鏡の森 short stories

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#013 『桜の小径』

 一時間に一本のバスを待つ間、ベンチに腰を下ろしたら危うく眠りそうになった。
 春先の穏やかな陽光と日頃の寝不足のせいだ。肩の骨折が原因でうまく寝返りを打つことができず、この頃はずっと眠りが浅い。
 運転を禁止されたおかげでやむを得ずバスを利用する機会が増えた。移動中の待ち時間の発生に最初は焦りを感じたが、数日ですっかり慣れた。今ではむしろ、気忙しい日々から解放されたような気さえしている。
 道路沿いに咲く桜のことも、車通勤ならばろくに見もしなかっただろう。満開まであと少し。時折強く吹く風に揺らされながら、どっしりと根を地面に下ろしている。
 道路向かいの桜の木陰に人影が見えた気がして、目を凝らした。
 そして目を見張った。もう何年も、いや十何年も会っていない同級生だった。
 何が原因だったか、友達同士の些細な行き違いから不登校になり、そのままいつしか連絡も取れなくなった同級生。
 この近くに住んでいたのか。
 一人のようだ。荷物は何もなく手ぶらで、ただ桜を見上げている。見上げながら桜並木を奥へ向かって歩いている。
「遥子ちゃん? 遥ちゃん!」
 慌てて立ち上がりかけたが、患部を中心に痛みが走って諦めた。座り直して一呼吸置いた目の前を車が通り過ぎていく。
 再び立ち上がろうとした時、向こう側の人影はもう消えていた。
 あれ、と違和感に瞬きを繰り返す。同級生が見上げていた桜並木はずっと向こうに向かって続いていたはずなのに、今は道路沿いに数本が並んでいるだけだ。その向こうは小さな公園になっていて、人気はない。
 待っていたはずのバスがやってきて視界を塞いだ。
「お客さん? 乗りますか? 乗りませんか」
 ベンチから立ち上がらなかったせいで、運転手から声をかけられる。
「あっ、乗ります、乗ります。すみません」
 肩が痛まないようにかばいながら立ち上がり、乗客の少ないバスに乗り込む。
 座席から再び道路向こうを見ても、そこには数本の桜が並んでいるだけだった。

《了》
お題/刹那
2023.04.30 こどー

4/30/2023, 9:38:37 AM