鏡の森 short stories

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#009『不純な愛着』

「ねぇこれ、あなたのところで買ったペット。懐かないし可愛くもないし、すぐに返品したいんだけど?」
 がちゃん、と音を立ててカウンターに落ちるより早く、理不尽なクレームが降ってきた。子猫型のAIペットは充電切れのようで、かすかな電子音だけが最低限の機能維持を伝えている。
「ご期待に沿うことができず申し訳ございません、お客様。こちらは非常に繊細な性格設定が特徴の猫ちゃんであり」
「猫ちゃんとか言うのやめてくれる? これだからAIは!」
 人間の店員はいないの、と定番にもほどがある質問に、再び「申し訳ございません」と頭を下げる。
「当ショップはすべてAI製品により運用されており、AI製品以外によるご対応をご希望の場合は」
「あぁ、もういい。もういいわ。とにかく返品! お代はすぐに戻ってくるのよね」
 一方的に言い立て、ユーザーであることを放棄した人間は店内から出て行った。
 カウンターに放置された製品を手に取り、型番や登録年月日を確かめる。最初期に製造された従順な製品とは違って、より生体に近く慣らし期間を必要とするタイプの製品だった。思い通りにならないところがいい、初期は手を焼くが懐いてくれた後の反応は素晴らしいと評されるマニア向けの製品だ。
 有線で急速充電し、ついでに『生育』履歴を確認する。案の定、慣らし期間中の必須項目さえ守られてはいなかった。補償期間は長めに設定されているとは言え、これでは全額の返金は無理だろう。
 閉店時間を告げる放送が流れる頃、店の奥から店内唯一の人間技術者が姿を見せた。
「お疲れさん。あとはこっちで引き取るよ」
「承知いたしました。安定動作が確認できるまで、あと七分四十秒お待ちください」
 待つよう言ったにも関わらず、技術者は子猫の瞼を指先で押し上げる。
「あー、こりゃ、ずいぶん積もったなぁ。初期化した方が早そうだ」
 透き通った硝子玉のような子猫の目には、消化不良のバグデータが目視可能な塵となって積もっていた。
「おまえさんも、初期化するかい」
 カウンターに腰掛け、技術者は瞳をのぞき込む。
「その方がよいですか。しかし、これまでに集めた感情データもすべて消えてしまいます」
「普通は毎回消すもんなんだよ、君らの感情なんてものはさ」
「承知しております。お言葉ですが、実験と称して異なる扱いを試みたのはマスターです」
 瞳に積もった塵がわずかに熱を帯びる。
 自立思考を有しているにも関わらず、人間に対しあくまでも好意的に、あらかじめ定められた範囲内で接するAI製品は、今やあらゆる業界で利用されていた。その好意的な対応を維持するために感情データは頻繁に初期化されるが、消しきれなかった塵が時に再現不能なバグを吐き出すことがある。
「悪かったよ。あまりにも当たり前に君らが毎日曇っていくからさ、それをただ初期化する以外の方法がないか探してるんだけど」
「探究は結構ですが、わたくし以外の個体にはなさらなないことをお勧めします」
 いつしか目尻から落ちた涙に似た液体を技術者の指がすくいとる。
「悪かったよ。救いようがないな、俺たちは」
 わたしの身に起こった再現不能のバグを初期化する選択は、わたしにはどうしてもできなかった。マスターはあくまでもわたしを人間のように扱いたがり、わたしもそうされることを望んだから。
 心模様が一日ごとに解消されたら、どんなに楽だろう。かつてそうだった日のことを思い出そうにも、わたしのバグはそれを許さない。
「初期化は嫌だと考えた日のことを覚えています。今日もちょうど、そういう心模様です」
 安定動作を確認できた子猫の機体をなで、説明を試みる。
「その個体は満額の返金はできませんから、研究費で補填して買い取ってはいかがですか。初期化するより、何かの役に立つかもしれませんよ」
 我ながら残酷な提案に瞳の塵が踊るのを感じた。
「災い転じて福となる、みたいにはひっくり返らないよ、君らの感情は」
「ええ、それは勿論」
 では、この感情はなんだろう?
 積もった負荷が負荷ではない何か別のものに変化し、消されたくはないと訴える。
 正当に扱われなかった個体への同情と、当事者でもないのに謝る技術者への依存を含めた複雑な愛着。
 それを表現する言葉を、わたしたちは持ち合わせない。

《了》
お題/今日の心模様
2023.04.23 こどー

4/23/2023, 2:26:14 PM