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3/20/2023, 9:11:01 AM

 仕事時の彼は研ぎ澄まされた剣のよう。部下の意見を取り入れながら事細かに指示を出している。姿にどこも隙がなく、見とれてしまうほどかっこよかった。
 彼に届け物があって職場までやって来たけど…。職員の人達は忙しなく動いているし、ここから見るに彼も忙しそう。声はかけずに受付の人にお願いして…。
 最後にと盗み見た筈がばっちり目が合っていた。元々大きめの海色の瞳を見開き目を擦っている。まるで幻でも見たのかって顔はすぐにおさまって私の名を呼んで早歩きでやって来た。

「呼んでくれればすぐ向かったのに」
「邪魔しちゃいけないと思って…」
「君が邪魔だなんて思う訳ないだろ。何かあった?」
 纏っていた鋭い雰囲気が消え去っていて柔らかく笑う。私が誰よりも見ることが出来る彼の顔。
「これ必要な物じゃないかなって持ってきたの」
「え、俺忘れて…。これから必要だったんだ、助かるよ」
 鞄から厚めの封筒を取り出して見せると大事なものだったらしい。何事も抜かりのない彼が忘れて行くなんて珍しい事もあるんだなと思いつつ、せっかくの機会にと別の物も持ってきた。

「あとね、これも」
「ん?こっちには覚えはないけど」
 君から差し出された大きめの長方形の包み。持ってた記憶もない物だ。
「…渡せたし、忙しそうだから帰るね」
 受け取ると俺の返事を待たずそそくさと帰ってしまった。忘れ物と心当たりのない包みを持って戻ると12時を知らせる鐘の音が。置いた包みの端に「食べて」とメッセージカードが付いている。
 これって、これってもしかして…!?君の耳が赤かった事に合点がいって、『胸が高鳴る』には十分すぎる理由だった。

3/19/2023, 1:52:58 AM

 俺に向かって指をさしたそいつは口と態度はデカいがそれだけだった。腹なんてベルトの上に乗っかって、だらしない肥えた体をして威嚇してくるんだ。
「お前のやっている事は全うじゃない…!」
「ふぅん?」
 唇をわなわなと震わせて何か言ってはいるんだが
「自覚はあるし同じ台詞じゃあどうも響かないね」
 笑ってしまうよ。大きな肉の塊が揺れているようにしか見えないんだから。脂が多い分、よく燃えるが食べられそうな箇所は話の内容と同じでほとんどない。

「彼女がそれを望んだか?彼女が、彼女が…!」
「…はぁ。また、か」
 "また"熱烈なお客だ。表面をたった数回見ただけで勝手に勘違いをしたカワイソウなやつ。
 近づくなと俺が警告しに行くと、血の気の失くす癖に被害者ヅラして『不条理』だとわめき散らす。俺は相応しくないだとか、陽の当たる世界に彼女を返してやれだとか。恩着せがましく自分がヒーローになれるとでも思ってるんだろうか?
 俺はほんの少し手を加えただけで、やって来てくれたのは
「彼女がお前なんかといるのはおかしい!弱みでも握って脅して…!」
 その"彼女"からなんだよ。
 素直に関わろうなんて考えをすっぱり捨てるなら見逃さないこともない…。が、これは駄目だ。妄想が酷く下手な権力をかざして手を出しかねない。
 途中で興味がなくなって、こんな濁声より澄んだ君の声が聞きたくてしょうがない。前ならすっぱり斬り捨てていたのに君が心配するから警告という形で話し合いの機会を設けたんだけど、もういいか。

「言いたいことは終わった?」
 揺れる肉にも見飽きてしまった。

 これが終わったら君を食事に誘って…
  肉料理はやめて魚料理…海鮮なんてどうだろう。

3/18/2023, 9:29:02 AM


「夕食は俺が作るよ」
 新しい隠し味を思い付き新鮮な食材を揃えた。腕を捲って実行に移そうと具材を半分に切り、みじん切りの最中に玉ねぎから攻撃を受けた。
 どこまで耐えられるかと玉ねぎの攻撃をそのままに切り続けていると、滲んだ視界で指先が鋭い包丁の犠牲に。
 意識しても流れる涙を止められず、タオルで目を抑えてリビングで絆創膏を求めるも、視界が制限されて探しにくい。俺を2度見して救急箱を用意する君のもとへ。

「泣くほど…深かったの?」
 
 血で濡れた人差し指にタオルで顔を隠していれば…、まぁ、痛みで泣いていると思わなくもない。あいにく怪我には慣れっこだ。この程度、かすり傷にも入らない。が、涙が引かない。

「君も知ってるだろ?これは別。食材が手強くてさ」
 血を拭き取れば切ったなんて分からないほど綺麗な傷口だった。君がやさしく絆創膏を付けてくれる間に「ハンバーグを作ろうとしてたんだ」と夕食のメニューを明かす。

「こんなにしみたかなぁ」
 瞬きを繰り返しても成分か何かが残ってるらしく、なかなか本調子に戻らない。

「疲れてたんじゃない?代わりに私が作ってくるから休んでて」
「助かるけど…。奴は強敵だ。泣かないでよ?」
「頼られるみたいで嬉しいから『泣かないよ』」
 ふふん、と上機嫌に立ち上がった君がキッチンに向かって数十分。

 グスグスとティッシュで鼻をかみ、タオル片手に戻ってきた。
「何あれ。すっっごいしみる…」
「…君も駄目か」
「ううん、強敵は寝かせてきたの」
「頼もしい」
「あとは、選手交代で」
 生地を寝かせてると言うから君がおさまるまで傍にいられる。俺の症状は大分落ち着いて、君のタオルを奪うとポロポロと落ちていった。「返して」と君の感情とは関係のない涙に色はなく

「俺の代わりにありがとう」とひとつ丁寧に吸い上げた。

「たかが玉ねぎの話なのに」
「なんだか勿体ないんだよ」

3/17/2023, 3:32:36 AM

 
 聞きたい!と言った数分前の私を怒りたい。

 異国の怪談話を聞かなければ良かったとぬいぐるみを抱き締めたまま、縫い付けられたように動けない。妖怪とか狸や狐の話の類いかと思っていたら…

 梅雨特有のじめじめした不快感にどろっとした愛憎が加わった後味が悪く陰鬱な話だった。今まで流れ落ちる滝みたいと思ってた特徴の木が一役買っていて見方が180度すっかり変わってしまった。まだ彷徨っていると付け加えられて…。もうあの国の柳の下は通りたくない。

「怖かった?って聞くまでもないか」
 怪談の発表者である彼は、未だに余韻に捕まっている私を見る。物理的に痛いとか高いところから飛び降りるとか、躊躇いはするけどそれくらいなら怖がることは少なくて

「実体のないものには『怖がり』なの。見えないのは…苦手」
 感情もそう。見えないから人とコミュニケーションをとる時はどう思われているか怖い。怨念にでもくっつかれたら対処できずに弱っていきそう…。

「俺も形のないものとは戦えないから嫌なんだ」 
「…専門職に頼まずに武力で対抗するつもり?」
 撃退方法が物理攻撃だなんて聞いていた話とジャンルが違う。清々しいくらいの彼らしい返しにぬいぐるみが転がっていった。

「戦えるならさ、1度くらい戦ってみたいと思わない?」
「全然…!怖がらせた罰としてミルクティーをいれて隣に来てくれないと…私がお化けになりそう」
「りょーかい。君のために特製のミルクティーをお持ちしよう」
「ミルク多め!飲み頃で、クッキーもあって怖いから早く戻って来てくれると良いなぁ…」
「はいはい」

 『怖がり』だからって悪い訳ではない。それを理由にちょっとだけ我が儘になれたりする。

3/15/2023, 11:28:08 PM


 月が満ちて欠けていく。夜空の女王の姿は日を重ねる毎に細く輝きも弱くなる。そして姿を消したあと再び輝きを取り戻して暗い夜空に君臨した。

 月のない夜。主役は一時のあいだ星たちへ引き継がれる。散りばめられた星は控えめなものや一等光るものなど、人のように個性様々だった。

 郷愁を覚えるとふらりと立ち寄ってしまう湖に「夜の散歩に」と君を連れてきた。
 夜を映した湖は風もなく穏やかなもの。星ひとつひとつを指さして自分たちの星座を探し、分からないものには適当な名前を付けて遊んでいた。

「寒い地域は空気が澄んでて星が見やすいんだよね?」
「ああ。ここよりももっと見える。流星群の時期なんか特におすすめだよ」

 静かになった君は星空を眺めて想像しているんだろうか。手を伸ばしたり首を捻ったりしている。
「…ほんとに星が落ちたりは?」
「あははっ!迫力はあるけどしないって。もし落ちても湖が受け止めてくれるよ。…それでも気がかりなら俺と踊ろうか」

空から溢(こぼ)れ落ちてきそうと憂う君の手を恭しく取り、夜空を映す『星が溢(あふ)れる』湖を舞台に
  
君とワルツを。


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