未来への船
帰ってくるからね、私のふるさと。
パァーと音を響かせながら感傷に浸る私を乗せて船は進む。
「いよいよね…」
坂井もも、18歳。一人旅に出ます。と言っても、生まれ育った小さな島から大学進学を機に都会の方へ行くってだけだけど。
「それでも私にとっては大冒険だわ!」
おっと。手を口に当てて周りを見る。風が強いせいか甲板に出てる人は少ない。独り言を呟くのは昔からのくせ。頭で考えてるのにいつのまにか声に出ちゃってるのよね。聞かれてなくて良かった。別に聞かれても困ることはないのだけれど…
「まだあの事を…私は引きずってるのね──」
5年前、私が中学生だった時。
私にはクラスに親友と呼べるほど仲の良い子がいた。毎日一緒に帰っていて、その日もその子を昇降口で待っていたけれど、なかなか来ないので心配になり教室に戻った。教室からはその子と別のグループの女の子たちが集まって話してるみたいで声が聞こえてきた。
「─⋯でさぁ、そう思わない?あんたも」
「……そうね」
「だよね〜。なんか急に話し出してさあ、ウケる!よく仲良くしてられるよね、まじすごいよ」
「……あたし、もう帰るわ」
「はぁ?なんかノリ悪…」
加筆予定
静かな情熱
───見つけた…見つけたわ……!!
私が熱くなれる場所。私の居場所。
「さすがねぇ。将来有望だわ」
記憶の中にいる人たちは、全員私のことを讃える言葉しか吐かなかった。なんてつまらないこと。この人たちには「私」という人間が見えていない。かといって私の持つ「才能」を見ているわけでもない。私の出した「結果」しか見ていないのだわ。賞状、トロフィー、メダル。これらはいつだって私の努力を肯定してくれた。私に自信をくれたわ。…でも、気づいてしまった。これらは単なる結果しか映してくれない。周りには、表面上の価値しか伝わらない。どうしたらいいの…いつだって誰も私の側にいてくれない。
誰か、私を見て……!
演劇は私に燃えるような情熱を与えてくれた。私の情熱の炎が燃え上がるのと比例するように、周りとの差は開いていった。周りに私と競い合えるような子はいなかった。それでも自己研鑽を怠ることはなかったわ。いつか人は私を見てくれるはずよ。そう信じて今まで突き進んできたわ。だって……
誰が理解してくれる?私の中に秘めたこの情熱を。
誰が私の隣にいてくれる?人々が天才だと讃える私の隣に。
いいわ…私は負けない。競い合う相手なんていなくたっていい。何かに挑戦する時はいつも一人。私は前の自分よりも輝けたらそれでいいの。
そう思っていたはずなのに…あの子に会った瞬間わかったわ。あの子は必ず私の隣にくる。…いいえ、むしろ私を追い越す可能性を秘めている。ああ、なんてこと…。ようやく出会えた最大の敵は、私の最大の理解者でもある…。
「まってるわ」
この場所で、貴女をまってるわ。初めてかもしれない。こんなふうに心が熱くなるのは…。ああ、もっと燃えて…!私の中の情熱の炎。静かに、激しくこの身を包み込む炎。まだまだこんなものじゃないはず…!私をもっと高みへ連れていって………!あの子が届かないほどに……!
神様…私にあの子という試練を与えたこと、後悔するがいいわ。ぜったいに負けないわ、あの子には……!
未来図
───⋯いやだ、いやだ!私を置いて行かないで!
はっと目を覚ます。静まり返った部屋で自分の呼吸音だけが響いていた。…幼い頃の夢。もう何度も見ている。いまだ私は過去に囚われたままだというのか。
10年前。私が8歳のとき、両親が離婚した。元々仲の良い家族ではなかったので、父と別れることになってもとくに悲しみはなかったように思う。母は田舎の実家に戻り、数年前に祖父が他界し、1人で暮らしていた祖母とともに暮らすことにした。私と母と祖母。3人での暮らしは楽ではなかったが、優しい祖母との時間は居心地が良かった。「大人しい子」と言われてきた私は、単に甘え方も笑い方も知らなかっただけで、祖母と暮らすうちに徐々に年相応の反応を見せるようになったと母は言っていた。そんな私の様子に安心したのか、母は仕事で海外に行くことを決めた。その時は寂しさを感じたが、良い子でいたいと我儘をいうこともなく、母を見送った。家に戻ってから押し入れで泣いている私に祖母はずっと付き添ってくれた。そんな優しい祖母が心の底から大好きだった。しかし、幼かった私は、そんな祖母との別れが近づいているとは思いもしなかったのだ。そして…その日は突然やってきた。
朝、目を覚ますといつもは起きているはずの祖母がまだ寝ていた。私は祖母より早く起きれたことが嬉しくて、いつも祖母がしているように玄関の掃除をしようと張り切って外に出た。起きた時に、きっと祖母は褒めてくれると思ったのだ。慣れない掃き掃除は思ったよりも時間がかかったが、綺麗になった玄関を見て祖母に自慢したくなり、起こしに行くことにした。寝室に入ると祖母はまだ寝ている。私は褒められたい一心で祖母を揺さぶって起こそうとした。起きない。ほっぺたをぺちぺちと叩いてみる。…冷たかった。幼かった自分でもおかしいと分かるほどの冷たさ。怖くなって私は隣の家に飛び込んだ。事情を聞いた隣のおじさんは、電話をかけ、一緒に家に戻ってくれた。私はおじさんに、祖母は大丈夫かと聞いた。おじさんはとても悲しそうな顔で私に言い聞かせるように言った。
「おばあちゃんとはねぇ、お別れしなくちゃあいけない。でもね、ずっとずーっとおばあちゃんは君のそばにいてくれるからねぇ」
頭が理解するのを拒むような感覚におそわれた。その後、どうしていたか覚えていない。ただ、棺の中のおばあちゃんが運ばれていくときになってようやく別れを実感し、いやだ、置いていかないでと泣き叫んだ。心の支えが折れた時、人は本当に動けなくなるものだ。私は完全に立ち止まってしまった。1年後、祖母の残していた遺書が見つかり、私がそれを読むまでは。
祖母は自分がいつ亡くなってもいいように準備をしていた。そして、悲しみに暮れるだろう私に手紙を書いてくれていた。
都ちゃんへ
寂しい思いをさせてしまうね、ごめんなさい。
あなたと過ごした日々は本当に楽しかった。
毎日が輝いていた。都ちゃんもそうだったなら
嬉しい。
あなたがこれからも輝くような毎日を過ごして
くれることを祈っています。
立ち止まってもいい、泣いてもいいのよ。
ただ、いつかは進んで欲しい。
あなたの未来を、あなた自身の手で描きあげて
いって欲しい。
私は天国で待っているから、たくさんのお土産
話を持って100年後くらいに会いにきてちょうだいね。
祖母との過ごした時間は私の宝物だ。祖母が死んでしまってもそれは変わらない。すでに私の人生に刻まれたもの。そして、生きている限り私は未来を描いていかなければならない。私は溢れる涙を拭いながら、天国にいる祖母に向かって"わかったよ"と返事をした。
それから月日は流れ、私は18歳になった。
春からは大学に通う。辛いことも楽しいこともたくさんあった。あの夢は今でも見るが、最近は続きがあるのだ。私が置いていかないでと叫ぶと、ひょっこりと祖母が現れ、
「置いていかないよ、待ってるからもっと生きてからおいで」
と快活な笑みで言ってくる。立ち止まっては過去に戻る私を見て祖母が心配して会いに来てくれているのかもしれない。そんな祖母のためにも頑張らなきゃな。
見ててね、私の未来図はまだまだこれから広がっていくよ。私自身の手で描いていくからね。
風景
今、何が見える?
「───⋯ろ、起きろ!白石和音!」
「ふぁい!」
ガタンと机を鳴らしながら立ち上がる。教室中の目がこちらを向いていた。やっちまったな、こりゃお説教コースだとぼんやり考えながら形だけでもとしょんぼりした顔をしておく。先生は眉間にシワを寄せながら続けた。
「そんなに私の授業は退屈だったかね?居眠りしてしまうくらい」
「え──⋯はい」
「んん?」
「いいえ、いいえ!その、先生の授業に脳の理解が追いつかなかったというか…」
「⋯ほう?ならば、みっちり補習してやろう。放課後、職員室に来なさい」
げっという声が咄嗟に出てしまい、睨まれる。仕方ない、ここは大人しくしておこうとはーいと弱々しく返事をした。
放課後、皆が帰っていくなか私は教室に残り、職員室行きたくないなあと心の中で駄々を捏ねていた。
はぁとため息をつき、机に突っ伏していると背後からわっと声をかけられ、びくっとする。振り向くとそこには伊織がいた。黒川伊織、私の唯一の男友達だ。伊織とは漫画の趣味が合うので一緒に話したり、漫画の貸し借りをしたりしているうちに仲良くなった。⋯正直言うと、私は「友達」よりも、もっと近い距離にいたい。なんて思っていた。ただ、今の関係が壊れて元に戻らなくなることが怖くて、このまま隠し通すつもりでいる。
(だから、急にそんなことしないでよ──!)
不意に現れた伊織に、心臓はどくどく鳴り出し、顔が熱くなるのを感じる。
「驚いた?」
「心臓が飛び出るかと思ったよ⋯(色んな意味で)」
「まだ帰んないの?一緒に帰ろーよ」
「帰りたい〜!でもね、お説教が待ってるの⋯行きたくないからここにいるんだけど笑」
「あ─鈴木先生だっけ?あの先生窓際の席だったよなあ……いいこと教えてやるよ」
伊織はそっと私の耳に近づき、あることを教えてくれた。嬉しいけど、その距離感に私は戸惑っちゃうから気が気でない。
伊織の教えてくれたことにくすっと笑い、なんだか気が楽になった私は職員室に向かうことにした。
「失礼しました」
ぺこっと軽く頭を下げて職員室を出る。案の定、鈴木先生の説教は長く、だいぶ疲れたが、伊織のおまじないのようなあの言葉のおかげでなんとか乗り切った。
荷物を取りに教室に戻ると、伊織がまだ待ってくれていた。
「おかえり」
とこっちを見て笑いかけてくる。その瞬間、なんでだろう、湧き上がる気持ちに蓋が出来なくなってしまった。
「⋯すきだな──」
「え?」
「⋯え?」
思わず本音がこぼれた。ぽかんとした伊織を前に、どう言い訳しようか悩み、しないことに、決めた。
「あのさ、わ、私、伊織のことすき、なんだよね」
「⋯えっと、それは友達として⋯?」
「ううん、恋愛的な意味で」
「うそだろ………」
絶句する伊織を見て、失敗したかもと思った。でも、きっと言うなら今だった。
「いきなりで困惑するよね。気持ち悪かったら全然断っていいから⋯」
「そうじゃなくて!」
え⋯?と俯いていた顔を上げて伊織の方を見る。
「先越されたけど、俺も、その──きだから」
「え?」
「すき、だから。白石のこと。⋯はぁ──俺ダサすぎる」
両手で顔を隠す伊織の耳は赤く染まっていて、なんだかかわいいなと思ってしまった。
「うそ⋯ほんと?」
「ほんとだよ。結構アピールしてたつもりなんだけどな。てか、すきなのは自分だけかと思ってた」
「私も」
ふっと一緒に笑い出す。それから一緒に帰った。今までとは違う距離で、手を繋いで。
私はお礼を言ってなかったと思い出し、隣の伊織を見る。
「ありがとね。鈴木先生のお説教、おかげで乗り切れたよ」
「いいよ。あの窓から見える景色は最高に綺麗だよなあ。まるであの1巻のとこのさ、主人公が決意を固めるシーンみたいって思わなかった?」
「思った!!それにさ、日が落ちてくると5巻の別れのシーンぽくて⋯」
「だよなぁ!」
ひとしきり話したあと、伊織がふっと笑いながら話してきた。
「俺さぁ、最近色んな風景見るのが楽しいんだよ。綺麗な場所とか知って、漫画のシーンぽいとこ探して、白石に伝えるのがすごく楽しい。今までさんざん見てきたはずなのに、新しく感じるんだ。これってすごいよな」
「わかる気がする」
そう言いながら前を向いた。昨日と同じ帰り道なのに、全く違う。
今、私には輝きに満ちた景色が見えている。
遠い約束
「はぁ───」
椅子にもたれ掛かりながら月子は大きくため息をついた。時刻は深夜1時をまわろうとしている。課題は既に終わっているし、明日の準備もすませた。しかし、不安が消えず月子はぼんやりと考える。
(明日のテストこそ、良い点をとるのよ。いつまでも琳香に甘えてる訳にはいかない。自分の力で、やりきるのよ!───そう思っていたのに…悪い点を取ってしまったらどうしよう。やっぱり、わたしにはできないのかも…)
じわりと涙がにじむ。成績は下の下であった月子がなぜ今回のテストにやる気を出していたか、それは2週間前に遡る。
2週間前─
「やっぱ頭の悪い女はいやだよな〜。品ってものがないと!お前もそう思うだろ?」
ふと聞こえてきた会話に月子は無意識に耳を傾けた。クラスの男子たちだ。話しかけられた方にいたのは、月子に何かと突っかかってくる幼なじみの景山翔だった。
(ふん。女だって頭の悪い男は嫌に決まってるでしょう。品ですって?あなたたちに無いものをよく相手に求める気になるわね。)
月子は勝手に女子を品定めする無礼な男子たちに心の中で悪態づいていたが、翔がなんと答えるのか気になり、そっと影に隠れた。
「んー、女子も頭が悪くて品のない男は嫌だろうし、女は、っていうよりどっちに限った話じゃないんじゃない?」
自分と同じように考えていたことがわかり、翔に対して(やるじゃない。)
という気持ちがでていたとき、続けて言った翔の言葉に月子は前言を撤回した。
「まあ、頭の良い女性は魅力的だよね」
(やっぱり他の男子と一緒じゃない!)
それは月子にとっては、成績の悪い女、つまり自分には魅力がないと言われているのと同じだった。不意に胸がつきんと傷んだ気がした。
(なによ、あいつの言うことなんて今更気にすることないわ)
そう思うが、感情は迷子になり、考えているうちになんだかいらいらとしてきた。
(ふん、別に今の話とは無関係だけれど!今回のテストは良い点数をとってあいつに自慢してやる!そうすれば…そうすれば?)
続く言葉は自分でもなんだかよくわからなかった。魅力があると証明したとして、自分はあいつにどうして欲しいのだろうか?だが、あいつの目に自分が映らなくなるのはなんだか嫌だという強い気持ちがあった。もやもやした気持ちは押し込み、とりあえずテストをがんばることにした。親友の琳香に範囲を教えてもらい、手助けを申し出る琳香の提案を断り、自分の力でやろうと決めた。琳香は少し寂しそうな、拗ねた顔をしたが最終的には応援してくれた。慣れない勉強に心が折れそうになることも多かったが、翔の顔を思い浮かべ、なんとか踏ん張ってやってきた。
しかし───
現在、月子は今までにないほどテストに不安を抱いている。あの日自分に誓った、良い点をとるという約束はいつのまにか自分を縛る呪いのようになっていた。どうしよう、と不安で眠れなくなるほどに。その時、スマホの通知に気づいた。4時間も前に送られていたようだ。
「翔だ…」
メッセージアプリを開くと、たった一言
「無理してない?」
その瞬間、自分を気にかけてくれていた存在をないがしろにしていたことに気づいた。自分の力でやりきることは、1人になることではない。自分の力で目標を達成すること、まわりとの時間を大切にすること、どちらも自分には必要なことであった。
「…別に、今じゃなくても良かったことよね。1人で思い詰めるなんて」
ありがとうとぶすっとした顔で伝える猫のスタンプを送り返し、そのまま眠りについた。
朝、会うなり駆け寄ってきた翔は月子に詰め寄った。
「ちょっと!スタンプ送ってきたの、深夜じゃないか!」
さすがに非常識だったと反省した月子が謝罪しようと口を開けたとき、
「それまで勉強してるなんて!すごいけど、無理しすぎだってば!心配かけさせないでよ」
続く言葉に月子は何も言えなくなってしまった。
心配したという言葉が月子には何よりも温かく心にしみたからである。そして、同時に気づいてしまった。
(わ、わたしって……男の趣味も悪いのね)
「ちょっと、黙り込むなんてどうしたの?らしくないよ。いつもならぶちギレてる頃でしょ」
ほらほら、と目の前で手をひらひらさせる翔。神経を逆撫ですることにおいてこの男の右に出る者はいないのではないだろうか。
(この男は……!!)
2人が永遠の約束をするのは、まだ遠い先の話。