またね
昼下がりの午後、騒がしい大通りの建物の一角に小さなレストランが構えている店主は悩みを抱えている。
その悩みの元となる外のテラス席をじっと睨みつけてため息をついた。
そこには一人の少女が座っていた。見えづらい端の席ではなくわざわざカウンターが見えるアーチ窓のど真ん中に少女は時折店内をチラチラと見ながら本をテーブルに置いて読んでいる。遠くからでも見て分かるが、ネズミ色のワンピースを着ているが裾や袖口がぼろぼろだ。
なんの用かはしらないが、あんな風貌で店前に居座られたら人に避けられてしまう。こっちはジリ貧の商売なのでまたったもんじゃない。中にいる客は少女に気が付くと店長を一瞥してヒソヒソと話している。
「おい、アイツから注文聞いてこい」
「あっ、らーしゃっす」
青男の生返事にいらっとした店主は注文票を頭に叩き付けてドアに顎で指す。
いたがる素振りを見せながら青年は渋々出口の方に向かい、ドアを開けると、テラスを覗き込んだ時には既に少女はいなくなっていた。
「いないっす!」
「見てたわ馬鹿!もっと早く動かんか!!」
店主からは少女はドアに手を掛けた瞬間テラスの柵を乗り越えて走り去って行ってしまったらしい。これが毎日続いているのだ。
「なんすかね」
「いーや、知らん」
「なんか恨みとか買ってるんすか。ありそうでっ─」
いい終える前に会計帳簿で青年は叩かれる。今度のものは分厚いのでよく効いたようだ。長い鼻息を立てて店主はすぐ後ろにある流しからコップを取ってシンクの蛇口から水を注ぐ。
「あんなのは下手に首を突っ込まねえ方が良い」
背中で語るように薄暗くなる。青年は窓の方を見てあの少女の席を見つめた。
その後日が暮れる頃まで相変わらず店主にどやされながら店から出た生ゴミを路地裏に捨てようと出ると、ゴミ箱の横で何かが動いているのに気が付き、慌てて店主を呼びに戻って行った。
札を数えている途中の店主の背中ををぐいぐいと押しながら、なんだと騒ぐ店主をいいからと裏の勝手口まで連れて行き半ば強引に外に追いやる。
「ねずみごときで俺をここまで連れてくるな!」
「あれ!あれすよ!」
ゴミ箱の横を指さすと、店主は持っていた札を手放して駆け寄る。
そこにいたのは昼間の少女だった。顔に生気がなくぐったりとしている。
「噛まれてる」
紫色になった手首を見ると、痛々しい歯型が付いている。
細長い形だ。だがこれは──店主は口を手で覆う。
かつてこの世界には哺乳類がいたそうだが、それは太古の話で今は絶滅している。代わりに出現したのは亜人というヒト族とは別の異なる容姿を持つ存在だ。
彼らの大半は動物を祖先とした者が多く、鼻先から顎が前に長かったり、鼻が長く発達している種族もいる。
そしてそのなごりなのか衝動的な者も多く、彼らのテリトリーである"森"という街では血の争いが絶えないと聞く。
ともあれここに動物などいないのだから亜人に襲われた可能性が高い。
「とにかく⋯手当しよう。お前、お湯を沸かせ」
「らっす!」
少女を抱えた店主はすぐに店に引き返してテーブルに横たわらせる。厨房の棚から救急箱を引っ張り出して彼女の元へ戻る頃には手首から指先まで紫から黒色へ変わっていた。少女は息が浅く、うめき声を上げている。
「もう壊死してる⋯こうなったら切り落とすしかないっすね」
店主ぎょっとして青年を見る。なんで冷静に見てられるのか。
「おっお前⋯状態分かるのか。切り落とすって⋯毒かなんかなのか!?」
「あ、いや⋯分かんないっすけど⋯。まあ似たようなの見たことあるんで⋯」
急に首を押さえながらごにょごにょと言い出すが、もう片方の手にいつの間にか骨切包丁と肉などを縛る綿糸を携えている。
「もう危ないんで覚悟決めましょう。止血はするんでお願いします」
包丁の柄を向けられ、店主は震える。人工肉は切るが人なんて一生ないと思っていたからだ。それも子供の腕など。
「吐くなら後にしてくださいよ〜」
「わかった⋯わかったから」
少女の腕を店主の方に広げて抑える。意を決した店主は腕を振りかざして──
「あのあと⋯。犯人⋯いた」
突然女が店の勝手口から顔を出して報告してきた。
あの処置の後、少女は直ちに救急搬送された。
店主は付き添いで行ってしまった為、残された青年は一人でカウンター席に腰を掛けて休憩していたら、彼女がやってきた。
「なんで隠れてんの⋯」
「私服⋯あとお金⋯」
どうやら見られるのが恥ずかしいらしい。取りに行こうと椅子から腰を上げる前にさーっとお金を床にばら撒く彼女に感謝と憤りを感じながら冷静に犯人を聞くと、彼女は真剣な顔で金色の目を此方に見る。
「犯人⋯覚醒回帰してた」
「野生化ってこと?」
「もっと質悪い⋯。だめ。詳しくは言えない」
女はそう言って顔を引っ込めてドアを閉める。私服を見てやろうと急いであとを追いかけると、女は既にいなくなっていた。
翌朝、店主が帰って来ると、青年の姿はなかった。次の日も店主は待てども彼は店に顔を出すことはなかった。
「どこいっちまったんだ」
なあ?と声を掛けると、少女がカウンターの下からひょっこりと顔を出す。
「わかんない」
でもね、と少女は付け足す。
「さっきあったの。『またね』っていってた」
永遠の花束
ここに一本の道があるが、誰も通らない。
大都市を結んでいるその先は、木が朽ち果てている怪しげな林間があり、そこを抜けていくとかつて人々が暮らしていたと思われる古い町と繋がっている。
人々がにぎわっていたであろう町並みは、今や浮浪者やごろつきの溜まり場になっており、常に気味の悪い視線を感じる。
それにこの地に心臓を好む魔女が住んでいると噂されており、恐ろしくて誰も近づかないのだ。
そしてこの通りの突き当たりにある4階建ての集合住宅の元に看板もない奇妙な店が開いている。一見、青みがかった薄緑色の柱を基調にした普通の雑貨屋に見えるが、近くへ通るだで中で大量な獣が死んでいるのではないかという程の異臭が襲ってくるのだ。
たが不思議なことに、匂い立つ悪臭をよそに普通の身なりをした老夫婦や廃墟に似つかわしくないような子供が扉を開けて入っていくのが奇妙だと、真相を確かめようとしたゴロツキが入ってすぐに出てきたと思えば、見たこともない顔で真っ当に生きると言い出し町を出ていったと気味の悪い話が拍車をかけているのだからこの店を構える人物こそ魔女ではないかと囁かれている。
そのオーナーらしき人物はしかめっ面にしてテレビと、数字が羅列されている紙を交互に見て唸っている。
「仕組んでるだろこれ絶対!」
負けた!と大声で喚きながら紙をくしゃくしゃに丸めた上でカウンターの机に掌で叩き潰す。痛いのは手だけで気分もすっきりしないことに更に腹を立てて指を鳴らすとたちまち紙が燃えていく。
「もう馬券なんて買わなきゃいいじゃないすか」
「もー60年もやってんの!そろそろ還元して貰わなきゃこまるでしょーが!」
床をデッキブラシで掃きながら一連の光景を見ていた茶髪の青年が、呆れたように話しかけてくるのでキビキビ働けと指して抗議する。
この青年は先日カネがなくなったと言い出して勝手に店の手伝いをしている為、容赦しないのだ。
「その、花どーしたんすか?」
青年は命令を無視して、カウンターに置いてある花束に質問を投げかける。
「ああ、これ?物好きが何かことある事にもってきてんの。かわいいだろう?都会の花だ」
「どう考えても花束にするやつじゃないでしょ」
「そうなのよねー。去年あたりからます貰っていたけどすぐ枯れちゃうから時間凍らせてあるんだ」
とんでもない返答にぐっとカエルのように喉が鳴る。
上の階の住人が施してくれたらしい。茎の長い花をうまいことラッピングして飾っているが花弁が細やかであるため華やかとは言いづらいが⋯。
「凄いを通り越して気持ち悪いっすね」
青年は、思わずでてしまった感想にすぐ口を両手で塞ぐが、ゆっくりと向いた彼の形相をみて後悔することになる。
やさしくしないで
強い衝撃と同時に身体の内部で骨が折れる嫌な音が響く。無重力からすぐに地面に叩きつけられ、肺の空気が全て押し出され、朦朧とした意識のまま、眼球だけを必死に動かす。
車から出てきた男達のうちの一人が中腰になって、肩を叩いてこちらの反応を伺う。
「ちっ、しけてやがる」
抵抗しないと確認したら身体から何かを漁り、ポケットに入っていた自分の黒い財布を開き、目の前で札を抜き取っていく。
給料日に引き落とした金を奪っておいてしけた、と言われ心中に煮え滾るような怒りと悲しみが湧いたが、次の瞬間には男は視界から消え去り、怒号や焦りの声の中、覚えてろと言い残しながら車が急発射して去っていく。
それを視線の端で傍観してると、今度は土埃を顔に浴びせながら立ち止まった汚い革靴の上から男の声が降る。
「おい大丈夫か」
「大丈夫に見えますか。これ⋯」
「ああ」
さっきの事が何も無かったように起き上がり、血だらけになった服ではなく顔にかかった埃だけを払い、居座り直しながら男の返答に不満そうに半目で睨見つける。
「金は、取り返せなかった。すまん」
助けてもらった上に金のことを申し訳なさそうに謝る男に、口を真っ直ぐにして閉口する。
「いや、こちらこそ──有難うございます、」
「んん。そうか。ならこれは貸しだ。お前はちゃんと護身術くらい身に付けとけよ」
あまりにもな態度にあっけらかんとしていると、肩を叩かれまあよかったと言い、男はそのまま夜の街へ去っていった。
バイバイ
携帯から応援を呼ばれた一台の車が大通りから街の狭い路地を曲がり突っ切っていく。
喧騒から少し離れた薄暗い空き地にへ着くと、待っていた若い警察官の前で乱暴に急停車し、険しい顔をした無精髭の男が降りてきて辺りを見回す。
「で、仏さんはどこだ」
「ここです!」
聞くやいなやすぐに行動に移る若い警察官の後へ付いていくと、空き地の隅の、住宅の間の狭い隙間に一つの大きなごみ袋が隠されているように挟まっている。異様な腐臭が漂っており、二人は鼻をしかめる。話を聞くと近隣の住人が通報したらしい。
「卯族⋯」
袋を開けて、確認すると卯族と呼ばれるウサギに似た亜人の遺体があった。
至る所に無惨に乱暴された形跡があり、首と足に痛ましい鎖の跡がある。
「他には?」
「子供を一人保護しています」
案内してくれ、と首を軽く振って促す。外傷はないが、親と一緒に袋の中に入っていたらしい。
空き地から離れた所で別の警官が毛布を被せて小さな背中を擦っていた。卯族の子供はぼやけた様子でこちらを見ている。
「被害者、子供共に名前も住民IDもないそうです」
「野原生主義の出か」
男は頭を抱える。
一部の亜人の思想として、原生に回帰すべき、と現代文明と離れた生活をしている亜人達がいる。亜人の街のさらに奥深くの創始者が買い取った森の区域で、衣服も言葉も持たず穴ぐらに住み、他種族と不干渉を交わし、ひっそりと暮らしているらしい。
過激思想とは程遠いが、その反面、世代が渡る事に知性が下がるので内部の悪意に気付きにくいのだ。
特に卯族や子族は寿命が短い為に世代交代が早い。人口も多い彼らの種は親や親が知らぬ間に子を攫い、他の長命種の人身売買の道具にされたり悪魔的な儀式の生贄にされてしまうと黒い噂がもっぱらだ。IDも持たず、原理主義の亜人種が非協力的な事もあって事件の足取りも難しい。
今回は前者だが、捜査しようとも創始者の権力が強く根深い為、この手の事件はすぐに沈下してしまう。亜人の長も手を焼いている。早い話、この手の事件はお手上げ状態なのだ。
「亜人課に連絡するか⋯」
重たい空気のまま顎髭を擦って携帯を取り出す。懸念はあれど、引き渡しても悪い事にはならないだろう。
「あの!」
子供を擦っていた若い警官が声を上げる。卯族の子供も驚いて三人で注目すると、すくっと立ち上がって主張を続ける。
「この子、見なかったことに出来ませんか!」
その言葉に驚いて、もう一人の警官と目を合わせる。男は一度咳払いをして尋ねてみる。
「話の意図が見えないが⋯」
「この子、引き渡したら戻されてしまうんでしょう?そんなの、酷すぎます。だったら、私が引き取ります!」
力強く話す警官⋯彼女は胸をにドンと手を当てて男に食らいつくように詰め寄る。待ったと両手で彼女をガードして宥めるが、鼻息が荒い。
「まて、事はそんな簡単な話じゃない、申請と身請けは出来ても絶対に出自は突っ込まれるぞ。もし、この事件に関与してると分かったら⋯」
「絶対に出来ない⋯とは言わないんですね、先輩。『あそこ』に住んでるでしょう?彼らとコンタクトを取ってください。あとは私がすべて説明しますから」
話を遮って目を輝かせてくる彼女にうっと言葉を詰まらせる。もう1人の警官に目を合わせると、さっと目を逸らした。何故無線ではなく携帯から?という答えがはっきりした。
彼らはこのことが分かって男に応援を呼んでいたのだ。
『あそこ』というのは詳しくは言えないが⋯一体どこから漏れたのか。
男は胃が痛くなる感じがして、鳩尾を探りながら確認する。
「分かった⋯俺が掛け合ってみよう。だが、この事は絶対に内密にしてくれ。あと、お前が言っているその話は忘れろ」
彼女の目つきが変わる。安堵したような、警戒するような表情だ。
了解しました。と小さく言い、後ろに下がると帽子を深く被る。
「先輩がどういう目的と経緯でその組織と関わっているかは知りません。ですが──本官は市民の生活の安全を守ることが本分です」
彼女は振り返ってそのまま子供を抱きかかえると、ではお願いしますとだけ言い残して2人は行ってしまう。
去る時に抱えられた子供は肩越しにこちらを見つめながら路地を曲がるまで手を振り続けていた。
控えめに手を振り返しながら、いなくなった所で肩を大きく落とす。案の定労っていた甲斐もなく胃がきりきりと痛みだした。
「さて、俺が取るべき行動は⋯」
──後日、あの警察官から子供のIDと養子縁組が無事に取れたと感謝のメールが届いた。
役所にはトントン拍子で進み何も言われなかったし、あの事件は最初からなかった事を咎めるような内容もあったが、一段落はついたようだ。これを機についでに結婚もした報告もあるが⋯想像はつくのであえて聞かず、祝辞だけ送って携帯を閉じた。
命が燃え尽きるまで
あの子の未来を守る為に誓った日から、いつもこの日が来ないでくれと願っていた。
否、命運を覆してしまったのだから、これまでの日々が有り余る幸福の連続だったのだと、初めて神というものに感謝をした。
私のちっぽけな命はもう次に托されている。そして残りの僅かな時間は好きに使えと言われたから。本当の本当に私だけのもの。
全身の血が沸騰するかのように駆け巡り、私が憎んでいたはずの感情の全てを化け物に向ける。この感覚を久しく忘れていたが、でもこれが本来の私なのだと肯定すると、胸の重みがストンと落ちて軽くなった。あの辛い日々も結局は私が望んでいたものだったのだ。
「私の子は絶対に貴方に勝つわ!」
そう言い放つと、化け物は目を丸くした。
全てにおいて超越している。だが、孤独だ。強者故の救いもない無味透明の渇きをよく知っている。一部でも分けてあげたいというわがままを、あの化け物は意図せず少しだけ飲みこんだのだから私は大げさに笑ってやった。そして安心して確信したんだ。私の出来なかったことを、あの子はきっと越えられるだろうと。