赤とんぼ

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5/1/2026, 10:01:38 AM

【カラフル】


下手くそな絵だった。

誰に見せても『一体何の絵なの』と尋ねられた。私はその度に優越感に浸っていた。
色とりどりのカラフルな色鉛筆で、まるで殴り書きにでもされたようなぐちゃぐちゃな絵。絵里は笑って「雪ちゃんの好きな青色、たくさん使ったんだよ。」と嬉しそうに言っていた。青色が好きだったことなんてなかった。

絵里と私は美術部だった。
絵里とは別の友達が美術部に私と入りたいと言うから入った。友達と一緒ならどこでも良かった。
でも絵を描くのはずっと難しかった。私の絵はいつも単調でのっぺりとしていて、いかにも素人の絵という感じだった。それが恥ずかしくて仕方なかった。顧問の先生に何か教えられる度に消えたくなった。

でも絵里の方がずっと絵が下手だった。
聞けば絵里は物心がついた頃から絵を描くのが大好きで、暇さえあれば絵を描いていたそうだ。その割に物心のついていない子供と同等の絵を描いていた。絵里は自分の絵を抽象画だなんだと言っていたが、どうみてもへにゃへにゃの絵が何本も引いてあるだけだった。もちろんそんな絵里の絵には賛否両論もあった。
そんな絵里を表では絵里の絵の一番の理解者のように振る舞っていたが、心の中では常に馬鹿にしていた。自分より絵が下手な子がいる、それだけで私は美術部での居場所を獲得できたような気がして、『自分より下手くそな絵を描く絵里に優しくしないと』という訳の分からない正義感から、絵里に毎日話しかけていた。
あの日の会話をはっきりと覚えている。

「絵里、それは何の絵なの?」
「これ?これはねぇ〜〜、うさぎ!雪の日のうさぎの絵だよ〜〜〜!」
絵里はいつもの舌ったらずな声で絵から目線を外さずにそう言った。
それのどこが兎なんだ。どう見ても子供の落書きだろ。いい加減に自分の絵が下手くそだと自覚しろ。
いつも心の内では絵里に対して悪態をついていた。自分の性格の悪さに吐き気がする。
私はそんな性格の悪さも感じさせない純粋な笑顔で、絵里に向かって、努めて明るく優しくそう言った。
「すごいねぇ、絵里。本当に素敵な絵を描くよね。私、絵里の描く絵すごい好き。絵里はいい画家になれるよ。」
そう、絵里は画家になりたがっていたのだ。
絵里がその夢について語る度、『寝言は寝て言え』と言いたくて堪らなかった。
今日もその下手くそな絵里の絵を見て、自己肯定感を上げて、自分の制作している絵に取り掛かる。
先生が絵里を呼び出したのはその直後だった。

呼び出された後、絵里は顔を真っ赤にして興奮しながらこちらに向かって走ってきた。見間違いでなければ、泣いていたと思う。
「入賞!入賞!雪ちゃん!!絵里、入賞したんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、全身の血の気がひいた。
絵里が?入賞?あの下手くそな絵里が??
認めたくない事実が頭の中で交差する。
そして私は気づいてしまった。
絵里が賞を取った以上、絵里の絵は偉い人に認められたということで、ということはこの美術部で一番絵が下手なのは私ということになる。

無性に腹が立った。
絵里が賞を取ったコンクールには私も応募したのだ。審査員は私の絵と絵里の絵を比べて、絵里の絵を選んだ。そういうことだ。
全身から沸々と怒りが湧いてきた。
私は絵里に大声で罵声を浴びせた。絵里がもう自分が絵が上手いなんて、画家になろうなんて、思わないように粉々に叩き潰した。今まで押し込めていた絵里の絵への気持ちが、全部吐き出された感じだった。

そして、私が美術部に居場所がなくなったのは言うまでもない。美術部員が広めたのか、クラスのみんなも随分とよそよそしくなった。
絵里も私と目が合う度に泣きそうな顔をして、顔を背けるようになった。その瞬間、私はどうしようもなく悲しくなった。
ずっと絵里のことが嫌いだったのに、絵里に嫌われてしまうと、ひどく悲しかった。途端に謝りたくて、土下座したくて仕方なくなった。
私は本当は絵里のことが好きだったのかもしれない。絵里の隣にいると、他の誰よりも安心したから。一人になることを嫌う私が、気負わず付き合える人だった。そんな子を裏切った罰として、今独りぼっちになっているのかもしれない。

昼休みに忍び込んだ美術室で、絵里の未完成の絵を見ながらそんなことを考えた。
私の好きな青色をたくさん使った下手くそな絵。あの日から、描き進められていない。
本当は青色なんか好きじゃなかった。ずっとピンクが好きだった。好きな色は、小学生の時に変えた。可愛い色を好きというと、『ぶりっ子』だの『似合わない』だの言われてしまうから。きっと絵里ならそんなこと気にしないんだろうな。

私は目の淵に溜まった涙をブレザーの袖で拭いた。ブレザーには部活の際について落ちなくなった青い絵の具が付いている。
私は近くに放置してあった絵里の色鉛筆の箱を開ける。
そしてピンクの色鉛筆を取り出し、描きかけの絵の隅に一本の線を引いた。

4/30/2026, 3:03:27 PM

【楽園】


私は俗に言う不良、というもののようで、学校は一週間に二回程度しか行かなかったし、親もそんな私を放置して遊び歩いているので、何の問題もなかった。単位が取れずに留年するのは問題だが、なら高校を辞めればいい。金に困ればパパ活でもして生きていこう、なんて人生を軽く見ていた。
今日、私は廃墟になったビルに忍び込んだ。というのも、実は道の真ん中にパトカーが止まっていたからだ。童顔な私は、平日の昼間に一度警察の目の留まろうものなら、「学校は?」「親御さんの連絡先は?」としつこく聞かれてしまうのである。という訳で、警察から隠れるために廃墟のビルに入ってしまった。この判断が全ての過ちだったのである。

私は、ビルの窓からパトカーが動くのを待っていた。待てども待てどもパトカーが動かないので、いつしか私は眠り込んでしまった。

目が覚めると、知らない男が私の顔を覗き込んでいた。驚いた私は「うわぁっ」と短く叫んだ。何せ男は、言葉通り目の前、顔を動かせば頭がぶつかるような距離にいたのである。
「だ、誰だよお前!」
私は突き飛ばすように男の胸に手を当てて押そうとしたが、私の手はすっと男の体を貫通した。
「ひっ!」
私は怯え、四つん這いになりながら、必死に男から距離を取った。寝ぼけていたので最初は分からなかったが、よくよく見ると男は少し透けていた。ということは、実体がないのである。なのに私には男の姿がありありと見える。不思議な心地だった。
男は異常なほどに青白い肌をしていた。顔色が悪いというレベルではない。白いというより、むしろ灰色に近いのではないだろうか。だが、男の髪は驚くほどに白く、とても美しいものだった。長い前髪で顔はよく見えなかったが、瞳が真っ黒で、私の顔を反射していた。男は痩せていたが長身で、丸腰の女子高生が戦って勝てる相手とは思えなかった。

殺される、

男に実体がないと悟った私は真っ先にそう思った。
逃げなくては、と思い少しずつ扉の方へ後退りした。すると男はにんまりと笑って、私の両手を自分の両手で掴んだ。というより、繋いだに近いかもしれない。男の手は冷たかった。
「君には僕が見えるんだ、」
男は抑揚のない声でそう言った。
男は先ほどと同様に、ギリギリまで顔を近づけ、私の顔を見つめた後、嬉しそうに微笑んだ。
「君が、好きだ。」
そこからの私の記憶は曖昧だ。
詩に出てきそうな愛の言葉をひたすら私に囁いたかと思えば、私の顔や体を興味深そうにじろじろと見つめている。
「やめて!」
痺れを切らした私は男を睨み、怒鳴りつける。
「あんた、誰なの!?なんかさっき触った時、透けたけど!人間じゃない奴に、急に好きとか言われても意味わかんないから!」
私は一気に捲し立てる。
男はじっと私の顔を見つめている。感情の読み取れない顔で。
今度こそ、、殺されるかも。
そんな考えが頭をよぎる。
「そっかぁ!僕のこと知らないもんね。」
男は何故か納得したようで、ポンと手を叩いて、気味の悪い笑顔をこちらに向けている。
「僕はね、もうずーっと前に死んでるんだ。生前の記憶はなくて、ずっと一人ぼっちで、みんなは僕のことが見えないみたいだし、寂しかった。けど、もう君がいるから大丈夫。ここは薄暗くて、寒くて、でもね、君がいればどんな場所でも楽園になる気がするんだ。」
男は訳の分からないことをひたすら語った後、にっこりと笑って私の手を握った。触れるはずもないのに。
「僕のお話はもうしたよ。次は君の番。」
私はその言葉を無視し、急いで部屋を出る。
あいつは私の体に触れられないのだから、止めようがないはずだ。
転びそうになりながらも階段を駆け下り、ビルの外に出る。パトカーはもういなくなっていた。私は全速力で家までの道を走る。家に着くと、私は玄関の鍵を閉め、床にへたり込む。
戸締まりをする程度であの化け物を防げるのか分からないが、それでも気休め程度にはなるはず。
十分ほど息を整えたところで私は立ち上がり、リビングへ向かう。ゴミ袋とビールの空き缶が散乱する廊下を抜け、リビングへの扉を開く。
私は目の前の光景に息を呑む。
そこにいたのは、紛れもなくあの男だった。
「なんでっ…!」
私は尻もちをつく。腰を抜かしてしまった。立ち上がれない。
「好きな人のことだからね。どこへ行こうと分かるよ。」
男はいつもの気味の悪い笑みを浮かべて私に手を差し伸べる。
「転んだね。大丈夫?」
男は例の如く抑揚のない声だったが、なぜだか私を心配しているような気がした。
「触れないから。」
「そういえばそうだね。」
私が冷たくあしらうと、男はハッとしたような顔をした。目元が前髪で隠れているので表情の機微が読み取りにくい。
「私を、殺さないの?」
「えっ?殺すだなんてとんでもない!君のことが大好きだからね。痛いことはしないよ。触れないのは残念だけどね。でも君が死んだ後ならいつでも触れるから寂しくはないよ。だから、あまり長生きしないでね。」
相変わらずこの男の言っていることは理解できない。だけど、ひとまず殺す気がないということが分かって、なんだか拍子抜けしてしまった。
あろうことか私は、「まあ危害を加えないならほっといてもいいか」なんて思ってしまったのである。その私の変化を読み取ったのか、男は今までより一層嬉しそうな顔をして、「愛してるよ」なんて言って、触れもしないくせに私を抱きしめてきた。その男の腕の中はひんやりしていて、不覚にも安心してしまった。

その日から私とその幽霊野郎との生活が始まった。
こいつはやはり私にしか見えないようで、勝手に好きな時間に家に入ってきては、ちょっかいを出してくる。私は最初はうざいと思っていたし、まだ殺されるかもしれない恐怖があったが、私の唯一の話し相手でもあるため、次第に自分から話しかけたり相談したりするようになった。一度こいつが、どうしても名前が欲しいのでつけてくれと頼み込むので、『ポチ』という名をつけた。流石に怒るかなと思っていたが、どうやら気に入ったようだった。幸せな脳みそだな…。

「陽乃はいつもそれを食べているね。」
陽乃というのは私の名前だ。
「僕はもっと料理って時間のかかるものだと思っていたなぁ。どの人間もそればっかり食べるのかい?」
ポチは全く悪気のなさそうな声でそう言った。私の手にはカップラーメンが握られている。
「違うよ。そういう家もあるけど、普通の家はちゃんとした時間のかけられたご飯を食べることの方が多いと思う。」
「陽乃の家は普通じゃないの?」
「お母さんは私のことが好きじゃないんだ。だから時間のかけたご飯をくれないの。」
「陽乃のことが好きでない人なんているんだね。」
「いっぱいいるよ。」
「え!?そうなの?例えば?」
「お母さんもだけど、学校の人たち。お隣さんとか。私のことが好きな人なんて、ほとんどいないと思う。」
「へぇ、変なの。陽乃はその人たちが嫌いなの?」
私のラーメンを食べる箸が止まる。
私は一呼吸置いてから、ポチの方を見て答える。
「大嫌い」
私はまたラーメンに視線を移す。
「でもその人たちに頼らなきゃ生きていけないんだ。みっともないよね。」
私は自嘲的な笑みを浮かべてそう話す。
「殺そうか?」
ポチがいつもの何を考えているのかわからない声でそう答える。
「…できるの?」
「できるよ。人を殺すのはやったことがないけど、陽乃のためなら頑張るよ。」
私は数秒固まった後、再びラーメンを食べ進める。
「でも殺しちゃ駄目。やったらあんたのことなんかもう嫌いだから。」
「ええ、それは困る。」
ポチは少し泣きそうな顔をした。
けれど、私は少し安心した。
「ポチ。」
「なぁに?」
「明日、学校に行こうと思うの。」
「へぇ。よく分かんないけど、出かけるの?」
「うん。一緒に来て欲しい。」
そう言った瞬間、ポチは目を輝かせた。
「いく!」
私からポチをどこかに連れていこうとしたことが初めてだったからだろう、ポチは嬉しそうに答えた。
犬みたいだ。名前をポチにしたのは正解だったかもしれない。
学校に行こうと思ったのは他でもないポチがいるからだ。もし何か言われても、ポチに殺せと言えば嫌な奴は消える。そうする気なんてさらさら無いが、ポチの後ろ盾があると思えば、幾分楽な気がした。母親と話す時もそうしよう。ポチが後ろに立っていれば、あの母親も寒気がして怒る気がなくなるかもしれない。

ポチは私の唯一の話し相手で、後ろ盾だ。
もしポチが明日いなくなったとしたら、私はパニックになるかもしれない。私も存外、ポチに依存しているのかもしれないな。
「ねぇ、ポチ。」
「何?」
「ポチはさ、私がいればどこででも楽園、って前に言ってたよね?」
「そうだね。」
「じゃあさ、私から離れていったりしないでね。」
そう言うとポチは今までに無いくらい嬉しそうに、満面の笑みを浮かべて
「うん。」
そう呟いて、触れるはずのない私の髪を撫でた。