赤とんぼ

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5/6/2026, 11:34:14 AM

【明日世界が終わるなら……】


「このボタンを押すと24時間後に世界が消滅します。特別に貴方なら押してもいいけど…、押しますか?」
悪魔と名乗るその男は笑顔でそう言った。
その瞬間、僕は迷わずボタンを押した。

僕は世界を憎んでいた。
生きていても、良いことも楽しいこともなかった。常に僕にとって悪い方に回っていく世界を、僕は憎んでいた。そしてきっと、世界も僕を憎んでいた。

でもその世界も明日で終わるらしい。
僕はベッドにダイブした。今までの悪いことの思い出が全部消えていくような、そんな心地よさがあった。
でも僕はふと考えた。
明日世界が終わるということは、僕も終わる。
僕は死ぬんだ。そう考えると、押さなきゃ良かったかな、なんて思ってしまう。
ともかく明日世界は終わるのだろう。あの悪魔の言葉にはなぜか説得力があった。
最期なのだから、美味しいものでも食べて、貯金も使い果たして、やりたかったことを全部やろう。学校も今から行くところだったけどサボろう。単位なんてどうでもいい。明日全て意味が無くなるのだから。
僕は制服のネクタイを緩める。ブレザーのボタンを外し、カバンの中の教科書を全部出して、代わりに中に財布とスマホだけを入れて、家を出た。
こんなに堂々とサボれる日が来るなんてなぁ、と僕は幸せを噛み締めた。

それからの時間は人生で一番充実したものだった。
まず朝ごはん代わりにハンバーガーを食べた。普段はお金が勿体無いのと、母親から「成長期なんだから栄養のあるものをもっと食べなさい」と言われてしまっていたから、滅多にハンバーガーなんて食べられなかった。でももうお金の心配は無いし、うるさい母親も明日で消えるから大丈夫。母親の息子の健康を思う気持ちは分からなくもないが、好きなものを食べさせて欲しいものだ。
そしてゲーセンに行って、ひたすらゲームをした。お金を気にする必要がないというのは実に気が楽だ。このゲーセンは常連で、学校の友達とよく一緒に行った。あいつらは今頃つまらない授業を受けているんだろうな。最期にもう一度、一緒に遊んでおきたかった。少しボタンを押したことを後悔したが、すぐにその考えは消えた。だって僕は今とても幸せだ。
その次はお昼ご飯にフライドチキンを食べた後、しばらくフードコートでスマホをいじっていた。マナーモードにしていたから気づかなかったが、母親から大量のLINEと電話がかかってきていた。無理もない。僕は連絡もなしに学校をサボっているんだから。だけど、人生最後の日に今更学校に行くなんて馬鹿なことをする気分にはなれなかった。
その後もひたすら遊び歩いた。映画に行って、美容院に行って、服を買った。そして7時ごろに家に帰った。世界最後の日でも暗くなったら家に帰ってしまう習性は抜けないのが、優等生の悲しいところだ。
家に帰ると母親と父親にしこたま怒られた。学校をサボったのだから当然だ。だけど世界最後の日にそんなことで時間を潰してしまったのはちょっと癪だ。
夕飯は母親の作った栄養満点の肉じゃがには手をつけず、適当にカップラーメンを食べて、部屋にこもってスマホをいじった。スマホには友達からも電話が来ていた。
『おい学校休んでたけどどうしたんだよ』
『風邪?』
『風邪なら仕方ないけど学校に連絡くらい入れろよ』
『先生心配してたぞ〜』
今日が世界最後の日とも知らずに、呑気な内容の文章を送ってきている。
友達の顔を思い浮かべる。1日会っていないだけなのに懐かしいような気がする。今日が世界最後の日だからだろうか。

気づくと深夜3時を回っていた。
世界が終わる直前にのんびり寝るなんて馬鹿馬鹿しいとは思うが、寝不足で世界最後を迎えるというのもなんだか嫌だ。そう思い、ベッドに潜り込んだ。直前までスマホのブルーライトに当たっていたからか眠れない。それとも世界がもうすぐ終わるからだろうか。
じっとしていると家族や友人の顔がフラッシュバックする。いつもうるさかった母親。さっき肉じゃがを残した時は少し悲しそうな顔をしていた。世界が終わるんだし一口くらい食べてやれば良かったかな。気の弱かった父親。いつも静かなくせに今日僕が学校をサボった時は、今までに見たことないくらい怒っていた。意地悪な姉。最近彼氏ができたらしくてものすごく喜んでた。流石に彼氏が出来てすぐ世界が終わるっていうのは可哀想かな。いつもテンションの高かった友達。正直うざい時もあったが、いつだって僕を助けてくれた。学校の先生、クラスメイト、部活の先輩、近所のおじさん、一人一人の顔を思い浮かべるとなぜか涙が出てきた。あいつらの死が悲しく思えてきた。
あんなボタン、押さなければ良かったのかもしれないな。

「世界、終わって欲しいんじゃないの?」
悪魔がニヤニヤしながら僕に呟いた。
さっきまでいなかったのに、いつのまにか僕の学習机の椅子に腰掛けて頬杖をついてこちらを見ている。
「終わって欲しいよ。」
「じゃあなんで泣いてるのさ。」
「世界は大嫌いだけど、あいつらは嫌いじゃなかったのかもなぁ、なんて思ってたんだよ。センチメンタルになってるんだよ、世界最後だし。」
「ふーん。馬っ鹿みたい。」
悪魔はそう悪態をついて、僕の部屋をじろじろと眺め回した。
一体僕には今のどこが馬鹿みたいなのか分からなかった。
「世界終わるからってヤケになってたみたいだね。」
悪魔は部屋の床に散らばる教科書を見ながらそう言った。その教科書は朝に僕がカバンから教科書を出す際にぶちまけたものだ。
「そりゃみんなそうなるだろ。世界終わるんだし。」
「ふーん、の割には優等生じゃなかった?」
その悪魔の言葉に僕はイラッとする。
「何?どういうこと?」
「だってみんな世界が終わるよって言うと、嫌いな人殺したり、無銭飲食したり、建物燃やしたり、学校に爆破予告したりさ、するんだもん。君は随分優等生くんだね?」
悪魔は僕を煽るように見下ろし、小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「まあ元は優等生だからね。さすがに人の道から外れたことはしないよ。」
僕は悪魔を適当にあしらう。
悪魔はつまらなそうにそっぽを向く。
その瞬間、僕はハッとして、恐る恐る悪魔に話しかける。
「ねぇ、それってさ、つまり………、僕以外にも、世界が終わるよって言った人が何人もいるってこと……?」
その瞬間、悪魔は目を見開いて焦ったような笑みを浮かべる。その表情で察してしまった。信じたくもない現実を。
「あははは、バレちゃったぁ〜〜!」
悪魔はゲラゲラと笑いだした。それとは対照的に僕の顔は絶望で満ちている。
「そうそう、世界は終わらないよ〜!あんなボタン、偽物偽物!あるわけないって!何、信じちゃった?」

悪魔はやっぱり悪魔なのだ。

「じゃあさ、そういうわけだから帰るわ。君はすっごいつまんなかったよ。君みたいな人生最後の日の生き方は今までにいくつも前例がある。本当馬鹿だね。」
悪魔はひとしきり笑った後、また悪態をついて窓を開けて飛び立っていった。
僕はどうしようもない脱力感に襲われた。
僕は世界が終わると思ってめちゃくちゃにやってしまった。学校をサボって遊び回り、家族との関係も最悪だ。でもそんな人生最後の日の過ごし方は、あの悪魔からすれば心底つまらない過ごし方だったんだろう。なんだかそれに無性に腹が立った。

窓から冬の終わりの暖かい風が舞い込んでくる。カーテンが揺れるたびにポカポカとした朝の日差しが差し込む。それはまるで、世界は終わらないということを示唆しているようだった。

最悪の1日が始まった。
だけれど、この大嫌いな世界がまだ続くということが、なぜだか嬉しいような気もした。

5/5/2026, 2:34:30 PM

【君と出逢って、】


「君に出逢えて良かったよ。」
私はそう言って銃の引き金を引いた。

銃弾が彼に到達するまでの間、今までの思い出がフラッシュバックしていく。
彼の頭に赤い花が咲いたその瞬間、涙がとめどなく溢れた。必死に平然を取り繕おうとしているのに、申し訳ないという感情が押し寄せてくる。そして、彼が死んで悲しい、という今までにない感情も。

きっとこれは恋だったんだろう。


彼と私が出逢ったのはちょうど二年前、同期が死んでしまった私は、そいつの墓に添える花を彼の店へ買いに行った。
「お疲れですか?」
「え?」
唯一の同期が死んで、気が滅入ってしまった私は、とても暗い顔をしていたのだろう。彼の顔が本当に心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「ああ、少々仕事でやらかしましてね、」
「そうなんですね。疲れた時は花を育てると良いですよ。育てるのが難しいなら見るだけでも。きっと疲れが取れますから。」
彼は優しい口調でそう言った。
真剣に私のことを考えてくれている彼に対して、私は、そんなのはお前の持論だろう、と意地の悪いことを考えていた。「そう。」と適当に相槌を打って、梱包された花を彼から剥ぎ取り、店を出て行った。そんな私を見ても、彼は終始、心配そうに私を見ていた。

それから彼と話すことは無かったが、やたらと人の死ぬ仕事だ。定期的に花を買いに行った。その度に彼は私の体調を心配してくれた。私はその心配の言葉を全部適当にあしらって、ろくに聞いてもいなかった。今思えば、聞いておけば良かったと思う。

ある日のことだ。バディが死んだ。相棒だった。いつも一緒に、辛いことも悲しいことも乗り越えてきた相棒だ。私のせいで死んだんだ。相棒は、私を庇って死んだ。流石の私も精神にきたのか、仕事をしばらく休んだ。二週間ほど部屋にこもって、ひとしきり泣いた。ふと私は、相棒の墓に花を供えていないことを思い出した。私は重い腰を持ち上げて、花屋に行った。彼はまたもや私を心配した。今までにない心配の仕様だった。私が直前まで泣いていたために顔がぐしゃぐしゃだったのと、着の身着のまま来たのでボロボロの服を着ていたからだろう。でも私はそんなことどうでも良かった。彼から花を奪い取って、そのまま走って相棒の埋められた墓まで行った。
けれど、彼は追いかけてきた。
彼は息を切らしながら、私を追いかけてきたんだ。
私はなんだかそれが堪らなく嬉しくて、つい彼にみっともなく泣きついてしまった。そうして河川敷で彼に私の人生について話した。さすがに仕事の内容は言わなかったが、私が両親に先立たれたこと、それから残飯を食べて育ったこと、死と隣り合わせの職に就いたこと、同期が死んだこと、相棒が死んだこと、全部全部話した。話をしている間、私の涙が止まることはなかった。いつしか、彼も私につられて泣いていた。
その日から、彼と私はよく話すようになった。

彼の名は『村本 悠里』。小さな花屋の店員である。彼は本当に優しかった。次第に私は、用がなくても花屋に立ち寄るようになった。その時点で、私は彼のことが好きだったんだと思う。最初は彼の言葉を無視していたくせに、随分と都合のいい女だと思う。
けれど彼といる時間は私の血生臭い日々の唯一の安らぎだった。彼といると、自分が普通の人になれたような、そんな気がした。彼に勧められて、今まで全く興味のなかった花も育てるようになった。彼との交流は、色のないモノクロの世界に、美しい色を与えてくれた。
彼と、彼の育てた花が好きだった。
しかし私はそのどちらも、この手で壊してしまったんだ。

「次の標的はこいつだ。」
上司から一枚の書類が渡された。
私は自分の目を疑った。そこに記載されていた写真は、彼だったから。
彼の父親は大きな会社の社長らしいのだ。そんなこと彼は教えてもくれなかった。長男である彼がいなくなると、跡取り候補が次男に移る。次男と手を組んでいる我々は、次男に大企業の社長をやらせた方が都合がいいのだ。
私は上司に殴りかかりそうになるのを必死で抑えた。
人の命はそんな理由で踏み躙られていいものではない。でもそれは今まで私が平然とやってきたことだ。だから、彼であっても平等に殺すべきだ、と思った。今思うと頭がどうかしていたんだと思う。でも彼を殺さねば、と思った。それが、私が生きていくための道筋だったから。

そして今日殺した。
彼と少し雑談をした後、「カサブランカは咲いたの?そろそろ咲く時期だったよね?」と彼に問いかけた。彼はそう聞いた瞬間、パァッと顔を明るくして、「咲きましたよ!鈴木さんに見てもらいたかったんです!」と心底嬉しそうな声を出して、店の奥の方へ下がって行った。「黄色いカサブランカが見たいなぁ」と私は彼に向かって話しかけつつ、スーツの内ポケットから拳銃を取り出し、背中に隠す。「鈴木さんが花に興味を持つなんて、嬉しいです!」と店の奥から声が聞こえてくる。その声を聞いてちくりと胸が痛む。だが気づかないフリをした。
「これです!綺麗でしょ」
その瞬間、彼の時間が止まった。
その理由は勿論、私の手に拳銃があり、その銃口が彼に向けられていたからである。
「おもちゃ…ですか?」
「私に色々な花のこと、教えてくれてありがとう。私の体調や仕事のこと、いつも心配してくれてありがとう。」
私は彼の質問を無視して一方的に話す。
自然に、目頭が熱くなる。
「ありがとう、ごめんね。」
私は引き金に指をかける。

「君と出逢えて良かったよ。」

私はそう言って引き金を引く。
彼の頭には、彼が育てていた花のような美しい赤い花が咲いていた。
彼の手に乗っていた黄色いカサブランカの花は、彼の血で真っ赤に染め上げられていた。

私は溢れる涙をスーツの袖で拭いながら、自分のこめかみに銃口を向ける。
最期に彼とお揃いの赤い花で、頭を彩ろうと思ったのだ。

もし来世、彼とまた会えるなら、また花の話をしよう。今度は無視しない。一言一言大事に聞く。そして、もし君が許してくれるのなら、君の恋人にしてほしい。

私は指先に力を込める。
ゆっくりと引き金を引くのと同時に、口を開く。
どうせなら君に直接言いたかった、私の最期の言葉。

「愛してる、」

5/4/2026, 1:33:43 PM

【耳を澄ますと】


僕はその日、柄にもなく神頼みをしていました。
八月の、暑い日でした。

その日は確か、恥ずかしいことに、高三にもなって迷子になってしまったのです。
受験生の夏というのは、ひっくり返りそうなほどに忙しく、ただでさえストレスの多い毎日を送っているというのに、親も教師も口煩く、やれ勉強だのやれ進路だの偉そうに説教を垂れてくるのです。
そんな夏休みに飽き飽きした僕は、気分転換に散歩でもしようと、家を出たのです。
しばらく黙々と歩きました。数十分かもしれませんし、数時間かもしれません。もしかしたら数分しか歩いていないのかも。
どうだったとしても、夏の日差しの下をろくに暑さ対策もせずに歩き続けたのですから、次第に頭痛がしてきました。最初は数秒おきに頭を小突かれるような軽い頭痛でした。けれど歩いていくうちに、延々と殴られているような、激しい頭痛になりました。
「熱中症か…」
僕は観念して家に引き返して、受験生の日常に戻ろうと思い、立ち止まり、来た道を振り返りました。
驚きました。
そして、自分は余程我を忘れて歩いていたのだな、と妙に感心してしまいました。

そう、僕は全く知らない道に立っていたのです。

僕の周りにはうっそうとした林が広がっていました。周りには住居なんてのは、一軒も見えません。それどころか、電線や標識なんてのも見つかりません。
時間を経るごとに酷くなる頭痛に、文字通り頭を抱えながら、僕は来た道を戻って行きました。ですが、知っている道は一向に現れません。それでもひたすらに歩き続けました。

そうしていると、小さな神社がぽつんと建っているのを見つけました。こんな辺鄙な場所に神社なんて、と思いつつもその神社の屋根の下の日陰になっている部分に腰掛けて、頭の熱が下がるのを待っていました。数分休んだ後に立ち上がり、神社の正面に向き直り、ポケットに入っていたわずかな小銭を賽銭箱に投げ入れました。そして、二礼二拍手一礼、というよく聞くやつを、なんとなくやってみた後、「家に帰れますように、」と願をかけておいたのです。僕は神は信じないたちでしたが、上がり続ける気温と増していく頭痛にうんざりしたのか、人生最初で最後の神頼みをしたのでした。勿論、そんなものに効果があるわけではなく、僕の周りの景色は果てのない林でした。僕は小さくため息をついて、先ほどと同じ日陰に腰掛け、ゆっくりと瞼を落としました。

そうしているうちに眠ってしまったのでしょうか。目を開けると、夕方になっていました。先ほどの頭痛は、まだ完全に消えたとは言い難いですが、少しはマシなものになっていました。
それともう一つ、先ほどとは違う点がありました。
僕の目の前に和服を着た少女が立っていたのです。

「道が分からないのですか?」

少女は拙い発音で僕にそう問いかけました。
僕は小さく頷きました。少女はそれを見て、薄く笑うと、僕を手招きしました。
「案内してあげる。」
少女はそう言って道をずんずんと進んで行きました。僕は慌てて少女を追いかけました。訳は分からないのですが、少女が家に帰してくれると言うのです。僕は自分で道も分からないので、少女の一回りも二回りも小さな背中を頼りに、林の中のあぜ道をただただ歩きました。

少女と僕は歩いている間、一言も会話を交わすとこはありませんでした。今思えば、家の場所くらい説明しなければいけなかったんですが、説明しなくても少女には僕の家が分かるという根拠のない自信があったのです。
その自信は恐らく彼女の風変わりな格好からきていると思います。彼女は今の時代には珍しく和服を着ていました。巫女さんの服に近いような気がします。あの神社の巫女なのでしょうか。けれどあの神社は小さな社が一つあるだけで、どこからどう見ても無人でした。彼女の髪は薄茶色で、肌も白く、全体的に色素が薄いような気がしました。そして髪には、鈴の飾りのついたリボンが左右に付いていて、彼女が歩くたびに、小さく鈴の音が聞こえました。
そして、熱と頭痛で朦朧としていたからかもしれませんが、彼女には狐のような耳が生えていたような気がします。見間違いかもしれません。いいや、見間違いだと思います。でも、確かに生えていた気がするのです。

「着いたよ。」
彼女はしばらく歩くと足を止め、こちらを向いて笑顔でそう言いました。
目の前には、僕の家がありました。
いつの間に林を抜けたのでしょうか。僕の家の周りにあのような林は無かったはずでした。
彼女は「きっと熱が出るからゆっくりと休むんだよ。」と可愛らしい声で僕に向かって話した後、身を翻して走ってどこかに行ってしまいました。彼女の髪飾りに付いている鈴の音が、静かな住宅街に響き渡りました。
礼の一つも言えなかった。
僕はそのことに気づいて、少女を追いかけたのですが、もう少女の姿は無く、ただその場に立ち尽くしました。

彼女の予想通り、僕は高熱を出しました。
思えば彼女の言動は最初から最後まで不思議でした。なぜ僕の家の場所が分かったのか、なぜ熱が出ることを知っていたのか、なぜ狐耳が生えていたのか、なぜあんな場所にいたのか、などと考えれば幾つでも不思議なことは浮かぶのですが、僕は考えるのをやめました。

僕はあの神社を探しましたが、勿論というか、見つかりませんでした。あの神社は幻覚だったのでしょうか。白昼夢でも見ていたのでしょうか。
僕は神などは信じていませんでしたが、神様だって一人くらいいてもいいのかもしれませんね。

僕はあの日のような、うっそうとした林を歩くことがあったら、耳を澄ませてみるのです。
もしかしたら、あの少女の髪飾りの鈴の音が、聞こえるかもしないと、、、

もし少女にもう一度会えたなら、あの時のお礼を言いたいなと思います。

5/3/2026, 12:02:42 PM

【二人だけの秘密】


「私が宇宙人ってことは秘密にしてね。」
悪戯っぽく微笑む彼女を俺はただ茫然と見つめていた。

ことの発端は数時間前に遡る。
放課後の教室、突然呼び出されたかと思えば、彼女は真剣な顔で
「貴方は本当に地球人?」
と問いかけてきたのである。
そう俺に言った少女はこのクラスのマドンナ的存在である『有栖川 花芽』。彼女を初めて見た時は、可愛い子は名前まで可愛いのか、なんて呑気ことを考えていたものだが、まさかこんな不思議っ子だとは思わなかったな。いや、これはもう不思議っ子なんてレベルではないだろう。
「ええと、有栖川さん?一体、何の話なんですかね、?」
俺は至って平然を装いながら、有栖川さんに問う。同学年なのに敬語になってしまうのは、有栖川さんが訳の分からないことを言い出したというのもあるが、美少女すぎるというのもあるんだろうな。
「とぼけないで。貴方は地球人ではないんでしょう?これ以上、シラを切っても無駄よ。」
有栖川さんは理解の追いついていない俺を放置して、自分の見解を鬼の首をとったかのように語り出した。
「証拠はあるの。貴方が今日の昼休み、屋上で何かと交信しているところを見たわ。そして、さっきは誰かと電話していたようだけど、暗号で話しているようね?明らかに日本語の文法がおかしかった。」
彼女はそう一息で捲し立てた後に、俺の胸ぐらを掴み、険しい表情で怒鳴った。
「正体を現しなさい!どこの星の者なの!?」
随分と困ったことになった。
なにしろ、彼女の証拠は何一つ合っていない。
屋上で交信していた、というのは普通に屋上で一人でふざけて遊んでいただけである。珍しく屋上に誰もいなかったので、即興のダンスを踊ってしまったのだ。しかし、有栖川さんに見られているとは思ってもいなかった。今、猛烈に後悔している。めちゃくちゃ恥ずかしい。
そして暗号で電話していた、というのはただ友人に連絡をしていただけなのである。これは単に、誰にだってあるであろう、二人の間でしか分からない言葉、というやつである。でも確かに側から聞いたらなんて言っていたかなんて分からない。
という訳で、彼女の言った根拠はどちらもただの男子高校生にありがちな話だったのである。だが、それをいくら不思議っ子と言っても、クラス一の美少女に包み隠さず話すのは、俺のプライドが傷つくというものだ。という訳で、適当に誤魔化すことにした。
「な、何言ってるの…?見間違いだよ、どっちも。っていうか、だからって宇宙人って……。宇宙人なんている訳ないじゃん?え、何もしかして比喩表現?」
だがそんな言い訳では彼女の表情は柔らかくなるどころか、さらに険しさを増していった。
「何言ってるの!?宇宙人がいないとか、今更そんなに地球人ぶっても私の目は誤魔化せないんだからね!?」
「はぁ?何、それ。意味わかんないよ。俺には君の方が宇宙人に見えるけど。」
それは冗談で言った言葉だったが、妙に納得してしまった。確かに彼女は宇宙人なのかもしれない。美人だし、何よりこんな奇想天外なことを言い出すなんて、宇宙人としか言いようがない。そうだ、宇宙人だ。
そうしてぐるぐると思考を回している俺を有栖川さんは真っ直ぐに見つめて、そして不思議そうな顔で口を開いた。
「何を言っているの?宇宙人に決まってるでしょ?正確にはエルパンドル星人だけどね。何?あんた知らなかったの?宇宙人のくせに他の宇宙人がいることも見抜けないなんて、諜報員失格ね?」
彼女がそんなふざけた内容をあまりにすました顔で言うものだから、俺はどうにも拍子抜けしてしまった。「…エルパンドル?何言ってんだよ。頭打ったのか?」
俺がそう言うと、彼女は激昂した。
「まだ知らないふりをする気!?証拠だってあるのに、しぶといわね!」
彼女は顔を真っ赤にして怒り出す。
いつまでこの会話を続けるんだろう。
時計を見ると、時刻は五時半を回っていた。そろそろ帰りたい……。だがこの女はどうにも諦めてくれなさそうだった。俺は意を決して
「ああ、わかったわかった。屋上の件も電話の件も、あれだ、ダンス踊ったり自分達で作った適当な言葉を話してただけなんだよ。信じてくれ。じゃあ俺は帰るから。」
と告白した。
こんな変な女にそんなことを知られたって、今更どうでもいいが、やはり自分の秘密を知られてしまったかのようなむず痒さがある。
俺は教室を出ようと扉に手をかけた、瞬間だった。

「待ちなさい!!」

突然ドンッッと鈍い音がした。
その音に驚いて、つい目を瞑ってしまった。数秒たった後、ゆっくり目を開ける。すると、俺の目に映ったのは信じ難い光景だった。
教室の扉が、粉々に砕け散っていたのだ。
ガラスの破片が手に刺さって痛い。だがそんな痛みを忘れさせるほどに衝撃的な出来事だった。
「次は貴方がそうなるわよ。」
振り向くと、こちらに向かって手をかざしている有栖川さんがいた。
その瞬間に、こいつは宇宙人なんだ、と理解した。これを否定する理由も根拠も見つからなかった。
「待ってくれ…、俺は本当に宇宙人じゃない!本当にふざけて遊んでいただけなんだ。」
俺は必死に説明する。だが彼女の瞳は揺るがない。
プルルルルルルルルル……
着信音がした。俺の携帯じゃない、有栖川のだ。
有栖川は俺に手をかざしたまま、携帯を取り出し、誰かと通話しだす。形こそ普通のスマホだが、変なアンテナの生えた、実に異質な携帯だった。
「はい……はい……。ええ、だから今ちょうど………、えっ!?本当に……?……ええ、わかりました、」
有栖川はそんな会話をした後、携帯をポケットにしまって、こちらに向き直り、気まずそうに口を開いた。
「貴方、宇宙人じゃないのね、」
「最初からそう言ってただろ!!」
ついツッコんでしまった。
その後、その女は記憶を消すだの記憶消去装置を失くしただの一人でてんやわんやしていたが、最終的には冒頭のセリフを吐いて、教室を出て言った。

つまり状況を整理すると俺は、美少女との秘密を作ってしまった訳である。俺も男子高校生なので、ミステリアスな美女との二人だけの秘密、とかそういうシチュエーションに憧れてはいたが、いくら美少女でもこんな我儘宇宙人との秘密など望んではいなかった。

予想もしていなかった展開の連続に、俺の体はぐったりと疲れていた。ふと、教室の砕け散った扉の方へ目をやる。
この扉は一体明日にはどうなるのだろうか、俺は教師に怒られたりするのか、と今となってはどうでもいいことを考えながら扉の瓦礫を跨ぐようにして教室を出た。

5/2/2026, 12:10:10 PM

【優しさだけできっと】


榊くんに振られて二ヶ月。
ついに縁を切った。


私と榊くんが出会ったのは去年の九月。
彼氏に浮気されて傷心中の私を慰めてくれたのが榊くんだったのだ。
あの日のあの瞬間をはっきりと覚えている。

「東さん?えっ、泣いてる?どうしたの?」

榊くんは暗くなるまで何時間もただのクラスメイトでしかない私の話を聞いてくれた。
私と一緒に怒ってくれる榊くんに、調子のいい私は彼氏と別れたばかりだというのにあっという間に恋をしてしまった。
そこから榊くんと私はどんどん仲良くなった。
よく放課後に一緒にマックに行って恋バナをして、プリクラを撮って、、榊くんとの毎日は充実していた。
榊くんは優しかった。
私が困った時、自分がどんなに忙しくても助けてくれた。放課後遊んだ後は暗いからといつも家まで送ってくれた。
そして私は調子に乗った。
あろうことか、そんな榊くんの優しさを勘違いしてしまったのだ。私のことが好きなのではないか、だなんて。

私は告白した。
振られた。

そして今に至る。
それでも榊くんは優しかった。私を嫌わなかった。
気まずいだろうに、告白なんてなかったかのように、今まで通り接してくれた。
その優しさが刺すほどに痛かった。
榊くんに優しくされる度に、「もしかして…」なんて思う馬鹿な自分がいる。そんなことはあり得ないと分かっているのに、、。
榊くんは私のために今まで通りでいてくれている。そんな榊くんにまた告白なんてことをしたら、それはつまり榊くんの気遣いを無駄にするってことなんだろう。お互いの気まずい気持ちを消そうと奮闘してくれているのに、それをまた気まずくさせるのだ。それこそ本当に榊くんに嫌われてしまう。
だから私は自分の気持ちを押し殺して、友達を続けた。

そんな日々が二ヶ月も続いた。
それでもやっぱり榊くんが好きだった。いつか私は榊くんの優しさに、きっと壊されてしまうんだと思う。
私は決心した。
榊くんと極力話さないように、榊くんを避けた。LINEもブロックした。最初こそ榊くんは私と話し合おうとしていたが、そんな日々が続くと次第に榊くんの方からも私を避けるようになった。最近は目も合わなくなった。
優しい榊くんのことだから、私が榊くんを避けてることに気づいて、話しかけずにいてくれているんだと思う。
これが全て間違ってることなんて気づいてる。
でもまた私が調子に乗らないように、榊くんの優しさに触れてしまう前に、、、こうする他なかった。

今日も窓から中庭で友達と話している榊くんを眺める。榊くんを眺めていると、まだ「好きだなぁ」なんて思ってしまっている私がいる。
その瞬間、何日ぶりかに榊くんと目があった。
私は急いで目を逸らす。目を逸らす直前、一瞬だけ、私に向かって榊くんが何か呟いた気がした。それもまた気のせいなのかもしれない。
未練を残しつつもその場を後にした。

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