窓から見える景色。
何も変わらない。
唯一違うのは、私の他にもう一人、私と同じ景色を見る人物が増えた事だ。
「おはよー。傑(すぐる)起きて、もう起きないと遅刻するよっ」
「うーーーん。あと5分……………」
傑の寝起きはとても悪い。
付き合って初めて朝を迎えたときにそれは判明した。そのお陰で、私は結局仕事を遅刻する羽目になった。それも初めて。
「もう、知らないからねっ!私、先に準備始めるよっ!」
そう言って洗面所に行こうとしたら、傑に腕を引っ張られる。
「!!」
「こと菜も、まだねてよ?」
寝ぼけてことを言っている傑。私は負けじと
「寝ない!ちこくするも……………つ」
言い終わる前に、次は口を塞がれた。
クソー、負けた。
それに、朝イチだぞー。
「もうっ、寝ぼけてないで早く起きてっ!」
「こと菜」
「なにっ!」
「………好き」
「…………!!」
不意に言われた言葉に私は思考停止。
こういう所が狡くて、可愛い。
「私だって、好きだよ」
お返しのつもりで言い返した。それを知ってか知らずか、えへへへ、と傑は寝ぼけ眼(まなこ)で笑う。
「好きだからっ、早く起きてー!!」
私は体をジタバタするものの、傑の力は強い。クソッ、男がっ!!
結局、傑のせいでこの日も遅刻する事になるのだが、何だが怒れない私。
傑はきっと気づいてない。
貴方の言う、好きが、どれ程の力を持っているのか。
そして、その好きという言葉に、私がどれ程絆(ほだ)されているのか、傑は知らない。
ジャングルジムでよく遊んでいた幼馴染。
けれど、中学生から高校生に成長していくにつれ、何となく気まずくなっていくのが大多数なのかもしれないけれど、私達はそんな事ない。
そんな幼馴染と今日は一緒に勉強をする事になった。
「かなえー、のみモン何にするー?」
「私、オレンジジュースがいいっ!」
「はーい。わかったー」
何時もの勉強する時の会話だ。私は今、幼馴染こと、佑(たすく)のお家にお邪魔して、畳の部屋で勉強をしようとしている。
二人の学力は同じくらいだけれど、佑の方が、少し頭が良い。
「はい。オレンジジュース」
「ありがとう」
飲み物を受け取り、勉強開始。暫くはモクモクと勉強していたけれど、何だが疲れてきて、少し休憩する事になった。
「ねえ、佑ー」
「うん?何?」
「私達って、珍しいのかなー」
「何で?珍しいって何さ」
私は幼馴染同士でも、思春期に入ると気まずくなってくるのではないかと、佑に話した。
すると、
「………俺は、気まずくなりそうだったよ」
「えっ!?」
「かなえに、何話していいか、何を話せばいいか、急に分かんなくなって、どうしようって思ってた」
まさかの事実だ。佑がそんな事を思っていたなんて。
「けど、かなえは変わらず、普通に俺と会話してきて、全然ぎこちなさとかなくて、それにとっても救われた」
「かなえがあーやって変わらずに話しかけてきたくれたら、俺は今も、こうしてかなえと話してられるんだ」
私は、佑にこんなことを言って貰える様な事をしたのだろうか?
確かに、私だって、佑と何を話したら良いか分からなくなりそうだった。
でも、佑とこのまま気まずくなるのは嫌で、とにかく自分の話をしていただけ。
それが、良かったなんて。
「………良かった。私、頑張って」
「うん?なんて?」
「ううん!何でもない」
私と佑。
幼馴染の私達。
これからも、仲良くしていきたい。
大切な人だから。
声が聞こえる。誰の?
私には、誰の声も聞こえない。聞きたくないから聞かないんじゃなくて、本当に私の耳は聞こえない。
生まれた頃は聞こえていたけれど、今はもう聞こえなくなってしまった。
そんな私は、中途失聴者というのだろうか。
耳は聞こえないけれど、それ以外は、他の人と何も変わらない。
トントン。
私の肩を叩いた人。
「おはよう。待った?」
口をはっきり動かして、手話を使って話しかける彼。
私の為に手話を覚えて、私の世界を感じてくれようとする人。
でも、私の世界は、彼の見ている景色と何も変わらない。変わらないの。
「おはよう、待ってないよ」
私は普通に声を出して会話する。
中には声を出さず、手話だけで会話する人もいるけれど、私は意地でも声を出す。
間違えていようが関係ない。
もし間違ってしまっても、優しく正してくれる人としか付き合っていないと思ってる。
強がりで意地張りな私のくだらないプライド。
それに、彼は気づいていない。
彼は、私の為に手話を覚えてくれたけれど、
私は口の動きで会話はわかる。
百発百中なの。
でも、彼には秘密。
彼の手の動き、綺麗な指先、大きい手のひら
ごつごつと骨ばっていて、血管の浮き出てる手。
その全てが好きで、そんな好きな手を使って手話をしている彼が好き。
だから、もう少し秘密にするの。
私ったら、性格悪いね。
秋恋、誰の言葉か。
どんな意味なのか、私には分からない。
夏に比べれば肌寒くなってきた秋の夜長。
私は仕事帰りにコンビニ酔って缶ビールを買った帰り道。
秋の寒暖の差に、木々たちは反応し、新緑だった葉を一気に紅く染め、色鮮やかな葉へと姿を変えていく。
「自然は偉いね。ちゃんと変化を感じていて、それに適応して生きているんだから」
なんか、らしくないことを言いながら、歩みを進めていく。
すると……、
「あ、亜由美さんっ!今帰りですか?」
私の良く通う居酒屋の子が話しかけてきた。
「瑶(よう)君、今日出勤日なんだ」
「はい、俺、もう正社員ですからねっ」
「はいはい。凄い凄い」
「亜由美さんは?今日は飲んでいかれます?」
「今日は家飲み」
そういうと、私はコンビニの袋を見せた。
「なーんだ。残念」
「明日は寄らせてもらうから」
「本当ですかっ!約束ですからね」
「はいはい。必ず来ます」
そんな他愛のない話をしていた時、居酒屋の中から早く戻ってこーい、と瑶君を呼ぶ声
「それじゃあ、俺戻ります」
「うん。頑張ってね」
「亜由美さん。お疲れ様でした」
何気ない会話。
これが何かに変わるかと言われれば、それは知らない。
けれど、そんな秋の帰り道だった。
大事にしたい。
彼の心も体も。この2つがとても大切なものだから。
「神山選手。そろそろです」
私のいつものルーティン。私の仕事はレースクイーン。私は大分特殊なレースクイーンで、レース直前になると、ドライバーを呼びに行くことを任されている。
私が任されている人は、レース前、とてもナイーブになる人だ。けれど、一度走り出せば有り余る才能を爆発させる。………そんな人。
「………神山選手?」
おかしい、いつもなら直に出てきてくれるのに……。
私はおそる、おそる、神山選手のいる部屋の扉を開ける。
そこには、眠っている神山選手が居た。
「神山選手、もうお時間ですよ。起きてください。」
もしかしたらナイーブさが何時もよりおおきくなってしまっていたのかと思っていたけれど、そうではなくて安心した。
神山選手こと、神山 駿(かみやま しゅん)選手の事を任されたのは、本当に偶然。
けれど、神山選手の事を知る度に、私は支えたいと思う様になっていった。
そして、好きになった。
「うーん。ごめん……もう、時間?時間、すぐ来る?」
「いえ、まだ30分はありますけど、余裕を持ってお声掛けさせて頂きました」
そういうと、神山選手は少し間を開けてから、口を開いた。
「あの、わがまま、言っても言い?」
「……?どうしました?」
「1分、1分でも、ううん、5秒でも良いから、手、握ってくれませんか?」
「…………………」
神山選手が私に向けてくれている感情には気付いていた。けれど、仕事は仕事だと割り切り、心にセーブをかけて、ドライバーとレースクイーンという立場に、ちゃんと線引はしてきた。
けれど、私も好きだと気付いた時から、私は急に線引の仕方が下手になった。
下手に、なってしまった……
私はそっと神山選手の手を取った。
そして、優しく握る。
神山選手の手は、とても冷たかった。
「何分でも大丈夫です。もう良いと思ったら、教えてください。」
「……、ありがとう」
私の温い(ぬくい)手の温度が、少しでも伝われば良いと思った。
彼に、伝われば良いと思った。