バイバイ
携帯から応援を呼ばれた一台の車が大通りから街の狭い路地を曲がり突っ切っていく。
喧騒から少し離れた薄暗い空き地にへ着くと、待っていた若い警察官の前で乱暴に急停車し、険しい顔をした無精髭の男が降りてきて辺りを見回す。
「で、仏さんはどこだ」
「ここです!」
聞くやいなやすぐに行動に移る若い警察官の後へ付いていくと、空き地の隅の、住宅の間の狭い隙間に一つの大きなごみ袋が隠されているように挟まっている。異様な腐臭が漂っており、二人は鼻をしかめる。話を聞くと近隣の住人が通報したらしい。
「卯族⋯」
袋を開けて、確認すると卯族と呼ばれるウサギに似た亜人の遺体があった。
至る所に無惨に乱暴された形跡があり、首と足に痛ましい鎖の跡がある。
「他には?」
「子供を一人保護しています」
案内してくれ、と首を軽く振って促す。外傷はないが、親と一緒に袋の中に入っていたらしい。
空き地から離れた所で別の警官が毛布を被せて小さな背中を擦っていた。卯族の子供はぼやけた様子でこちらを見ている。
「被害者、子供共に名前も住民IDもないそうです」
「野原生主義の出か」
男は頭を抱える。
一部の亜人の思想として、原生に回帰すべき、と現代文明と離れた生活をしている亜人達がいる。亜人の街のさらに奥深くの創始者が買い取った森の区域で、衣服も言葉も持たず穴ぐらに住み、他種族と不干渉を交わし、ひっそりと暮らしているらしい。
過激思想とは程遠いが、その反面、世代が渡る事に知性が下がるので内部の悪意に気付きにくいのだ。
特に卯族や子族は寿命が短い為に世代交代が早い。人口も多い彼らの種は親や親が知らぬ間に子を攫い、他の長命種の人身売買の道具にされたり悪魔的な儀式の生贄にされてしまうと黒い噂がもっぱらだ。IDも持たず、原理主義の亜人種が非協力的な事もあって事件の足取りも難しい。
今回は前者だが、捜査しようとも創始者の権力が強く根深い為、この手の事件はすぐに沈下してしまう。亜人の長も手を焼いている。早い話、この手の事件はお手上げ状態なのだ。
「亜人課に連絡するか⋯」
重たい空気のまま顎髭を擦って携帯を取り出す。懸念はあれど、引き渡しても悪い事にはならないだろう。
「あの!」
子供を擦っていた若い警官が声を上げる。卯族の子供も驚いて三人で注目すると、すくっと立ち上がって主張を続ける。
「この子、見なかったことに出来ませんか!」
その言葉に驚いて、もう一人の警官と目を合わせる。男は一度咳払いをして尋ねてみる。
「話の意図が見えないが⋯」
「この子、引き渡したら戻されてしまうんでしょう?そんなの、酷すぎます。だったら、私が引き取ります!」
力強く話す警官⋯彼女は胸をにドンと手を当てて男に食らいつくように詰め寄る。待ったと両手で彼女をガードして宥めるが、鼻息が荒い。
「まて、事はそんな簡単な話じゃない、申請と身請けは出来ても絶対に出自は突っ込まれるぞ。もし、この事件に関与してると分かったら⋯」
「絶対に出来ない⋯とは言わないんですね、先輩。『あそこ』に住んでるでしょう?彼らとコンタクトを取ってください。あとは私がすべて説明しますから」
話を遮って目を輝かせてくる彼女にうっと言葉を詰まらせる。もう1人の警官に目を合わせると、さっと目を逸らした。何故無線ではなく携帯から?という答えがはっきりした。
彼らはこのことが分かって男に応援を呼んでいたのだ。
『あそこ』というのは詳しくは言えないが⋯一体どこから漏れたのか。
男は胃が痛くなる感じがして、鳩尾を探りながら確認する。
「分かった⋯俺が掛け合ってみよう。だが、この事は絶対に内密にしてくれ。あと、お前が言っているその話は忘れろ」
彼女の目つきが変わる。安堵したような、警戒するような表情だ。
了解しました。と小さく言い、後ろに下がると帽子を深く被る。
「先輩がどういう目的と経緯でその組織と関わっているかは知りません。ですが──本官は市民の生活の安全を守ることが本分です」
彼女は振り返ってそのまま子供を抱きかかえると、ではお願いしますとだけ言い残して2人は行ってしまう。
去る時に抱えられた子供は肩越しにこちらを見つめながら路地を曲がるまで手を振り続けていた。
控えめに手を振り返しながら、いなくなった所で肩を大きく落とす。案の定労っていた甲斐もなく胃がきりきりと痛みだした。
「さて、俺が取るべき行動は⋯」
──後日、あの警察官から子供のIDと養子縁組が無事に取れたと感謝のメールが届いた。
役所にはトントン拍子で進み何も言われなかったし、あの事件は最初からなかった事を咎めるような内容もあったが、一段落はついたようだ。これを機についでに結婚もした報告もあるが⋯想像はつくのであえて聞かず、祝辞だけ送って携帯を閉じた。
2/2/2025, 6:58:42 AM