鏡の森 short stories

Open App

#015 『影もなく』

 一人居残ってため込んだ書類仕事と格闘していたら、プレイルームからボールの弾む音が聞こえてきた。
 手を休めて時計を見上げる。午後八時。
 静かに席を立ってプレイルームをのぞくと、三歳くらいの子供が走り回っていた。柔らかいボールを放っては追いかけ、全身で抱くようにボールをつかんでは一緒に転がり、逃げ出したボールを再び追いかける。
 照明はとうに落としてあるのに、その子の周りだけはほんのり明るく、楽しそうな表情までもが見てとれるようだった。
 弾んだボールが滑り台に乗り、そのまま転がり落ちてくる。ボールから滑り台へと興味を移し、しばらく見つめた後に滑り台を回り込むと、飛ぶような足取りで階段を登り、滑り下りる。大の字に寝てケラケラ笑った後、再び階段を登り、今度は腹這いで降りてくる。次は仰向け、次は横向き、次は頭から。降りるたびにケラケラ笑い、息を弾ませ、飽きもせずに何度も繰り返す。
 目を細め、その様子をしばらく眺めた後、席に戻った。夜、人気のないプレイルームではたまにあることだ。
 混沌とした机上をささっと整理し、今夜中にキリをつけておきたい仕事だけを片付け、時計を見上げた。そろそろ頃合いだろう。
 プレイルームをのぞくと、今は積み木で遊んでいるようだった。
 プレイルームへとつながるドアをそっと開け、ささやくような小声で声をかける。
「お迎えぎ来たよー」
 その子はぱっと顔を上げ、ほんの一時動きを止めてから、床を蹴って駆け出した。迷うことなく出入口に向かい、閉ざされたままのドアの手前で音もなくかき消える。
 床に放置されていたボールも散らかっていた積み木もかき消え、すべてが定位置に収まっていた。

お題/子供のままで
2023.05.13 こどー

5/13/2023, 10:46:51 AM