【誰にも言えない秘密】
私には、クラスメイトの誰にも言えない秘密があります。みんなを騙すのは心苦しいですが、神様との約束ですから、しかたありません。私の本来の仕事を休んで中学校へ通わせてもらうかわりに、「誰にも君の正体をバラしちゃいけないよ」と神様からかたく言いつけられているのです。私の正体がバレると、街に大混乱が起きてしまうから、だそうです。
「おはよーコンちゃん!」
神社から学校までの通学路を二本足で歩いていると、私を見つけたお友達が背後から抱きついてくれました。
「コンちゃん、今日も尻尾……ううん、後ろ姿が可愛いね!」
あけみちゃんは学校でいちばん仲良しなお友達です。可愛いものが大好きな、ごくごく普通の人間の女の子です。こんなふうに人間の子とお友達になって、きゃっきゃと会話しながら一緒に登校できるなんて、思ってもみないことでした。ああ、勇気を出して神様にお願いしてよかった! 憧れの学校に通えて、コンはいま、とても満足しています。
教室に入ると、クラスメイトのみんなが温かく迎えてくれます。
「尾崎さん、おはよう。今日もモフ……ううん、なんでもない。湿気が多いから髪が広がりやすくて大変だよね」
「コンちゃん、ちょっと抱きついてもいい?」
「俺も俺も!」
「男子はだめ!」
こんなふうに、みんなが私を囲んでわいわい笑顔になってくれるので、私も嬉しくなります。
そんなとき、後ろの席の神田くんは、もの言いたげな目で私を見つめています。彼はすごく無口な子で、席が近いのにほとんど喋ったことがありません。でも、しょっちゅう目が合います。もしかして、私のことが好きなのでしょうか? クールなイケメン神田くんとの恋の予感……なんて、そんな青春、私にはまだ早いですね! まずは人間の子たちとの暮らしに馴染まないと!
学校では先生たちも優しくて、授業でうっかりミスをしても、「人間はこうなのよ」と、丁寧に教えてくれます。人間生活にまだ慣れていない私には、とても頼もしい存在です。なかでも、担任の飯坂先生は面倒見がよくて、クラスメイトからも大人気。体育の先生でもあるので、体格ががっしりしていて、神様のほっそりした体つきとは正反対です。人間の大人ってこんなに大きくなれるんだなって、驚きの目で見上げちゃいます。先生のジャージ、いまにもはちきれそうです。
「尾崎ー! かけっこは二足だぞ!」
そうでした、いくら四つ足のほうが早いからって、狐みたいに駆けちゃいけません。私はいま、人間なのですから。
飯坂先生の体育が終わると、お昼ご飯の時間。お腹はちょうどよくぺこぺこです。この中学校はシリツだから、憧れの給食ではなく、お弁当です。最初はちょっと残念に思っていましたが、神様が毎朝持たせてくださるお弁当がおいしいので、いまではすっかり楽しみな時間になっています。
「コンちゃん、油揚げあげるー。あたし苦手だからさー」
あけみちゃんが私のお弁当箱に、ひょいと油揚げを入れてくれました。最近、あけみちゃんのお弁当には、油揚げが入っていることが多いのです。ご家族はきっと、あけみちゃんが油揚げ苦手なことを知らないんですね。私は大好物なので、両手を合わせて、ありがたくいただきます。
でも私、油揚げ大好きなこと、まだ誰にも言ってなかった気がします。なのに、どうしてあけみちゃんに知られてるんでしょう。ひょっとして、食べるときの顔でバレちゃったのでしょうか。いけませんね、もっと気を引き締めないと。うっかり正体までバレかねません。
神様、優しいクラスメイトと先生がたに囲まれて、私は毎日幸せです。学校に通わせてくださり、ありがとうございます。この素敵な日々を守るため、卒業まで頑張って正体を隠し通しますね!
※ ※ ※
僕の前の席の尾崎コンは、どう見ても狐っ娘だ。しかし、本人(本狐)は、どうやら人間に化けているつもりらしい。それなら、できれば耳と尻尾はうまく隠してほしい。授業中、ふさふさの尻尾が揺れたり、耳がひょこひょこ動いたりするのが気になってしかたがない。
入学式の日は、彼女を中心にクラスがざわついていた。クラスメイトたちがおそるおそる「尾崎さんて……狐だよね?」と尋ねたとき、彼女は「え、違うよ、人間だよ、ちょっと目つきがきついだけだよ、やだなぁ、あはは」と焦りながらも必死に誤魔化していた。それを見たクラスメイトたちの顔には、ああ、この子は人間のつもりなんだな、という温かな笑みが浮かんだ。以降、正体バレバレなこと本人には内緒にしておこうね、という暗黙の了解が生まれた。中学校初日にして、クラスが一致団結した瞬間だった。
まあ、尾崎コンが神社住まいの神使の狐だからといって、このクラスじゃ、たいしたことではない。コンといちばん仲がいい九堂あけみさんはルーマニア出身の吸血鬼だし、コンの隣の席の二階堂大地くんは悪魔と人間のハーフだ。ついでに言うと学級委員長は魔法少女で、担任の飯坂先生は異世界に召喚されて勇者やってた過去がある。他にも、隠れヒーローやってる子とか、性別偽ってる子とか、異星人とか。このクラスには、秘密を抱えている者たちが多すぎる。
だからこそ、僕もこのクラスを選んだ。コンと僕が紛れ込むには、うってつけだったから。
僕の正体がコンの奉公先の神様で、神様だからクラスメイト全員の秘密をお見通しだなんて、誰にも言えない。もちろん、コンにだって僕の正体は秘密。コンが楽しんでいる学校生活を、ぶち壊したくはないからね。コンの変身がガバガバすぎて初日から正体バレバレなのは誤算だったけど、クラスメイトはみんな、コンへの注目を利用して、自分の正体を上手に隠している。コンという隠れ蓑でクラスがうまくいっているなら、それでいい。僕は神様らしく、後ろでそっと見守ってるよ。だからコン、せめてモフモフの尻尾は隠してくれ。
【失恋】
※今回は2本書きました。苦みの強い失恋のお話と、その口直し用の、ちょっぴり可愛い失恋のお話です
(1)
また失恋した。
教室に駆け戻るなりそう言って泣く夏美を慰めるのは、親友である私の役目。
夏美は小学生のころから恋多き女の子だった。小五のとき、顔のいい男子に告白し、恋とかよくわからないから、と振られていた。小六で告白したサッカー部の男子には、ほかに好きな子がいるから、と振られていた。中二の告白で、初めての彼氏ができたけど、すれ違いが続いて半年で別れた。高一でイケメンの先輩に告白して交際に漕ぎつけたけど、二股かけられてたみたいで、一ヶ月で別れた。そして高二の今、また新しい恋の相手を見つけ、勢いこんで告白しに行ったけれど、だめだったみたい。
「なっちゃん、次があるよ。男子なんてそこらにありふれてるんだから」
「金子くんは一人しかいないのに、そんな簡単に言わないでよ! 千穂は失恋なんてしたことないくせに!」
夏美はそう言ってまた泣く。
毎回ほぼ同じようなやり取り。悲痛な夏美の叫びを聞くたびに、私の胸はずくんと痛む。
たしかに私は告白したことがないから、振られたこともない。もちろん、交際の経験もない。だから知らない。勇気を振り絞った告白が断られる、という苦しみを。恋人として育みつつあった関係を失わねばならない、という悲しみを。
夏美がこれまでに抱えてきた絶望を、私はなにも知らない。そのせいで、軽率な慰めの言葉しか出てこない。
でも、私、本当は、失恋したことがある。夏美が知らないだけで。
もともと叶わぬ恋だと知っていたから、胸の底に押し殺して告白しなかっただけ。私の失恋はそうしてゆっくりと育まれていったものだから、痛みはすっかり鈍ってしまった。今となっては、心地いいぐらい。夏美が感じているような、鮮烈な痛みを味わうことは、もうできないんだろう。
「どうしてあたしの好きな人はみんなあたしのこと好きになってくれないんだろ。呪われてるとしか思えない」
「呪われてなんかないよ、今度はきっと、夏美のことを好きな人に出会えるよ」
――私みたいな。
喉まで出かかった言葉を呑み込んで、泣く夏美を抱き締める。
夏美、私はずっと、あなたに失恋し続けている。
あなたが恋をするたびに、私は恋を失っている。
……ううん、違う、失くしてなんかない。この恋心は失くすつもりはない。ずっと胸の底に秘め続ける。その証しとなる鈍い痛みと一緒に、私はきっと一生涯、あなたのそばにいる。
※ ※ ※
告白は失敗に終わった。半年間の片想いは、「ごめん、俺、彼女いるから」の言葉であっさり遮断された。あたしは涙をこらえて教室に駆け戻り、千穂にすがって思いっきり泣いた。千穂はいつでも優しくあたしを受け止めてくれるから、つい甘えてしまう。
「なっちゃん、次があるよ。男子なんてそこらにありふれてるんだから」
「金子くんは一人しかいないのに、そんな簡単に言わないでよ! 千穂は失恋なんてしたことないくせに!」
千穂が小さく息を呑む気配。毎回同じようなやりとりをしてるのに、千穂は律儀に傷ついてくれる。
ごめんね、本当は知ってるんだ。千穂が失恋経験あるってこと。
千穂は必死に隠しているんだろうけど、バレバレだよ。
あたしはなんにも知らない鈍い子のふりをして、千穂に傷と痛みを押し付けてるの。
あたしが千穂みたいに、女の子を好きな女の子だったら、すべてうまくいってたのにね。残念ながらあたしは男子が好きだから、千穂の気持ちには応えられない。
だけど、千穂があたしに向けてくれるその感情は好き。大好き。失恋した、と泣いて胸にすがるあたし、それをあなたが見つめるときの、欲望と苦みをないまぜにした悲痛な瞳に、ぞくぞくするの。
あたしは千穂自身に恋はできないけれど、千穂の黒目がちな瞳に、その瞳に映るあたし自身に、恋をしているのかもね。
あなたがそんなふうにあたしを見てくれるから、どんなにフラれても、世界や自分を呪わずにすむ。どんな失恋でも、すぐ立ち直れる。
あたし、あなたがいるから、何度でも男の子に恋ができるの。
だから、千穂、あなたはどうか、あたしのそばで、何度も失恋してね。あたしはきっと一生涯、あなたをその痛みで縛り続ける。
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千穂さん逃げてー。
続いて、まったく違う世界のお話です。
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(2)
キューピッドたちのお仕事は、人間の恋の手助けをすることです。あと一歩の勇気を出せないじれったい人たちのために、金の矢を放って、恋を後押しするのです。そうでもしないと、人間はなかなかつがいになりません。
だけど、せっかく恋のお膳立てをしても、人間はすぐに気に入らないことがあって冷めただの心変わりをしただので、仲良しじゃなくなってしまいます。そういうとき、キューピッドは鉛の矢を撃って、お別れの後押しをします。鉛の矢で撃たれた人間は、恋に無関心になるのです。「そうすれば、失恋の痛みも感じなくなるからね」という、上司の神様の言いつけです。
今年生まれたてのキューピッドは、鉛の矢を撃つたびに、悲しい気持ちになるのでした。あんなに目を輝かせて恋をして一生懸命にアプローチして、恋の矢の力も借りてお付き合いに漕ぎつけたのに、どうしてバラバラになってしまうのでしょう。しかもお別れするときは恋に無関心になってしまうなんて、まるで、それまでの恋が否定されているかのようです。先輩キューピッドたちの頑張りを無碍にされているようで、納得がいきません。
だからキューピッドは最近出会った花に、ついついお仕事の愚痴をこぼしてしまいます。
「お花さん、人間はどうして最初に好きになった人同士でずっと一緒にいられないのかな。お別れなんて、なければいいのに」
夏になって大輪の花弁を綻ばせた黄色い花は、キューピッドに応えます。
「あら、人間の命は花と違って長いんだもの。たくさん恋をしなくちゃ、もったいないでしょ」
「人間って、そういうものなの? お花さんも人間だったら、たくさん恋をするの?」
「そうよ。あたしは綺麗でモテるもの。たくさん恋をして、もっともっと輝く花になってやるわ」
キューピッドと会話するあいだもずっと、花は太陽を見つめています。キューピッドに振り向いてくれたことは一度もありません。そんな花の様子がもどかしくて、キューピッドの胸はずきんと痛くなります。
でも、花が自分の声に応えてくれるのは、とても嬉しいのです。だからついつい、毎日話しかけてしまいます。
「お花さん、今日は五組も人間たちをつがいにできたよ」
「そう、よかったわね。ま、あたしには関係ないけど」
「お花さん、今日は三組の人間を別れさせないといけないの。でも、鉛の矢、撃ちたくなくてサボっちゃった……」
「ふうん。お仕事たいへんなのね。ま、あたしの知ったこっちゃないけど」
こんなふうに、キューピッドは夏の間じゅう、花との会話を楽しんでいました。
ある日、キューピッドはいつものように花を訪れ、驚きました。あんなに熱心に太陽を見つめていた花が、ぐったりと俯いています。
「お花さん?」
声をかけても、返事がありません。
よく見ると、美しかった花弁はすっかり茶色に萎びていました。
「そんな……」
キューピッドは冷たい風に身震いしました。
秋が来てしまったのです。花の命は、夏でおしまい。だからもう、花はうんともすんとも応えてくれません。
「お花さんにもう会えなくなるなんて、こんなに寂しいことはないよ。戻ってきてよ。またいつもの可愛い声を聞かせてよ。綺麗な花びらを震わせて笑ってよ」
どんなに話しかけても、花はやっぱり応えません。キューピッドはあまりにも悲しくて悲しくて、花を抱いてわんわんと泣きました。
花を見つめていたときのずくんとした小さな痛みどころか、いまは胸が張り裂けそうなぐらいに痛くて痛くて、たまりませんでした。いっぽうで、自分のなにもかもが空っぽになってしまったかのようで、息すらままならずに、苦しくて苦しくてたまりませんでした。
こんなに痛くて苦しい思いをするなら、花に出会わなければよかったとさえ、思ってしまいました。それがまた悲しくて、三日三晩泣き続けました。お仕事のことは忘れていました。上司の神様は、そんなキューピッドを、そっと放っておきました。
今年生まれたばかりのキューピッドには、この痛くて苦しい気持ちがなんと呼ばれているものなのか、まだわかりません。
でも来年の夏、新しい花に出会うころには、きっとその名前を知っていることでしょう。そして鉛の矢のお仕事も、張り切っているに違いありません。
【天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、】
「雨ばかりで気が滅入るよねー。もう七月なのに」
と言って、シェイクを啜るブレザー姿の女子高生。
「やっと梅雨明け宣言出たばかりなのにな」
と相槌打って、ポテトをつまむ向かいの男子高生。
「雨だけでもうんざりなのにさ、たまに晴れるとめちゃくちゃ暑くなるのやめてほしいよね」
「晴れると蒸し暑くて、雨ると肌寒いもんな」
雨る……晴れるの対義語か。
「寒暖差えぐいわー。雨と晴れの気温足して二で割って雨と湿度引いてほしー」
わかる、わかるよ、女子高生。私も同じこと考えてたよ。と、思わず相槌を打ちそうになる。
天気って、ほんと万人の共感を得やすい最強の話題だよね。なにしろ、その地域全員の共通体験だもんね。営業やってると、天気の話題のありがたみが身に染みるよ。そんなことを思いながら、ホットコーヒーを啜る。
外回り中、土砂降りをしのぐついでに小腹を満たそうと入ったファストフード店の、隣の席の女子高生。と、男子高生。放課後にはまだ早い時間だけど、期末試験期間かな。試験後の自由時間に、男女の高校生が二人だけでお店に入るとか、それもう制服デートでしょ。私がつい聞き耳立てちゃうのも許してほしい。だって、いままさに甘酸っぱい青春の思い出が形成されている真っ最中ですよ。こういう若人たちからしか摂取できない栄養素があるんですよ。
いや、まだお付き合いはしてないのかも。営業によって培われた観察眼が、そう判定している。男子高生は、どことなくそわそわした落ち着かない雰囲気。対する女子高生は泰然として見えるけど、距離を測っているような、相手を探るような、そんな緊張感のある息遣い。……ああ、だから天気の話題を出したのね。相手の出方を探るジャブとして、当たり障りのない天気の話題はうってつけ。ということは、この二人はお付き合い一歩手前、いちばんおいしくて栄養価の高い時期じゃないですか!
私は舌なめずりを隠すために、バーガーにかぶりついた。
「あたし最近気づいたんだけど、低気圧に弱いみたいでさー。こういう日は、すぐ眠くなっちゃうんだよね」
「だから最近居眠りが多いのか……」
「おっ、よく見てるじゃん。そうなんだよ、すべては天気のせいなんだよ」
「それは責任転嫁というやつだ」
「じゃあ、人間が天気を操れないのが悪い」
「どんだけ天気にこだわるんだよ。……いや、天気の話なんてどうだっていい、僕が話したいことは、」
「おっ、いよいよ本題」
「テスト中にまで居眠りするやつがあるかってことなんだよ」
男子高生の語気が強くなった。あれ、怒ってる? 雲行きが変わった?
「よく見てるじゃん」
女子高生は平然とシェイクを啜っている。
「テスト勉強教えてほしいって佐々木から言い出したんだぞ。テスト中に寝たら今までの努力台無しだろうが」
「あはは、諸行無常、盛者必衰ってやつー」
「ぜんぜん違う。盛者にすらなってない」
男子高生が盛大なため息をつく。能天気そうな女子高生に日頃振り回されているであろう彼の苦労が、しみじみと伝わってくる。
「大丈夫だよー。居眠りする前にちゃちゃっと解いて赤点は免れたから」
反省のかけらもない、あっけらかんとした口調の女子高生。
「早解きできたの、たっくんのおかげだよー。ありがとね!」
な、なんという殺し文句! 先ほどの天気ジャブから一転、鋭いフックだ! これはかわしづらい!
「そ、それならよかったけど……」
たちまち男子高生の声が柔らいだ。あっ、ちょろいですね。これは惚れてますね。惚れた弱みというやつですね。
にやけそうな顔をごまかすため、ひたすらバーガーにかぶりつく。
「なにかと思えば、お説教だったかぁ」
「な、なんだよ……。そりゃ、言いたくもなるだろ」
男子高生はすっかり劣勢に追い込まれている。
「真剣な顔で急に腕引っ張られてここまで連れてこられたからさ」
女子高生がすっと息を呑む気配。あっ、これは強力な一撃がくる。私の全身は耳となって身構えた。
「……告白されるのかと思った」
「なっ、すっ、するわけないだろ!」
ポテトにむせる男子高生。いただきました! 辞書に載せたいぐらいの素晴らしい動揺をいただきました!
「こんな騒がしくて周りが聞き耳立ててるようなところで、できるわけないだろ!」
あ、すみません。思いっきりバレてましたね。周囲にちらりと目をやると、私と同じ、気まずそうな顔のギャラリーたちが目を泳がせていた。ですよね。みんなやっぱり気になっちゃいますよね。
しかし若人よ、先ほどの台詞は語るに落ちるというやつだ。私はニヤニヤと崩れそうな頬を必死に抑え、食後のコーヒーをすまし顔で啜った。こんな場所じゃ告白できないということは、静かで誰もいないところでなら、やぶさかではないということですね?
ほら、女の子は聡いから、すぐに察したみたい。横目でちらりと覗いたら、耳がほんのり赤くなってる。この絶妙な赤み、百科事典の「尊い」の項目に事例として載せておきたいぐらいの可愛さ!
小さく、深呼吸。思わぬカウンターをくらった女子高生だけど、もう体勢を立て直してる。強い。
「ところでさ、もうすぐ夏祭りだね。一緒行こうよ。浴衣買ったからさ」
「えっ、あっ?」
「お母さんに、ゆっくり花火見られる場所教えてもらったんだ。ひと気のすくない穴場だって」
この年頃は、やっぱり女の子のほうがうわてだなぁ。しかも、親という外堀まで完全に埋めてあるぞ、これは。
「今年は雨降らないといいねー。なんか毎年、雨降りやすい日に祭りやってるの、どうにかしてほしいよね。たっくん頭いいからさ、将来天気を操る技術を開発してよ。あたしも手伝うからさ」
「だ、だから僕は天気の話をしたいわけじゃなくて! 今後のテスト対策を!」
追い詰められた男子高生の叫びは、もはや悲鳴だった。私は「ごちそうさま」と呟いて、満ち足りたお腹とともに店を出た。空に向かって傘を広げる。こんな土砂降りでも、心はすっかり晴れやかだ。さあ、いただいた栄養ぶん、今日も頑張りますか。
【月に願いを】
ようやく、願いを叶えるときが来たのだ。
私は万感の思いをこめて、最初の一歩を踏みしめた。
月に第二の足跡を刻む、これは人類の悲願だった。
かの有名なアポロ11号計画から、すでに四百年。衰退していた宇宙開発への情熱をもう一度奮い立たせ、人類は再び月への有人飛行を叶えたのだ。
「人間にとっては小さき一歩でありますが、人類は再び大きな飛躍を遂げました。これまで私たちが重ねてきた一歩一歩の歩みが、この地に刻まれた一歩によって、力強い羽ばたきへと変わるのです」
予め考えていたスピーチを、月の映像とともに地球へ送り届ける。司令室がわっと湧いてるのが聞こえる。
ん? 司令室の音声が急に怒号に変わったような……そう思った瞬間、視界は闇に包まれた。
ようやく、願いを叶えるときが来たのだ。
我々は万感の思いをこめて、最初の一歩を踏みしめた。
この小さき星に第一の足跡を刻む、それが我々の悲願だった。
活動停止した母星を捨て、苦節四百ヌート。新たな惑星へ移住するための第一歩として、我々はついに、目当ての惑星を周回する衛星への着陸に成功したのだ。
ここまで来れば、惑星の占領には半ヌートもかからない。
我々はさっそく、この星の邪魔な生命体を排除した。
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リアルが急に忙しくなったため、しばらく書く習慣をお休みしていました。まだ忙しさが続くため、不定期更新になります。これまでいただいた“いいね”はすべてやる気に繋がっております。ありがとうございます。
【恋物語】
むかしむかしあるところに、小さな国がありました。国の真ん中にはお城があり、王様が騎士たちと一緒に暮らしていました。
あるとき、国じゅうに病が流行りました。不治の病でした。国民がばたばたと死んでいきます。困った王様は、国でもっとも強いと言われている魔女を呼び寄せました。魔女はまだ成人もしていないような、うら若き娘でした。
王様は魔女の見た目に不安を覚えながらも、言いました。
「魔女よ、そなたはとても強い精霊様と契約していると聞く。精霊様のお力で、どうか皆の病を治してくれないか。成功したあかつきには、望みの褒美をとらせよう」
それを聞いた魔女は、王様のそばに仕えている一人の騎士を指し示しました。金に輝く長い髪と、氷のように鋭い目を持つ、たいへん美しい騎士でした。魔女はその騎士に一目惚れしたのです。
王様は困りました。騎士にはすでに妻子がいたからです。
「金でもいい、土地でもいい。そなたが望むまま、いくらでもとらせよう。しかし、人の心だけは、わたしの権力でも、どうにもならぬのだ」
どれだけ説得を試みても、魔女は頑として譲りません。王様はとうとう根負けしてうなずきました。魔女は喜んで、国じゅうの病を治してまわりました。
ところが、魔女の褒美になることを嫌がった騎士が、自害をしてしまいました。約束が違う、と魔女は怒りました。そして、怒りのあまり、国をまるごと氷漬けにしてしまったのです。こうして、ノースラスカの国は、永久凍結国と呼ばれるようになりました。
げに恐ろしきは、若き娘の恋心。つける薬はなく、不治の病よりも手の施しようがありません。もしあなたが若い娘に恋をさせたなら、氷漬けにはお気をつけて。
「は?」
物語を聞き終えたアオイが最初に発したのは、その一言だった。
「なにその話。若い娘バカにしてんの?」
自身が若い娘だからか、アオイはおかんむりだ。だからといって、僕に当たられても困る。僕は本の内容をそのまま読んだだけだ。最後のくだりは、僕もどうかと思うけど。
「しかも魔女が情緒不安定すぎない? 怒ったからって、いきなりぜんぶ氷漬けなんてする?」
目の前にそびえる国境の壁を見上げて、アオイが唸る。壁はカチコチの氷漬けで、真昼の太陽に照らされても、溶ける気配はない。
僕とアオイは、物語の国の目前まで来ていた。僕の国から馬で丸二日。いまは昼食休憩中。東の国から来た留学生のアオイは、永久凍結国ノースラスカは北にあるから凍ってる、ぐらいの雑な知識しか持っていなかったので、僕がいつも持ち歩いている本で、ことの顛末を読んで聞かせたのだ。
「この話、じつは後半が捏造されてるんだ。魔女は病を治してない。病がこれ以上広がらないように、国をまるごと凍らせただけ」
「えっ、じゃあ、これ溶かしたら、あたしたちも不治の病に襲われかねないってこと?」
「アオイ、僕らの専門学科は?」
「医療魔術。……いや、いくらあたしたちが優秀だからって、未知の病なんて治せないでしょ」
「未知じゃないよ。この国を襲った病はすでに特定されている。緑呪病だ」
「なんだ、大地の呪い系か。それならあたしたち二人がいれば楽勝じゃん」
「そう。現代なら誰も死なせることなく治療できる。魔女は国の時間を止めて、未来に可能性を託したんだ」
「なるほど、思いきったことするなぁ……」
アオイは改めて壁を見上げた。
「……いやさすがにみんなもう死んでるでしょ。氷漬けなんだし」
「ところがそうでもないんだよ。魔女が凍らせているのは、水じゃなくて、時間だから。氷は見せかけ。状況をわかりやすく外部に伝達するためのインターフェイスというか」
「首席魔術師様のおっしゃることは、相変わらずよくわからんですわね」
「とりあえず、このまやかしの氷の中では、時が止まってるってこと。魔女が契約している精霊は、時間の精霊だから」
「えっ、そりゃ最強だわ。時間の精霊って、契約できるんだ……?」
と、アオイは胡乱げな視線を僕に向けた。
「その話、ほんとなの? あんたはどこで知ったのよ」
「時間の精霊から直接」
「は?」
「僕が騎士の子孫だからか、精霊のほうから事情を話しに来てくれるんだよ。代々、律儀にね」
「たしかにあんた長い金髪だし、愛想のない氷の目をしてるもんね。物語の騎士っぽいわ。でも、騎士の子供は国と一緒に凍ったんでしょ? 子孫が発生する余地ある?」
「子供と奥さんは、流行り病を避けて、早いうちから隣国に疎開していた。その子供が、僕の母の曽祖父」
「なるほど、生き延びたのねぇ。……ははーん、あんたの家系、さてはカオだけで成り上がったな?」
「否定はしない」
僕は休憩中に広げていた荷物をまとめ、出立の準備をはじめた。アオイも僕に倣って、荷物をまとめだす。
「ねぇ、魔女がまだ病を治してないなら、騎士は早まったんじゃない? なんで自害なんかしちゃったんだろ。そんなに魔女が嫌だったの?」
「騎士は魔女が嫌で自害したわけじゃないよ。時を止める魔術の生贄になったんだ」
「えっ」
アオイの手が止まる。
「ちゃんと生贄ってこと納得して自分で死んだから、ある意味自害かな。そもそも、魔女は騎士に恋してたわけじゃないんだ。時間の精霊が騎士の命を欲しがっただけ。あいつは若いイケメンが好きだから」
「じゃ、じゃあ、さっきの本はなんなのよ。なんで若い娘が恋したのが悪いみたいなまとめられかたしてんのよ!」
アオイがまたぷりぷりと怒りだす。
「まあ、時代というか……。魔女を悪者にしたかった人がいるんだよ。僕の母の曽祖父のことだけど」
「ただの私怨」
「後世に伝わる物語なんてそんなものだよ。さ、行こう」
アオイの風の魔術で城壁を乗り越え、真っ平な氷の上を進む。馬は置いてきたので、予め用意しておいたスケートで走る。アオイが作る追い風のおかげでスピードが出て、みるみるうちに城が近づいてくる。僕の胸の鼓動も高まっていく。もうすぐ、夢にまで見た魔女に会える。
時間の精霊は、過去のできごとを映像で伝えてくれる。鮮明な魔女の姿に、僕は一目惚れしていた。長く艶やかな黒髪。憂いを秘めた黒いまなざし。儚げに揺らめく細い手。たぶん精霊による思い出補正がかかってるけど、それを加味しても、彼女は美しかった。それに、美しいだけじゃない。国の人々のことを想う、心優しき魔女だった。
国民を助けたいという彼女の願いは、僕の母もその父もその母もその父も、叶えられなかった。だけど、現代に僕が生まれた。僕には、魔女の願いを叶えるための条件が揃っている。僕ならこの国の凍てついた時間を溶かせる。生きている彼女に、やっと会えるんだ。そして願いを叶えたあかつきには、魔女の心に、僕の存在が強く刻み込まれるだろう。
ほどなく辿り着いた城の外壁には、氷の階段があった。精霊が僕を招くために作ってくれた道だ。魔女がいるであろう場所へと、カーブを描いて続いている。僕たちはスケートを脱ぎ、階段をのぼった。手すりはないし氷でツルツルだけど、いざとなればアオイの風が受け止めてくれるから、落下死の心配はない。ところどころに、休める踊り場も用意されている。僕たちは黙々とのぼった。アオイは口数が多いほうだけど、この国に入ってから、やたら無口だ。
いくつかの踊り場を経て、とうとう視界にその場所が、その姿が映った。城の端から城下の広場に向かって突き出した広いバルコニー。両手を組み合わせた祈りのポーズで、黒髪の乙女が凍りついている。精霊が見せてくれた映像と寸分違わぬその容姿に、僕の心はうち震えた。
魔女の傍で、精霊が手招きをしている。僕は残りの階段をふらふらとのぼり、バルコニー前に用意された氷の足場に立った。腰の短剣を引き抜く。
お望み通り、このあり余る魔力と、精霊好みの容姿、そして若き命を、時間の精霊に捧げよう。凍った時間を溶かして魔女を目覚めさせる、僕はそのための生贄だ。
短剣を一気に胸に突き立てる――その直前、鋭い風が短剣を弾いた。短剣はバルコニー内に落ちて滑り、柵で跳ね返り、魔女の足元で止まった。
「なんで止めるんだ!」
僕は怒ってアオイを振り返った。
「なんであんたが死ななきゃいけないのよ」
怒りのこもった低い声。僕の目よりも冷たく光る黒い瞳。僕が一瞬気を呑まれた隙に、アオイは僕を押し倒した。背中が冷たい足場に押しつけられる。アオイの腕は細いのに、風の力が加わっているからか、男の僕でも跳ね除けられない。
「騎士が生贄になったって話を聞いたとき、嫌な予感がしたから、絶対に止める気で風を練っていたのよ。あんたが死んだら国家の損失でしょ。よそから来たあたしが知ったこっちゃないけど!」
「それならほっといてくれ!」
「ほっとけるか! ……ああまどろっこしい! このさいぶっちゃけるわ! あたしがあんたに死んでほしくないのよ! あんたが好きだから! だから、なんとしても止める!」
突然の告白に驚き、僕は言葉を失った。
「あんたにいきなり旅行に誘われて、どれだけ嬉しかったと思う!? 卒業記念にノースラスカ溶かすとかいうあんたらしい無謀な計画、あたしにだけ話してくれたと知ったら、ノる以外ないでしょ!? 実質卒業旅行だし、しかも二人っきりだし、ワンチャンあんたがあたしに惚れてるのかもと思って、舞い上がってたんだからね! 氷の城の前で愛の告白イベントとか、夢見ちゃってたんだからね! それがこの仕打ち!? 目の前で死なれたら一生引きずって新しい恋もできんわ! ふざけんな!」
いつものアオイの調子で、まくしたてられる。
と、アオイは急に、魔女へと顔を向けた。
「おいてめぇ聞いてるかこのすっとこどっこい精霊! そういう事情だからこいつは渡さない!」
そして、大きく息を吸い、
「若い娘の恋心舐めんじゃねぇ!」
一喝。アオイを中心に風が渦巻いた。まるで嵐。アオイの長い黒髪が逆立っている。アオイに体を押さえられていなかったら、僕も舞い上がっていただろう。嵐は城をまるごと呑みこみ、揺すらんばかりに吹き荒れた。
「城を溶かすだけなら力業でどうにかしてやるわ! いちいち生贄求めんなこの面食い精霊が! 人の命が必要なら、せめてあたしを持っていけ!」
「そ、それはだめだ!」
僕は慌てて叫んだ。
僕が生贄となって死ぬことについてなら、じつは書き置きで残してあるし、異母兄弟にもこっそり告げている。同行したアオイが罪に問われる心配はない。でも、東の国の第五王女が帰らぬ人になったら、外交上の問題に発展する。アオイに同行を頼んだのも、さんざん迷ってのことなのに。
ノースラスカの城に近づくためには、アオイが契約している風の精霊王の力が必要だった。それに、アオイなら魔力量は僕より上――どころか歴代魔女の中でもずば抜けている。力で押し切る癖があるけど、技量もある。なにかトラブルがあっても、アオイなら切り抜けられるとふんだのだ。
さすがに、アオイが生贄になろうとするトラブルなんて予想してない。生贄になるべきは、僕だ。
アオイを押しのけて起きあがろうと揉み合う僕の目の端で、ふわりと、黒い影が動いた。
僕は息を呑んだ。動いたのは、魔女だ。アオイの強引な力でわずかに時間が溶け、ついに魔女が目を覚ましたのだ。
魔女はバルコニーの中から、あの憂いを帯びたまなざしで揉み合う僕たちを見た。驚いたように見ひらかれる瞳。続いて、ふっと優しく微笑む。ドキリと心臓が跳ねる。魔女の手には、いつのまにか僕の短剣が握られていた。
止めようと動く隙もない、あっという間のできごとだった。
魔女が、自害した。
たちまち周囲の氷が溶ける。まやかしの氷は水を残さず、蒸発するように消えていく。氷の足場を失った僕たちは落下。アオイが力強く僕を抱きしめる。風が僕たちを受け止め、そっと地上に下ろす。
「……なにがあったの? あたし、ほんとにやっちゃた?」
アオイが上半身を起こした。
「魔女が、生贄になった……」
アオイの下で、僕は呆然と呟いた。
「時間の精霊は、魔女を永遠の国に連れていった。魔女が、それを望んだから……」
「つまり、あんたは助かったってこと?」
「…………」
僕はショックのあまり、うなずくこともできなかった。
でも、これでよかったのかもしれない。力の抜けた体で、ぼんやりと思った。時間の精霊の国に連れていかれて、僕にそっくりな先祖の騎士と永遠の刻を生きるのは、ちょっと気まずい。これまで通り、アオイにライバル視されたり活を入れられたりしながら医療の研究に身を捧げて年老いていくほうが、張り合いはある。
魔女と騎士はこの世界では死んだけれど、精霊が造った永遠の国でいまも生きている。もしかしたら、魔女は本当に騎士のことが好きだったのかもしれない。僕を見た瞬間に見ひらかれ、ふっとやわらいだ黒い瞳、あれは、愛しい人を見つめるまなざしだった――
そうか、僕はあの瞳の記憶を、一生引きずって生きていくことになるのか。……たまらないな。
アオイが立ち上がり、僕に手を差し伸べる。黒い瞳が、嬉しそうに輝いている。その光に、僕はなんだか救われた気持ちになる。
街のざわめきが耳に入る。時間の凍結から戻った人たちが、なにも知らぬまま日常をはじめようとしている。
僕はアオイの手を借りて、立ち上がった。
「……まずは診療所に行ってみようか」
「そうこなくっちゃ!」
アオイがはりきった笑顔で腕まくりをする。
さあ、これから忙しくなるぞ。医療魔術師の卵として、ノースラスカ隣国の王子の一人として、やるべきことは、たくさんある。