朝日がまだ昇らぬ頃、私はふと目を覚ました。
なんだか、嫌な予感がしたのだ。
けれど、あたりを見渡しても寝る前と変わったことは何一つない。
無造作に脱ぎ捨てた服の位置も、壁に掛けた上着も、乱雑に置かれた本すら寸分の違いもない。
なのになぜだか違和感が拭えない。この違和感はなんだろう?
まだ夜が明けてすらいない。このままだと、仕事に支障が出るだろうともう一度目を瞑る。
目を瞑って瞑想に入る。
私は瞑想しなければ寝れない質なのだ。
今日の瞑想は何にしようか決めあぐねていると、私じゃない誰かが言った。
「自分という存在について。はどうだろう?」
思わず、普段から飛び起きる。だけど、周りには誰もいない。
冷静に考えてみればそれはそうだ。近くにいたとしても、思考を読み取るのなんて不可能なのだから。
なら一体、あの声はなんだったのだろうか。
私は、再び目を瞑って、あの声の正体について考えることにした。
仮説は2つ。1つ、あれは私の深層心理である。1つ、あれは科学的に証明の出来ない何かである。
それぞれ検証してみることにした。
前者の場合は、深層心理だから自身が熟知していないのも分からなくはない。けれど、可能性としては限りなく0に誓いのではなかろうか?後者においては、科学人間としては肯定したくないが、辻褄は合う。
きっと、こうやって辻褄合わせのために神などという存在は出来ていったのだろう。などとも思う。
だが、考えている内に頭がおかしくなってきた。それこそ、まるで人知を超えた力にでも侵されたのかのように。
私ってなんだろう?私は私なのか?私というのは架空の存在に過ぎないのだろうか?
そんな哲学的問いばかりが悶々と浮かんでは消え、浮かんでは消え。
あぁ…私は…私は……
…貴方は誰?
気がつけば私は、深い眠りへと誘われていた。
眩しい。
真っ先に思ったのはそれだった。
それも仕方のないことだろう。いきなり目の前に光源らしきものが現れたのだから。
目が眩んでから、少ししてようやくその光に慣れてきた。
といっても、相変わらず眩しいし、直視することは出来ないんだけど。
「いったい何なんだよ?」
ぼやきながら、光源らしきものに手を伸ばすと、意外にも答えが返ってきた。
「我は、貴殿の中の輝きなり」
なんだか頭の中で直接響いてくる感じが気持ち悪い。
それに、わけのわからないことを言う。俺の中に輝きなどあるはずもないのに。
「貴殿には輝きがある。なにせ、我が貴殿の輝きなのだから」
思考を読み取ったかのように、光源が続ける。
随分と雑な論理だな。と思いつつも、光源の話を聞いてやることにした。
「それで?お前が俺の輝きだって言うんなら、俺の輝きって何?」
「貴殿の輝きは我である」
駄目だ。話にならない。やはり対話を試みるのは辞めにしよう。
「待て待て……貴殿の輝きは説明が難しいのだ」
焦ったように言ってくる光源に、仕方なしに乗ってやることにする。
それがわかったのか光源は長々と話し始めた。
「先ず、貴殿の輝きはまだ誰にも見つけられていない。だが、我を見れば分かるようにその輝きは凄まじいものだ。我というのは、誰にも見つけられない貴殿の輝きを、まずは貴殿自身に知ってもらおうと具現化したものなのだ。貴殿は自分の輝きの何たるかを理解していないように見受けられる。そこで我が説明しよう。貴殿の輝きの性質を。貴殿の輝きは……」
話が長すぎて聞いている途中で、何度も眠気が襲ってきた。
要約すると、俺自身が理解していない輝きとやらが、あの光源らしい。
だが、正直説明を聞いても俺自身には輝きがあるようには到底思えない。
無言で光源に手を伸ばすと、存外簡単に触れることが出来た。
「あ、おい!我に何をする気だ!」
騒ぐ光源を無視して、光源を引き寄せると、光源は俺の体の中に馴染むように入っていった。
今までずっとうるさかった光源の声が聞こえなくなる。
その事に何故だか寂しさを覚えた。
でも、これでいい。俺が俺自身の輝きを見つけた時、あいつはもっと輝いて俺の元へ現れるだろうから。
意識が微睡む。
私はなんだかふわふわとした世界に身を横たえていた。
あたりは一面真っ白で私のほかには誰もいないし、何も無い。
けれど、不思議と私にさみしいという気持ちはなかった。
ふかふかの地面は、私の体をやわらかく包みこんで気持ちいい。
このまま、ここにいたいな。
本気でそう思い始めるくらいには、この世界は居心地が良かった。
空に目を向けると、普通なら青や赤色なのに、紫やピンク、黄色。いろんな色が混ざったグラデーションをしていた。
雲も太陽も、星も月もない。ただ、混ざりきらずない色だけが流れていく。
それはなんだか、見ていて飽きないもので、むしろずっと見ていたいとさえ思わせるものだった。
このまま時間が止まればいいのに。
そんな私の願いも虚しく、この世界の崩壊が始まった。
美しかった空が黒く淀み始め、ふかふかな地面はコンクリートのように硬くなる。
「お願い!元の世界に戻って!」
一生懸命に叫ぶ私の声にも、世界反応しない。
気がつけば、私の立つところにもその黒い淀みはきていた。
「……ッ時間よ!止まれ!」
私がそう言うと同時に、世界の崩壊は止まった。
後一歩でも踏み出せば、私の足は黒い淀みに触れることができる。
好奇心で、黒いよどみに触れようとしたけれど、本能が警告を鳴らした。
触れれば、私自身が黒い淀みに呑み込まれると。
することがなくなった私は、狭まってしまった世界で元のようにダラダラとし始めた。
でも、最初のような心地よさも、美しさも、この世界ではもう感じられなかった。
寂しさばかりが募り、私はふと口に出してしまった。
「元の世界に戻りたいなぁ……」
その瞬間、今まで止まっていた時間が再び動き始めた。
黒い淀みは今度は止まることなく私を呑み込む。
時間よ。止まれ。そう言えば呑み込まれることはないと分かっていても、私はついぞその言葉を口にしなかった。
黒い淀みの中は思ったよりも苦しくなくて、それでも、意識はどんどんと朦朧としてきた。
私、この後どうなるんだろう?
そんな疑問を最後に私は意識を手放した。
僕は恵まれた立場の人間なのだと思う。
容姿もまぁ、上の中くらいには整っているし、かなり有名な高校にも通っている。運動だってそこそこできるし、芸術センスもあるにはある。
「きゃー!」
廊下を歩いていると、女子達の甲高い声が聞こえた。
入学当初から、アイドル扱いされているのだ。
騒いでいる彼女らに微笑むと、一際歓声が大きくなる。
それを背に教室へ入ると、
「おはよう」
と、修斗が挨拶をしてきた。
「あぁ、おはよう」
そう返しながら、荷物の整理を始める。
川崎修斗。容姿端麗、文武両道な人間だ。今までに応募した作品はほとんどが何らかの賞を取っている。こんな人間といると、自分が至って平凡に感じられる。かといって、彼本人が悪いわけでもないし、居心地がいいから、彼のことは重宝している。
窓部に腰掛け、髪を耳にかけているさまは、僕よりもよっぽどアイドルだろう。
荷物の整理を終えた僕が、修斗と話しているといつの間にやら教師が入ってきた。
「全員着席!」
ホームルームの時間だ。修斗に別れを告げ、席に座る。
ホームルームを終えると、いつも通りの何の面白みもない授業が始まった。
いつも通りの進み具合。いつもと変わらないやり方。どうも、この学校の授業は新鮮味に欠ける。
何とか授業に真面目に取り組み、ようやく、下校時刻になった。
「今日一緒に帰らない?」
修斗がそう声をかけてくるが、毎週金曜日には予定が入っている。
「悪い。今日は無理だ」
「そういえば、毎週金曜日は無理だったね。じゃあ、また月曜日」
断りをいれると、修斗は名残惜しそうに帰っていった。
その後、僕も一人で下校した。
下校途中、個室へ立ち寄り服を着替える。予めかばんに入れていたポーチからメイク道具を取り出し、メイクをする。
暫くすれば、誰も僕だと分からなくなっていた。
そうして、個室を出ると、同級生と鉢合わせた。
しかし、誰も僕だと言うことは気が付かない。
いつもとは違う、大きな街道へと出る。
新しいことは好きだ。刺激が得られる。
僕はいつも、金曜日に新たな街で品物探しの旅に出るのだ。
都会には都会の、田舎には田舎のよさがあるが、僕個人としては品物が多い都会のほうが好きだ。
田舎だと、どうにも品質が被ることがある。
中でも、今日の都市は最高だった。
沢山品物があり、選ぶのに苦労を要したくらいだ。
ようやく一つ選んで、品物の元へと向かう。
楽しい。
品物鑑定はひどく楽しい。
だが、この品物はどこかで見たような…?
とにかくと手を出そうとしたその時、背後から誰かに手をつかまれた。
驚いて振り返るとともに言われる。
「柊真都。現行犯逮捕する」
そうか。バレてしまったか。
大人しく逮捕を受け入れつつも、品物の方を見る。
品物はなんとか間に合ったらしく、綺麗に絶命していた。
その事に安堵しつつも、僕は檻へと入れられた。
次の月曜日。修斗が面会にやってきた。
「なぁ、真都。なんで…俺の妹を殺したんだ?」
あ、妹だったのか。そう思った。どうやらそれが声に出ていたらしい。
「お前…俺の妹すら覚えてなかったのかよ…」
その言い方にどうにも違和感を覚えた。
「すら?」
そう聞くと、馬鹿にしたように修斗は言った。
「あぁ。すらだよ。クラスメイトは覚えてないのも仕方ないと思ってた。でも、あんなにお前のことを慕ってた俺の妹も忘れてるとは思わなかったよ。沢山遊んでやってたのにな。まさか、家族の名前すら覚えてなんじゃないか?」
それを聞いて、ようやく朧気に思い出してきた。確かに、そんな人がいた気がする。確か、あれは修斗の家に遊びに行ったときだ。修斗が大事にしてるから僕もそうしようと思ったんだ。
それにしても家族の名前。か。僕はそれすらも出てこない。両親の名前も、顔も出てこない。今まではずっとお母さん。お父さん。で事足りていたのだから。
「図星かよ」
忌々しげに修斗が言った。僕は本当にそうだから何も言えなかった。
「俺さぁ、最初からお前がしてること知ってたんだよ。最初の金曜日覚えてるか?」
修斗の問いに頷く。あの日から僕は趣味を見つけたのだから。あの日は思い出すだけで、体の内側からゾワゾワするような快感が駆け巡る。
「あの日。俺、お前の後をつけたんだよ」
まったく気が付かなかった。だがしかし、最初からバレていたとは。
「なんで?なんで通報しなかった?」
僕の問いに修斗は少し悩んでからこう言った。
「いつもつまらなさそうなお前が、心底楽しんでいたから。俺は倫理よりも周りの人の意思を優先したいんだ」
だが、と修斗は続けた。
「俺の家族に手を出すなら別だ。だから、通報させてもらった。…結は死んでしまったが」
悲しげに言った後、修斗は口元を歪めた。
何かをいいたかった。だが、そんな言葉は持ち合わせていない。僕は人の心に寄り添える言葉など持っていない。そんな気持ちも持っていない。それに。と、思う。妹を殺した僕には修斗に何一つ言う資格はない。
だから、こう口にした。
「道理で。同級生も気が付かなかったのに警察が僕の本名を呼んだわけだ」
俯いていた修斗がこちらを睨んだ。
「そうかよ。なぁ、俺のことなんか本当はどうでもよかったんだろ?俺の名前を呼んだこともないもんな。俺も忘れられた存在なんだろ?」
そういう修斗の顔はひどく苦しそうだった。
そんなことはないと言いたかった。けれど、それを証明するすべはない。今さら名前を呼んだって無意味なのだ。
修斗のことは本当に好きだった。本当に居心地がよかった。
でも、口から出るのはそんな気持ちとは裏腹の言葉だ。
「あぁ。そうだよ。僕は僕だけで満足なんだ」
修斗は何も言わずに面会室を去っていった。
その背を見つめながら思う。これでよかったのだろうかと。きっと僕は死刑になる。修斗と会うのはこれで最後になるだろう。でも。修斗が好きだという気持ちは誰も知らない秘密にしよう。誰にも言わずに一人で抱えていこう。
そう決めた翌日。僕の死刑が決定した。
今、私はベッドに横たわっている。
枕元にある机にはアクエリアスと冷えピタ、それから体温計が置いてある。
私は熱が出ているのだ。といっても37.8℃と微熱ではある。
多分昨日雨の中、傘もささずに歩いて帰ったのが原因だろう。
家に帰ってタオルで拭いたもののどうやらダメだったらしい。
しかし、起きてから昼過ぎになるこの時間まで誰一人見舞いに来てくれないのは淋しいものである。
もちろん、家のある場所が少し街に出にくいというのもあるが、せめて家族か友達は来てほしかった。
連絡もしたのに、既読スルーなどとは本当に辛い限りだ。
せめて、せめて返信してくれよ…
と思いつつも、もうスマホを使う気力もないし、動くのもめんどくさいので、ベットで横になったままゴロゴロとする。
アニメを観ながらダラダラしていると、気づけば夜になっていた。
その頃には熱もだいぶ下がり体が幾分が楽になっていた。
ちょうどその時玄関のチャイムがなった。
「はーい?」
「やぁ。見舞いに来たよ。」
そういって入ってきたのは先生だった。
「わざわざお見舞い有難う御座います。」
「いやいや。体調はもう大丈夫?」
「えぇ。こんな出にくいところまでわざわざ有難う御座います。」
そうして、先生はクラスの皆からだよ。といいながら紙袋を渡してくれた。
私は何度もお礼を言いながら先生が見えなくなるまで見送った。
ふっと心が温かくなった。
次の日、また微熱が出たけれど。