終わり、また初まる、
昨夜はのっぴきならない家族の都合で、この夢遊たちの扉を開けなかった。
新しく親戚になる方々と初まりのご挨拶。身に余るような、ご縁を持って来た我が娘にヒヤヒヤの両親を尻目に、誰に似たのか誰が育てたのか、天真爛漫さと物怖じしない勇ましさで、度々我が家の台風の目で有った末っ子には、最後まで、驚かされ放しである。
終わり、また初まる、季節は巡った。
桜が葉桜に変わるころ、私たちの手もとに来たあなたは、またその季節が巡る頃、嫁に行く。
大切な我が娘、苗字は別になるけど、あなたの最初に与えられた苗字は一旦そのページを捲り第一章は、終わり、また初まる新しい苗字の章ですから、あなたらしくあなたの家族を作って欲しいと思います。もう、私の腹から出た私の子と云う時代は終わり、気づけばあなたの時代、末っ子だからと何時までも自転車のサドルを転ばないように掴まえていた父も、加速するあなたの自転車のサドルに置いていた手を離し、追いかけるのも終わりになるのでしょう。
「よし、前だけ見てペダルを踏め」あの日と同じように父はあなたの背中に言うのでしょう。
けれど、あの日と違うのはもう私たちのところが、あなたの帰るお家じゃなくなるってこと。
けれど、あの日と同じように、いや、もっともっと、ずっとずっと見つめているからね。
「よし、前だけ見てペダルを踏め」
終わり、また初まる
あなたの時代へ。
3月9日
作詞 藤巻亮太
流れる季節の真ん中で
ふとし日の長さを感じます
忙しく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く
3月の風に想いをのせて
桜の蕾は春へと続きます
溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で
新たな世界の入り口に立つ
あなたは一人じゃないってこと
瞳を閉じればあなたが
瞼のうらにいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい
砂埃はこぶ旋風
洗濯物に絡まりますが
真昼の空の弱い月は
それは、それで綺麗です
上手くいかぬこともあるけれど
天を仰げはそれさえ小さくて
青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに流れる
花咲くを待つ喜びを
分かち合う喜びを知る時が来た幸せ
この先も前を見てそっと微笑んで
いつもいつまでもここで見ています
小さい頃から見ていた
あなたの背中が春霞の中に
小さくなって見えなくなりそうな
そんな季節が巡って来ても
瞳を閉じればあなたが
瞼のうらにいることで
どれほど強くなれたでしょ
あなたにとって私もそうでありたい
後半 替え歌は、心幸。
記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているかもと思うような、想いにかられる1990年代から2000年代はじめにかけて、それでも早朝まだ暗がりに起き出して目を擦り子供たちの寝顔を見て、この曲を聞きながら、お弁当作りをしたことは、はっきりと思い出せる。この曲をこんな気持で聞く日が来ようとは、こんな緩やかに流れる春の小川のような暮らしの中で、この曲を聞く日が来よとは、想いもしなかった。あの日の私に「頑張れよ」って言ってやりたい。
3月9日は、ありがとうの日なのだそうだ。
ありがとう、あの日のわたし
ありがとう、わたを見つけてくれて
ありがとう、わたしのところに来てくれて。
遅くなったけれど、ありがとう、これからも宜しく。
終わり、また初まる、
令和7年3月12日の分
心幸
星
前説
星は何でも知っている笑笑
昨日あの娘が泣いたのも…ってど古い歌はカワイイけれど、星は何でも知ってます。
「嗚呼…」とスマホで検索かけてみると「溜め息」って簡単に出ますが、この溜め息が出る感情をどう表現できるか?ってことを考える、それが国語力的思考力。馬鹿の一つ覚えみたいに「嗚呼」とあげるのは溜め息だから鬱々とネガティブ思考しか思いつかないと、理系の応用問題も解けない訳よ笑笑 溜め息には憂鬱もあれば、安心、緊張、緩和、美しいものを見た時の感動ちょっとあげただけでもこんなに有るってことを、お勉強しましょうねえ〜。
星
When you wish upon a start🌠
和訳
星に願いをかける時
あなたが何者であろうと
こころの底からの願いは
きっと叶う
こころが夢で満たされていれば
どんな夢でも無茶ではない
星に願いをかける時
夢見る人がするように
運命の女神は慈悲深い
愛に溢れる人ならば
ずっとこころに秘めた願いを
かならず叶えてくれる
青天の霹靂のように
運命の女神が手を差し伸べる
星に願いをかけたなら
あなたの夢は叶う
あるところに、ジェッペットという木こりの独り暮らしの淋しい老人がおりました。子供がいないジェッペットは、ある日、大工に貰った霊が宿るという樫の木で人形を創作しました。すると霊が宿る樫の木で創作された人形はまるで人間のように喋り出します。人間のように喋り動き出す人形にジェッペットは「ピノキオ」と名付け、我が子のようにして暮らし始めました。
やがて、ピノキオは学校へも行くようになり、生活が苦しいジェッペットでしたが、ピノキオに教科書を買い与える為に寝る間を惜しんで働きます。しかし、ピノキオはサーカスを見るために、その教科書を売ってしまいます。教科書を売ってしまってから後悔するピノキオを見て憐れんだ、サーカスのオーナーがお金を返してくれました。再び学校へ向かうピノキオですが今度は狡賢いタネキとウサギに出会い、そのお金を騙し取られてしまいます。
ぐんぐん鼻が伸びてしまう魔法をタヌキとウサギに掛けられたピノキオは、仙女に助けられいくつもの冒険をするのですが、直ぐに恩を忘れてしまい得意になってその度鼻が伸びてしまう樫の木のピノキオは、玩具の国の子供部屋で怠けて寝て暮らしているうちに、ついにロバになってしまいます。ロバとして売られそうになりピノキオは海へと脱出し波に拐われ打たれます。そんな旅の最後に、海に放り出されたピノキオの噂を仙女から聞いたジェッペットは海へピノキオを探しに出ていました。やっと二人は鮫の胃袋の中で再会します。再会を喜ぶ二人は仙女の力を借りて、鮫の胃袋を脱出しました。
そうしてやっと、ピノキオはジェッペットの元に帰り着いたのでした。
ジェッペットは星を見上げ、感謝の歌を歌います。
「輝く星に願いをかけたなら、夢は叶う、運命の女神は慈悲深い」
人間のように動き喋る人形ピノキオは以来、海に出て波に拐われ鮫の胃袋に入りながらも自分を想って探し続けてくれた、ジェッペットの恩に報いるように、愛を忘れず精一杯にジェッペットを愛し暮らしジェッペットの為に働くことを楽しく思うようになりました。もう、以前のような子供部屋で寝ている怠け者でも、タヌキやウサギとツルンでいるピノキオでもありません、そんな子供時代を卒業した青年のようなピノキオ。その姿を見ていた仙女によってピノキオは自我のない人形から、しっかりとした自我のある人間の子供にしてもらいました。
3・11 に寄せて、御存知「ピノキオ」の物語を星空輝く海に漂う幾つもの聖霊御霊が愛する人と再び巡り会う物語に変えてみました。
星に願いを
幾つもの夢をのせて。
心幸
令和7年3月11日
本日の後書き
真実は幾つもある。
同じ物事でも立場が違えば見えるものは違う
自分の真実真実と言う偽善者になるなかれ。
願いが1つ叶うならば
前説
願いが1つ叶うならば、煩い蝿を何処かへ追っ払って欲しいなぁ😂 あんたらとは地球最後の日が来たって通じ合わないしさ、席を同じにしたいともこちとら爪の先ほども思わないわけ、私に嫌われたってあんたらの世界は終わらないから心配ないでと前置きしておいてから言わせてもらうと、ワタシはぁ、あんたたちがヘド吐くくらい嫌い笑笑 嫌いだから関わり合いたくないの。だから願いが1つ叶うならば、願うわ、それは、あんたらも私を嫌ってくれて、もう少し大人になって何処か行ってくれること笑笑 頼まれたって、それが偉い人の命令だって、あんたたちとクソ暑い夏の日に墓参りなんてするはずないし、あんたたちと同じもの見て泣かないし笑わないしねぇ笑笑 あんたたちも同じでしょ?それて良いじゃない、それだけのことをそんなにムキになって顔を赤くして🤬叫ばないで、🔥病みたいに。あんたらの価値観が世界中の好きでも嫌いでも正義でも正論でも常識でも涙でも喜びでもないんだからね。他責思考の自称繊細の万年被害者さんに伝わるとイイなぁ、1つ願いが叶うならば😂 自分が嫌いな人と趣向が真逆って喜ばしいことよ本来なら。だって、嫌いなものにワザワザ近づいてイラつくほどの馬鹿じゃないでしょwww
願いが1つ叶うならば
もしもピアノが弾けたなら
想いの全てを歌にして
きみに伝えることだろう
雨の降る日は雨のように
風吹く夜には風のように
晴れた朝には晴れやかに
だけど僕にはピアノがない
きみに聴かせる腕もない
心はいつでも半開き
伝える夢さえ遠ざかる
嗚呼 嗚呼
嗚呼 嗚呼… 遠ざかる
もしも願いが叶うなら
逝ってしまったあの人を
追いかけ伝えることだろう
人を愛した喜びや
心が通わぬ悲しみや
おえきれない情熱を
もう一度表現してみてよ
楽しく回して聴かせてよ
誰より誰よりも
人が笑い喜こんで
目を丸く開くのが好きだった
もう一度表現してみてよ
器用に回して聴かせてよ
心はいつでも万華鏡
伝える夢さえ踊りだす
嗚呼、嗚呼、
嗚呼、嗚呼… 踊りだす
もしも願いが1つ叶うならば
あなたの芝居がもう一度観たいです
あなたの田中角栄が観たいです
西田敏行さん様
もしもピアノが弾けたなら 作詞 阿久悠
替え歌 心幸 😂
令和7年3月10日
今日の後書き
妹の悪口便所の壁に落書きされて、喜ぶ姉ちゃんいねぇだろ? 逞しくて優しいお姉ちゃんなんでしょ?気立てのいい娘なんでしょ?だから推すんでしょ?だったら推してる人の値打ち下がるような言動は慎みましょう笑笑 誰かをましてや身内を下げて叩いてまでして上げてもらって喜ぶような人間じゃあ、お先真っ暗闇でござんすよ😂
自分の大切な人をダシに使って人にマウントとってどうするの?大切な人が泣いてますよ、「嫌いな人と比べるなんて最低ね」って好きな人の大切なものを傷つけてまで褒められてもその人の値打ちは下がるって言ったて決して上がらないように、嫌いって思ってる人と好きな人を比べるなんてどうかしてますよ笑笑 彼女泣いてるよきっと笑笑 よーく考えよ😂
負けず嫌いか対抗意識か数年前からへばりついてるストーカーをどうにかしたいというリアルな願いはある。でも、まあ こういうことをしていると、よくいる可哀想な人だと思って見てるけど(笑)夢見ているのかしらね自分は可哀想な主人公だって、自称繊細さん。
その困ったストーカーさんは、女は忘れ去られるくらいなら憎まれたいって六条の御息所症候群的な人なんだよね。誰だったかが言った「死んだ女より可哀想な女は忘れ去られた女」みたいに思ってらっしゃるのかしらね、即ちそんな女は忘れ去られた女なんよね、だから憎むしか呪うしかないという可哀想な人とは思うけど、同情も共感も理解も無いは、ただ憐れみは感じます。お大事にとしか言う他ない。
嗚呼
今日も前説(笑)
嗚呼、流れて来た、流れて来たから一行読んでスクロールで飛ばす。
こんなところで一番ナルシストで格好悪いと思うのは、カウンセラー気取り。よほど承認欲求が満たされていないのかどうなのか、人のカウセリングする前に自分のカウセリングした方が良くない?そんなにマウントとりたいのかなんなのか分からないけど、メンヘラ厨ニよりイタイ感じですよセンセー、そんなの誰も救えやしないでしょ、とりあえず自分を救え(笑)
お大事に…。
嗚呼、幸せの条件
風が窓を叩く、古い街の赤ちょうちん
あんたと出会った赤ちょうちん
「恋なら懲り懲り」と吹かす煙草が目に染みて
「人は人とぶつかり人を知る」とやったら
「知った口きくな!」と顔に酒くらう
そんな時代を通り抜け本当の相手と出会います
誰にカウセリングのガラでなし、ただ二人で飲もうぜ夜明けまでで飲み明かし。
例えば、海にお前がいるのなら
俺は静かに寄せては返す漣になる
例えば、山にお前がいるのなら
俺は山の奥の清流でお前を迎える
寄り添うよりも自然で
優しくありたい訳でもなく
ただ、お前を独りにはせず
ここで、二人で酒を飲むと言った
嗚呼、いつもいつまでも
当たり前みたいに、きっと飲もうぜ
勝手に気ままに我道を
歩くあんたと二人、きつく結んだ
唇もいつか、そっと緩む日まで
あんたはあたしの隣で飲んでいる
嗚呼、嗚呼、
肩抱き合って、赤ちょうちんを後にした
嗚呼、嗚呼、
空は朝焼け、カラスが鳴いてお家に帰ろ
嗚呼、嗚呼、嗚呼
あんたと二人の帰り道
他に何が要るものか!と思った
朝日の眩しさと、あんたの笑顔
嗚呼、それで上等でござんすよ(笑)
あたしの幸せの条件
あれからかれこれ三十うん年
嗚呼、幸せの条件は変わらない
令和7年3月9日
心幸
今日の後書き
本当に自分の言っていることやっていることは良いのかな?ってのがいて、他責思考極まる人が、この世界には目立ちます。自分はどんな許可を得てるのか?と思うような御人はん。人の投稿に絡むなと人に絡むのぉ?何それ笑うとこ?と、笑うしかない御人には毎回苦笑する。あの自分勝手さを寄り添う〜、優しくありたい〜って偽善的に言う前に、どうにかなんないのかなぁと毎回思うが、、まあ、自分の意見の反対のことを書かれると絡みたくなる気持は分からなくもないが、実際ワタシも絡むが、自分が絡むのだから相手に絡むなって変でしょ?笑笑って思わないのか?注意促してるつもり?何様だよってなるでしょ、常識的に考えてみって自分のやってること笑笑 しかも、全く本題はずして感情的に文句書く方がどうかしてると思うがなぁ、そして始まる本題無視の罵り合いでまったくレビューが聞いて呆れる世界で草もえるwww 正義感の正論言ってるつもりの御人はん、荒らしてんの、あんさんだっせwwwと見かける度に何時も思う。ほら、また始まった調子に乗って、荒らしてるのはどっちもどっちだねえ、御上からクジャクに移った目立ちたがりやさん、せめて内容について書きなさいなドラマレビューなんだから笑笑 朝から晩までカァーカァー鳴くだけの烏かよwww 嗚呼、烏は利口だから烏に負けるか(笑)
まあ、イタイ人には関わらない関わらないと思いつつ、呟いてしまう、お節介笑笑
さてさて、本日のお題「嗚呼」も、これもとても主観的な言葉で。なんたって 「あぁ、あぁ」と烏が呼んでるように鳴いているよって書いて「嗚呼」だから笑笑 嗚呼、ここまで事細かに書かないと今の子には伝わらないのか、、そりゃあ寄り添うって言葉が必要だってのは心の声で、「嗚呼」と口をついてでるし、美しい夕焼けに連れ立って巣に帰る烏を見て「嗚呼」と感嘆の心の声が口をついて出るのも「嗚呼」清少納言先生なら、後の方の「嗚呼」が似合うということ、ここまで説明のいる不粋も「嗚呼」と表現出来る。日本語の奥深さに「嗚呼」笑っ。
強く心を動かされた時の感嘆の声、それが「嗚呼」これを、ポジティブに捉える人ネガティブに捉える人色々で面白かった。
ポジティブに捉える人ネガティブに捉える人その行間から、人間性が溢れ出ていて、言葉の捉え方で人って分かるのだなーと改めて思い勉強になりました。有り難いことでござんす(笑)
秘密の場所
ここは、過去と未来が交差する三途の川の向こう岸にある辺りです。過去の「或る女」のを認めた文豪と英靈たちと晶子は水面に映る未来を見ては歌っています。
「キミシニタモウコトナカレ」
君死にたまふことなかれ
旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて
あゝ おとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生きれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せと教えしや
人を殺して死ねよとて
二十四までを育てしや
さかひの街のあきびとの
旧家をほこる主にて
親名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順城は滅ぶとも
滅びずとも何事ぞ
君は知らじなあきびとの
家の掟に無かりけり
君死にたまふことなかれ
スメラミコトは戦いに
おほみずからは出まさね
かたみに人の血を流し
獣の道を死ねよとは
死ぬるを人の誉れとは
大みこころの深ければ
もとよりかいで思されむ
あゝおとうとよ戦いに
君死にたまふことなかれ
すぎし秋を父ぎみに
おくれたまいぬ母ぎみは
なげきなかにいたましく
わが子を召され家を守り
安しと聞ける大御代も
母の白髪はまはりぬ
暖簾の陰に伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや思えるや
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ
与謝野晶子
現代訳
あゝ 弟よ、君を思って泣いてます。
君よ、どうか死なないで下さい
末っ子として生まれた君なのだから
父さんと母さんはとても可愛がっていました。
そんな父さんと母さんが君に武器を握らせて
人を殺せと教えたでしょうか?(いや、教えていません)
人を殺して死ねと
24歳まで育てたのでしょうか?(いや、そんなことを思って育てていません)
堺の街の商人の
旧家を誇る主人として
親の名を継ぐ君なのだから
君よどうか死なないで
旅順の城が滅んだとしても
滅ばなかったとしても、何のことではない
君は知らないでしょうけど
商人の家にそんな掟は無いのです
君よ、どうか死なないで
天皇陛下は戦いに
自らは出られることは無いのですが
互いに人の血を流して
獣の道に死ねとは
そうして死ぬのが人の名誉とは
そのお心が深いので
そもそもどうして思われることがあるでしょうか(いや、思われることは無い)
あゝ 弟よ、戦いで
君よどうか死なないで下さい
この間の秋にお父様を亡くし
取り残されたお母様は
歎き、痛ましく
自らの子を徴兵されても家を守り
安泰だと言うこの時世だけれど
お母様の白髪は増え続けています
暖簾の陰に伏して泣く
か弱く若い新妻を
君は忘れているでしょうか、思っているでしょうか。
10ヶ月も一緒に居られずに生き別れた
乙女心を思ってみて下さい
この世にたった一人の君を頼る誰かがいることを思って下さい
君よ、どうかどうか死なないで下さい。
この詩は、今、秘密の場所三途の川の向こう岸で有島武郎と出会った与謝野晶子が歌っています。そのうち与謝野鉄幹が割って入るのでしょうか?その話はまた次の機会に(笑)
与謝野晶子は現世を明治11年から昭和17年に生き日露戦争の最中の明治37年にこの逆張りメッセージの詩を文芸雑誌「明星」に掲載します。これこそまさに、パイオニアの斬新過ぎるペンの刃でした。
戦中戦地で戦う弟に宛てた姉の心情が率直に詠まれた詩は、戦後教育を受けた私たちには何の違和感もありませんが、明治37年には新し過ぎました(新しいとはそこでは非常識に映るんです)この戦後には常識的な弟を気遣う詩は明治37年には国賊的な詩と批判されました。それに対して晶子は「歌は歌である、誠の心を歌わない歌に、何の値打ちがあるのか」と言ってのけ、明治37年の常識的行為を逸脱したため明治37年の常識的行為でこの弟の無事を願う気持を自由に詠った晶子は石を投げられます。
全く何時の時代でも、常識を笠に着る者は野蛮です。それでも、晶子は思った通りの人で思った通りに生きる人なので自らの主張を曲げず時代に迎合することなく生きました。この詩は120年程前に詠われましたが、戦後の昭和も後半になって生まれた私たちがようやくこの心が常識的と捉えることが出来、そしてそう出来た時に当時の抑圧された市井の人々の心が偲ばれる詩になるのです。斬新とは新しいとはそういうもので、それが生まれた時代の人の尺度には乗らないものなのですよセンセー(笑)
迫害を受け常識は生まれ、そして常識は変わります。
時代とは本当に面白いものと言わざるを得ません。
因みに、この弟さんは無事に帰還し実家の和菓子屋を継ぎ昭和19年迄生きられました(笑)やれやれ大騒ぎしたわりにと秘密の場所で、ご身内の笑い声も聞こえて来そうですが、もう皆さん明治大正デモクラシーの文屋、文壇、新派役者も、それを愛した昭和の鬼才たちも三途の川の向こう岸で水面に流れる世情を眺め英靈たちとも談笑していらっしゃる頃です。
私は、そっと聞いてみたいと思うのです。
あなた達の望んだ、夢描いた世界になっていますか?
どうか、もう一度生まれ変わって来て下さい。
秘密の場所へ手紙を出したいと思います。
カラーンコローン♪ カランコロン♪ カラン♪
令和7年3月8日
心幸
後書き
おはよございます(笑)
今日は朝が早いので朝食を取りながら
昨夜の後書き。
自惚れやさんの詩は無理かなぁと、朝市の野菜の方食える分よろしおすなぁ笑笑 創作の自称結社プロは掃いて捨てるほどいるが、砂漠のダイヤはごく僅かだから尊く100年先も1000年先も輝く。彼方に輝く星のように、星は見上げれば星と直ぐに分かり、地上の星も砂の中にありさえすれば見つけることが出来るのだ。
張りぼての自称は自称と一目で分かる歳になりました。素人は素人勉強になります。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だものは、「上を向いて歩こう」の作詞家永六輔さんの言葉ですが、私は少し違う考えで若者は大いに叱られるべきだと思っております。そのうち叱ってくれる人は、いなくなりますから。叱ってくれる人は財産です。今を生きてなさるお若いお方(笑)
今を生き気づけば老人春笑う
だって人間だもの笑笑
今日も頑張ろう☀️