手を繋いで
「百合華、危ないよ」
そう言って祖母は私に手を差し出す。私も
「はあい」
と答えて手を握る。
こんなことがあったのは一体何年前のことだろうか。
私的には数年前のように感じるが、数えてみるとおそらく十数年、いやもっとかもしれない。
あの時私に手を差し出した祖母は、私の目の前で少し苦しそうに寝込んでいる。祖母が寝たきりになってもう1年以上になる。
苦しい姿を見ていると早く楽にしてあげたい、神様もう良いではありませんかなどと思う。
しかし同時にまだ一緒にいたい、話したい、旅行に行きたいなどと未練がましいことを思う。
私の矛盾している感情を祖母が知ったらなんて言うだろうか。もう話せないから答えは聞けないけれど自分の中で予想を立ててみたりする。
そんなこんな考えているうちに心電図モニターの数字は減っていく。
いざその時が来てしまうと、どう自分の感情を処理して良いか分からなくなるなあと毎度のこと思う。
こんな複雑な感情は祖父の時も私の中に姿を現した。
こんな時、そばにいる者たちはなにをするのが正解なのだろうか。
逝かないでと泣くことか。
それとも無理矢理にでも笑うことか。
人によって正解は様々あるだろう。
私の正解は相手がしてくれたことを出来る範囲で返すことだ。
祖父は会うたびに嬉しそうに私の名前を呼んでくれた。
だから祖父が危篤状態になった時、「じいじ」と呼び返した。
目の前で苦しんでいる祖母は私に手を差し出してくれた。
だから私は布団からあの時とは少し色が悪くなってしまった祖母の手を取り出して精一杯繋ぐのである。
どこ?
他人の迷惑にならない、みんなの輪から外れない
私は幼い時からこれを意識してきた。
自分が友達に遊んでいたおもちゃを取られても泣き叫んで先生を困らせるわけにはいかないから、まぁいいかと言い聞かせて別のおもちゃで遊んだ。
意地悪な子に何か言われても反抗せずに「あはは、そうかも〜」と当たり障りのない返事をした。
それは少し違くない?と思っていても周りが納得していたら、少しずつ自分が良くなるように促していけばいいかと何も言わなかった。
こうして私は生きてきた。そうして特に何の問題も生まれず、理想通り迷惑になることも輪から外れることもなかった。
ただ、私が出会ってきた中の2割くらいの他人は私の理想とは異なる生き方をしていた。
嫌なら嫌だと言う、ごねる、泣く。
どうみても悪口なのに余裕で言ってのける。
周りから離れて行動する。
そんな人たちを見て気を遣ってばかりいる私は、単純になんでそんなことができるかと不審に思ったし、周りを気にせずに悠々と生きているなんてと信じられないと思った。
しかしそれと同時にある意味幸せそうだなと思った。
迷惑にならない、輪から外れないようにするためにはかなりの体力と精神力がいる。
そのため家の外でずっと気張って生きていると家に帰ってから屍のようにことも度々あった。
でもこうなることは自分が社会の中で何事もなく平和に生きていくためには仕方のないことで、妥当な代償だと思っていた。というかそう思うしかなかった。
しかし、ある一定数の人はその代償なしに生きている。
その人たちの理想の生き方を実現しようとしている。
その人たちを幸せそうだなと思う私の理想は、あそこまで気を遣って生きることなのだろうか。
理想の私はどこにいるのだろうか…。
おそらく私は理想の自分を見つけることができないだろう。
もし見つけても周りから冷ややかな目で見られてしまうだろう。私はそれが怖くて仕方ないのだ
大好き
いつも一緒にいる友達に大好きっていうのは簡単だ。
「え、それ好きなお菓子!くれるの?大好き〜❤︎」
とか
「プリになんて書く?大好きとか良くない?」
とかノリもあるかもしれないが比較的言いやすい。
恋人に対しても素直にいうことができる。
朝起きて目の前に彼がいた時に幸せを感じて言ってみたり、大好きと言われて自分も答えてみたり。少し恥ずかしさもあるが案外いうことができる。
一方親に対してはどうだろう。
お弁当作ってくれてありがとうとか、学費出してくれてありがとうとか感謝は伝えることができるものの「大好き」は照れくさくていうことができない。
もちろん幼稚園とか小学生くらいまでは素直に言えていた。自分でもどうして素直に言えなくなったのか分からないが、今隣でテレビを見ている両親に「大好き」と伝えることはかなり躊躇われる。言ったところで、なにか欲しいものでもあるのなどと言われかねない。
でも声には出せないものの大好きなのは変わりない。
出来ればずっと一緒にいたいし、ずっとたわいのない話をしていたい。
しかしわかっている、ずっと一緒にいられないことも。
自然の摂理的には両親が先にいなくなるが、運命の悪戯によって私が先に逝くかもしれない。
もしそうなった時私は大好きと言えなかったことを後悔するだろうか。
半年前に祖父が亡くなるほんの少し前、私は祖父に小さな声で大好きだよと伝えた。
なんでもっと大きな声で素直に伝えられなかったのかと後悔もしたが、言えたことで祖父が亡くなったあと凄く辛いということはなかった。むしろ爽やかな気持ちになった。
祖父の時のように死に目に会えるかなんて誰も分からない、でももし小さな声でも伝えることができるなら私をここまで育ててくれた愛する人たちに伝えよう。
「大好き」と。
叶わぬ夢
幼稚園の時の夢はパティシエになることだった。
そもそも乳製品があまり得意ではないから、母から乳製品食べられないとなれないよと言われあっさりと諦めた。
小学生の時の夢は看護師だった。
親戚からの看護師は将来安泰だよという言葉を安易に信じて、卒業文集に将来の夢は看護師ですと書いた。
しかし自分が看護師に向いていない性格だと中学一年生の時に気づきすんなり辞めた。
そして中学生の夢は生徒会長になることだった。
急に夢がランクダウンしたように感じられたが、一方パティシエと看護師の時とは異なる自分の中の本気の夢ができたようにも感じられた。
立候補したのは私含めて3人。
ひとりはとても真面目で信頼できそうな天然パーマの男の子だった。
もうひとりはダンス部で友達が多いタイプの女の子だった。
私以外の2人は先輩からも後輩からも人気があったが、私は特に主要な部活に入っていたわけでもなかったから認知度が低かった。
そのため自分の負けはほぼ確定していた。
天パの男の子の応援演説者である子から
「なんで負けるって分かってるのに頑張るの?」
と言われた時は、
「可能性に賭けてみたいから」
などとカッコつけて返したが、内心悔しさと悲しさで溢れかえっていた。
そんな辛い選挙期間中にさらに辛いことが起きた。
生まれた時から一緒だった愛犬の腎臓が機能しなくなり死期が近いと言われたのだ。
遠い親戚のお葬式などに参加したことはあったが身近で死というものを感じる経験がなかった私は初めて味わう感情にどう対応していいか分からなくなった。
学校に行っている間に亡くなってしまったらどうしようと四六時中考えるようになった私は、学校で失敗することが増えた。
そして涙もろくなって感情が制御しにくくなった。
それでも弱い自分は見せたくなくて必死にいつもの自分を演じ続けた。
病院で伝えられた日から4日ほどたったある日、いつ亡くなってもおかしくない様子の犬を抱っこして最後の散歩に連れて行った。
橋の上でいつもなら気持ちいいと感じる風を肌で感じながら、犬に話しかけた。
「絶対に叶えて見せるからね」
と。叶わないことなんて自分が1番分かっていた。それでもやっぱり賭けてみたかった。
その日の夜中犬は亡くなった。悲しくて学校に行くのも億劫だったが、約束を果たすためにも私は涙を拭いていくしかなかった。
1ヶ月後、投票が行われた。
その1ヶ月間どんな結果でもいいくらい全力で挑んだ。初めてこんなに努力したと言っても過言ではない。
ただ、どんなに努力しようとも勝利の女神が私に微笑むことはなかった。
帰ってきてから両親にダメだった!と明るく行ってから、部屋に駆け込み亡くなった犬の写真の前で大泣きした。両親も私が表面上では明るくても内心は悔しいことは分かりきっていたから何も言わずにご飯を出してくれた。
あの選挙から何年もたった今。
私は叶わなかったあの夢を追いかけたことは何も後悔していない。思い出した時はいつもあの時全力で挑んだ自分を褒め称えている。
そして大人になった今でもいくつか叶わないような夢を持っている。私はこれからそれを叶えるために全力で挑むつもりだ。叶わなくてもいい、全力で挑んだことで得られる何かがある。私は生徒会選挙で会長という座よりも大切な考えを得ることができた。
叶わなかった時悔しい思いをすることも辛い思いをすることもわかっている。
それでも私は挑戦してみたい。
花の香りと共に
今日も楽しくも苦しくもない1日が始まった。
別に友達がいないわけでもない、試験があるわけでもない。
でもなぜか味気ないのである。
当たり前の日々がが1番幸せなことは分かりきっているがら味気なさすぎていつもとは違うことを少しずつしてみようなどと馬鹿なことを考えた。
まずはジーンズからスカートに変えてみた。
しかし自転車に乗るには裾が邪魔で少し後悔した。
お昼ご飯はしゃけおにぎりから刺激を求めて梅おにぎりににしてみた。
しかしそれも後悔した。
私ははちみつ梅しか食べれないことを忘れていた…。
休憩時間には飲み物はペットボトルのお茶から缶コーヒーに変えてみた。
しかし暑すぎて火傷した。また後悔した。
全てが空回りする1日で味気ないよりは気分が沈む1日になってしまった。
それでも懲りずに次こそは!と少し回り道をして帰ってみた。
スカートが邪魔なので自転車を押しながら…
「はあ」と今日1日分のため息を吐いて息を吸った時、ふわりと何かが香った。
なんの香りかと周りを見回してみる。でも特にお店屋さんがあるわけでもない。
「?」となりながらふと上を見上げてみる。
「あ!」と思わず声が出た。
黄色の小さい花々がシャワーのように傾れている。
そうか、もうそんな時期だったか。
上を見ながらゆっくりゆっくりと歩いていく。
そうしていたらなんだか今日あった嫌なことが嫌でもなくなって、なんだかいい日だったような気がしてきた。
明日もこの香りと共に歩めるだろうか。
もうミモザの時期ですね。
街のお花屋さんが黄色一色になり始めました♪
すぐに枯れてしまうのが悲しくてドライフラワーしか購入したことがありませんが、今年は花瓶に飾ってみるのもいいかもしれませんね