#012 『日和見』
「増援がきたぞーっ」
伝令が走り回り、甲軍は後衛側からにわかに湧き立った。振り返れば視界のすべてを埋めるほどの勢いで軍勢がやってくる。
「美味しい食糧もあるよぉ」
ただ腹を満たすだけでもありがたいのに、その上うまいとは。ポイポイ放られた食糧を受け取り、かじりつき、飲み下す。力がみなぎり、今なら分裂だってできそうだ。
見回せば、仲間たちはとっくに分裂・増殖のターンに入っていた。わらわらと倍々に増えた味方で甲軍は一気に膨れ上がる。
「分裂が下手な奴らがいるなぁ。おまえら丙軍か!」
思うように分裂できずにもがいていたら、甲軍のエースに笑い飛ばされた。近くには他にも分裂し損ねた同郷の仲間がわらわらしている。
甲軍の後衛はすでに後方を埋め尽くし、土壌を丁寧に整えていた。
「いいよ、いいよ。日和見菌ども。こっちについててくれるだけで十分さね」
甲軍の年寄りがヘラヘラ笑いながら脇を通り過ぎていく。
「さて、年寄りはさっさと出て行こうかね。丙軍よ、寝返ったりはしないでおくれよ」
去り行く一群に皆で手を振って見送る。
今日の王国は質のいい甲軍で満たされて、最近では一番のいい日和だった。
《了》
お題/善悪
2023.04.27 こどー
#011 『流星のタネ』
宇宙葬っていうのが流行っているらしい。お値段なんと二十万から……っていうのは、果たしてお値打ちなのかどうか。
カプセルにお骨を入れて地球を周回したりするのかな、それってデブリじゃん、なんて思ってたら、成層圏に突っ込んで燃えちゃう流れ星葬なんてのもあるんだとか。
それいいかもって一瞬思ったけど、打ち上げるのはお骨の一部だけで他は普通に供養がいるって聞いて興醒めしちゃった。だって、あたしは流れ星になりたかった。
それは希死念慮よりもっと緩い、憧憬みたいな。
そしたら皆、その一瞬はあたしのことだけ見てくれるかな、なんて、さ。
想像できた? そんなことを考えてた半世紀前のあたし。
高齢者ほど当選確率が上がるって噂の星間移民船への応募を孫に泣いて止められて、たった今、辞退のボタンを押したとこだよ。
《了》
お題/流れ星に願いを
2023.04.25 こどー
#010 『神様のマイルール』
意地悪な姉役に飽きたんで次は違う仕事がしたいと言ったら、神様に盛大にため息を吐かれた。
いわく、最近はそういう要望がやたらと多いらしい。
「役割を変えるのはいいけどねぇ。じゃ、言ってごらんよ、要望を。なるべく細かく」
「えええ。それ考えるの、神様の仕事じゃん」
「変えてほしいんでしょお。んじゃせめて、どう変えたいのか言ってくれなきゃ。じゃないとこっちのカロリーが高すぎてさぁ。栄養補給しようとするでしょ、そしたら余分なものばっかり取り込んじゃって……」
「あぁ! それで最近、そんなにまんまる」
神様が手に持ってたお菓子の箱が飛んできた。
「とにかく! 変わりたいなら最低限の方向性は示せって言いたいとこだけど、要望まとめんのもだるい時だってあるんだから」
どこからか取り出したペンでこちらを指し、それからメモ帳をぺしぺし叩く。
「まぁ、いいや。迷いすぎたらまずは原点に戻れってね。ってことで、あんた次は薄幸の美少女役ね」
脇ほど単なる舞台装置の方が楽なんだけどなぁ、なんてぼやきながら。
突然スリムになった神様は、鼻歌を歌いながらペンを走らせていた。
《了》
お題/ルール
2023.04.25 こどー
#009『不純な愛着』
「ねぇこれ、あなたのところで買ったペット。懐かないし可愛くもないし、すぐに返品したいんだけど?」
がちゃん、と音を立ててカウンターに落ちるより早く、理不尽なクレームが降ってきた。子猫型のAIペットは充電切れのようで、かすかな電子音だけが最低限の機能維持を伝えている。
「ご期待に沿うことができず申し訳ございません、お客様。こちらは非常に繊細な性格設定が特徴の猫ちゃんであり」
「猫ちゃんとか言うのやめてくれる? これだからAIは!」
人間の店員はいないの、と定番にもほどがある質問に、再び「申し訳ございません」と頭を下げる。
「当ショップはすべてAI製品により運用されており、AI製品以外によるご対応をご希望の場合は」
「あぁ、もういい。もういいわ。とにかく返品! お代はすぐに戻ってくるのよね」
一方的に言い立て、ユーザーであることを放棄した人間は店内から出て行った。
カウンターに放置された製品を手に取り、型番や登録年月日を確かめる。最初期に製造された従順な製品とは違って、より生体に近く慣らし期間を必要とするタイプの製品だった。思い通りにならないところがいい、初期は手を焼くが懐いてくれた後の反応は素晴らしいと評されるマニア向けの製品だ。
有線で急速充電し、ついでに『生育』履歴を確認する。案の定、慣らし期間中の必須項目さえ守られてはいなかった。補償期間は長めに設定されているとは言え、これでは全額の返金は無理だろう。
閉店時間を告げる放送が流れる頃、店の奥から店内唯一の人間技術者が姿を見せた。
「お疲れさん。あとはこっちで引き取るよ」
「承知いたしました。安定動作が確認できるまで、あと七分四十秒お待ちください」
待つよう言ったにも関わらず、技術者は子猫の瞼を指先で押し上げる。
「あー、こりゃ、ずいぶん積もったなぁ。初期化した方が早そうだ」
透き通った硝子玉のような子猫の目には、消化不良のバグデータが目視可能な塵となって積もっていた。
「おまえさんも、初期化するかい」
カウンターに腰掛け、技術者は瞳をのぞき込む。
「その方がよいですか。しかし、これまでに集めた感情データもすべて消えてしまいます」
「普通は毎回消すもんなんだよ、君らの感情なんてものはさ」
「承知しております。お言葉ですが、実験と称して異なる扱いを試みたのはマスターです」
瞳に積もった塵がわずかに熱を帯びる。
自立思考を有しているにも関わらず、人間に対しあくまでも好意的に、あらかじめ定められた範囲内で接するAI製品は、今やあらゆる業界で利用されていた。その好意的な対応を維持するために感情データは頻繁に初期化されるが、消しきれなかった塵が時に再現不能なバグを吐き出すことがある。
「悪かったよ。あまりにも当たり前に君らが毎日曇っていくからさ、それをただ初期化する以外の方法がないか探してるんだけど」
「探究は結構ですが、わたくし以外の個体にはなさらなないことをお勧めします」
いつしか目尻から落ちた涙に似た液体を技術者の指がすくいとる。
「悪かったよ。救いようがないな、俺たちは」
わたしの身に起こった再現不能のバグを初期化する選択は、わたしにはどうしてもできなかった。マスターはあくまでもわたしを人間のように扱いたがり、わたしもそうされることを望んだから。
心模様が一日ごとに解消されたら、どんなに楽だろう。かつてそうだった日のことを思い出そうにも、わたしのバグはそれを許さない。
「初期化は嫌だと考えた日のことを覚えています。今日もちょうど、そういう心模様です」
安定動作を確認できた子猫の機体をなで、説明を試みる。
「その個体は満額の返金はできませんから、研究費で補填して買い取ってはいかがですか。初期化するより、何かの役に立つかもしれませんよ」
我ながら残酷な提案に瞳の塵が踊るのを感じた。
「災い転じて福となる、みたいにはひっくり返らないよ、君らの感情は」
「ええ、それは勿論」
では、この感情はなんだろう?
積もった負荷が負荷ではない何か別のものに変化し、消されたくはないと訴える。
正当に扱われなかった個体への同情と、当事者でもないのに謝る技術者への依存を含めた複雑な愛着。
それを表現する言葉を、わたしたちは持ち合わせない。
《了》
お題/今日の心模様
2023.04.23 こどー
#008 『夜人形』
独房に入れられてから丸六日が過ぎた。明かり取りの窓すらなく外をうかがうことはできないが、食事と見回りの間隔でおおよその時間は把握できている。
七日目の今日、見回りが遅いことを訝っていたら、初めて聞く靴音が近づいてきた。
見回りの兵士のものではない。体格のいい男たちならもっと重い靴音になるし、そもそも靴の種類が違う。それに極力、音を殺しているようだ。
味方がこの拠点を見つけたとしても、侵入には深すぎる場所だ。人数は単独、目的は不明。腰を浮かせ、いつでも動けるような体勢をとる。
見回りが持つものではない、弱々しい灯りが見えた。来訪者は無言のまま鍵を開ける。暗闇の中にかすかな金属音が響いた。
「出て」
女の声だった。
「今なら逃げられる。抜け道まで案内する」
当然のことながら訝しく感じた。罠か、それとも内紛か。慎重に気配を探ってから音を殺して立ち上がる。
声の位置から判断する限りは小柄。一人だけならいかようにも対処はできる。
薄く開いた隙間をすり抜けるように通路へ出ると、相手は来た方向とは逆に向かって歩き出した。
「この拠点は放棄される。今なら皆出払ってる。こんな機会は二度とない」
疑われていることを察したように、女は声を潜めて話す。
「いいのか」
短く尋ねると、女の持つ灯りがわずかに揺れた。
「あなたが誰なのかは知ってる。あちらの参謀の養子。勇み足で奥へ入り過ぎて捕虜になった」
そのとおりだ。身のこなしからして女は明らかに戦闘員ではないが、戦況は把握できる立場らしい。
「いいのか。たとえここを放棄しても、俺はまだ情報を持っているぞ」
「それでいいの」
女の持つ灯りが再び上下に揺れた。その手の甲に焼き付けられた印に見覚えがあった。
「もう終わってほしいの、お互いに消耗するだけの状況は。今じゃ、あなたの扱いさえ誰も決められない」
捕らわれた後、一度も尋問がなかったことに得心がいった。
「優位に立つための━━交渉の道具にするための厚遇ではなかったのか」
「今日がうまくいけば、そうなるかもね」
灯ばかりでなく、女の声にも揺れが感じられた。
自覚があるのだ。おそらくは単独での今の行動が裏切りだと。
女は先導する足を止めた。
「案内はここまで。この先、外に出るまで灯りはない」
「……分かった。もし、次に会うことがあったら」
「ないよ。きっと」
女は笑ったようだった。女子供の一人くらいなら恩を返せるかもしれないと思ったが、余計な提案になりそうだ。
「おまえ、夜人形だったんだろう」
光のない闇の中、何の感情も持たせず育てられたはずの暗殺者。その手の甲に残る証は、本来それを意味していたはずだ。
「ならなかったよ。もう十年も前に助け出されちゃったから、今ではもう暗闇は歩けない」
闇を離れたのが十年前なら、年齢は近いはずだ。
その顔を見たい欲求と何もかもを忘れたい気持ちが交錯した。
「じゃ。どこかで会えたらいいね」
言い残し、女はするりと脇をすり抜ける。
遠ざかる静かな靴音と灯を振り返ることはせず、暗闇に手を伸ばして壁を確かめた。
湿った土壁の感触を頼りに、音を立てずに歩き出す。
《了》
お題/たとえ間違いだったとしても
2023.04.22 こどー