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10/24/2023, 9:37:02 PM

 鼻がむずむずしていた。ここ最近で冷え込むようになったからもう1枚着込めばよかったとティッシュで鼻をかんで過ごして。
 ピピピッ!
「…風邪だね」
 ずび、と鼻をすする私と体温計を持った彼。体温計に映し出されたデジタルな数字は38℃を超えていた。せいぜい微熱かと思っていたのに。
「電話した時も鼻声だし、おかしいと思ったよ。吐き気は?食欲はある?」
 ヒアリングしてテキパキとベッドサイドに水、薬、タオルが置かれて、起き上がろうとすると「横になってて」とベッドに戻された。
「軽いもの作ってくる」
 そう言ってキッチンへ行く彼を見送って数分後。私の症状はものの見事に悪化した。
 蜘蛛が背中を登っていくような感覚がとても気持ち悪い。一匹じゃなく何匹も這っている気がして背中をベッドに擦り付ける。悪寒は良くならなくて不快感が増した。
「んん…」
 熱くてぐらぐら煮え立つよう。自身の手を顔や首に当てると想像していた以上の熱で、額に乗せてあった濡れタオルはすでにぬるくなっていた。ゴミ箱もティッシュで埋めつくされていた。
「お待たせ、まずはひとくちでも食べ…うわ!?」
 ぬるいタオルを円を描くように振り回したあと顔全体に乗せていたから、彼を驚かせてしまった。
「真っ赤になって…すごく熱そうだね」
 額に置かれた彼の手が冷たくて気持ちよかった。そのまま首もとにも持っていき一時的に熱を吸い上げてもらう。
「手、欲しい…」
「俺が困るな…」
 そのまま取り込めたらいいのに。正常に動かない頭でそう考えていた。
 ひとくち、ふたくち。スープを飲んだあと薬を飲む。彼はこの後、薬と消化に良いものを買いに出掛けてしまうと言った。居なくなると知ってしまえば途端に寂しくなる。風邪で弱っているからかマイナスの感情が五割増しになっている気がする。
「待って、行かないで」
「君が眠るまで傍にいるよ」
 寝たら行ってしまうんじゃないと、睡魔に負けまいとする私に彼は穏やかに微笑んで、優しいリズムを作り出す。心地よいリズムと彼がいる安心感で私は、あっという間に眠りに落ちた。

 時折、苦しそうに顔を歪めた君に触れる。さっき触った時よりも熱さが増していてこれから辛くなるんだろうなと思うと胸が痛い。以前、風邪を引いたときは熱の高さが尋常じゃなく、切なくて一人泣いていたと聞いた。だから君が寝た後に買い出しに行くことに決めた。寝まいと手を握る君が幼子みたいで、でもすぐ寝入ってしまって相当キツいのだろう。
「すぐ帰ってくるよ」
 火傷しそうなおでこにキスをして、俺の代わりに大きなぬいぐるみをシーツに埋めて、また一人で泣くことがないように早足に家を抜け出した。

10/23/2023, 3:30:30 AM

「来るべき冬に備えて衣替えを決行します…!」
 寒がりな君が羽毛布団とフリースのシーツを持って宣言した。暖かな太陽が出ているうちに冬物を干し、その間にベッドカバーをふたりで引っ張って整える。手触りはふんわりして贅沢な、毛の長い猫を撫でているようだ。
「新しいやつ?」
「うん、布団蹴飛ばしてもシーツでくるめば暖かいかなって。猫ちゃんみたいでしょ」
 寒いと熱を求めて無意識に君がよってくる。それも猫みたいに。それが可愛くてしばらく眺めている時もあるけれど。
「たぶん、君が布団を蹴たくった瞬間に俺が気付くから心配いらないよ」
 
「あなたがいない時の話」
「じゃあシーツの猫ちゃんに頼んでおこう」

 太陽を目一杯吸収した俺と君の冬服を取り込んだ。お揃いのセーターを丹念に確認し整えた君の顔が明るくなる。
「虫食いも穴あきもなし!」
「よかった。今年もたくさん着ようね」
 ニコニコと引き出しに畳んで入れて、冬には君のトレードマークとなるコートを部屋へ戻せば衣替えは終わるはずだった。
「さて、問題です」
「どうぞ?」
 じゃ、じゃん!とコートを着た君がベランダで両腕を広げた。
「去年と違うところはどこでしょう?」
 顎にゆびを添えて君のコートを観察する。
「間違い探し?実は新品とか?」
「ううん、同じ」
「ちょっと背が伸びたとか?」
「健康診断は変わりなく…」
 少し余ると言っていた袖も確かにそのままで一回ほど折ってある。
「ヒント」
「今さっき気付いてショックなこと」
「えぇ…?」
「答え…カビ」
「あちゃー…」
「クリーニングにも出したし大丈夫だと思ったんだけどな。お部屋の湿気に負けてたみたい」
 いそいそと脱いで項垂れる。「明日冷えるって言うから着ようと思ったのに…」今から探しに行っても満足な買い物はできそうにない。
「暖かければいいの?」
「うん」
 クローゼットを開けて自分にはもう小さいジャケットを君に羽織らせた。ぱちくりと瞬いている。服に着られているがそれもまたアクセントと言えばお洒落の上級テクニックのように思える。
「いいんじゃないかな。流行りのオーバーサイズってことで」
 俺が袖を通せば足りない布も君にはまだまだ余るらしい。手首が見えるまでくるくる折って見つけた手を掴んで。

「明日の飲み会に着て欲しいな。男避けも兼ねて。ね?」
 

10/12/2023, 11:54:27 PM

 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。先生の説明を静かに聞いていたなんて嘘のように教室が賑やかになった。
 「お腹が減った」「遊びに行こう」「練習試合が待ちきれない」とみんな思い思いのことを言い合って、担任の先生が連絡事項を伝えてくれる間も賑やかさは変わらなかった。
 みんなこの後の予定が楽しみなのだ。私も『放課後』を待ち望んでいたそのひとり。
 教室を出て階段を下りているのに普段よりも長く感じてしまう。早く早くと着いた靴箱はやっぱり混雑していた。彼が門の前で待っているのに、人波がなかなか引かなくてもどかしい。彼は人目を惹く容姿をしているから囲まれていないか心配だった。学校のマドンナが彼にアタックするだとか噂も立っていたから余計に。
 結果は、杞憂に終わった。彼は別のものに囲まれて私の想像通りにはなっていなかった。彼の足下にはにゃぁ~んと猫が転がって気持ち良さそうに喉を鳴らしている。
「あんまりくっつかれると毛がついちゃうんだけどな」
 彼に撫でられている猫を羨ましく思った。大きなあったかい手は安心するから、私以外を可愛がっている彼の手に、猫に。ちょっとの嫉妬心。
「君も撫でたい?」
 ほら、と撫でる手を止めて場所を開けてくれるけど猫は私を見もしない。そろそろ手を伸ばして撫でようとしたらシュッと鋭い爪が。そのまま猫は威嚇して去ってしまった。
 ポカンとする私の手につぅーっと現れる赤い線。ヒリヒリして次第に赤が垂れる。そこに彼の唇があたっていた。あまりに自然で猫に舐められたようなざらりとした感触は一瞬で幻のようにすぐに離れた。パクパクする私に彼は一言。
「消毒」と。
「…驚かせちゃったかな」
「臆病な子だったかもしれないね。大丈夫、次は仲良くなれるさ」
 血が流れないことを確認して彼はホッと息を着いた。ペタリと貼られた絆創膏はなんとも可愛い猫の柄。彼の指先にも同じものが巻かれていた。
「妹が持たせてくれたやつだよ。俺より君がつけた方が可愛いや」
「お揃いだね」
 私は手の甲だけど意図せずにお揃いになったことが表情に出てしまう程に嬉しくて絆創膏を猫の代わりに撫でた。一緒に帰るだけなのが少し惜しくなる。
「…放課後デートにしようか。君の好きなフラペチーノの新作出ていたんだよ」
 こっそりと期待した言葉をくれる彼はどうかな?と小首を傾げて、私が頷くのを待っている。

10/12/2023, 3:42:31 AM

 
 カーテンの間から音もたてずに顔を出す君に笑ってしまった。
「カーテンのお化けみたいだ。今年のハロウィンの衣装かな?」
「違うって分かってるでしょ」
「あはは、ごめんよ。で、どうだった?」
 試着室から顔を出す君は恥ずかしそうに視線を逸らす。
「私にはまだというか、なんかちょっと…」
 俺のわがままを聞いてくれるというから君を着せかえ人形にデートの約束をしてその最中。着てもらい彼女の反応が上々ならば買い上げて足元には複数のショッパーが置いてある。
 あまり欲しがらない君だから試着することも少なくてたくさんの服に袖を通してもらった。表情ひとつ見逃さず試着の感想を尋ねる事も、試着した君を褒めることも忘れない。
 最後に着て欲しいと渡した服は俺が一番見たかった服。メインイベントと言ってもいい。試着への抵抗を極力なくし多少の露出も気にしなくなった君はそんなことは知りもしないだろう。大切に抱えて「待っててね」とカーテンを閉めたのだ。
 ショッピングの合間にカフェでひと休みをして一時的に疲れはとったつもりでも体力的な違いと着替えの連続で君の疲れは拭えなかったのかもしれない。
 試着室の君の感触が掴めない。
「好みに合わなかった?」
「ううん、すごくデザインもシルエットも好き。でもね店員さん呼んで欲しくて」
 君の助けになればと店員に付き添ってもらった。俺は試着室の前で待ち、店員へ耳打ちする君は相変わらず顔だけを覗かせる。こそこそと俺には聞き取れない。頷いた店員は小走りにストールを手に試着室の君に手渡した。
「ね、どうかな?」
「すごく可愛い。見かけた時ずっと君に似合うと思ってたんだ」
 肌寒かったのか肩にストールを羽織ってくるりと回る。飴細工のように繊細なレースがヒレのように揺れ動いた。
 ストールとワンピースをそのまま買い取って着飾った君の隣を歩く。

「布地薄かった?」
「えっとね、胸元がちょっときつくて…目立っちゃうから」
 言われてしまえば視線が下がってしまうもので。
「…見ないで」
 ストールを寄せて防がれてしまった。最近服がきついと呟いていた理由って、そっか、胸…。
「このまま下着も買いにいこうか?」
「もうっ!」
 君からの体当たりなんて可愛いもので簡単に受け止められる。
「でも、」
「?」
「今日は好きな服着せて良いよって許可しちゃったから。好きなのあったら…」
 胸に頭を押し付けながらごにょごにょと言う君が
「期待してしまうよ」
「期待していいよ…?」
 愛おしくてしばらく抱きしめて精一杯の君の頑張りを噛み締めていた。

9/28/2023, 9:47:43 PM


「連れていってくれたお店で頬っぺたが落ちそうになったり、お洋服選んでくれてありがとう。今日もとっても楽しかった!」
 こんなありふれた言葉では伝わらないかもしれない。もっとふわふわ浮くような感情を彼に伝えてしまいたかったのに、別れの時間が近付いて焦っていた。いつもとっても楽しい。それだけは分かってほしくて。
「あの店は俺の行きつけでね、君のお気に召したようで良かった」
 ふわ、と笑ってくれるだけでこんなにも満たされる。付き合って少しずつ彼が自分の世界を教えてくれるのが嬉しかった。好きな場所に物、おすすめの料理屋。彼は無口な訳ではない。むしろお喋りな部類だけど境界線を引くのが上手だった。
 同じ路線だけど私と彼の電車の行き先は反対方向、上りと下り。いつも私が電車に乗るところまで見送ってくれる。荷物も電車が到着するギリギリまで持ってくれて私の手を塞がないようにしてくれた。彼の手を塞ぐ事にはかわりないけど「腕に掴まって」とより彼とくっつけるので密かな楽しみだった。
 ホームに響く電車のブレーキ音、開くドア、車窓さんのアナウンス。全てが揃うと別れの時間だった。
「俺も今日も楽しかった」
 荷物が手渡されて「うん」と言いかけた『別れ際に』。彼の手が私に何かを握らせる。
「タイミング逃しちゃったけど君に似合うと思って。今日買った服と一緒に着けて見せて」
「え、まって…!」
 私の声は発車メロディに書き消されてしまった。無邪気に笑う彼に見送られて電車が動く。
 手の中の箱をすぐ開けたくもあるのに、力強く握られた彼の温もりが消えてしまうと思うとなかなか開けられなかった。

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