森川俊也

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#1(シリーズもの)

私には婚約者がいる。
婚約者、とは言っても会ったこともない何処かの御仁だけれど。
シェリル・ルーヴェルト。16歳。
それが私。丁度デビュタントを終えたばかりで、大人に仲間入りしたばかり。一応伯爵家だけれど、あまり裕福ではない方。それを不幸に思ったことは一度もないけれど。
そんな、私の婚約者様はジュダス・ウォードというらしい。
見るものを凍てつかせるような目に、無機質な喋り方をすることで有名な方。
公爵家の跡取りなのに、悪い噂が出回るなんて相当なのだろう。火のないところに煙は立たぬ、とも言いますし。
何にせよ、あまり期待は出来なさそうであることだけは確か。
思わず溜息をついてしまう。
この縁談だって、私が子供の頃に親同士で勝手に決められたもの。
嫌になるのも当然と言えば当然なのかもしれない。でも、何よりも重大なのは、ウォード様ともうすぐで顔合わせという事。
朝一から化粧をし、髪を結い上げて、一番のお気に入りのドレスを着た。
(どうせ、意味なんてないのに。)
だって、あの冷酷無慈悲な御方だ。私のドレス姿なんて興味もないだろう。顔合わせだって、何も起こらないだろうに。
「シェリル様。ウォード様がご到着されるようです。」
メイドに案内され、応接間に入る。緊張を抑えるため、ぎゅっと拳を握りしめる。
暫くすると控えめなノック音が聞こえた。
呼吸を整え、震える声で平静を装いながら応える。
「どうぞ。」
沈黙。少ししてから「失礼します」という声とともに、ドアが開いた。
真っ先に目に入ったのは軍服のような服。見上げれば、青みがかった黒い髪に、深海のように深い藍色の瞳。
あまりに綺麗で、我を忘れて思わずほぅ。と感嘆の域を漏らしてしまった。
いけない。相手はあのウォード様なのに。
けれど、ウォード様はウォード様で何かに驚いているようだった。
既に綺麗に澄んだ瞳を、より、青く深くする。
見れば見るほど吸い込まれそうなその瞳から、私は目をそらせなくなった。
「シェリル嬢で合っていますか?」
ウォード様の声は、思ったよりも低くて、柔らかい音だった。
「…!失礼致しました。ルーヴェルト家の長女に御座います。シェリル・ルーヴェルトと申します。」
ウォード様の声で慌てて我に返りカーテシーをする。
「私は、ジュダス・ウォードです。本日は宜しく申し上げます」
ウォード様からも自己紹介を頂き、本格的に顔合わせが始まった。
最初は何を話していいのかも分からなかったけれど、ウォード様が話を振ってくださり、思ったよりも楽しいものとなった。
私には、このウォード様が、本当に冷酷無慈悲とは思えない。
冷血だなんだのというけれど、心優しい方だと感じた。
まだ出会ったばかりで、ウォード様のことなど何も知らないけれど。
「本日はご足労頂き有難う御座いました。」
すっかり日は暮れ、顔合わせは大成功のまま幕を閉じた。
あんなにも憂鬱だったはずなのに、ウォード様が帰るとなると、何故か寂しさが湧き上がる。
そんな気持に封をして、ウォード様が乗り込んだ馬車を、夕日に溶けて消えるまで眺め続けた。

6/29/2025, 1:01:57 PM