昨日から退院に向けて、少し息の上がる運動を始めた。思えば、3年前急性肝炎の時も点滴で命を繋いだわけだから、もう2度も死んでいる。『いい加減命を返しなさい』と、神様からのメッセージかもしれない。医療関与を受けるということは、『命を手放したくない』ということだから、本当は不自然だと思う。だとしたら、この命をどう燃やして生きるか、、にかかってくる。自分の幸せのため、はあり得ない。家族のため、もあり得ない。それは、生き方の延長線の上での話しだし、目的ではない。
この先、わたしは神様と繋がっていなければならないと思ってる。わたしの命は誰かから貰っている命だから。
奇跡が起こるとしたら、わたしの身体がどうのこうの治ったとか、そういう事ではなくて、キッカケを拾えるかどうかだと思う。それは、他人が持っている、そう思った。昨日は2人の入院患者さんに話しかけられた。偶然同じ病名だった。同じ入院日だった。全然知らない他人に、話しかけて貰えるって事は有難い。
今まで気付きもしなかったけど、生まれてから一度でも薬を飲んだ事があるなら、それは命を継ぎ足している事になるんだと気づいた。
薬も神様からの贈り物、と考える人も居るかもしれない。だけど、そうまでして生きようとする、そしてその後どんな生き方をするのか、そこを決めないとつまらない生き方しかできない。
戦争は終わらない、それはなぜか、『欲しい』からだ。『生きたい』『幸せになりたい』『幸せにしたい』という欲望が、究極に尖ったカタチ。
それは、人間の身体の中でも同じことが起こる。身体に良いというサプリを飲む、風邪を引けばすぐに薬を飲む、熱が出ればすぐに下げよとする、身体の声をちゃんと聞こうともしないで。
気を付けなければならない事は、
神様、神様と言いながら、自分本意の考え方のみをグリグリ磨いて、尖って行くことだけは避けたい。神様を信じることは、危険を伴う。
昨日話した方が、
「どうして自分はこうなってしまったんだろう、何がいけなかったんだろう」と、言った。そう思うだろうと、思う。突然難病などと言われても、すぐに受け入れられるはずがない。
その方は、窓の外の景色を見ながら、「あの人は健康そうでいいな、これからご飯作ってたべるんだろうなと思って、毎日景色を見てる」と、言った。
わたしもそう思う。だけど、
「わたしも退院して、そこの道を歩いていたら、普通の健康そうな人に見えると思います…」と、応えた。
「そうね、私も人から見たら健康そうにそ見えるわよね、病人だなんて思わないわよね」と。
きっとその人は、そんなわたしが考え付く事ぐらい分かってるんだと思う。
「こうなってしまったんだから仕方ないわね、受け入れるしかないもんねぇ」折り畳むようにその人は言った。
東の空に虹が見えた。虹は神様が約束した証だ…。
「虹がみえますよ!」わたしが指を指すと、その人は振り返った。「ほんとだ…」
もし、その人が話しかけてくださらなけらばその場に30分も居なかったし、虹も見ることはなかった。
わたしができる事は、わたしの中にある灯火を分けてあげることしかできない。その人がこの先どんな事に気づいて、人生を豊かにしていくか、わたしは知らない。
もし、ご縁があれば、またお会い出来るだろうと思う。
約束の虹がかかったんだから。
まっ新な青きスリッパ春動く
入院前に投稿した俳句。
『まっさらなあおきスリッパはるうごく』
本当はスリッパは、室内で履くもの春動くの季語には合わないかもしれない。
でも、春だから少し明るめの青いスリッパで、日が伸びてきた台所を忙しく動き回る自分をイメージした。
だけど、人によってはトイレスリッパをイメージしたかもしれないし、カチカチのビニールのスリッパを思い浮かべたかもしれないし、病院のスリッパかもしれないし、子供が欲しがったキャラクターのスリッパかもしれないし。
今日は体調も良く、点滴針も外れて1階から7階までを3往復できた。ステロイドによって暴れる免疫を抑えているから、回復しているように思えているだけなのだけれど、やっぱり大丈夫なんじゃないか、と錯覚してしまう。
力が入らなかった指先に力が入るようになり、ペットボトルの蓋を開けられるようになった。不思議だった、こんなにも不便な状態なのに、力が入らない事が可笑しくて笑ってしまった。仕方ないから、洗面所の水道水を飲んで、うちの水道水よりかなり不味かった。でも、不味いなど言ってられない、平気になった。ペットボトルの水は必要ないかもしれない。
スクワットや壁押し、ラジオ体操など、少しずつ強めの運動をして、退院したらすぐに職場復帰したい。とにかく、今まで以上に鍛えていかないと。薬に負けないように。過去の自分に負けないように。
というより、完全に1回死んでるし、公費で賄われる薬によって、それは誰かの血と汗がわたしの命になる。その事を決して忘れないようにしないと。
生検の結果を待っている途中。たぶん完治はしない難病で、障害者申請を受けます。
母が障害者のためか、それほど悲観はしてません。入院10日目、ステロイド投与4日目。とうとうわたしの番が巡って来た。それは悪い意味ではなくて、静かな気持ちで受け止めた。
本当なら、10日前から苦しんであと数年苦しんで死ぬ予定だったのものを、医療関与を選び、命の継ぎ足しをしました。と、言うことは、もう自分のために生きることは許されません。
身体は回復しているけれど、これは本当の回復ではなく、ステロイド投与によるもの、ここを勘違いして奇跡だ神様ありがとう、なんて思い違いをしたらいけないんだと思う。医療によって、命の継ぎ足しをしただけだから。
入院当初よりの倦怠感は無くなり、今朝はスクワット40回、テレビ体操、その場で走るのを3分ほどできた。体重測定、42.6。先週は支えて貰わなければ体重計に乗ることができなかったのに、今朝はふらつかずしっかりと乗れた。
もはや、動物の苦しみや血肉は必要ありません。それはどうしてか、二千年前のイエスの贖いの血によって、この世界が清められたから、なんだそうです。
じゃ、なんで病気や精神的苦痛の人、戦争が増えているのか、『神様がわたしを思い出せ』と、光に満ち溢れ強く臨んで来ているから、だそうです。
罪滅ぼしの世界、先祖の因縁は二千年前に終わり、もう既に救いの人生を歩む事ができる世界、なんだそうですよ。イエスの贖罪によって。
破壊と創造は同時に行われる。
自分の事を、過去を嘆いている暇はない。
わたしはこの体験を持って、世の中に立ち向かう。切り札がなければ、伝導など出来ない。神様は個人的な願いに、奇跡など起こさない。そもそもこの病気に完治も寛解もないから。
この身体ひとつで、伝導していくことになる。他人から見たら、「お気の毒」「可哀想」。だけど、本当は、悩み苦しみの中で病気の真っ只中にある人の方が、誰よりも幸せを感じているのかもしれませんよ。そういう人は光が強いから。
自分の幸せや家族の幸せのため、それは苦しみが増えるだけだからその考えは無い。
もう、わたしのような迷い続ける苦しみや病気の人を増やしたくない、それだけを思って活動していく。
命は、大切にしてください。ちょっと厄介な病気が発覚して、この先どうなるかはわかりません。完治は難しくても、寛解できるようがんばっています。今後、1つの症例になると思います。
人を嫌ったり恨んだりしている時間がもったいないです。退院したら、一生懸命他人に尽くそうと思います。それは、自暴自棄のやけくそで、自分の命を燃やすのではなく、この身をもって知った事を伝えて行きます。
この身を、生まれてきたことを、嘆いている暇はありません。一生懸命、身体を動かして、もっと人と共に笑って泣いて、喜怒哀楽の中にあって、生きて行く覚悟です。
自分の中にある、ひねくれようとする自分に負けてはならんのです。
命に、小さいも大きいもありません。命は命です。
真
っ
新(さら)
な
青
き
ス
リ
ッ
パ
春
動
く
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