鏡の森 short stories

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6/4/2023, 5:15:55 PM

#017 『そばにいさせて』

 あなたの気配がとても近い、狭い部屋が好きだった。
 授業とバイトで忙しいから、寝に帰るだけの部屋なんて言ってたけど。料理なんてしないからって前提だったらしいけど、一口コンロじゃ実際不便すぎたわ。
 夏場、ロフトは寝るには暑すぎて、結局物置になっちゃったね。小さなソファベッドは窮屈だったと思うけど、硬い床で寝るよりはマシだったと思う。
 友達が来るようなことはなく、電気代がもったいないからって空いた時間は大学で時間を潰したりして。
 でも、あたしが来てからあなたは変わった。部屋にいる時間が少しずつ増えたし、真新しい包丁を怖々握って調理に挑戦しようとした。部屋には芳香剤を置いてみたり、水回りをこまめに掃除するようになったり。あたしに任せてくれてもよかったのにね。
 単位はもう取らなくていいんだ、って言い始めたのは、冬の終わりのことだったっけ。あたしは大学ってよく知らないから、あなたの言うことをそのまま信じた。
 いつの間にかバイトを辞め、授業にも行かなくなって、部屋であたしと二人きり。ユニットバスの音は壁越しによく聞こえるし、プライベートなんてない空間でも、あたしには逆に心地よかった。だって、いつもそばにあなたがいた。
 ずっとそれでよかったのにな。卒業する頃には引っ越すにしたって、あと一年はあると思ってたのに。
 ある日、聞き慣れないエンジン音を聞いたと思ったら、なんの相談もなくあなたが借りてきた大きなレンタカーが路肩に止まってた。そう言えば車を持ってないだけで、運転免許はあったんだったっけ。
 あなたは無言であたしを連れ出す。サプライズにしたって強引すぎた。行き先くらい教えてくれてもいいのにって思ったけど、聞いても答えてくれなかったかも。
 不慣れなせいか、ちょっと乱暴な運転でたどり着いた先は広大なダム湖の近く、人気のない山の中。ガードレールから見下ろす水の底にはうっすらと建物の影が見える。
 唐突にあなたはあたしを抱え上げた。部屋を連れ出した時と同じくらい強引に。そのままガードレールを乗り越え、あたしは水の上へと投げ出される。
 隙間から入ってきた水が冷たい。トランクにあった空間はあっと言う前に満たされて、圧迫感で身動きも取れなくなる。
 ねえ、どうして。あたし、狭いあの部屋が好きだったのに。
 狭い部屋が好きだから、何ヶ月もずっと静かにしてたのに。
 いくら水が重くても、あたしの体は軽くなって、いつか水面に浮かび上がるのよ。
 ほら、衝撃でトランクが薄く開いてる。
 本当はあたしにまた会いたかったの?
 それなら、すぐに会いに行くね。

お題/狭い部屋
2023/06/04 こどー

5/14/2023, 2:52:38 PM

#016 『何度目かの夏前に』

 連休前の午後ともなれば気分が上がるのはよくあることで、そんな時は妄想も様々に弾む。
 夕飯にはホロホロに煮込んだ鶏肉のスープがあるから、他は簡単にサラダとパスタで。家事は明日に回しちゃって、手軽に使えるショルダーバッグの生地を選ぶんだ。
 作りは簡単。外側のメインにはお気に入りのデザイナーさんの生地を大胆に使って。ハギレをつないで、少し斜めに接ぎ合わせるのもアリかも。中厚のシーチング地だから、キルト綿を貼って少しだけキルトも入れよう。レインボーのラメ糸を使うのもいいな。
 口は閉じててほしいけど、ショルダーにするんだからファスナーやマグネットより、口折れタイプに仕上げようかな。それならマチはなしでループをはさんで、ショルダー紐は……後から色の合う合皮か、夏らしくクリアタイプを買って合わせよう。
 サイズはA4の書類が縦に入るくらい、仕立てはミシンだからそんなに時間はかからない。取りかかりさえすれば四、五時間でなんとかなるんじゃない? 今夜のところは、そう、裁断と綿貼りくらいまでを終えて。
 現実には? お腹がふくれたら満足しちゃって眠くなって、ぼんやりテレビかスマホを見ちゃって、あぁ、もうこんな時間、ってなって。
 お休みに取りかかった方が一気に仕上げちゃえるよね、なんて思い直してみたりして。
 積読ならぬ積布の山を視界の端に収めながら、妄想デザインを何度となく繰り返して。
 あと何回夏を迎えたら完成するんだろうね?

お題/おうち時間でやりたいこと
2023.05.14 こどー

5/13/2023, 10:46:51 AM

#015 『影もなく』

 一人居残ってため込んだ書類仕事と格闘していたら、プレイルームからボールの弾む音が聞こえてきた。
 手を休めて時計を見上げる。午後八時。
 静かに席を立ってプレイルームをのぞくと、三歳くらいの子供が走り回っていた。柔らかいボールを放っては追いかけ、全身で抱くようにボールをつかんでは一緒に転がり、逃げ出したボールを再び追いかける。
 照明はとうに落としてあるのに、その子の周りだけはほんのり明るく、楽しそうな表情までもが見てとれるようだった。
 弾んだボールが滑り台に乗り、そのまま転がり落ちてくる。ボールから滑り台へと興味を移し、しばらく見つめた後に滑り台を回り込むと、飛ぶような足取りで階段を登り、滑り下りる。大の字に寝てケラケラ笑った後、再び階段を登り、今度は腹這いで降りてくる。次は仰向け、次は横向き、次は頭から。降りるたびにケラケラ笑い、息を弾ませ、飽きもせずに何度も繰り返す。
 目を細め、その様子をしばらく眺めた後、席に戻った。夜、人気のないプレイルームではたまにあることだ。
 混沌とした机上をささっと整理し、今夜中にキリをつけておきたい仕事だけを片付け、時計を見上げた。そろそろ頃合いだろう。
 プレイルームをのぞくと、今は積み木で遊んでいるようだった。
 プレイルームへとつながるドアをそっと開け、ささやくような小声で声をかける。
「お迎えぎ来たよー」
 その子はぱっと顔を上げ、ほんの一時動きを止めてから、床を蹴って駆け出した。迷うことなく出入口に向かい、閉ざされたままのドアの手前で音もなくかき消える。
 床に放置されていたボールも散らかっていた積み木もかき消え、すべてが定位置に収まっていた。

お題/子供のままで
2023.05.13 こどー

5/10/2023, 3:26:47 PM

#014 『モンシロチョウの憂鬱』

 結婚を機に遠方へ越した幼馴染はとても気が利く子で、あたしだったら速攻で気疲れしちゃうなぁ、なんて子供の頃から思って見ていた。
 蝶子と書いてショウコと読んだけど、あだ名は蝶(ちょう)ちゃん。
「あたし、きっと前世はモンシロチョウだったと思うのよ。ほら、人とは違うものを見てるみたいって、よく言われるからさ」
 名前に絡めて、蝶ちゃんは口癖みたいにそんなことを言っていた。なんでもモンシロチョウは赤色が見えない代わりに、紫外線を見ることができるらしい。
 そんな彼女が選んだのは、のんびり屋で頼りなさげな同級生。どちらかと言えば、なんて言うまでもなくクラス中では非モテな人で、実は彼が遠方の大学に行く前から付き合ってた、なんて聞いて、友達一同驚いたものだった。「人とは違うものを見てる」蝶ちゃんには、彼のいいところがいっぱい見えてたんだろう。
 帰省に合わせて一緒に食事に行ったりできたのは数年だけで、だんだん予定を合わせられなくなり、いつしか連絡も遠のいた。頼りがないのはよい知らせ、なんていうのはただの言い訳で、目まぐるしい日々の中、距離が離れつつあったのは確かだった。
 そんな彼女から久しぶりに連絡があった時、あたしはスマホを握りしめたまま寝落ちしていた。続きでそのまま朝を迎える夜だって珍しくなかったのに、その日は振動で目が覚めた。
 とは言え、応答は間に合わず。あたしは一瞬も迷わず折り返した。通話がつながるまでには間があった。
「蝶ちゃん?」
 つながった、と思うと同時に呼びかけたけど、返事はなくて。
 そのまましばらく経って、通話は切れた。時刻は2時を過ぎていた。

 もう一度発信し直そうかさんざん迷った結果、その夜は、簡単なメッセージを送るに留めた。
『久しぶり! 連絡ありがとう、近々食事行こうね』
 何かあったの、と付け足しかけては消して、夜中にごめんね、と付け足しかけては消して。
 余計な一言を我慢するのって結構ストレス感じるんだよねー、なんてことを思いながら。
 メッセージは、すぐに既読になった。

 蝶ちゃんから次に連絡があったのは二ヶ月後のことだった。
 なんと別居を決めて、今は実家に戻ってきてるとか。
『この間は、夜中にごめんね。子供がイタズラしちゃってさ』
 嘘だろうなぁ、と思ったけど、あたしは何も言わなかった。
『フツーさ、久しぶりすぎる相手から連絡あったら、宗教かマルチかって疑うでしょ(笑)ごはんお誘いありがとう』
『えっ、どっちかなの?笑』
『どっちでもないよ!!』
 なんていう、くだらないやりとりの後に、蝶ちゃんの愚痴が混じる。
『気が利くとか言われて調子に乗ってる。見てほしいところは何も見てくれないくせに、みたいなことを言われまくって』
『へー。仕方なくない?蝶々は赤色は見えないんだからさ。違ったっけ?』
『モンシロチョウね!(笑)よく覚えてるねー』
『そりゃあ、もう。蝶ちゃんのことなら、かなり笑』
 具体的なことは、蝶ちゃんは何も言ってこなかった。直接会って話したら、何か告白されるかもしれないけれど。
 話したければ聞くし、話したくなければ聞かない。
 そんな感じで十分だよねぇ、なんて思いながら、食事の約束を取り付ける。

お題/モンシロチョウ
2023.05.10 こどー

4/30/2023, 9:38:37 AM

#013 『桜の小径』

 一時間に一本のバスを待つ間、ベンチに腰を下ろしたら危うく眠りそうになった。
 春先の穏やかな陽光と日頃の寝不足のせいだ。肩の骨折が原因でうまく寝返りを打つことができず、この頃はずっと眠りが浅い。
 運転を禁止されたおかげでやむを得ずバスを利用する機会が増えた。移動中の待ち時間の発生に最初は焦りを感じたが、数日ですっかり慣れた。今ではむしろ、気忙しい日々から解放されたような気さえしている。
 道路沿いに咲く桜のことも、車通勤ならばろくに見もしなかっただろう。満開まであと少し。時折強く吹く風に揺らされながら、どっしりと根を地面に下ろしている。
 道路向かいの桜の木陰に人影が見えた気がして、目を凝らした。
 そして目を見張った。もう何年も、いや十何年も会っていない同級生だった。
 何が原因だったか、友達同士の些細な行き違いから不登校になり、そのままいつしか連絡も取れなくなった同級生。
 この近くに住んでいたのか。
 一人のようだ。荷物は何もなく手ぶらで、ただ桜を見上げている。見上げながら桜並木を奥へ向かって歩いている。
「遥子ちゃん? 遥ちゃん!」
 慌てて立ち上がりかけたが、患部を中心に痛みが走って諦めた。座り直して一呼吸置いた目の前を車が通り過ぎていく。
 再び立ち上がろうとした時、向こう側の人影はもう消えていた。
 あれ、と違和感に瞬きを繰り返す。同級生が見上げていた桜並木はずっと向こうに向かって続いていたはずなのに、今は道路沿いに数本が並んでいるだけだ。その向こうは小さな公園になっていて、人気はない。
 待っていたはずのバスがやってきて視界を塞いだ。
「お客さん? 乗りますか? 乗りませんか」
 ベンチから立ち上がらなかったせいで、運転手から声をかけられる。
「あっ、乗ります、乗ります。すみません」
 肩が痛まないようにかばいながら立ち上がり、乗客の少ないバスに乗り込む。
 座席から再び道路向こうを見ても、そこには数本の桜が並んでいるだけだった。

《了》
お題/刹那
2023.04.30 こどー

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