赤とんぼ

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【明日世界が終わるなら……】


「このボタンを押すと24時間後に世界が消滅します。特別に貴方なら押してもいいけど…、押しますか?」
悪魔と名乗るその男は笑顔でそう言った。
その瞬間、僕は迷わずボタンを押した。

僕は世界を憎んでいた。
生きていても、良いことも楽しいこともなかった。常に僕にとって悪い方に回っていく世界を、僕は憎んでいた。そしてきっと、世界も僕を憎んでいた。

でもその世界も明日で終わるらしい。
僕はベッドにダイブした。今までの悪いことの思い出が全部消えていくような、そんな心地よさがあった。
でも僕はふと考えた。
明日世界が終わるということは、僕も終わる。
僕は死ぬんだ。そう考えると、押さなきゃ良かったかな、なんて思ってしまう。
ともかく明日世界は終わるのだろう。あの悪魔の言葉にはなぜか説得力があった。
最期なのだから、美味しいものでも食べて、貯金も使い果たして、やりたかったことを全部やろう。学校も今から行くところだったけどサボろう。単位なんてどうでもいい。明日全て意味が無くなるのだから。
僕は制服のネクタイを緩める。ブレザーのボタンを外し、カバンの中の教科書を全部出して、代わりに中に財布とスマホだけを入れて、家を出た。
こんなに堂々とサボれる日が来るなんてなぁ、と僕は幸せを噛み締めた。

それからの時間は人生で一番充実したものだった。
まず朝ごはん代わりにハンバーガーを食べた。普段はお金が勿体無いのと、母親から「成長期なんだから栄養のあるものをもっと食べなさい」と言われてしまっていたから、滅多にハンバーガーなんて食べられなかった。でももうお金の心配は無いし、うるさい母親も明日で消えるから大丈夫。母親の息子の健康を思う気持ちは分からなくもないが、好きなものを食べさせて欲しいものだ。
そしてゲーセンに行って、ひたすらゲームをした。お金を気にする必要がないというのは実に気が楽だ。このゲーセンは常連で、学校の友達とよく一緒に行った。あいつらは今頃つまらない授業を受けているんだろうな。最期にもう一度、一緒に遊んでおきたかった。少しボタンを押したことを後悔したが、すぐにその考えは消えた。だって僕は今とても幸せだ。
その次はお昼ご飯にフライドチキンを食べた後、しばらくフードコートでスマホをいじっていた。マナーモードにしていたから気づかなかったが、母親から大量のLINEと電話がかかってきていた。無理もない。僕は連絡もなしに学校をサボっているんだから。だけど、人生最後の日に今更学校に行くなんて馬鹿なことをする気分にはなれなかった。
その後もひたすら遊び歩いた。映画に行って、美容院に行って、服を買った。そして7時ごろに家に帰った。世界最後の日でも暗くなったら家に帰ってしまう習性は抜けないのが、優等生の悲しいところだ。
家に帰ると母親と父親にしこたま怒られた。学校をサボったのだから当然だ。だけど世界最後の日にそんなことで時間を潰してしまったのはちょっと癪だ。
夕飯は母親の作った栄養満点の肉じゃがには手をつけず、適当にカップラーメンを食べて、部屋にこもってスマホをいじった。スマホには友達からも電話が来ていた。
『おい学校休んでたけどどうしたんだよ』
『風邪?』
『風邪なら仕方ないけど学校に連絡くらい入れろよ』
『先生心配してたぞ〜』
今日が世界最後の日とも知らずに、呑気な内容の文章を送ってきている。
友達の顔を思い浮かべる。1日会っていないだけなのに懐かしいような気がする。今日が世界最後の日だからだろうか。

気づくと深夜3時を回っていた。
世界が終わる直前にのんびり寝るなんて馬鹿馬鹿しいとは思うが、寝不足で世界最後を迎えるというのもなんだか嫌だ。そう思い、ベッドに潜り込んだ。直前までスマホのブルーライトに当たっていたからか眠れない。それとも世界がもうすぐ終わるからだろうか。
じっとしていると家族や友人の顔がフラッシュバックする。いつもうるさかった母親。さっき肉じゃがを残した時は少し悲しそうな顔をしていた。世界が終わるんだし一口くらい食べてやれば良かったかな。気の弱かった父親。いつも静かなくせに今日僕が学校をサボった時は、今までに見たことないくらい怒っていた。意地悪な姉。最近彼氏ができたらしくてものすごく喜んでた。流石に彼氏が出来てすぐ世界が終わるっていうのは可哀想かな。いつもテンションの高かった友達。正直うざい時もあったが、いつだって僕を助けてくれた。学校の先生、クラスメイト、部活の先輩、近所のおじさん、一人一人の顔を思い浮かべるとなぜか涙が出てきた。あいつらの死が悲しく思えてきた。
あんなボタン、押さなければ良かったのかもしれないな。

「世界、終わって欲しいんじゃないの?」
悪魔がニヤニヤしながら僕に呟いた。
さっきまでいなかったのに、いつのまにか僕の学習机の椅子に腰掛けて頬杖をついてこちらを見ている。
「終わって欲しいよ。」
「じゃあなんで泣いてるのさ。」
「世界は大嫌いだけど、あいつらは嫌いじゃなかったのかもなぁ、なんて思ってたんだよ。センチメンタルになってるんだよ、世界最後だし。」
「ふーん。馬っ鹿みたい。」
悪魔はそう悪態をついて、僕の部屋をじろじろと眺め回した。
一体僕には今のどこが馬鹿みたいなのか分からなかった。
「世界終わるからってヤケになってたみたいだね。」
悪魔は部屋の床に散らばる教科書を見ながらそう言った。その教科書は朝に僕がカバンから教科書を出す際にぶちまけたものだ。
「そりゃみんなそうなるだろ。世界終わるんだし。」
「ふーん、の割には優等生じゃなかった?」
その悪魔の言葉に僕はイラッとする。
「何?どういうこと?」
「だってみんな世界が終わるよって言うと、嫌いな人殺したり、無銭飲食したり、建物燃やしたり、学校に爆破予告したりさ、するんだもん。君は随分優等生くんだね?」
悪魔は僕を煽るように見下ろし、小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「まあ元は優等生だからね。さすがに人の道から外れたことはしないよ。」
僕は悪魔を適当にあしらう。
悪魔はつまらなそうにそっぽを向く。
その瞬間、僕はハッとして、恐る恐る悪魔に話しかける。
「ねぇ、それってさ、つまり………、僕以外にも、世界が終わるよって言った人が何人もいるってこと……?」
その瞬間、悪魔は目を見開いて焦ったような笑みを浮かべる。その表情で察してしまった。信じたくもない現実を。
「あははは、バレちゃったぁ〜〜!」
悪魔はゲラゲラと笑いだした。それとは対照的に僕の顔は絶望で満ちている。
「そうそう、世界は終わらないよ〜!あんなボタン、偽物偽物!あるわけないって!何、信じちゃった?」

悪魔はやっぱり悪魔なのだ。

「じゃあさ、そういうわけだから帰るわ。君はすっごいつまんなかったよ。君みたいな人生最後の日の生き方は今までにいくつも前例がある。本当馬鹿だね。」
悪魔はひとしきり笑った後、また悪態をついて窓を開けて飛び立っていった。
僕はどうしようもない脱力感に襲われた。
僕は世界が終わると思ってめちゃくちゃにやってしまった。学校をサボって遊び回り、家族との関係も最悪だ。でもそんな人生最後の日の過ごし方は、あの悪魔からすれば心底つまらない過ごし方だったんだろう。なんだかそれに無性に腹が立った。

窓から冬の終わりの暖かい風が舞い込んでくる。カーテンが揺れるたびにポカポカとした朝の日差しが差し込む。それはまるで、世界は終わらないということを示唆しているようだった。

最悪の1日が始まった。
だけれど、この大嫌いな世界がまだ続くということが、なぜだか嬉しいような気もした。

5/6/2026, 11:34:14 AM