鏡の森 short stories

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4/21/2023, 2:13:06 PM

#007 『画家の告白』
ややFT/微ホラー

 田舎暮らしに憧れて越して三月目、近くに高名な画家が住んでいると聞いて、会いに行くことにした。もっと早くに知りたかったとぼやいたら、せっかくのスローライフが台無しだと妻は言う。
「仕事人間に戻られちゃたまんないわ」
 もっともな言い分かと主張を引っ込め、森を訪ねる許可をもらった。
 村外れの一軒家を通り過ぎた時、どこまで行くねと声をかけられる。画家に会いに行くと答えると、住人はカンカン帽を持ち上げてしかめっ面をした。
「画家先生ねえ。なんの用事があるんだい」
「用事ってわけじゃないけど、ぼく、学芸員だったんです。こっちへ越して来る前ね」
「へぇ、学芸員。学者さん?」
 否定も肯定も面倒で、適当に返事を濁しておいた。
「関わらない方がいいよ。悪いことは言わないからさ」
 多くは語らない住人にあれこれ尋ねることはせず、森へと踏み入ることにした。
 そこは静かな森だった。人の気配がないのは当然としても、小動物を見かけることもなく、小鳥のさえずりさえ聞こえない。
 風がそよげば木の葉は揺れる。初夏の爽やかな風は心地いい。だが他に音を立てるものは何もなく、土を踏む足音が奇妙なほどに耳に障る。
 かの画家を一躍有名にしたのは『最初の沈黙』という作品だったことを思い出していた。画面いっぱいに描かれた女性の魅惑的な唇とその前に立てられた指。顔の上半分が帽子で隠され、読めない表情。ぷっくりと艶のある唇は今にも動き出しそうで、じっと見入ってしまったものだった。
 森には生き物の気配がなく、見回してみれば立ち枯れた木が多い。
 画家の絵にあった、どちらかと言えば都会的な空気と艶かしい生命力。森からはそのどちらも感じとれない。
 ぼくとは逆に、都会への憧れを形にしたのだろうか。不思議に思いながら静かな森を進むと、ぽつんと小さな家にたどりついた。土壁に茅葺き屋根の素朴な家は、やはり絵の印象にはほど遠い。
 人物像をまったく知らないと今さらながら思い当たった。村外れの住人の様子を思い出す。村人とは交流せず、噂話にも上がらない。よほど偏屈な変わり者なのだろうか。
 にわかに緊張を覚えながら家に近づくと、ノックする前に扉が開いた。現れたのは年嵩の男で中肉中背、気難しそうな印象はない。
 挨拶がてら自己紹介すると、老画家は破顔した。実に人のよさそうな笑顔で何度もうなずき、訪問の礼を言い、家の中へと招いてくれる。
「お茶を淹れましょう。気の利いた菓子はないが、木の実の砂糖漬けも美味いもんです」
 誘われるまま踏み入った家には、所狭しとキャンバスが並べられていた。顔の下半分しか描かない画家と思っていたが、どうやらそうではないらしい。ただし、並ぶ絵はどれも未完成だった。
「いや、お恥ずかしい。描きかけばかりがあふれて、アトリエには収まらなくなって」
 老画家は困り顔で笑う。いかにも人懐っこそうな笑顔だ。村外れの住人が見たら考えを変えるのではないか。
 茶が入るのを待つ間、椅子には座らず絵を見せてもらうことにした。少女から大人の女性まで、何層にも絵具を重ねた筆致。瞳の中とあの唇の艶入れを残すばかりの絵の数々。肌の塗りは十分に瑞々しくて、艶さえ乗れば今にも喋り出しそうだ。
 艶入れは得意だろうに、こだわりが強すぎて塗れなくなったのだろうか。瞳の光はどうだろう。彼の描く瞳は一度も見たことがない。
 完成品を想像しながらくるりと向き直った時、窓越しの風景に違和感を覚えた。木々は青々と生い茂り、太い幹をリスが駆け上がる。窓際には蝶々がひらめき、その向こうには鮮やかな花々が揺れる。豊かな茂みからウサギが顔を出し、木漏れ日は大地に落ちてキラキラ輝く。
 窓の向こうに、通り抜けてきたはずの枯れた森はなかった。
 嫌な予感が込み上げる。家に入ってはいけなかったかもしれない。
 窓の外で子供の笑い声が弾けた。年端もいかない子供が駆け抜けていく。
「あれはね、娘です。もうとっくに大人になっていたはずだが、今でも幼い」
 唐突に後ろから声をかけられ、心臓が口から飛び出すかと思うほどに驚いた。
「お茶が入りましたよ。なに、飲んでもなんのことはありません」
 老画家の声にも表情にも、暗い影が乗ったようだった。
 老画家は客人を通り越してテーブルに茶器を置く。背を丸めた姿は寂しく老い、無数の後悔を重く背負うかのよう。
「昔はね。気づいてもおりませんでした。気のせいだと思っていた。明日には開くはずだった蕾が落ちようと、小鳥が力尽きて地に伏せようと」
 老画家は音を立てて椅子を引き、重い体をひきずるように回り込んで腰を下ろした。
「あたしは描いてはならんのです。もっと早くに気がつくべきだった。雫で描いている自覚なぞありませんでしたよ」
 返事を求めもせず、まるで独白のように老画家は告白する。
「雫が乗るとね、まるで生きもののように動くんです。早く筆を降りたい、絵になりたいとね。おかしいと気づいたのは、体力が自慢の家内が突然倒れてからでした」
 それでは、突然絵を発表しなくなったのは━━。
 問いは言葉にはならなかった。ただ身体中の血がざわつき、駆け巡るのを感じるばかり。
「地獄の茶でも果物でもない。飲み食いしても何も起こりはせんでしょう。ただ、長居はするべきではないかもしれない」
 老画家の忠告に曖昧な声で応じ、ふらふらと玄関先へと向かう。
 後方から風がささやくような音がいくつも聞こえた気がしたが、振り返ることはできなかった。家にいるのは老画家一人のはずなのに、無数の視線を注がれているような気分だった。
 窓の外、楽しそうに笑い転げる子供の声がする。
 込み上げる予感を押し殺し、生唾を飲み込み、怖々開けた扉の向こうには、寂れた森がただ広がっていた。

《了》
お題/雫
2023.04.21 こどー

4/20/2023, 1:21:05 PM

#006 『仮面の人』
???

 夜明けを待って川を渡る。その後はしばらく連絡できない。
 すれ違いざま、くしゃくしゃに丸めた走り書きのメモを渡された時、日はとっくに高く昇っていた。
 路地裏に隠れて開いたメモは小さく千切って丸め、数回に分けて飲み下す。
 帰ってくる約束だったのに。そんな言葉もついでに飲み込む。
 望んで選んだ仕事じゃなかったと聞いていた。高すぎも低すぎもしない身長、どこにでもいそうな風貌、たいして特徴のない声に、よくある西部訛りの発音。それなのに語学から暗号解析、体術、暗殺術まで仕込まれて。
 あなたはずっと仮面の人。素顔のように見えたその顔、わたしに見せた穏やかな顔も、もしかしたら仮面なのかも。
 何もいらないと言っていた。名前も家族も、過去も、記憶さえ。ただただ祖国のために。そんな自尊心の方が、わたしにはよほどいらないものに思える。
 命さえいらないのかもしれなかった。でも、わたしには必要なものだ。
 届くはずもない、届いても聞き入れてはもらえないだろうと思いながらも、祈るしかなかった。
 ただ、無事ていて。他には何もいらないから。

《了》
お題/何もいらない
2023.04.20 こどー

4/19/2023, 12:55:10 PM

#005『小さなバタフライ』
現代/SF・微ホラー

 もしも未来を見れるなら。選ばなかった選択肢、それでも選んだ選択肢、どっちも山ほどあるに決まってる。
 たとえば中二の新学期。目が悪いんで変わってくれと頼まれて譲った席は、学年一かわいい女子の隣だった。
 たとえば文化祭の出し物。一票差で決まった演劇で馬の後ろ足役をやることになり、本番ですっ転んでいい笑い者になった。
 たとえば高校の部活動。ダチに合わせて入った野球部の顧問がゴリゴリのパワハラ野郎で、殴られてできた額の傷はいまだに目立つ。
 大学じゃパチスロにハマって、バイト代はほぼ注ぎ込んじまった。奨学金にまで手をつけた奴のことをさんざんバカにしていたが、一念発起、起業して速攻で返済をすませたと聞いた時は、そういうルートもあったのかと……いやダメだな、俺には多分無理なやつだ。
 三桁の会社に未来をお祈りされた一方、やっと決まった勤め先は大手製造業の下請けだったが、給与未払いを起こしかけて逃げ出さざるを得なかった。つなぎのバイト先でばったり再会した同級生と付き合い、再就職が決まってから結婚したんで、ここらのルートは問題ないな。
「ちょっとママ! パパの靴下と一緒に洗うのやめてよ!」
 洗濯を手伝っていた娘が何やら叫んでいる。なんつー言い草だ。
「友達が水虫とかうつっちゃって大変だったんだから。そんなのなったら、もうパパなんか絶交だし」
 ……どうやら危機一髪だった。家族旅行で温泉に行った時、スリッパを履き間違えられてうつされたやつだ。原因がすぐ特定できたから修正が効いた。選択し直す事柄はなるべくささやかにしておく必要があるのだ。
 たとえば中二の新学期。席替えを渋ったら何やら変な噂が立ち、クラス替えまでずっと居心地が悪かった。
 たとえば出し物がお化け屋敷になった時。暗闇で仕掛けに足を引っかけ、全治三ヶ月の怪我を負った。
 たとえば高校の部活動。帰宅部を選んだらいわゆる不良グループに絡まれるようになって、まともに通学できなくなった。
 未来はいつでも不確定だ。修正しても誰にも気づかれることはないが、修正した結果があらかじめ分かっているわけでもない。
 ブラジルで蝶が羽ばたいたらテキサスで竜巻が起こる? そんな変化は望んじゃいない。
 望んじゃいないが、退職を一ヶ月前倒しにした結果再会した同級生はDV野郎との結婚はしないですみ、娘はおれの娘になった。たまたまうまくいっただけで、あの時の変化はデカすぎた。
 だから最近、俺は視界の蝶を無視している。

《了》
お題/もしも未来を見れるなら
2023.04.19 こどー

4/18/2023, 12:39:28 PM

#004 『お師匠様の宝物』
異世界/FT

 満月の夜、露台(バルコニー)に出されたお師匠様の水晶玉を眺めるのが好きだった。
 そばには虫除けの香を焚いて、窓は全開。たくさんの月の光を取り込めるようにと、手すりのそばに高く掲げて。
 水晶玉は無色透明だけど、離れて見ると鏡みたいに周りの景色を反射する。
 この水晶玉を使うお師匠様の占いはよく当たると評判らしい。遠くの街からお忍びでやってくる人もいるのだけど、お師匠様は素性をあっさり言い当ててしまうのだとか。
 普段は立ち入りを許されない部屋にある水晶玉を間近で見られるのは満月の夜だけの楽しみだ。でも、不用心じゃないのかな? ここは外から丸見えだし、お月様を反射してキラキラしてるよ。心配になって言ったことがあるけれど、お師匠様は全然気にしていないようだった。
 ある日のことだった。館へ来て、すぐに追い出された若い男がいたと思ったら、仲間を連れて戻ってきた。何人かで玄関を乱暴に叩いたけど、お師匠様は開けなくていいと言う。
 折しも、その夜は満月で。
 日の沈み切らないうちからうっすらと姿を見せたお月様を見上げて、今夜もいい満月だねぇ、とお師匠様はニコニコしている。館の前庭にたむろするお客もどきのことはまったく気にならないみたい。
 お師匠様がいいと言うならいいんだろう。でも、寝ずの番でもしていようかな。そんなことを思って、露台に椅子を引っ張り出し、間近で水晶玉をじっと見ていた。
 近づいて見るほど水晶玉の透明さがよく分かる。井戸から汲み上げたばかりのきれいな水を覗き込んでるみたい。向こうの景色が少しだけ歪んで見える、無色透明の世界。お師匠様はその中に、のぞいた人の全部が見えるのだと言う。弟子入りを許してもらえたのは、とっても無垢で気に入ったから、らしい。
 無垢ってなんにもないってこと。弟子入りする前、お師匠様に拾われた日より前のことはなんにも覚えていないから、だから気に入ったのかもしれない。
 水晶玉の向こうの夜をのぞいていたら眠くなって、いつの間にかうとうとしていた。夢の中で鴉が鳴いてる。頭の上で、二羽、三羽。ぐるぐる回って鳴いている。
 ガァー、と一際大きな声が響いたと思ったら、頭を何かで叩(はた)かれた。びっくりして飛び起きて、露台に上がり込んだ鴉の大きさにまたびっくりする。鴉ってこんなに大きい鳥だっけ。広がった羽で露台が埋まってしまいそう。
 その話の隙間から人間の腕がのぞいて、水晶玉を台座の布ごと脇に抱えた。と同時に後ろから羽交い締めにされて、叫び声を上げる隙もなかった。
 鴉なのか、人間なのか分からない彼らに抱えられ、露台から庭までひとっ飛び。急な落下に目が回る。
 飛んでいかないっていうことは、きっと彼らは人間だ。鴉の力を借りたのだろう。
 このまま連れ去られるなんていやに決まってる。それで必死に身をよじって抵抗していたら、並走していた人間が大きな声を上げた。抱えていた水晶玉から炎が上がって、ごうごう燃えていた。
 おうおう、威勢のいい罪人(とがびと)だこと。館の方から声がする。その威勢は使いどころを間違えちゃいけないよ。
 束縛が解けてふわっと体が浮いた。よく嗅ぎ慣れたお師匠様の香の匂い。鴉から人に戻った男たちは森を這うように逃げていく。
 さあ、あたしの宝物。お師匠様の声にうなずく。
 さあ、あたしの宝物。満月の下へ帰ろうか。

《了》
お題/無色の世界
2023.04.18 こどー

4/17/2023, 12:05:19 PM

#003 『何度でも』
現代

 よく晴れた日を狙って外に連れ出したつもりが、その日は存外に風のある日で、道路沿いの桜はハラハラと散っていた。
「あれ、咲いたと思ったら、すぐ散っちゃうんだねえ。寂しいねえ」
 年齢のわりに義祖母は滑舌が良い方で、言葉はよく聞き取れる。
 ひらり、風に乗って舞う桜を眺めながら車椅子を押す。義祖母はご機嫌で膝掛けに落ちた花びらを両手で弄んでいた。
「昔、大学に落ちたぁ、桜が全部散ったぁ言うて大騒動した兄さがねぇ、あんたみたいな嫁さんもらってねぇ、立派になってねぇ、よかったよねぇ」
 義祖母の兄は戦死したと聞いているので、これは多分、息子の話。あまりに何度も間違えられるので、今やすっかり慣れっこで、話を適当に合わせることにしている。
「桜もねぇ、毎年咲くからねぇ。すぐに散っちゃうけど、また咲くからねぇ」
 歩けなくなった義祖母の面倒を見るのはなかなかに大変だ。数年前に持ち上がった、施設に入ってもらおうかという話は感染症の蔓延で立ち消えたと聞いているけど、入所した後も、同じように桜を見ることはできるのだろうか。
 わたしとて、今はたまたま近くに住んで、たまたま仕事を辞めてしまったから、頻繁に面倒を見たり、こうして散歩に連れ出したりできているだけだ。
 一際強い風が吹き、膝掛けにたまった花びらのほとんどをさらっていった。
「あーぁ、どっか行っちゃった」
 花びらはまだ舞い、落ちてくるのに、義祖母は膝掛けを煽って残った花びらをばらまいてしまう。
「どっか行っちゃった、全部なくなった。はい、またやり直し」
 やり直そうにも、そんなに長く散歩してられるわけじゃないんだけどな。
 スマホで時間を確認し、住宅街に入るのはやめて、今来た道を引き返すことにする。
 毎年咲く桜も、いつかは見られなくなる日が来るから。
 何度でも繰り返せるうちに、繰り返しておくのがいいんじゃないかと思う。

《了》
お題/桜散る
2023.04.17 こどー

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