私は、セーターが嫌いだった。
あのチクチクとした肌触りが、特に。
それなのに母は、決まってクリスマスの時期になると、カラフルなセーターを私にプレゼントしてきた。
最初のころは、「ありがとう!」なんて言って母親の機嫌をとっていたが、思春期にもなってくると、嫌いなものを自分の感情で押しつけてくるようで苛立ちを隠せなくなってきた。
そしてついに、16才のクリスマスで、母親に怒り散らかしてしまう。母は、
「もうそんな時期になったのね…」
なんて苦笑いしながらこちらを見る。
その様子に余計腹が立って、家を飛び出した。
街は10年ぶりのホワイトクリスマスだということで、人も多かったが、それでもモノクロの景色が淋しく感じた。私だけだろう。
何でクリスマスに喧嘩だなんて。葛藤。
走り続け、近くのショッピングモールまでやって来た。すると、ふと汗だくの体が嫌な肌触りを思い出した。チクチク。
そして、コートのボタンを外し、中を見ると、去年のセーターが出て来た。そのカラフルなセーターは、ベツレヘムの星のようにモノクロの世界に色を与えた。
その瞬間、私は母に抱きしめられている感覚で、涙ぐんでくる。私はすぐ家へ帰った。
その後はたやすいことだった。家に帰り、謝って、セーターの編み方を暖炉の前で教わった。私もまた、子供が出来たらセーターをあげようと思って。
雪は、既にやんでいた。
夢の中で彼は、旅に出る夢を見たんだって。
思わず僕は、あいつを引き留めた。
朝の木漏れ日に紛れて、彼は歩き出す。
大学のキャンパスの銀杏並木は、既に落葉しようとしていた。冬の準備だろうか。
人をかき分けかき分け、あいつの名を呼ぶ。木枯らしに消えて、聞こえないらしい。
それでも追いかける。心配だから。
今日はそういえばオープンキャンパスだったか、学ラン姿の高校生やら、妙に着飾った教育ママさんやらを見ながら、呼び続ける。そして、あいつが横断歩道にさしかかったとき、声が届いたのか、こちらを振り返った。だからなのだ。その夢は、正夢になる。
そんな自分の、自責心に、後悔の念に、
落ちていく、おちていく。
私は横浜にある、地元では有名な銀行の頭取の娘だ。銀行の規模はそこまで大きくないが、近隣で1番早くできたとあって、栄えている。
その後、18才のときに、東京の大手通信会社の御曹司に嫁ぐことになった。
最初は顔もそこそこよく、背の高い彼に好意を抱いていたが、次第に負の面に気付いてきた。
仕事から帰ってくれば、仕事の愚痴を聞かされ、イライラしていると殴られすらした。モラルは全くなく、時代遅れの亭主関白といったところだ。
秋口にさしかかる頃には夫が家を出てから、いつ帰って来るのかと恐ろしい気持ちであった。
さらに、姑は未来の社長夫人らしくしろと口酸っぱく言ってきた。私の作った料理に品がないだの何だの言って、貶してくる。これで私は、得意な料理が嫌いになった。
さらに冬になると、追い討ちをかけるように地元の父が病気との知らせがきた。退路を断たれた気分だった。
私は我慢の限界だった。一人シェルターへ逃げ込もうと寒い雪景色の中を走っている。
夫婦のしがらみから、会社のしがらみから、離れる時が来た。
「どうすればいいの?」
それが彼女の口癖だった。口元に人差し指を当て、こちらを見てくる。
最初のころはそんな様子にあざとさを感じつつも、可愛いと思って、付き合っていた。ただ、月日が流れるにつれ、いろんなことに対して私の意見を求める彼女に辟易してきた。
フードコートのメニューにも、洋服選びでも、家具の取扱説明書でも。
段々この人はもう人に頼らないと生きていけない人なのだなと、忌避するようになっていった。
そうなってしまえば関係は冷え切っていくもので、ついに喫茶店で別れ話になった。
泣きながら私のことを見つめる彼女。そして、
「どうすればいいの?」とつぶやいた。
その時私は、「そういうところだ。自立した精神を持たない人は僕は嫌いだ!」と怒ってしまい、店を出てしまった。
海風に当たりながら、浜辺を歩く。ここも彼女と歩いたな、なんて冷静に思い返した。
すると、思い出が芋づる式に蘇ってきて、いろんな「どうすればいいの?」が出て来る。その時私は気付いたのだ。彼女が私に選択を委ねるのは、それだけ私のことを信頼してくれていた証だと。
そして、ふと、海を見て、彼女へこう問いかけたくなった。
ねぇ、今から、どうすればいいの?
マネージャーに、「今度のバラエティ番組で、宝物の紹介コーナーがあるらしいので、用意しておいてもらえますか?」と言われた。
「ああ、」とから返事をして、その後は親父から貰った壺を持っていった。収録では、周りから「凄いですねぇ」なんて言われて、その場しのぎのでっち上げエピソードを喋った。
本当の宝物なんて、見せられるわけがない。
宝は隠されてこその宝だろ。
そう思って家に帰り、おもむろに机の隣の引き出しを開ける。中にあるのは、なんてことないただの根付け、小さな鈴のついた地味な根付けだ。
こんなもの見せたって、スタジオの奴らは苦笑いで精一杯だろう。哀しいかな。
ただ、俺の手元で、あいつのことを思い出させながら光ってくれればよいのだから。