瀬名柊真

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1/23/2026, 8:35:48 AM

「好きですっ、付き合ってください!」
振り絞った僕の言葉に、軽く頷いて笑ってみせた彼女ーー早川美波と僕が迎える、一度目の夏だった。

「それで、河野くんは夏休みの予定あるの?」
「いや、特には。早川さんは?」
「あたしもー。そだ、一緒に夏祭り行かない?」
「あのーー僕はいいけど、早川さんって花火嫌いじゃ?」
僕の言葉に早川さんははにかんで、それから「まぁね」と答えた。
そうして迎えた夏祭り。早川さんは浴衣姿が美しかった。簪を挿したお団子だから、うなじが見えてどこが淫靡でさえあった。
「ほら、河野くん!綿あめ買いに行こっ」
彼女の方から手を繋いで、あれやこれやと引っ張られて連れ回される。リードも何もないけれど、天真爛漫な早川さんが可愛かった。

「はい、嬢ちゃん。ガム一個ね」
祭りが始まってから30分は経っただろうか。早川さんと射的をしていれば、僕の予想に反して5発中2発も当てた。どうだと自慢げの早川さんに、僕は素直に称賛の言葉を伝えた。店主が僕らを微笑ましげに見ていた。

そして、最後に僕に花火を見た。土手に座り込んだまま空を見上げ、五月蝿いからと耳を塞ぐ早川さんの口を塞いだ。
驚いた様子の早川さんだったけれど、すぐに積極的にキスを返してくれた。
つぅと糸が引いて、僕は少し赤らんだ早川さんの顔をまじまじと見る。
「早川さんーーいや、美波さん、好きだよ」
美波さんの返事も待たずにがばっと抱きしめると、耳元で柔らかく「私も瑞貴くんが大好きだよ」と言ってくれた。

あの夏祭りから1ヶ月が経ったころ、僕らは別れる羽目となった。どうやら僕に問題があったらしい。美波は教えてくれなかったけれど、なんとなく判った。
絶望している僕の元へ、怪しげな商人が来た。なんでも、何回でも使えるタイムマシーンがあるのだとか。値段は高かったが、やり直してから返すと言えば承諾してくれた。
そうして、僕と美波の迎える2度目の夏が来た。

同じ日々を繰り返す。僕は美波に振られ続け、やり直しを繰り返す。いつだって美波は僕のどこが悪いのかを教えてくれない。振られる日は決まって夏祭りの一月後だった。
僕がどれだけ美波の好みを知り尽くして、してほしいことを先回りできても、美波には届かない。

これでもう、何度目の夏だろう?1000を超えてから数えることをやめた。
今日は美波に振られる日だ。いつも通りGPSを確認して、それからメッセージも見る。ちゃんと真っ直ぐ来てくれているようだった。何回と同じことを繰り返しても不安で仕方がない。

漸く姿を現した美波は、好きになった頃とは違って窶れていた。それが余計に好きだった。
「ごめん……いきなり話したいことがあるなんて」
これも一語一句違わず聞き続けた台詞。僕は笑って「そこのカフェで聞いていい?」と指し示した。
美波は下を向いて、それから小さく頷いた。別れると判っているけれど、まだ美波は僕の彼女だ。だから、ぎゅっと腰を抱き寄せ、僕に寄りかからせる。このぬくもりを失いたくない。
「それで、話って?」
「そのーー別れてほしいの」
「ん、いいよ」
僕があっさりと認めると、美波は一気に顔をあげた。その顔には嬉しさというより疑念が渦巻いているように見える。
「え、そんなあっさりーー?」
美波が驚くのも無理はなかった。確かに1度目の頃は泣いて、縋って、何でもするからと繰り返していたし。
「まぁ、美波の選んだことだから。でも、理由だけ教えてくれない?」
どうせ駄目だろうと諦めつつ訊いてみると、なるほど。初めて理由が判った。
「だって、瑞貴……重いから……」
「重い?」
酔狂な声が出た。重くなんてないと思っていたから。詳しく問えば、スマホのGPS共有、予定カレンダーの共有、誰と何をどの程度話したかの共有あたりが該当するらしい。
僕は「ありがとう」と言って、席を立った。勘定を済ませて、例のマシーンに乗り込む。今度はもっと前ーー美波が小学生の時に戻ろう。そこで僕は美波に正しい愛を教えなくては。
それから、そこに戻れば投資で借金もチャラになるだろうし。
待っててね、美波。僕が報われて、2人で幸せになれる日はすぐそこだよ。

1/18/2026, 11:37:54 AM

2020年3月9日(月)

わけのわからない場所に連れてこられた。これから毎日ここに日記を書けなんて言う。正直日記を書くのは苦手だけど、断ったらどうなるかわからないので大人しく書くことにする。部屋に窓はないし、ドアも開かないけど、内装自体は凄く私好み。私を拉致った人は、はるくんと言うらしい。苗字は教えてもらえなかった。足枷が邪魔だけど、手錠とかがないだけマシなのかな。

2020年3月10日(火)

今日の朝ごはんはハムトーストだった。はるくんの手作り。外に出られない私が暇をしていると、はるくんが本を渡してくれた。全然知らない人のだったけれど、面白くて、それをそのまま伝えたらはるくんはありがとうと言った。お母さん、心配してるだろうな。はるくんは私を家に返してくれる気はないらしい。そもそも誘拐した理由が判らないけど。でも、優しいし、暴力は振るわないし、まだマシなのかもしれない。

2020年3月11日(水)

オムライスを食べた。びっくりするくらい美味しくて、お母さんの味に似てた。それで、泣いたら、はるくんは慰めてくれたけど、俺以外のことで泣かないでって言われた。はるくんのせいだよ。って返したら満足そうだったけど、わけわかんない。家に帰りたいなぁ。もう3日。そろそろ警察に行ってくれてるのかな?お父さん、ちゃんと仕事してるかな?いつも胃が弱くてすぐにだめになっちゃうけど……。

2020年3月12日(木)

今思い出したけど高校はどうなってるんだろ?もうすぐテストだったのに。そんなこと気にしてる場合じゃないんだけど。それにしても、この日記って何のために書いてるんだろうな。はるくんは書いたことを確認するだけで全然読まないし。というか本当に忘れそう。そもそも、はるくんは何であんなに優しいんだろう?一応私のこと監禁してるのに。

2020年3月13日(金)

時間間隔がなくなってきた。日記はこのためなのかな。カレンダーも電子機器もないし最悪。はるくんからもらった本も底をついたし、鎖に擦れて足首が痛い。というか、今日は13日の金曜日なのか。いっそのこと殺された方が楽なのかな?いや、優しくされている以上、そんなことはないか。

2020年3月15日(日)

痛い。昨日日記を書き忘れたから、殴られた。初めてだった。涙が止まんない。なんで。なんで日記なんてつけなくちゃいけないんだろう。昨日の分も書こうとしたらそれは要らないって言われた。はるくんが判んない。はるくんは私に何を求めてるのかな?身代金なんて払えないのに。それに、どうして殴ったのに優しく頭を撫でるの?

2020年3月16日(月)

ここへ連れてこられてから1週間。今日は怒られなかった。安心。もう日記を忘れないようにしなきゃ。他にも何か怒らせちゃうと嫌だし、余計なことはしないようにしよう。警察の人、早く来てくれないかな……?

2020年3月17日(火)

部屋から出てなさすぎて書くことがない。でもどんどん筋力が衰えて来た気がする。そういえば、はるくんはポケットに鎖の鍵を入れてた。あれを取れれば脱出できるかな?

2020年3月18日(水)

初めてはるくんに俺のこと嫌い?って訊かれた。だから、そんなことないって答えたら、じゃあ好き?って。ほんとは好きっていうべきなのかな?でも、そんなこともないって言っちゃった。はるくんはそうだよねって笑って、どこかへ。何がしたいんだろう?

2020年3月19日(木)

今日、はるくんのポケットから鍵を盗めた。いっぱい入ってたし気づかれないはず。でも、これが鎖の鍵じゃなかったらどうしよう?はるくんが寝ている間に取ったし、鍵穴との一致具合も見たから間違いないと思うんだけど。

2020年3月20日(金)

足枷の鍵を外すのに成功。でも、まだ付けとく。内側から扉を開けるのはできないから、はるくんがまた寝るのを待たなきゃ。そうしたら、玄関から出られるはず。もう警察なんて頼りになんないし、私が自力でいくしか。

2020年3月21日(土)

最近ははるくんが全然寝てくれない。まさか、勘付かれた?でもだとしたら怒るだろうし……。明日、昼寝でも提案してみようかな……?

2020年3月22日(日)

昼寝は断られた。今日は忙しいんだって。でも明日ならってオッケーしてくれたから、チャンスはあるかも?にしても、はるくんって私と同い年くらいに見えるけど何やってるんだろう?まさか不登校?

2020年4月1日(水)

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

2020年4月2日(木)

逃げるなんてできるわけなかったんだ。あんな目に遭わせたのに、はるくんは何でこんなに平気そうなのかな?いつもみたいに優しくされるとどう反応していいか判んない。あの日、覚え込まされたから。はるくんはずっと愛してるって言ってた。これが愛してる人にするものなの……?

2020年4月3日(金)

はるくんの遠慮がなくなった。いつもみたいに優しいけど、夜に求められる。嫌だけど、またあんな目に合うんじゃないかと思うと断れない。それに、もう、今さら手遅れだし。従順にしてればはるくんはずっと優しいからーー。

2020年4月4日(土)

今日は誰かが来た。警察かなって思ったけど、はるくんは余裕そうだったし違うのかな?お願いだから早く来て。じゃないと、壊れてしまいそう。

2020年4月5日(日)

本当は書きたくないけど、忘れたくないから。はるくんがプレゼントってお母さんとお父さんの死体を見せてきた。気持ち悪い。吐きそう。なんで。なんで、私も、私の家族も、誰も悪いことなんてしてないのに。はるくんなんか嫌いだ。死んでしまえ。

2020年4月6日(月)

まだ部屋に死体の匂いがしてる気がする。ご飯が喉を通らなくて、はるくんが心配そうにしてる。はるくんのせいなのに。それから、最近名前を呼ばれなくなった。かわりにはるくんが勝手につけた名前で呼ばれる。自分の名前も忘れそうだから、メモしておく。私の名前は中島早織。断じてさおちゃんじゃない。

2020年4月7日(火)

体がだるい。思うように動かないし、最近のご飯はあまりにも食べなさすぎてはるくんが口移ししてくるようになった。気持ち悪いけど、それといった抵抗もできないし、されるがままだ。相変わらずはるくんは優しい。

2020年4月8日(水)

文字を書くのも難しくなってきた。そろそろ日記がだめになるかもしれない。またはるくんに殴られるかな?でも、ほんとにもうた

2022年4月7日(木)

本当に久々の日記。今日ははるくんの誕生日。私に買えるものはないから、プレゼントは私にしておいた。はるくんが嬉しそうで良かった。今日は私の手作り料理。はるくんが美味しいって言ってくれて良かった。相変わらずご飯は口移しだけど、はるくんだから、嬉しい。それに、もう日記は書かなくてもいいんだって。でも、忘れたくない日は記しておこうかな。毎日は無理だけど。

2022年9月16日(金)

初めて自分からおねだりしてみた。はるくんが驚いてて可愛いかったなぁ。さおって呼んでくれる声がほんとに嬉しくて。というか前から5か月も空いちゃってる。全然日記書くつもりないなぁ。毎日が楽しすぎて書ききれないんだろうな。

2025年11月30日(日)

足枷がなくなった。でもなんだか違和感。正直慣れすぎてたというか。足首が赤くなってるのが唯一の証明みたいで愛おしい。はるくんが私を縛り付けてくれている証拠。ずっとこのままがいいなぁ。

2026年1月17日(土)

警察の人が来た。はるくんが対応してるけど、難しいかもしれない。どうしよう。隠れておけば?でも、明らかに2人分だし……。できることはしなきゃだよね。

2026年1月18日(日)

はるくんが捕まった。この日記は回収されるらしい。けど、ごねたら今日だけ書かせてもらえることになった。正直辛い。はるくんがいないのに、はるくんとの繋がりもたたされるなんて。でも、ほかの人に想い出が見られるのはもっと嫌。だから、この日記は燃やしてしまおう。せっかくはるくんが用意してくれたのにごめんね。


テーマ:閉ざされた日記

1/18/2026, 6:04:28 AM

紅く熟れた紅葉の葉が、風に飛ばされ彼の頬へと触れた。
彼はその葉を手に取り、しげしげと眺める。
昨日の夜、彼女から話があると言われて来たはいいものの、待ち合わせ時刻になっても彼女はこない。
相変わらずの傍若無人ぶりに溜息を吐くと、彼は近くのベンチへと腰掛けた。
木枯らしが彼の体を冷やしていく。
彼女が来た時には既に待ち合わせから三十分が経過していた。
「ごめん、遅れちゃった」
「大丈夫だよ。それで、話って?」
「その……」
彼女は言いにくそうに言葉を区切ってから、別れてほしいの。と告げた。
「……え?嘘、嘘だよね?」
彼の言葉に彼女は小さく首を横に振った。人気のないこの公園で、この絶望を見る者はいない。
「僕の、僕の何が駄目?直すから。ちゃんと君好みになれるようにするからさ、だからーー」
「それがっ!その、あたしのために自分を消す貴方が嫌だ……」
彼女の強い言葉に暫く彼は言葉を失った。口を開いて何かを発そうとするものの、結局それは言葉にならず風に攫われていく。
「それだけだから、じゃあ」
「っ、待って!待ってよっ」
彼の制止など気にもとめず彼女は踵を返した。
秒速8メートルで心が離れていく。
彼女というパーツを失った彼の心には冷たい風が吹き込んで、より心を荒ませていく。
不意に彼の瞳から涙が溢れ落ちた。
それは誰に受け止められるでもなく地面に落ち、染み込んでいく。
紅葉がまた一枚彼の元へ舞い落ちた。
この紅葉もまた、誰かの涙を栄養に育ったのだろうか?
ーークソくらえだ。
彼は地面に落ちていった紅葉をスニーカーで踏みつけ、何度も何度もぐちゃぐちゃにした。
息が荒くなる。視界が揺れる。
それでも彼は構わなかった。
少ししてからハッと我に返って彼が足をどけると、地面には紅い何かが広がっていた。
スニーカーの靴裏にも付着したそれは彼の罪のよう。
彼女が好きなデザインだからと買ったものだったのに、彼が穢してしまった。
手の甲で涙を拭って、彼もまた帰路へつく。
今頃彼女は部屋で新しい男探しでもしているのかもしれない。
そう思えば思うほど心は軋んで、取り繕いようのない穴だけが残る。
彼女と別れてもう十五分はたった。心の距離は7,200メートル。今さら追いつけるわけもなく。
木枯らしに押されて帰る彼の足取りは重たかった。

1/17/2026, 5:50:30 AM

美しい世界で、美しくない君を見つけた。
すっかりとイルミネーションで輝く木々が街を染めている。気温もとうとう10度をきった時分だった。
街は浮かれ気分でありとあらゆるところで恋人同士が手を繋ぐなり腕を組むなりとしている。
朝っぱらから仕事のために奔走しているこちらからしてみれば能天気で羨ましいことこの上ない。
交差点で信号待ちをしていれば、近くのベンチーーその後ろには大きなツリーがあるーーに座ってそわそわとしている男の子がいた。
高校生くらいだろうか。
スマホの画面と横断歩道を交互に見ているから、誰かと待ち合わせでもしているのだろう。
そして、案の定可愛らしい女の子が現れた。彼は顔を綻ばせ、鞄からプレゼントを取り出す。
だが、彼女はそれを受け取ることはなく、彼に押し返した。
それから何かを告げたかと思うと足早に彼女は去っていく。
取り残された少年は不意にこちらを見た。
目が合って、慌てて逸らす。丁度青信号になったのをいいことに足を進めた。
仕事場についたのは始業五分前だった。いつもよりは遅いが、遅刻というわけではない。そのことにほっと息を吐き、仕事開始を待っていると、梶川が話しかけてきた。
「よぉ、橘。いつもより遅かったじゃん」
「まぁ色々あってね。梶川こそ珍しい。いつも遅刻だろ?」
「それを言っちゃあだめだろ?にしても何がよくてこんな日にまで仕事しなくちゃなのかねぇ」
「今年は平日なんだから仕方ないだろ。妹ちゃんはもう冬休みか?」
「あぁ。すっかりはしゃいで今日も朝から待ち合わせがあるんだと」
「へぇ。小学生ともなると忙しくなるもんだな」
くだらない話をしていると、朝礼がはじまった。軽く手を振ってから上司の話を聞く。
朝礼が終わると、後はひたすら仕事だ。
これはこっちで、あれはそっち。で、それはーー。
指示をだしながら仕事を終わらせていると、いつの間にか就業時間になっていたらしい。梶川が一緒に帰ろうと誘ってきた。
「あー今やってんのが終わったら」
「うぃ。んじゃ、俺そこで待ってるわ」
そう言って出口を指し示す梶川に頷いてみせ、残りの作業を終わらせた。
外に出るとすっかり日も暮れ、朝より寒かった。雪がちらほらと舞い、ホワイトクリスマスだなぁ。なんて思う。
「でさ、杏のやつ、俺とゲームしたいって駄々こねんだよ」
「よかったじゃん。懐かれてて」
「そうかもだけど、パパよりにぃにがいいとか言われても。なぁ?」
「そんなことを聞かれるこっちのほうが困るわ」
「つれないこと言うなよ。俺らの仲じゃん?」
「うるさい。妹ちゃんがにぃにの帰りを待ってるってよ」
いつの間にか今朝の交差点まで来ていた。本当は今日、したいことがあった。けれど、あの少年の二の舞いになるかもしれないと思えばーー否、それ以前にある問題を思えばーー朝の決意などあっという間に崩れてしまっていた。
「ーー橘?」
「ん、あぁ、なに?」
「いや、俺の話ーー聞いてた?」
「ごめん。聞いてなかった」
「おい、ふざけんなよ。ちゃんと聞けって」
いつにない真剣な梶川。また、ごめんと謝った。
「それで、何の話?」
「あー……もうっ、俺は橘が好きだって言ってんの!」
「……は?」
脳がフリーズした。梶川が、好きだと言った。それは、友人として?
「梶川、お前それ、友人として、だよな?」
「……まぁ」
はっきりしない梶川が鬱陶しい。いつも通りの梶川でないと調子が狂ってしまう。
そこまで考えて、人通りが多いことに気がついた。
「梶川、続きは家で話さないか?」
「え?あー、まぁ、橘がいいなら……」
かくして梶川を家に招き、こちらの真意も伝えることにした。
「僕も梶川が好きだと思ってる。でも、それは、恋愛的に、だ」
声が震える。梶川の顔が見れない。梶川のあの台詞がそういうのじゃなかったとしたら、もう梶川とは話せないかもしれない。
「……それ、本気で言ってる?」
「うん」
「俺のためじゃなくて?」
「うん」
「嬉しいよ。俺だって橘のこと、好きだし」
あ、ちゃんと恋愛的にな。と付け足す梶川が愛おしくて。視界が滲むなか、鞄から取り出した袋を渡した。
「これ、今日梶川に渡そうと思って」
「え、なに、プレゼント?」
嬉しそうな梶川を見て、あぁ、渡して良かったなんて思う。
「うぇ、時計じゃん!」
「前に梶川欲しがってたろ?」
「そりゃ……欲しかったけど、いいのか?」
「勿論。梶川のために買ったんだから」
この恋は美しくない。あまりにも清すぎる世界では美しく見えない。君も同じ。この目に美しく映るのは、君が清くないからだ。
「あ、これ、妹ちゃんの分」
「え、杏のも用意してたのか……俺なんも用意してねぇや」
「ははっ、兄ちゃんなのに」
「いやー……だって、なぁ。何が欲しいか分からないんだよ」
それでーーそういいつつ梶川は箱を取り出した。
「これは俺から橘の分」
梶川から貰った箱を開くと、中に入っていたのは黒の財布だった。
「……財布?」
「うん。橘、新しい財布欲しいってぼやいてたろ」
嬉しい。梶川からのプレゼントだけでいつまでも生きられそうだ。
あの少年には悪いが、今日という日に乾杯。

1/15/2026, 11:20:21 AM

残酷だ。あまりに残酷すぎる。
勝手な思い込みで幸福を奪われた。私と、祐馬の、幸福。
1月半ばのことだった。開けた窓から入る風は冷たく頬を切り、指先は悴んだ。
「澪。また外?」
「……違うよ。ただ、寒いなって」
私がそう答えると、祐馬は黙って窓を閉める。そうして、感覚のない私の両手を温かに包んでくれた。
「こんなに冷たい。澪のしたいことは尊重するけど、こういうのはだめ。体調崩しちゃうかもしれないでしょ」
眉を下げる祐馬に笑って見せれば、笑い事じゃないと怒られてしまった。
祐馬と出会って、これで5年になる。好きになってからは2年。時間の流れはあっという間だ。
最初の頃、何を考えているか判らなくて怖がっていたのが馬鹿みたい。祐馬はこんなも優しくて、私のことを考えてくれているのに。
いつも通り、ソファで祐馬にしなだれかかったときだった。珍しくインターフォンが鳴った。祐馬は立ち上がって誰かを確認すると、小さく舌打ちした。
「すぐ戻るから、いつも通りにしててね」
祐馬の言葉に頷いていて、玄関へ向かうのを見送る。ドアが閉まって見えなくなったらいつも通りクローゼットの中へ。
「ですから僕はーー」
「けれど、永井さんはこのあたりでーー」
私の話をしているのだ。ほかに人に対する感じではない。
どうも、彼なりに頑張ってくれているらしい。早くどこかへいきますように。
そう望みつつ耐え忍んでいたのに。
扉が開き、眩しさが目を焼く。憎ましげな彼の顔と、安堵したような見知らぬ顔の人達。
ゆっくりと景色が滲んで、やがて暗転する。
次に目を覚ませば、見たことのない部屋だった。祐馬の部屋じゃないことで、喉に血が詰まったような感覚に陥る。視界が揺れて、息が浅くなる。
抱きしめて貰おうと祐馬を探していれば、初めて見る男性が近くへやってきた。
「おはよう。もう、安心してくれて大丈夫だ」
「……祐馬は?祐馬はどこ?」
「心配せずとも、明日にでも裁判にかかる予定だ。もう怯えなくていいんだよ」
警察を名乗るその男はそう説明した。だが、判っていない。私は祐馬を愛していた。祐馬のあれは犯罪なんかじゃないのに。
この世界は狂っている。あの2人きりの世界を返して。誰にも邪魔されない、2人だけの完璧なーー。
「どうやら、彼女はーー」
先生の声が遠くへ聞こえる。結局祐馬は監禁罪で懲役刑を食らった。そんなこと望んでいなかったのに。
私がいつも通りじゃなくて、或いはしっかりと息を殺していれば、こんなことにはならなかったのに。
祐馬に全部を負わせてしまった。
それなのに、あの細くて、でも男らしい指先で私の頬をなぞって欲しい。
低く柔らかな声で愛してるよって。
誰も何も判ってない。話なんていらないし、これは病気じゃない。
今望んでいるのはただ、また名前を呼びあって笑い合える日が来ることだけ。
こんなカーテンが視界いっぱいのくだらない場所じゃなくて、想い出のーー祐馬の腕の中。 
だから、また、5年前のあの時みたいに、この腐りきった世界から私を救い出しにきてほしい。

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