード様はこの辺りに住んだことがあるのかしら?」
ふと疑問が口をついて出る。すると、御者は一瞬バツが悪そうに顔を顰めてから口を開いた。
「無いわけではないですね…。ウォード様とは一時期関わりがありましたから、その時に。」
「そんなこと知らないわよ!詳しく!」
「あはは…。それは今度にでもウォード様からお聞きしてください。」
ドレスすらくださらないウォード様が教えてくれるのかしら?つい悲観的になってしまう。
言葉尻を濁す御者に恨みがましい視線を向けながら、ウォード様お気に入りのお店を楽しみに背凭れに垂れかかるのだった。