sleeping_min

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【恋物語】

 むかしむかしあるところに、小さな国がありました。国の真ん中にはお城があり、王様が騎士たちと一緒に暮らしていました。
 あるとき、国じゅうに病が流行りました。不治の病でした。国民がばたばたと死んでいきます。困った王様は、国でもっとも強いと言われている魔女を呼び寄せました。魔女はまだ成人もしていないような、うら若き娘でした。
 王様は魔女の見た目に不安を覚えながらも、言いました。
「魔女よ、そなたはとても強い精霊様と契約していると聞く。精霊様のお力で、どうか皆の病を治してくれないか。成功したあかつきには、望みの褒美をとらせよう」
 それを聞いた魔女は、王様のそばに仕えている一人の騎士を指し示しました。金に輝く長い髪と、氷のように鋭い目を持つ、たいへん美しい騎士でした。魔女はその騎士に一目惚れしたのです。
 王様は困りました。騎士にはすでに妻子がいたからです。
「金でもいい、土地でもいい。そなたが望むまま、いくらでもとらせよう。しかし、人の心だけは、わたしの権力でも、どうにもならぬのだ」
 どれだけ説得を試みても、魔女は頑として譲りません。王様はとうとう根負けしてうなずきました。魔女は喜んで、国じゅうの病を治してまわりました。
 ところが、魔女の褒美になることを嫌がった騎士が、自害をしてしまいました。約束が違う、と魔女は怒りました。そして、怒りのあまり、国をまるごと氷漬けにしてしまったのです。こうして、ノースラスカの国は、永久凍結国と呼ばれるようになりました。
 げに恐ろしきは、若き娘の恋心。つける薬はなく、不治の病よりも手の施しようがありません。もしあなたが若い娘に恋をさせたなら、氷漬けにはお気をつけて。

「は?」
 物語を聞き終えたアオイが最初に発したのは、その一言だった。
「なにその話。若い娘バカにしてんの?」
 自身が若い娘だからか、アオイはおかんむりだ。だからといって、僕に当たられても困る。僕は本の内容をそのまま読んだだけだ。最後のくだりは、僕もどうかと思うけど。
「しかも魔女が情緒不安定すぎない? 怒ったからって、いきなりぜんぶ氷漬けなんてする?」
 目の前にそびえる国境の壁を見上げて、アオイが唸る。壁はカチコチの氷漬けで、真昼の太陽に照らされても、溶ける気配はない。
 僕とアオイは、物語の国の目前まで来ていた。僕の国から馬で丸二日。いまは昼食休憩中。東の国から来た留学生のアオイは、永久凍結国ノースラスカは北にあるから凍ってる、ぐらいの雑な知識しか持っていなかったので、僕がいつも持ち歩いている本で、ことの顛末を読んで聞かせたのだ。
「この話、じつは後半が捏造されてるんだ。魔女は病を治してない。病がこれ以上広がらないように、国をまるごと凍らせただけ」
「えっ、じゃあ、これ溶かしたら、あたしたちも不治の病に襲われかねないってこと?」
「アオイ、僕らの専門学科は?」
「医療魔術。……いや、いくらあたしたちが優秀だからって、未知の病なんて治せないでしょ」
「未知じゃないよ。この国を襲った病はすでに特定されている。緑呪病だ」
「なんだ、大地の呪い系か。それならあたしたち二人がいれば楽勝じゃん」
「そう。現代なら誰も死なせることなく治療できる。魔女は国の時間を止めて、未来に可能性を託したんだ」
「なるほど、思いきったことするなぁ……」
 アオイは改めて壁を見上げた。
「……いやさすがにみんなもう死んでるでしょ。氷漬けなんだし」
「ところがそうでもないんだよ。魔女が凍らせているのは、水じゃなくて、時間だから。氷は見せかけ。状況をわかりやすく外部に伝達するためのインターフェイスというか」
「首席魔術師様のおっしゃることは、相変わらずよくわからんですわね」
「とりあえず、このまやかしの氷の中では、時が止まってるってこと。魔女が契約している精霊は、時間の精霊だから」
「えっ、そりゃ最強だわ。時間の精霊って、契約できるんだ……?」
 と、アオイは胡乱げな視線を僕に向けた。
「その話、ほんとなの? あんたはどこで知ったのよ」
「時間の精霊から直接」
「は?」
「僕が騎士の子孫だからか、精霊のほうから事情を話しに来てくれるんだよ。代々、律儀にね」
「たしかにあんた長い金髪だし、愛想のない氷の目をしてるもんね。物語の騎士っぽいわ。でも、騎士の子供は国と一緒に凍ったんでしょ? 子孫が発生する余地ある?」
「子供と奥さんは、流行り病を避けて、早いうちから隣国に疎開していた。その子供が、僕の母の曽祖父」
「なるほど、生き延びたのねぇ。……ははーん、あんたの家系、さてはカオだけで成り上がったな?」
「否定はしない」
 僕は休憩中に広げていた荷物をまとめ、出立の準備をはじめた。アオイも僕に倣って、荷物をまとめだす。
「ねぇ、魔女がまだ病を治してないなら、騎士は早まったんじゃない? なんで自害なんかしちゃったんだろ。そんなに魔女が嫌だったの?」
「騎士は魔女が嫌で自害したわけじゃないよ。時を止める魔術の生贄になったんだ」
「えっ」
 アオイの手が止まる。
「ちゃんと生贄ってこと納得して自分で死んだから、ある意味自害かな。そもそも、魔女は騎士に恋してたわけじゃないんだ。時間の精霊が騎士の命を欲しがっただけ。あいつは若いイケメンが好きだから」
「じゃ、じゃあ、さっきの本はなんなのよ。なんで若い娘が恋したのが悪いみたいなまとめられかたしてんのよ!」
 アオイがまたぷりぷりと怒りだす。
「まあ、時代というか……。魔女を悪者にしたかった人がいるんだよ。僕の母の曽祖父のことだけど」
「ただの私怨」
「後世に伝わる物語なんてそんなものだよ。さ、行こう」

 アオイの風の魔術で城壁を乗り越え、真っ平な氷の上を進む。馬は置いてきたので、予め用意しておいたスケートで走る。アオイが作る追い風のおかげでスピードが出て、みるみるうちに城が近づいてくる。僕の胸の鼓動も高まっていく。もうすぐ、夢にまで見た魔女に会える。
 時間の精霊は、過去のできごとを映像で伝えてくれる。鮮明な魔女の姿に、僕は一目惚れしていた。長く艶やかな黒髪。憂いを秘めた黒いまなざし。儚げに揺らめく細い手。たぶん精霊による思い出補正がかかってるけど、それを加味しても、彼女は美しかった。それに、美しいだけじゃない。国の人々のことを想う、心優しき魔女だった。
 国民を助けたいという彼女の願いは、僕の母もその父もその母もその父も、叶えられなかった。だけど、現代に僕が生まれた。僕には、魔女の願いを叶えるための条件が揃っている。僕ならこの国の凍てついた時間を溶かせる。生きている彼女に、やっと会えるんだ。そして願いを叶えたあかつきには、魔女の心に、僕の存在が強く刻み込まれるだろう。
 ほどなく辿り着いた城の外壁には、氷の階段があった。精霊が僕を招くために作ってくれた道だ。魔女がいるであろう場所へと、カーブを描いて続いている。僕たちはスケートを脱ぎ、階段をのぼった。手すりはないし氷でツルツルだけど、いざとなればアオイの風が受け止めてくれるから、落下死の心配はない。ところどころに、休める踊り場も用意されている。僕たちは黙々とのぼった。アオイは口数が多いほうだけど、この国に入ってから、やたら無口だ。
 いくつかの踊り場を経て、とうとう視界にその場所が、その姿が映った。城の端から城下の広場に向かって突き出した広いバルコニー。両手を組み合わせた祈りのポーズで、黒髪の乙女が凍りついている。精霊が見せてくれた映像と寸分違わぬその容姿に、僕の心はうち震えた。
 魔女の傍で、精霊が手招きをしている。僕は残りの階段をふらふらとのぼり、バルコニー前に用意された氷の足場に立った。腰の短剣を引き抜く。
 お望み通り、このあり余る魔力と、精霊好みの容姿、そして若き命を、時間の精霊に捧げよう。凍った時間を溶かして魔女を目覚めさせる、僕はそのための生贄だ。
 短剣を一気に胸に突き立てる――その直前、鋭い風が短剣を弾いた。短剣はバルコニー内に落ちて滑り、柵で跳ね返り、魔女の足元で止まった。
「なんで止めるんだ!」
 僕は怒ってアオイを振り返った。
「なんであんたが死ななきゃいけないのよ」
 怒りのこもった低い声。僕の目よりも冷たく光る黒い瞳。僕が一瞬気を呑まれた隙に、アオイは僕を押し倒した。背中が冷たい足場に押しつけられる。アオイの腕は細いのに、風の力が加わっているからか、男の僕でも跳ね除けられない。
「騎士が生贄になったって話を聞いたとき、嫌な予感がしたから、絶対に止める気で風を練っていたのよ。あんたが死んだら国家の損失でしょ。よそから来たあたしが知ったこっちゃないけど!」
「それならほっといてくれ!」
「ほっとけるか! ……ああまどろっこしい! このさいぶっちゃけるわ! あたしがあんたに死んでほしくないのよ! あんたが好きだから! だから、なんとしても止める!」
 突然の告白に驚き、僕は言葉を失った。
「あんたにいきなり旅行に誘われて、どれだけ嬉しかったと思う!? 卒業記念にノースラスカ溶かすとかいうあんたらしい無謀な計画、あたしにだけ話してくれたと知ったら、ノる以外ないでしょ!? 実質卒業旅行だし、しかも二人っきりだし、ワンチャンあんたがあたしに惚れてるのかもと思って、舞い上がってたんだからね! 氷の城の前で愛の告白イベントとか、夢見ちゃってたんだからね! それがこの仕打ち!? 目の前で死なれたら一生引きずって新しい恋もできんわ! ふざけんな!」
 いつものアオイの調子で、まくしたてられる。
 と、アオイは急に、魔女へと顔を向けた。
「おいてめぇ聞いてるかこのすっとこどっこい精霊! そういう事情だからこいつは渡さない!」
 そして、大きく息を吸い、
「若い娘の恋心舐めんじゃねぇ!」
 一喝。アオイを中心に風が渦巻いた。まるで嵐。アオイの長い黒髪が逆立っている。アオイに体を押さえられていなかったら、僕も舞い上がっていただろう。嵐は城をまるごと呑みこみ、揺すらんばかりに吹き荒れた。
「城を溶かすだけなら力業でどうにかしてやるわ! いちいち生贄求めんなこの面食い精霊が! 人の命が必要なら、せめてあたしを持っていけ!」
「そ、それはだめだ!」
 僕は慌てて叫んだ。
 僕が生贄となって死ぬことについてなら、じつは書き置きで残してあるし、異母兄弟にもこっそり告げている。同行したアオイが罪に問われる心配はない。でも、東の国の第五王女が帰らぬ人になったら、外交上の問題に発展する。アオイに同行を頼んだのも、さんざん迷ってのことなのに。
 ノースラスカの城に近づくためには、アオイが契約している風の精霊王の力が必要だった。それに、アオイなら魔力量は僕より上――どころか歴代魔女の中でもずば抜けている。力で押し切る癖があるけど、技量もある。なにかトラブルがあっても、アオイなら切り抜けられるとふんだのだ。
 さすがに、アオイが生贄になろうとするトラブルなんて予想してない。生贄になるべきは、僕だ。
 アオイを押しのけて起きあがろうと揉み合う僕の目の端で、ふわりと、黒い影が動いた。
 僕は息を呑んだ。動いたのは、魔女だ。アオイの強引な力でわずかに時間が溶け、ついに魔女が目を覚ましたのだ。
 魔女はバルコニーの中から、あの憂いを帯びたまなざしで揉み合う僕たちを見た。驚いたように見ひらかれる瞳。続いて、ふっと優しく微笑む。ドキリと心臓が跳ねる。魔女の手には、いつのまにか僕の短剣が握られていた。
 止めようと動く隙もない、あっという間のできごとだった。
 魔女が、自害した。
 たちまち周囲の氷が溶ける。まやかしの氷は水を残さず、蒸発するように消えていく。氷の足場を失った僕たちは落下。アオイが力強く僕を抱きしめる。風が僕たちを受け止め、そっと地上に下ろす。
「……なにがあったの? あたし、ほんとにやっちゃた?」
 アオイが上半身を起こした。
「魔女が、生贄になった……」
 アオイの下で、僕は呆然と呟いた。
「時間の精霊は、魔女を永遠の国に連れていった。魔女が、それを望んだから……」
「つまり、あんたは助かったってこと?」
「…………」
 僕はショックのあまり、うなずくこともできなかった。
 でも、これでよかったのかもしれない。力の抜けた体で、ぼんやりと思った。時間の精霊の国に連れていかれて、僕にそっくりな先祖の騎士と永遠の刻を生きるのは、ちょっと気まずい。これまで通り、アオイにライバル視されたり活を入れられたりしながら医療の研究に身を捧げて年老いていくほうが、張り合いはある。
 魔女と騎士はこの世界では死んだけれど、精霊が造った永遠の国でいまも生きている。もしかしたら、魔女は本当に騎士のことが好きだったのかもしれない。僕を見た瞬間に見ひらかれ、ふっとやわらいだ黒い瞳、あれは、愛しい人を見つめるまなざしだった――
 そうか、僕はあの瞳の記憶を、一生引きずって生きていくことになるのか。……たまらないな。
 アオイが立ち上がり、僕に手を差し伸べる。黒い瞳が、嬉しそうに輝いている。その光に、僕はなんだか救われた気持ちになる。
 街のざわめきが耳に入る。時間の凍結から戻った人たちが、なにも知らぬまま日常をはじめようとしている。
 僕はアオイの手を借りて、立ち上がった。
「……まずは診療所に行ってみようか」
「そうこなくっちゃ!」
 アオイがはりきった笑顔で腕まくりをする。
 さあ、これから忙しくなるぞ。医療魔術師の卵として、ノースラスカ隣国の王子の一人として、やるべきことは、たくさんある。

5/19/2023, 6:44:17 AM