叶わぬ夢
前説
そりゃあ、お前さんの夢は叶わない。
何故なら、お前さんボンクラの風来末の様子じゃないか😂 「風の行く末」どこまで追いかけても果てしがないよ、お前さんとじゃあ、お生憎様住んでる次元が違うようだ、パラレルワールドなんだよ、だから言葉が分からない、お前さんには笑笑 だから、お前さんの夢は叶わないよ笑笑 それでも、叶わぬ夢がその狭苦しい独居部屋の汚部屋の孤独を紛らすなら、叶わぬ陰謀でも呪いでも、月に向かって願かけして憂さをはらすに精を出し、暇を潰して日を送るのも生き方なのかねぇ、あたしには真似出来ない芸当だよ笑笑 何せ住んでる世界が違うから😂
物語は進んでいるのに、まだ分からない?まだ、そこーってお前さんだよ。父との蟠りの解消は、あの物語の大切な肝であった、何時までも毒親怨んでる厨二じゃないんだよ、あの弁護士は賢いから。艶やかな花魁の花道は初恋の終わりを告げていた。もしするなら今度はそれは郭の恋ではなく妾後家との道ならぬ恋になるんじゃねえの?描くかねぇ、まあ、楽しみに待つのは、もうそちらの話になるのさ、あの二人は(笑)なんでここまで解説しなきゃなんないって、あまりに未で見ていられねぇのよ、お前さん笑笑 まあ、やっとこさ艶やかの意味が本当に分かったのか分からないのか知らないが、自称分かったらしいからな、自称は勝手だが物語は進んでいるので、お忘れなきよう😂
それでは、「叶わぬ夢、郭恋詩」
郭いちの花魁が身請けされるらしい。
前の晩、花魁は7つで売られて来た日から慕いつづけた男の影を慕って、月灯りに身を潜めた。
素肌に片袖通しただけで、色とりどりに脱ぎ散らかした、床に広がる絹の潮に涙ぐみ唇噛み締めていた。手引きの女が急かすが、その白く細い指も肩も震えているのは喜びなのか?
その男に逢瀬(あう)夜は、喜びよりも苦しみめいて、月灯りに壊れそうな二人のしのび逢いを映されはしないかと気が気でない。
一夜限りに艶やかに艷やかに咲く花のように密やかに匂い立つことを願えば願うほど、焦り震える、遣る瀬無さ。
あなたを慕うなんて、無駄なことだと、例えば人に言ってはみても、本当の心に嘘はつけぬことを、あの人に見抜かれていても、あなたに向かう心を隠せない。
最後に仕上げた顔を映せば、月灯りの下に影を集めた青白き襟首に伝う血のような汗が滲んで光る。
一夜限りと言い聞かせ紅を引く、その後ろから「行くなら、命は無いと思うがよい」と、あの人の声に、月灯りは、なりを潜める。
儚き夢の蕾は咲くことを許されず息絶たれる。
あなたを愛した儚さで、ひとつ大人になりし女の叶わぬ夢は、君の影を想いて、しのび泣く。
女は行くのを留まりて、「行くなら、命を取る」と言った男の腕に瞼を伏せて、慕う人を想った。「自分の命が惜しい訳ではなく、あなたの命が惜しかったと」手引きの女に言いかけて止めた。「なにを、今更未練たらしい、月に笑っておくれでありんす」そう一筆。
月灯りの下に、慕う男の影いつまでもいつまでも、ひとつきりにて夜半の月。
二人の運命よ、儚い恋よ、叶わぬ夢よ。
郭に生きた女の詩。
「夢一夜」
作詞 南こうせつ リスペクトオマージュ
作 心幸
令和7年3月17日
今日の後書き
ミニスカートでしょ〜。
短すぎて注意される世代でしょ〜。
歳いってても50前だよねwww
なに、クソババァみたいなこと🤣🤣
達観するには十年くらい早いと思うwww
アホは、ナンボと聞いて、喜び勇んで「江戸、江戸」と揚げ足取った気取りで粋がる野暮。端から江戸も上方も近江も郭の粋と商売の粋と粋に違いのあるじゃ無しって話しでしょwww 全く不粋な奴ほど、粋がるねぇ🤣
キモキモブーメラーン🌙
下衆な素人文章に🤮 べらぼうめ真似しやがんなwww
もう少し粋を勉強おくんなまし。
素人が 素人真似て なんになる
真似んなら、も少しましに 真似てくれ🤣
中途半端な知識を中途半端じゃなく見せる方法。それは、知恵ですねぇ笑笑 国語力がなかったから想像力がなかったから、経験がなかったから、本の中の知識に頼る。何時も守られて与えられて来たから、中途半端な知識を中途半端なままにし、誰かのせいにする笑笑
みんな中途半端ですよ、完璧は危険です。
過ぎたるは及ばざるが如しです。極端な人は破滅しか向かえない。
中途半端を中途半端じゃなく見せる方法が大事、生きる力と経験と知恵が大事なんじゃない?(笑)
ハッタリは大事笑笑 嘘もつき通せば真を孕みます。これ昔々大本営がやった手です、、そこまですると極端で、やっぱり破滅しか生まないと歴史は証言しているので、そこから学びたい。
「嘘をつく必要はないけれど、全てを話す必要もない」名言中の名言(笑)
全てを解き明かした気にでもなってるつもりなら赤っ恥。晒しものにし赤羅様に赤裸々に語らなきゃ分からないことの方が、それを正論と学者気取りになる方が知恵が想像力が無く不粋ですね。コンピューターじゃあるまいし、誤打もミスも過ちもあるのよ人間は、それを誂う道具ってねぇ。
確か中島みゆきの詩にそんな詩がありましたね(笑)
違うんだよなぁ、捨てられたのと亡くしたのって…だから一緒くたにしたら駄目、本当にそう思うわ。早くに親と別れる子供は沢山いるけど、捨てられたのと亡くしたのって全然違うから。それはね、里親なんかしていたりすると実際よく分かります。そこが分かると見え方って変わると思うわ。あと、親が居るのに居ないほうが良いと思っていて、心に親が居ない子供。この三人でどの子供が一番可哀想かって言ったら、親が居るに居ない方が良いと思ってる心に親が居ない子供でしょうね(笑)そしてもっと可哀想なのは、そんなことも分からずに大人になって親になることかな(笑)それは、結構な不運で可哀想なことだと思いますね。
花の香りと共に
前説
「老兵は死なずただ消え去るのみ」という名言があるが、他の誰でもなくダグラス・マッカーサーの言葉であるが、流石お休み好きの働くことは楽園を追われた者のすることと考えているアングロ・サクソンらしい考えで、「戦争を戦い抜いた兵士たちもやがて忘れ去られて行く、彼ら老兵は老いながらも生き続けることは出来るが、彼らの成し遂げたものは忘れ去られて行く」という意味が転じて「役割を終えたものはさっさと表舞台から去るものだ、そして悠々自適のセカンドライフで楽しめ」ってアングロ・サクソンらし考えだと思う。しかし日本人は違う美意識を古来よりそのDNAに持っているのだ。
日本には、清貧の美徳とか「生涯一兵卒」と云う言葉があり、働き続けること、「生涯一〇〇」と云う生きざまに美学を置くのである。額に汗して、四季折々の自然の厳しさ優しさと向き合って来た農耕民族の血だから。
あしたのジョーはリングの上で真っ白な灰になる。チャンピオンは、つかみかけた熱い腕をふりほどいてノックアウトされにリングに上がるのである、人生は椅子取りゲームだ。
その椅子が欲しければ、譲ってもらう丁寧に後押ししてもらうことを当たり前なんて思っているから、百戦練磨の老兵が目障りなんだろ?笑笑 情けない。お笑い怪獣明石家さんまは「どっからでも、かかってこい」と言った。だから「さんちゃんはカッコイイ、さんま師匠」なのである。「その椅子が欲しけりゃ奪い取れ」なのである。それが勤勉勤労は美徳の日本人の美意識のアイデンティティだ。お前は、何人?宇宙人?笑笑 給料貰って、もの教わるのに、懇切丁寧優しくが当たり前で、自分が仕事を覚えたら、その席譲って消えろって?外道か?笑笑 〇〇ザより質悪いわ笑笑 そんな風だから、物事続かない仕事も続かない、はい、ニート引きこもりの社会のお荷物の出来上がりなんでしょって笑笑 欲しけりゃ奪い取る。奪い取られてから老兵は去るんだよ、ロッカールームのベンチで「帰れるんだ、これで」ってチャンピオンは呟いたり、舞台やリングの上で真っ白な灰になるのが、日本人の美意識ってやつなのである。だから、サッカーしか出来ない三浦知良や、お笑いしか頭にない明石家さんまはカッコイイと思っている。
時代遅れ上等、これは譲れないのである(笑)
花の香りと共に
「お寂しゅうなりますなぁ」
隣人に、妻を看取り葬式も済ませた後、ふいに声をかけられた父は、少し微笑んで会釈をした。
「一人になると日が長(なご)うなりますわ」と呟く父は、母が残した庭の花に水をやる。その向こうには、瀬戸内の穏やかな海が今日も広がっていた…。
モノクロの画面から、母が丁寧に育てた庭の花が如何に鮮やかで美しいものなのか、そしてその花の香りさえ伝わって来る様な、笠智衆の名演が、あまりにも有名な1953年小津安二郎監督作品「東京物語」東京で其々独立し暮らす子供たちを訪ねる老夫婦の物語は、何時までもあると思うな親の愛で、自分たちのことで手一杯の子供たち其々の姿を見て、これで良いのだと一抹の寂しさも抱えながら田舎に帰ろうとする両親に、戦死した次男の嫁だけが精一杯尽くす。そんな嫁に父は、「あんたはまだ若いから、死んだ息子のことは忘れて嫁に行け」と言う、嫁は「あたくし、そんな良い人間じゃ、ありません」と舅に言って、「あたくしは、狡いんです」「狡いんです」「狡いんです」と3回言う。
数年前まで、夥しい日本人が死に、夫もその一人であったはずなのに、自分は半ばそのことを忘れ去ってしまいそうになっている。そんな自分を「狡いんです、狡いんです、狡いんです」と3回も言わせる。1953年戦後8年目の日本人への小津安二郎監督の清廉として痛烈なメッセージは、この気高く凛とした佇まいの戦争未亡人役原節子の美しさも相俟って、まるで妻が姑が慈しみ育てた庭の花の香りを想わせるのである。
あのラストの場面で、父で夫で舅の笠智衆が花を見つめる姿に重なるのである。とても静かな締め括りなのに激しく胸を突かれるのは、日本映画の真骨頂とも言うべき名作中の名作であった。
明治生まれの名優笠智衆は、日本のお父さん役から日本のお祖父ちゃん役へ、そして「寅さん」では寅次郎も黙る御前様なのである。そんな名優笠智衆には「明治の男は泣かない」という哲学があったらしい。「東京物語」で妻を看取る場面でも、ただ妻の手を取り「癒える、癒える」とやり、ラストの場面でも「一人になると日が長(なご)うなりますわ」と妻の育てた花に水をやり隣人に微笑んで見せるのである。涙を使わず泣かずに泣かす名優は流石、「男は滅多なことで泣くもんじゃない」と育った明治の男であった。
最近は、やたら滅多ら泣きながら謝罪会見するれば誠意が伝わったと取られるようで、政治家までよく泣きなから謝罪会見しますが、いい大人が泣いて許しを請うくらいなら、はじめからしないを選ぶ賢さを持てって。親の金で有名大学出て、そらあ親も経歴も、そっちの方が泣きたい気分だろうに笑笑
日本人のアイデンティティ何処へやらであったりで阿呆らしいと時代遅れは思うのであります笑笑
涙は花の香りと共に、泣かずに涙を伝えた笠智衆という名優の、「その仕事は死して尚消え去ることは無いし、消し去る事も出来ないのである」
「人はいさ こころも知らず ふるさとは
花ぞむかしの 香ににほいける」
紀貫之
現代訳
「人の心はどうなるかわからないけれど、この
梅の花はむかしと変わらぬ同じ香りで
花を咲かせているものだ」
「花の香と 季節は巡り 時はすぐ」
心幸
後書き
もう少し、言葉の意味を調べてからお話なさいな(笑)「お前」は「御前」「御上」と呼ばれてるのと同じの最上級の敬称ですよ笑笑 この前ドラマでもやってたけれど日本人には、わり
と一般的な日本語の知識だけど、日本語に不慣れなのかな?お前さん🤣ならご機嫌治りなさいます?
もち上げてもらうの好きなZちゃんにはぴったりな敬称だと思うのよ(笑)てか、お前に嫌われるの上等なんです。 好かれてたまるか笑笑 キモキモブーメラーン🌙✨️🤣
てか、普通「お前」より「外道」呼ばわりに憤慨して顔赤く🤬しなさいな、「内道」を生きてる日本人なら笑笑
意味分かんないかな(笑) ぴよぴよなお前さん🦜🦜🦜
俳句、和歌、百人一首大好きだけど、そんなもの誰に習うものでもなく我流。当たり前で、文書も、もちろん我流。ただ、歴史だけは我流はよくない。そこは解釈含め我流をする為に基礎を学びたい笑笑 「温故知新」歴史は全ての表現の解釈、それを我流に噛み砕くことが出来るようになる為の基礎ですから😂
令和7年3月16日
心のざわめき
心のざわめきに遠い海。
その人は、やはり海にいた。
何時かの海で、その人は、日傘を差して、ひとり海を見ていた。
遠い人を、来ない人を待ち続けるような愁いを含む黒い瞳を長い睫毛の下に湛えた、凛とした佇まいと、白く透明な肌は、少年たちの憧れだった。
また、何時かの浜辺で、その人に出会ったとき、やはり海が見たいと言った。すぐに来る哀しい予感を悟った。愛することは海の底、とても深くて危険で、けれども美しい宇宙。
春のはじまり潮干狩り、煌めく喧騒の夏は直ぐに過ぎ去り夏の終わり。勝手に時間は無限にあると思っていた…若き日の過ち。
寄せては返す漣に、あの日の遠い海を想い心ざわめき、一人歩く「海に連れて行けなくてごめん」そう詫びながら海に君のサラサラとした白い遺骨を流す。
何度も、ここではじまり終わる。
「また、戻って来てね」と言うように波は静かに寄せては返す。遠い海は穏やかで深い深い海の遠い遠い海の哀しい歴史を語らないのか歌わないのか。
きっと、また来る、その人を見つけに。
遠い海を見つめながら、何度も繰り返す私たちの生と死を想い、心ざわめく。
目を閉じると、どこか遠い遠い記憶の片隅に海を見る。成就することのない恋がそこには、桜貝とともに忘れ去られたように波打ち際に転がっている。「人間というものは、みんな遠くに見える海のようなものをもっています」と文豪は言ったが、心ざわめくその想いと、そしてやがて来る哀しい予感を抱きしめて、人間は命の歴史を、この海に鎮めて来た。けれど、それもたまゆら人と生まれし霊は、何度も繰り返しこの潮に身を任せ彷徨い見つけまた、その契りを結んだ手を離し海に鎮める、哀しい愛しき業を背負う。
人の心の海鳴り、遠き海より哀しい予感を背負いながら、我を呼びし、逆らうことは出来ず、ただ、遠い海に凛とした、その人の姿を想い、今も心ざわめく。
「遠い海」
作者 井上靖 リスペクトオマージュ
「潮(うしお)のざわめき」
作 心幸
令和7年3月15日
本日の後書き
人に差した人差し指は自分に向ける勇気を。自己評価ほど甘いものはありません笑笑 他人様を見て「心がざわざわ」するのと、「心のざわめき」は随分違うが笑笑 心がざわざわする他人様の欠点は、自分の欠点だったりするものです。自由に語れる場所で「訳知り顔で、しゃしゃり出てくるな」は全くもって直情的ですねぇ(笑)ウケましたねぇ、なかなかの兵揃いのセンセー方の集まりで、「同類相求」とはよく言ったものですね笑笑
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」全く笑笑
東大卒も中卒も無職ニート引きこもりでは同類、社会のお荷物でしかない。きちんと納税者になってから、知った口利くは道理というものです。
意見は納税額の高いものからは、資本主義の掟だから、掟破りは社会主義国へでも。
君を探して
「君を探して…運命の二人へ
ホワイトデーに寄せて」
いつも僕を見ている君は、なにかあるとすぐに現れた、呼んでもないのに、呼びたい時に現れるんだ。君は丸くて大きな空一面を茜色に染める夕焼けの太陽だった。僕は、その茜色につつまれて一人また一人お母さんが迎えに来る友達を見送って、最後に君と二人きりになる。何時だって君は茜色の大きな笑顔で僕をつつんでいた。いじめられた時もお父さんが事故で突然お母さんのところに行って、漁師のおじいちゃんと二人きりになった時も、茜色の笑顔の君は僕を包んでくれて、「世の中には早く大人にならなきゃいけない子供がいるんだ」と教えてくれて、その一人が僕だとも分かるように示してくれて、それまでの間の帰り道二人で帰ろうと言ってくれた。君はいつも笑っていて、バカみたいな遊びや、くだらなく皮肉いっぱいの辛辣な歌や物語を聞かせてくれた。君は僕が嬉しいとキラキラ輝いて長い長い影を描いた、僕は君がこしらえた影と駆けっこをして帰った。君の笑い声が何時までも聞こえていた。僕が涙の時は君は小さくなり、影も声も潜めた、けれど僕にだけは君は見えていた。そして、友達が一人づつお母さんに手を引かれて帰る後ろ姿を見送る気分の時には、素知らぬ振りで、真っ赤に燃えて僕の帰り道にデッカイ笑顔をこしらえて、僕の影を創った。僕はそんな君につつまれて一人走って帰った。
春は穏やかに花に揺れて、夏は涼しい風を運び秋には紅葉と紅色比べをし、そして冬には焚き火の煙を映えるように映して僕をつつんでいた。
その時は、僕の気づかない時に訪れた。
その夕日が君と僕の最後の帰り道だったなんて僕は知らなかった。僕が17歳の夏はじめての朝を彼女と迎えた日の夕暮れ君の声も笑顔もフッと消えた。
それから、随分僕は夕暮れ時空を見上げ君を探していたような気がする…。ような、気がするのであった。何故ならその記憶さえ曖昧になり何時しか、君が最後まで公園にいた僕を照らして一緒に歌いながら話しながら帰ったことさえ夢物語であったような気がして、何時しかそれさえ思い出せなくなり、都会のアスファルトばかり見て歩いていた。
何度か恋をし恋を失くし、ある日君を忘れていたことを気づかせてくれた人に出会った。やっぱりその人はデッカイ笑顔の人だった。僕はあれは夢物語なんかじゃなかったと気がついた。
ずっと、探していた君を僕は見つけた。
父のように祖父のように親友のように
母のように祖母のように親友のように
君を探していたんだ、やっぱり君だったんだね。
僕をつつんでいた、デッカイ笑顔の夕日。
君を探して。
いけちゃんとぼく 作者 西原理恵子
ときめきトゥナイト「夕焼けのお姉ちゃん」
作者 池野恋
リスペクトオマージュ 作 心幸
令和7年3月14日
〜雑感〜
何時も、こういうのを読んでいると、「死にたい、生きていたくない、生きる価値もない…」と呟く方々を拝見します。お可哀想にと思う反面、罰当たりなと思ったり正直します。本当は誰よりも生きていたいから、私はここにいますと叫ぶ変わりに「死にたい」と呟くのでしょうか?全く自己中で身勝手な思考ですよね、繊細でもなんでもなく図々しささえ感じる。本当に人様に迷惑かけたくなく、生きていることに絶望したなら、きっとそんな人は黙って逝ってしまいそうなそんな気がしてなりません。「死にたい」と言ってるうちは「死ねない」気がします。もしも死にたがりやさんがいて、騒いで楽になったり、どうこうなるものなら騒げば良いけど。もしも命を粗末に出来る自由があるなら、生きたいもっと生きたかったと願いながら逝く人達に、命を与えて頂けたらなと思わざるを得ない。
僕が生きる今日は、もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから…そんなこと歌ってらっしゃる方もいます。
それにしても、あの「御上」の見世物小屋は愚かしい。学歴しか自慢することがない者とそれを批判する者と、ある者もない者も有るのは学歴コンプレックスという同じ者同士の落ちる穴
。全く、両極端は結局同じでwww ひょっとしてドッペルゲンガーじゃなくて同一人物だったりしてwww 何事も過ぎたるは及ばざるが如し。ドラマはドラマと割り切って観れないし何でも深刻に無理矢理政治絡めて見当違いのスットコドッコイな野次野郎は何処でも困ったものだwww
コンプライアンス無視の、ド素人の雑感でした草もえる。
透明
「好きな女の子のタイプは」
「透明感のあるコ」
そんな彼の言葉が、彼女に届いたのは彼女が真新しいセーラー服に袖を通した日だった。
四月から女子中学に通う彼女は、小学生の頃からの幼なじみである彼に片思い、父の陰謀で四月から、その時代その田舎では珍しいミッション系の中高短大一貫校の所謂、その地方ではお嬢様学校と呼ばれる名門校に入学した。友達と別れることも寂しかったが、何より彼と会えなくなるのが寂しかった若干満12歳の彼女の春を知ってか知らずか、名門女子中学のセーラー服姿の娘に父は燥いでいた。彼女がその中学を受験したのには訳が有った。その2年前の2月彼女の母は長年の病の末に身罷った。その母の母校、母との約束「お母さんと同じ中学に行って同じセイラー服を着てお父さんを喜ばせる」彼女は母との約束を果たしたが、初恋の彼は遠くなり、想いはつのるばかりなり。
ふと、そんな彼の噂を聞いて、春の日差しに気も漫ろで、「女性の透明感について考える」12歳の少女だった。
今思えば、その姿こそ、なんとも初々しくも透明感のある姿のように思えるが、当の12歳の少女には、「女性の透明感」なんのことやら考えあぐね「そうか!透明感は肌の白さだ!」に行き着く、「なんで?」と思いもしますが彼女は今、若干満12歳の田舎の少女ですから、目に写ったままに感想を述べる今時の情緒性のない子供と変わらないのかと思えばさにあらず、彼女は彼女で、「透明感」を「雪の白さ」のように捉えていたのでした。まだ、春浅い日に菜の花畑に降る、なごり雪、はらはらと舞い落ちては早春に咲く菜の花の黄色い花に吸われてしまうように、一瞬ひかっては消える。その白く儚げな様を「透明感」だと彼女は感じたようで、「なごり雪のように儚く白い…肌は透明感の証」となるわけでございました。
彼女の使命感にも似た「執念の美白」はその時から始まったのでありました。
夏は日焼けどめクリームは必須アイテム。帽子に日傘に夏でも長袖、夏服のセイラー服には、その当時は校則違反のカーディガンを肩にかけて、日傘をさして登校する。クラブ活動は屋内のものに限るエトセトラ…自分なりの拘りのルールを作り日夜美白に励んだ結果かどうかは分からないが、彼とのグループ交際は始まったがやっぱり、この春の日差しの中で、その初恋は終わりを告げる。最後の言葉は忘れもしない「同じクラスのコ、好きになった…」だった。
「同じクラス…」その言葉が、今度は彼女にとって、一番の「キラキラ、透明感」フレーズになったことは言うまでもない。
そうして、彼女たちは、高校1年生の春を迎える。女子中学もちあがりの女子高なのかぁ…彼女は悲嘆に打ちひしがれるが、なんと県下有数の名門女学院は、バブル景気と少子化の行く末を鑑み歴史ある女学院改め男子の入学を決め、彼女たちが高校に上がる年から男女共学となりもちあがりの女生徒と一般入試の男女が席を同じゅうする夢の「同じクラス…」フレーズの仲間入りをしたのでありました。
はてさて、彼女の「同じクラス…」物語はどうなりますことやら。 それは、また別の機会に。
この歳になりますと、学生時代そのものが透明で、キラキラとクリスタルのように光り輝くものに見えます。
まだあげ初めし 前髪の林檎のものと
見えしとき
前にさしたる 花櫛の花ある君と思ひけり
現代訳
まだ、前髪をあげたばかりのあなたが、林檎の木の下に現れた時、前髪に花模様の櫛をさしたあなたが、花のように美しいと感じた。
嗚呼、初恋は透明。
令和7年3月13日
心幸
後書き
透明なのに中身が見えないのは、きっとあなたの目のせいね😂 老眼鏡は、お持ちになった?
透明は透明、混じり気のないものを指す。
今日も、混じり気のない気持で生きましょう☀️
嗚呼、どうしてそんなにマイス思考で否定的なくせに人をどうこうアドバイスをしたがるのだろう?気の毒だわ。別にイイじゃない、少しくらい迷惑かけたって、みんなお互い様で世の中回っているし、大切な人だから一番側にいる人だから甘えて良いのよ(笑)甘えたら甘えさせてあげればいし、そんなの順繰りよ🤣 人を傷つける傷つけないのと騒ぐより、傷つけられたら、きっと蹴り上げた空き缶が今日は当たったのね、きっと何処かで誰かを知らずにでも傷つけた分今日傷付いてお相子と思えばイイじゃない。他責思考で自分だけが傷付けられているなんて考えると怨み節になっちゃうのよ。全く人を傷つけずに生きていますなんて自負する人ほど人を傷つけているものよ。完璧を求めるから生きづらいんじゃない😂
その昔、司馬遼太郎という作家が、こんなようなことを書いていた。「何でもないようなふりをして何時も笑っている人間の方が、心の内の傷も想いも情も深い」私はそれを信じている。
好きとか嫌いとか言っている時点で厨二病ー🤣🤣 本当は尖っていて透き通っていてだから自分が怖くて嫌い。好きとか嫌いじゃなくて尊いのよ、混じり気の無いものって。それは清濁併せ呑んでもう帰れないグレーに染まると判るわ。でも、その清濁併せ呑んで長いものにはくるくる巻かれる大人も尊いのよ多分きっと(笑)好きとか嫌いで語らないのが清濁併せ呑むってことでしょ(笑)そして直ぐに自分の好き嫌いや正義を持ち出して、「不透明だ!白黒つけろ!」って叫ぶのがキラキラひかる透明な純粋さだわな(笑)