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2/28/2023, 3:36:17 AM

 
 つるりと手が滑ってマグカップが落ちていく。がしゃん、と音をたてそれは無惨にも粉々になった。中身は飲みきっていたからフローリングを濡らすことはない。

 素足のため一歩でも動くと破片が刺さるのは確実。たくさん飲めるように買った大きめのマグは割れてしまうとこんなにも厄介で、私は破片に取り囲まれてしまった。大きな破片は取り除けばいい、だけど目に見えないほど小さな欠片は?部屋はもうすぐで、私の行く手を遮るよう。

「刺さったら痛いよね…」
 当たり前のことを呟いて、この場から動けず割れたマグとの美味しい思い出を浮かべた。
 ココアとかマグカップケーキとか色々作ったっけ…。デザインより大きさをとったため見た目はさほど好みではないけど愛着はあった。新しいの買いに行かなくちゃ…ここから抜けられれば、だけど。

「派手に割ったね、大丈夫?どこか切ったりしてない?」
「痛いと思うところはない…かな。今のところだけど。助けてくださいますか?」
 しゃがみ込んだ私は彼を見上げ、丁寧にお願いしてみる。
「もちろん、君を刺の海に残したりしないさ」
 スリッパを履いている彼に横抱きにされて勢いのよさに僅かに体が浮いて、浮遊感が得意ではない私は彼に落とされないようにしがみついた。

「…積極的だね」
「わざとでしょ」
 彼は私が首を抱くことを狙っていたわけだ。予想通りになって彼が喜んでいるのがその証拠。
「不可抗力だって。しっかり掴まっていないと落ちてしまうよ」
 なんて。脅しに近い。部屋に連れて行ってくれればいいのにその場から離れてくれず、陶器が割れる音がして
「「あ」」
 ぱらぱらとスリッパから落ちるマグカップの欠片たち。コホンと咳払いした彼は申し訳なさそうに
「ごめん…買い物に行こっか」
 新しいマグカップを探しに2人で家を抜け出した。

 粉々のマグカップを帰ってから片付けようと若干の『現実逃避』をして。

2/27/2023, 3:42:33 AM


「唇が荒れてるかも」と『君は今』リップスティックを取り出してくるくると底を回してのせている。艶のなかったやわらかく、ぽてりとした唇がひと塗りで輝いた。その様子に釘付けで
「そんなに見られると恥ずかしいな…」
 伏し目がちに言われるものだからますます目が離せない。
「新しいやつ?」
「うん、香りがついてるの」
 差し出されたリップスティックに鼻を近付ける。俺が使う目の覚めるような物とは違う、女の子って感じの甘い香りだ。ただ何の香りかまでは当てられなかった。

「唇、荒れたりしないの?」
「最近は荒れないな。口の中を切ったりすることはしょっちゅうだけど」
 仕事絡みで、まぁ色々と。口の中を切る想像をした君は一瞬固まってから、羨ましいと視線で訴えられた。荒れなくなったのって君と付き合ってからだ。

「君が分けてくれるから」
「奪ってるの間違いじゃないの?」
「そう言う口は塞ぐことにしようか」

 顎を捉えて唇を奪う。君の唇はミルクのような甘い香りがして、見た目ほどベタベタしてはいなかった。
 悪くない。感触がマシュマロを思い出させたからだろうか。口を合わせるだけでは飽きたらず、最後にはむり。と

『君は今』どんな顔をしてるかな?

2/26/2023, 7:25:06 AM


 
  どんよりと重い灰色。空に喜怒哀楽があるなら哀に当てはまるのだろうか。
 天候なんて誰にもわからない。大体の予想をたてるくらいだが、…見えなかったはずの息が白く、冷たい空気がツンと鼻をさせば雪が降ると身体に染み込んだ経験が教えてくれる。
 雪が溶けはじめて地表が見えたというのに、これではまた隠されてしまうだろう。暫くは固い地面を踏めないと思うと、寒さは比べ物にならずとも故郷にいるような錯覚に陥った。

「寒くない?」
 俺より体温が低く判別が付きにくい、ポケットに誘った君の手を握る。
「まだ大丈夫」
 鼻先を赤くして説得力がなかった。春の気配に軽めのコートを着た君は家に着く頃にはきっと冷えている。すぐに部屋を暖めて、湯船にお湯をためないといけないな。
 厚い雪雲に覆われて雪が降りだした。そろそろ青空が恋しくなってくる頃だが『物憂げな空』はまだまだ続くらしい。

「また積もると思うよ」
「そっか。じゃあまだくっついていられるね」
 君の指先が、俺の掌をゆっくりと探り絡みついた。人肌が恋しいのだろうか、甘えてくるなんて驚いた。

「帰ったら、うんと暖まろうか」
 雪の白さを際立たせるような君の赤い耳が俺の熱を上げて、音を立てず細やかな雪の結晶が髪を飾っていった。

2/25/2023, 5:00:35 AM


 お椀型にした手のひらで小刻みに震える塊は、数日前に卵から孵った鳥の雛。卵の殻をつついて生まれる瞬間は作り物みたいで、生き物が生まれた実感が湧かなかったことを覚えてる。
 彼から受け取ったその子はピィと鳴いた。
「信じられない…」
 ほわほわした毛が手のひらを擦りくすぐったい。生きてるとわかった途端『小さな命』が手に乗っていることが不思議と恐ろしくなる。もし、手の熱で火傷をしてしまったら…、落としてしまったら。この子の命を潰やしてしまう可能性を持ってるのは、私で。

「君が震えてどうするのさ」

 私が震えているのかこの子が震えているのか境が曖昧になってしまった。

「だって…ちゃんと生きてる、から」
「うん、生きてるよ。怖がらないで」

 彼の手がつつむ様に二重のお椀が作られた。私を支えてくれて震えを止めてくれる。元気よくピィピィと鳴いていた雛が半目になって、丸くなる。何度が手のひらでもぞもぞ動いて1つの塊になって膨らんだりしぼんだりして、眠ってしまった。

「寝たの…?」
「君の手に安心しちゃったんだね」
 「わかるなぁ」なんて彼は言う。初めて会う私に気を許しすぎでしょうに。けど、懐かれて身を委ねられて何となく親鳥の気分。

「大きく健やかに育ちますように。羽ばたく時は教えてね」
 柔らかな羽毛にそっと頬擦りをした。

2/24/2023, 3:42:36 AM

 

 職場のデスクの上、書類の中に隠すように置かれた見ず知らずの俺宛の手紙。
 添えなくて良いから気持ちだけ知っていて欲しいと送り主のわがままに応えるように君の字とは違うお手本のような字を流し読む。便箋2枚は軽いはずなのに書き手の涙を吸ったのか重く感じた。

〔家族に向ける慈しみをいつか、と願ってしまった愚かな私を笑ってくださって構いません。どうか、お幸せに。せめてそれだけは願わせて下さい。〕

 「好き」と直接的な表現はどこにも書かれていない。けれど記された文字の端々に好意が読みとれる。知らぬ誰かの想いがこもったそれを職場で処分するわけにも行かずに持ち帰ってしまった。自室の机でも風景に溶け込めない異質な紙は、捨てて拾われ読まれるよりも燃やすことにして暖炉にくべた。
 火が移る。俺のためというより書き手の心の整理のためだろう。端から徐々に燃えて、上等なそれは灰になっていく。
 火の勢いは瞬きの間におさまり、ぼんやりと揺らめく炎の中、君を思う。俺ならどう伝えようか。ストレートに気持ちを伝えず君だけに分かるような

 鮮烈で熱烈な、俺らしい I『Love you』は…
 
「…君に刺されたい、かな」
 傷痕が一生残るくらいのそれがいい。

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