男が話しかけてきた。
彼女とどこで会える?
彼女を見かけた場所へ何度も足を運んだのにあれ以来会えないんだ。
花を添えて一緒に贈っても問題ないだろうか…?
彼女、彼女、彼女…
矢継ぎ早に質問され当たり障りのない程度に答えていった。
そうか、そうか。と男は興奮気味に頭の中に書き留めているようだった。
「もっと彼女について聞きたい?」
「…なんだって?」
「ここでは話せないような事、とか。」
そう言うと男は身を乗り出して赤べこのように首を縦にふる。それほど彼女に魅入っていた。
「決まりだね。あっちで話そうじゃないか」
路地裏に男を案内する。見聞きされないうってつけの場所。わざわざ気味の悪い場所に来るやつなんて物好きはそうそういないからね。
移動した先で男は俺が口を開くのを今か今かと待っている。
「1つくらい質問をしてもいいかな」
「答えられることなら」
「気になっていたんだけど君、…どこで彼女の事を知ったんだい?大事に隠してたはずなんだけど」
「…え?」
「覗いちゃったんだ?」
この後何があったかなんて『どこにも書けないこと』だった。
カチ、コチ、カチ、コチ。
柱時計の振り子は揺れて鳴っているのに時計の針は動かない。時間が経っているはずなのに可視化するものが動かなくて不思議な感覚を味わう。
もしかして、私たちと時計の振り子以外の時間が止まっているのかも。
部屋がとても静かなのもそう思う要因だった。
「私たち以外の時間が止まっちゃたね」
「このまま時間の中に閉じ込められて閉まったらどうしようか」
俺としては願ってもないことだけど君は
「そこまで考えてなかった…!時間がないからお腹は減らないとして、あなたの手料理が食べられないのは悲しいな。そろそろ咲きそうな花を教えようと思ったのに…。花びらが開く瞬間が見られない…」
しゅんとする君に「止まった魔法を解く方法があるよ」と
「それって私には難しいこと?」
「ずっと簡単で、単純なこと」
流れるようにキスされて不意打ちに固まる私。
「簡単だろ?」と彼が笑って
カチリ
1㎜も進まなかったはずの『時計の針』が動いていた。
作業が終わればいいのに、全く減らないし終わらない。
止めどなく溢れて抱え込んでも抱えきれなかった。落としたくないのに私の両腕からこぼれていく、彼への気持ち。…多すぎる。
心の整理をする私たちはいつも大忙し。
彼が大好きなのは分かる。大いに結構、だって私たちも好きだから。懸命に愛情を集めたら山になってやがて島になった。住み心地は悪くないけど、いやはや、ここまでとは。埋められてしまってはたまったものではなく、気持ちを蔑ろにしたくはなかった。
私たちが頭を悩ませていると1人が「煮込んでしまおう」と。
『溢れる気持ち』を両手いっぱいに抱え込んであったかい別の気持ちで溶かしていく。
ことこと煮詰めて完成したのは小さな結晶たち。色とりどりで金平糖のような形のそれを割らないように、丁寧に底の深い瓶に移して。ガラスの瓶の底に滑り落ちてカラコロと澄んだ音に耳をすませた。
見た目もよく、かさばらないしこれなら生きている間は埋まってしまうことはなさそうね。
肩を叩かれ振り向くと頬にやわらかい何かがくっついて離れる。外から帰り冷えてしまった頬にそれは温かく、起きたことに思考が停止してこれは夢かと疑うほど。頬を抑えて立ち尽くした。
え、今…?
なかなかやってこない俺を不思議に思った君が近づいて、腕に閉じ込めた。何も喋らない俺を不安そうに見上げてくる。
「そ、そんなにいやだった?」
「違うよ。嬉しくて」
君からすることが少ない愛情表現に心臓がいつにもなく早くなる。腕に収まった君にも移っていたのか頬が赤くなっていた。
「俺からもさせて?」
手を添えて、お返しになめらかな色づいた頬にひとつ。君がしてくれた時とは逆で君の頬は熱く、俺の唇は冷えて「ひぁ」と思ってもみないかわいらしい悲鳴が届いた。愛おしくなって驚き閉じられた瞼にも唇を落として、鼻先にも。
ゆるりと開きぶつかる視線。
目と鼻の先、君の顔がこんなにも近い。
「もっと『Kiss』したいんだけど…。いいかな?」
どこに、と言うまえに君からの『Kiss』が、欲しいところに降ってきた。
私達が出会った、この美しい景色がいつまでもあればいいのに。
街と海を一望出来る丘の上。
その中でも夕陽が海に溶けて夜を呼ぶ瞬間がお気に入りだった。限られた時間の中でずっと先の未来を確かめることは不可能だけど。街は海に飲まれて流されてしまうかも、街が広がって海がなくなってしまうかも。丘が削れてしまうかも知れない。私よりずっと長生きな大樹に話しかける。
「聞いてもらえる?もしね。生まれ変わってこの場所があったらここで
『1000年先も』彼と会って、また恋をしたいなって。」
長すぎるんじゃない?だなんて言わないで。
それまでに彼を口で一回は負かせられるような知識をつけて、彼の隣で胸を張って歩けるような人になってみせるんだから。ほんのちょっと背伸びをしたいの。
「でもその前に彼に見つかってしまうかも。」
葉がさわさわと擦れ合い「なぜ?」と聞かれた気がした。
「あなたも見えるでしょ?」
だってほら、行き先を告げてもないのに、遠くから彼が私に手を振っていた。