#4
待ちに待った朝市の日。
何時もはガーナに起こされないと起きないというのに、珍しく早く起きてしまった。
「ふわぁ…」
大きく伸びをしてからベッドを降りる。けれど、私だけじゃ、ドレスを着るのも髪を結い上げるのも何も出来ない。いかにガーナ達メイドに頼り切りが分かってしまって少し陰鬱になる。
「お嬢様、朝ですよ…って、どうやらその心配は要らなかったようですね。」
ガーナが部屋に入ってくるなり、起きている私を見て驚いた顔をする。
「ねえガーナ、朝市というのは一体何時くらいに向かえばいいのかしら?」
「そうですね、最も賑わうのは7時から9時頃でしょう。ただ、この辺の朝市は6時頃から開いていますから、少し早めでもいいかもしれませんね。」
今の時間は6時半。市場は平民の行くところだから軽装がいいとなると、邸宅を出るのは45分くらいだろうか。そうなると、市に着くのは7時5分前くらいとなる。
「ん、そうね。なら、準備が終わったら出ちゃいましょうか」
言いながら、ガーナにドレスを着せてもらう。普段なら絶対に着ないような何の飾りもついていないドレス。けれど、意外に着心地は良かった。
軽く1つ括りにしてから、薄っすらとしたメイクを施され、馬車に乗り組む。
少し揺られていると、市より数メートル離れた地点で馬車が止められた。
「お嬢様。ここからは徒歩となります。」
御者の誘導に従い、ガーナとともに市まで歩いていく。市に近づくに連れ、人々の笑い声が大きくなっていく。
「ねぇガーナ。朝市ってこんなに騒がしいの?」
「ええそうですね。誰でも手を出し易いお値段となっていますし、身分もといませんからね。」
暫く朝市を巡っていると、宝石コーナーに辿り着いた。
「お嬢様、クリスタルならこの辺りに置いてるんじゃないでしょうか?」
通り過ぎようとしたのをガーナに止められてはっと立ち止まる。確かに、クリスタルなのだから、宝石コーナーに置いてるに違いない。
「え、ええそうね。ありがとうガーナ。」
止めてくれたガーナに礼を告げ、一店舗ずつ宝石を見て回る。けれど、中々コレというのがない。
「どうしましょう。ウォード様!というのがないわ。」
「…そうですね、お嬢様がイメージするウォード様はどんな方ですか?」
「ウォード様?気高く凛としていらして、案外可愛らしいところもあって、優しい方。かしら?」
「でしたら、そのイメージの宝石をお探しになられているんですね?」
「え、ええ。多分そうだけれど…」
ガーナの問いかけの意図が読めず戸惑っていると、いきなりガーナが店の店主に話しかけた。
「申し訳ありませんが、気高く凛として、それでいて可愛さと優しさを含んだような宝石はございませんか?」
「ええー、なかなか難しいことを言うねぇ。家では取り扱っていないけど、南の方の市にならあったんじゃないかなぁ?」
南の市。ここらは数キロは離れている。其処までいかないとないなんてと、ガッカリしていた。
嗚呼、遠くへ行きたい。そうすれば、ウォード様にピッタリの宝石をお送りできるのに。
一人嘆いていると、話し終えたガーナが戻ってきて、少しだけ御者と話をする。それから、私の方に向かってきて、
「お嬢様。南の市までま行きましょう。南は夕市ですから間に合います。」
そう言ったのだった。
#3
夜会まで2週間を切った。
その間、ウォード様から手紙が届くこともなければ、ドレスが送られてくることもなかった。
(なんでだろう?私、何かしたかしら?)
淑女にあるまじきソワソワぐわい。けれど、ウォード様の所為。ウォード様さえ、話してくだされば、私はこんなにも緊張しなくて済むのに。
(あ!そうだ!)
ふと妙案が思いつく。
「ガーナ!こちらへ来て頂戴!」
そう言うとガーナ、つまり私のメイドがそっとドアを開けて入ってくる。
「お嬢様、いったいどうされましたか?」
「ガーナ、私ね、市場へ行きたいの!」
「市場、ですか?」
「ええ!お父様に打診しといてくださる?」
「畏まりました。ご要件は以上でしょうか?」
「そうね、もうない…あぁ、いや、ウォード様からの手紙は届いてる?」
「いいえ。未だでございます。」
「そう…。じゃあもう下がっていいわ。」
がっかりしながらそう告げると、ガーナは恐る恐ると言った感じで部屋を出ていった。怒鳴るわけでもあるまいし、堂々としていればいいのに。第一ウォード様から手紙が来ないのはガーナの所為じゃないだろうに。
ガーナは見た目は可愛いし、私のお気に入りだ。もっと髪型を変えて、オドオドしなくなれば皆が釘付けになるに違いない。
ガーナをいかに垢抜けさせようか考えていると、執事が私のことを呼びに来た。
どうやら、お父様は今日の夕食の席で私の話を聞くつもりらしい。
「ありがとう。」
執事に礼を告げてから夕食会場へ入る。豊満な肉の匂いが立ち込め、色とりどりの食卓は食欲を唆る。
「お父様。お待たせ致しました。」
「嗚呼。」
お父様はそれだけ返すと、近くの席を指さした。お父様はいつも寡黙だから、仕方ないのかもしれないけれど。
「市場に行きたいのだそうだな?」
食事をしようとナイフを取り上げると、お父様からいきなり聞かれる。
「はい。その通りです。」
ナイフを元の位置に戻しながら答える。
「何故だ?」
「実は…ウォード様へのプレゼントにクリスタルを渡したくて…」
恥ずかしくて少し言い淀んでしまう。お父様がそれに気づいたかは知らないけれど、小さく溜息を付いたのは見えた。
「それなら、宝石商を呼ぼう。」
「それでは意味がないのです。お父様にもお土産を買って差し上げたいのに。」
「そうか。なら、護衛を付けてなら、いいだろう。」
「本当ですか!」
「嗚呼。明日にでも行けばいい。」
お父様から了承を得た私は、珍しく楽しい気分で食事を終えることができた。
「ガーナ、私、明日市に行けることなったわ!」
「それは良かったですね。ウォード様へ何か送るのですか?」
「ええ!クリスタルを。ウォード様に似合うものがあるかしら?」
待ちきれずに、ガーナを呼び出して恋バナをするなんて、過去の私ではあり得なかった。
ウォード様ってやっぱり、凄い方だ。
「明日は私も市に行けるそうですから、そこでウォード様に似合うものを探すのをお手伝いさせていただきます。兎に角、今日は早くおやすみなさいませ。」
ガーナはそう言って、私に布団をかけた。
暫くは眠くなくて寝れなかったけれど、寝返り打つうちに、何時しか微睡みの中へと落ちていったのだった。
#2
ウォード様とは、あれから一月に一度は会うようになった。とはいっても、多少茶会をするだけで、大した話はしないのだけれど。
それでも、私はウォード様との時間を好ましく思っていた。
他愛ない会話をして、時折沈黙が続いて。そんな一時に心が安らいだのは初めてのことだった。
カーテンを開いた。
丁度ウォード様が馬車に乗り込む。こちらを向いたので、そっと手を振ってみる。
けれど、ウォード様は手を振り替えしてくれない。
(はしたなかったからしら?)
途端に顔が真っ赤に染まってしまう。あまりの恥ずかしさに窓から身を引こうとしたら、ウォード様はクスリと笑って手を振りかえしてくれた。
そう。笑って。
ウォード様があんなふうに笑うだなんて知らなかった。
婚約者なのに。
私はウォード様の笑顔すら知らなかったのだ。
瞼に浮かび上がるウォード様の笑顔は、とんでもなく優しくて。
顔を押さえてへなへなと座り込んでしまった。
「シェリル嬢。」
耳元でウォード様の名前を呼んでくれる声が聞こえる気がする。幻聴に違いないのに。
あぁ。私、ウォード様のことが好きなのかもしれない。
だってそうでなければ、私、はしたない女性になってしまう。
「お嬢様?入りますよ。」
メイドが声をかけてきたので、慌てて平静を取り繕う。
「…えぇ。入っていいわよ。」
返事をした瞬間、メイドが部屋に入ってくる。けれど、一瞬硬直するものだから私に何かおかしいところがあるんじゃないかと気になってソワソワしてしまう。
「私がどうかしたのかしら?」
耐えきれずに口にすると、メイドは慌てて頭を下げた。
「いいえ。ただ、お嬢様が何時もよりもお綺麗でしたので。」
そうも直球に言われては、不覚にも口元が綻んでしまう。
「…そっそう言えば何の用でここまできたのかしら?」
恥ずかしくなり話題を転換させると、メイドはハっとしたようだった。
「そうでした。お嬢様、今度夜会があるのはお覚えですか?」
「えーと、確か、皇太子様の誕生日パーティーでしたっけ?」
「はい。お嬢様のデビュタント以来初の夜会でもありますね。そこで」
メイドはそこで一度言葉を区切った。
「ウォード様にエスコートされる予定なのですが、お聞きされましたか?」
思考が停止する。ウォード様に?エスコート?好きだと思い始めたばかりなのに?変なことをしてしまう予感しかない。何より、そんなことしてウォード様に嫌われたくない。
それに…そもそも、ウォード様からエスコートの話なんて聞いていない。
「…っいいえ。未だ何も。」
震える口で紡ぐと、メイドは一瞬哀れるような瞳を向け、すぐに素の表情に戻った。
「分かりました。夜会までは未だお時間がございますから、未だ言っていないだけかもしれませんね。話は以上ですので失礼させていただきます。」
謎の空気を読んでメイドは退出していった。こんなときは、でていかずに側にいてほしかったという気持と、出ていってくれてよかったという気持がせめぐ。
ウォード様。次に会うのは夜会の1週間前。話してくださるといいのだけれど。
#1(シリーズもの)
私には婚約者がいる。
婚約者、とは言っても会ったこともない何処かの御仁だけれど。
シェリル・ルーヴェルト。16歳。
それが私。丁度デビュタントを終えたばかりで、大人に仲間入りしたばかり。一応伯爵家だけれど、あまり裕福ではない方。それを不幸に思ったことは一度もないけれど。
そんな、私の婚約者様はジュダス・ウォードというらしい。
見るものを凍てつかせるような目に、無機質な喋り方をすることで有名な方。
公爵家の跡取りなのに、悪い噂が出回るなんて相当なのだろう。火のないところに煙は立たぬ、とも言いますし。
何にせよ、あまり期待は出来なさそうであることだけは確か。
思わず溜息をついてしまう。
この縁談だって、私が子供の頃に親同士で勝手に決められたもの。
嫌になるのも当然と言えば当然なのかもしれない。でも、何よりも重大なのは、ウォード様ともうすぐで顔合わせという事。
朝一から化粧をし、髪を結い上げて、一番のお気に入りのドレスを着た。
(どうせ、意味なんてないのに。)
だって、あの冷酷無慈悲な御方だ。私のドレス姿なんて興味もないだろう。顔合わせだって、何も起こらないだろうに。
「シェリル様。ウォード様がご到着されるようです。」
メイドに案内され、応接間に入る。緊張を抑えるため、ぎゅっと拳を握りしめる。
暫くすると控えめなノック音が聞こえた。
呼吸を整え、震える声で平静を装いながら応える。
「どうぞ。」
沈黙。少ししてから「失礼します」という声とともに、ドアが開いた。
真っ先に目に入ったのは軍服のような服。見上げれば、青みがかった黒い髪に、深海のように深い藍色の瞳。
あまりに綺麗で、我を忘れて思わずほぅ。と感嘆の域を漏らしてしまった。
いけない。相手はあのウォード様なのに。
けれど、ウォード様はウォード様で何かに驚いているようだった。
既に綺麗に澄んだ瞳を、より、青く深くする。
見れば見るほど吸い込まれそうなその瞳から、私は目をそらせなくなった。
「シェリル嬢で合っていますか?」
ウォード様の声は、思ったよりも低くて、柔らかい音だった。
「…!失礼致しました。ルーヴェルト家の長女に御座います。シェリル・ルーヴェルトと申します。」
ウォード様の声で慌てて我に返りカーテシーをする。
「私は、ジュダス・ウォードです。本日は宜しく申し上げます」
ウォード様からも自己紹介を頂き、本格的に顔合わせが始まった。
最初は何を話していいのかも分からなかったけれど、ウォード様が話を振ってくださり、思ったよりも楽しいものとなった。
私には、このウォード様が、本当に冷酷無慈悲とは思えない。
冷血だなんだのというけれど、心優しい方だと感じた。
まだ出会ったばかりで、ウォード様のことなど何も知らないけれど。
「本日はご足労頂き有難う御座いました。」
すっかり日は暮れ、顔合わせは大成功のまま幕を閉じた。
あんなにも憂鬱だったはずなのに、ウォード様が帰るとなると、何故か寂しさが湧き上がる。
そんな気持に封をして、ウォード様が乗り込んだ馬車を、夕日に溶けて消えるまで眺め続けた。
夏の気配がする。
夏は好きだ。
暑いほどの日差しと、瑞々しい緑。
この世界にある、ありとあらゆるものがこの季節を祝福しているように思えてならない。
きっと、多くの人は夏は嫌いだろう。
暑いし、虫は多いし、何より暑い。
だけど、俺にとっては暑さもまた、生を感じる瞬間だから愛おしいものでさえある。
チリンと揺れる風鈴に、キーンとするようなアイス。
豪快な音を立てて燃える花に、五月蝿いほどの蝉時雨。
青空に映える白も、さざめく白波も。
全部が全部、生きているということだ。
今、俺は生きている。
涼しげな音を聞き、障子を隔てた先の世界に想いを馳せ、こんなにも暑さを感じている。
ここは、まだ夏ではない。
肌がひりつくような暑さも、泣きたくなるほどの地獄も、まだ味わっては居ない。
夏の気配がする。
そういうのが一番正しい。
冷たい麦茶が喉を冷やす。
蒸し蒸しと湿気染みた空気を深く吸い込む。
夏が好きだ。
死にたくなるほどの熱にさらされる夏が。
夏が好きだ。
生きていると、証明してくれるこの夏が。