令和7年4月2日
お題 「空に向かって」
「まだ見ぬ、波濤」
作 碧海 曽良
回想
1985年 3月3日
なごり雪が舞う堤防沿い、セーラー服のスカートを、春まだ浅い海を渡る風になびかせながら自転車を漕ぐ。スカートが、はためくのも気にせずに一心にペダルを踏む。潮騒は、やがて鶫之子(つぐみこゆき)の胸の高鳴りのように、ザワワザワワと波音を高める、小さな背中が視界に入り大きくなった。一旦やんだ、なごり雪が、また降り始めたことに気づいた之子は、嬉しそうに空を見上げてから、大きな声で、その背中に声をかけた。
「おはよー」
自転車を止めて振り返った、学生服の青年は、海内洋(かいだいひろし)追い着いた之子は自転車を止め自転車から降りて、もう一度「おはよ!雪やん」と叫び気味に言って笑った。「おお」どちらに対しての返事なのか、なごり雪なのか、おはよー!に対してなのか分からない返事を、ひとつ洋はして笑った。
「珍しいよね、三月に雪って、なごり雪やね!イルカやん!イルカ!」と、まくし立てる之子と黙って自転車を押しながら歩く洋。
春を待つ、なごり雪は、瀬戸内海の静かな海に消えて行く。
二人は並んで学校まで歩いた。
話題は、いつもと変わらない、昨日の深夜放送の話。之子が9割話して、洋は1割くらい。でも、その1割がとてもとても之子には大事。
之子は、大切そうに洋を見つめた。
潮風が二人の髪を撫で、潮騒が少し静かになった。ハラハラと、なごり雪は舞っていた。
卒業式の朝だった…。
回想
1988年 4月4日 早朝
外は雨が激しく降っていた。
「入社式に、これか…」
之子の部屋の電話が激しく鳴り静寂を打ち消し、微睡みから引きずり出される。
「もしもし」
「あっ、お母さん、解ってる、解ってるって、もう切るよ」
入社式の朝、起こしてくれたのは、聞き慣れた母からの声が聞こえる長ーいコードの家電だった。とたんに、なんだか今日の空模様のように、気分が憂鬱になった…いやいや、新生活への不安というより、激しいホームシックに之子は堕ちていた。
3月25日に家を出てはじめて大阪で一人暮らしを、はじめてから味わう寂しさに憂いていた。3月25日は母も来てくれて一人暮らしの準備を手伝ってくれたが、一人になると、とてつもなく寂しかった。と、いうのも生まれてこの20年母とは何時も一緒で、一卵性親子のように過ごして来た。けれど、之子は地元の短大を終え、母の希望に反旗をあげて、バブル全盛期の大阪へと足を踏み出したのである。
本当は、東京に行きたかった。高校時代あの、なごり雪の洋くんを追いかけて。
1985年東京の大学に出た洋くんと地元の短大に進んだ之子は暫く遠距離恋愛をしたが、「木綿のハンカチーフ」ヨロシク之子は失恋をした。その間に数度訪れた東京は、なんだか忙しく騒がしく、そして之子には汚い街に見えたのだった。東京に馴染んで行く洋くんを見るのも寂しかった。元来、呑気に育った天然のまだ20歳前の之子には東京はとても汚くて怖い街に思えた。
なら、どうして、母の願い通りに「二十四の瞳」の若先生にならなかったのかといえば、怖さと裏腹にある都会への憧れ、1988年昭和63年バブル全盛期、瀬戸内の天然娘は、バブルの申し子となり、「木綿のハンカチーフ」さながら自分を振った男を見返すべく、小糠雨降る御堂筋に立つのであった。けれど、東京には、よう行かんのである。流行りのマヌカンヘアーにして肩パットで怒らせてみても、心の中は瀬戸内海の穏やかな水面を渡る鵯なのであった。
之子の母、鶫 之亜は島でスナックを経営しながら、夫亡き後、夫の母に手伝ってもらいながら、之子を育てた。最初こそ、自分の引いたレールの上を安全パイを生きて欲しいと願い、島の小学校の教師にすべく之子を育てたが、一転何があっても、決めたからには石の上にも3年泣き言、言わずにやって来いと之子の背中を叩いたのである。之子は、そういう風に真っすぐに育った。
「人間ハッタリが肝心やからね!セコセコせんとドンとやって来い!」と追い出し、今夜も田舎のスナックに立っているのであろう母。之子は、昨夜すぐに眠れなくて、大阪の夜空を見上げ涙が溢れないように言った
「大阪の星は小さいねぇ」
空は低く、川に映るネオンを反射して星はとても小さく遠かった。之子は布団を頭からすっぽり被って眠った。
つづく
この語は、1988年バブル全盛期、田舎から都会に飛び出した女の子が、バブルの申し子と呼ばれ、時代を謳歌し、本物に出会うまでの時代創作話である。
後書き
「空に向かって」
にじむ街の灯に
空を見あげた
泣いたら負けや
泣かへんで
空に向かって約束した
夢しか無いよな
時代(とき)やった
一度も誰も
憎まへんで
海に向かって嘘ついた
嘘も吐き通せば
本気の嘘やで
墓場まで持ってたる
負けへんで
自分に向かって約束した
碧海 曽良
「ごめんてね」ってさぁ、思ってもないのに口先だけで私優しい人間です装う為に言うのって一番図々しくて薄汚いよねぇ笑笑
「ごめんてね」って言ったら許さないと相手が悪くなるものね、許される為に口先だけで謝ってんじゃねえよ!笑笑 ちっとも相手の心に寄り添ってないよね笑笑 少年マンガ王ナルシストもキモ。
はじめまして
はじめまして、今日からはじめます。
今日はエイプリルフールですがあれって正午までなんですか?詳しく知らないけど笑笑
確か、去年の今日は、「四月バカ」って感じのお題だった記憶、実は二周目なんです(笑)
ここからは、今日のこと。
今日は、1日図書館でネタを集めてました。
グルグルグル浮かんでは消える、本を手にしてみたり、スマホを覗いてみたり、こんな休日がまた、人生に訪れるなんて想いもしなかった。あの頃は、スマホは無かったけど笑笑 根気は今よりあったかなぁ、、、(笑)
それから、そんな日があったことさえ忘れるような日が続き、気づいたら、ほら、また会えたあの日のわたし。
「またね、また来るね!」って、あの頃の私に話しかけたい、そんな気分。
ふふ、ということで、はじめますは後日公開。
今日もナナシ…。
二周目 4月1日
ああ〜、また、他人のせいにしてるわ笑笑
こんな僕にさせる君が悪いんだ!どんなけ他責思考なんだ笑笑
またね!
じーぃ じーぃ じーぃ🎦
只今、調整中。
またね! また、明日。
またね!は、また会うためのオマジナイ(笑)
呪いだなんて終わってるねぇ、可哀想に(笑)
幸せな結末は、あちからやって来ない。マイナスシンキングじゃあ、そりゃあ幸せな結末は無いから安心して、要らないんでしょ幸せな結末なんて、大丈夫あなたは幸せな結末なん得られないから…って言われたいんだよね、その文脈。それは誰のせいでもないから、お願いすることじゃないし解ってもらうものでもない。やめて!言わないでくれ!解って!どんなけ他責思考やねんて考えてみ笑笑
幸せは自分の心が決めるもの、幸せな結末は自分でつかむもの、人にお願いするものではない。てか、表現力が…頑張って笑笑
中身はまだない、なんにもないねぇ(笑)
なんにもないから、また会いたい人も居ないしまた会う必要もない、約束もいらない。
そんな人は「i am nothing.」 きっと頭の中にも心の中にも、なんにもない、中身が空っぽな空虚どこまでもつづく砂漠、潤す水もない。
そんな人には必要のない言葉だから笑笑
これからだからなんだよ笑笑 解るの笑笑
人生の裏表、起き上がりこぼし(不倒翁)に込めた親の想い…。「またね、何度でもまたね」
関西でも、女の子は「ほな、またね」イントネーション違うけどね笑笑 「またなぁー」使うのは下町の、オバハンかオッサンかガキwww
そんなにカリカリしないの🤬←こんな顔して、それこそ子供が可哀想www で恥ずかしくないの?だわ。
極端は、束縛される僕ちゃんを育てます。悪いことを知るから善行が大事と学ぶんですよ。子供を、ひ弱なモヤシに育てて、36歳無職ママにパンツ洗ってもらってますみたいな息子ちゃん育てないでねwww 社会のお荷物になるからwww 社会のお荷物、社会に謝罪www
許されるために謝るな!悪いと思ってないんだろ?親に社会に、おんぶに抱っこニート大センセー様www 中身空っぽあんちゃんに譲る気はない、お願いばっかり与えてもらうことばかり当たり前みたいに言ってないで、欲しければ奪い取れ。正義は…なんだっけ?逆転する、正義は簡単にひっくり返ってしまう。決してひっくり返らない正義ってなんだ?あの台詞はなかなかで、流石プロ。
解って!寄り添って!与えて!の受動的ではなくて、自分がの能動的態度で「マットレスで組め!」だ。よーく考えろ!www 解って!のうちは、君の春はまだ遠い。御下がりの与えられたものに囲まれてふんぞり返るなよwww
昨日今日は寒い、引きこもりの君には解るまいwww
また、そんなに他人任せのくせに、他人の目ばかり気にして(笑) イメージばかり気にするの?そんなに他人に良く思われたい?そのくせ私のこと解って!多様な価値観認めて寄り添って個性?どっちだよ?それとも、それは自分や自分の子供に対してだけか?笑笑 そりゃあ疲れるだろうね。個性を貫きたいなら孤独を怖れるな!多様な価値観というなら他人の個性を認めなきゃ、優しくあれていないし、寄り添ってもないよねぇ大センセーwww 自慰行為みたいな一行飛ばしの当て擦りが関の山ならも少し上手に書いてやらなきゃ、猫さん哀れ。
「またね!」こんなに無垢な言葉を汚す同朋の荒んだ心を赦してやってください言葉の神様。
声に出して読みたい日本語です「またね!」
さてさて、今夜は…。
今日はナナシ
春風とともに
1つ 人より力もち
2つ ふるさと後にして
3つ 未来の大物だ
大ちゃん アッチョレ 人気ものwww
てんてん てんかの 大センセーwww
4つ 弱気は見せないで
5つ いつでも 猛勉強
きたえぬけぬけ お勉強
6つ むしゃくしゃするときは
大ちゃん アッチョレ 顔真っ赤🤬←で
アンチョレ 音頭で湯気をあげ
てんてん てんかの 大センセーwww
大ちゃん数え唄 作詞 石本美由起
替え歌 心幸
1.2.3.4.…数えあげると物事を客観的に捉えているように思うのかな?どう読んでも主観的でしかなく、個人的な趣向しか伝わって来ませんが笑笑 実に幼稚に思いますね。それは、あなたの感想?解らなかったことですよねwww それを物語のせいにしていては駄目ですよ。解らないから嫌いは幼稚ですから、正直に解らなくて、ただ嫌いの方が素直です。けれど、終わったものにゴチャゴチャ言うなら、解らなくても答え出なくても考え続けてくださいな。人生経験を積めば解る日が来るやも知れません。考えることをヤメルナ!と、あなたの大好きなセンセーも仰有っておられたから。まあ、頑張って吠えていてくだーいwww まったく、ストーカーが気質丸出しで気持ち悪いわwww お大事に。
さて、話もどして、大ちゃん数え唄。
明日から、4月新年度 この桜咲く春風と共に
新しい土地へ、新しい人生へ旅立つ人もいらっしゃるかと思います。この、4月始まりの新年度、世界共通ではないと知った時、日本スタイルが絶対好いと思った日は遠い日のことですが、一部欧米スタイルをとする西洋かぶれ意見に流されず日本は日本のやり方を通して欲しいという考えですが、明日から新しい一歩を踏み出す皆さまに桜の花びらのような小さな幸せが沢山舞い落ち幸せの絨毯が敷き詰められますことをお祈りいたします。
短編
「春風とともに、山の音」
川端康成原作「山の音」オマージュ
山の奥深くの根雪をとかす春風とともに、地響きのような、地から湧き上がり足の爪先踵からジンジンと突き上げるような、山の音を尾形は聴いていた。自らの老いを自覚しその山の音に魂をかき乱される。じっと耐える、どんよりと生温かい春の夜の闇の彼方から響く山の音。
復員兵の堕落した息子は、今夜も帰らない。同居している息子の新妻喜久子は、帰らぬ夫を今夜も待ち、まだ起きているようだ。新婚夫婦の部屋から溢れる灯りをボンヤリ縁側に座る尾形は見つめていた。振り返ると妻はもう寝入り微かな鼾が縁側にいる尾形の耳にも届いた。還暦を過ぎた尾形は最近物忘れをするようになり、別段身体にこれといった不調はないのだが、友達の訃報も届く近頃、漠然とした不安を感じていた。
或夜、あの地鳴りのような山の音を耳にしたのであった。それからというもの、まるで死亡宣告でも受けたような恐怖を感じていたのであった。
息子の嫁、喜久子は、ほっそりと長身の色白な娘で喜久子を見ると尾形は妻保子の姉を思い出すのであった。保子の姉は若い頃の尾形の憧れであったが、若くしてこの世を去ってしまった。以来心にそっと恋慕の情を仕舞い、妹である保子と結婚した。
息子は、二年ほど前に喜久子と結婚したが、堅物で几帳面な喜久子とは、肌が合わないらしく、もう外に愛人をつくり帰らない日が続いているのであったが、そんなこんなが、男の負い目と女の引け目に何か変化を与えたのか、夫婦生活が性急になったようで、土の下の虫が動き出す啓蟄の深夜今まで聞いたことのなかったような喜久子の慟哭の声を尾形は聞くのである。喜久子を不憫に思った舅尾形は、息子の愛人を調べ家を訪れる。
尾形の家には、嫁に出したはずの長女がコブ付きで出戻り、妻は我が娘孫可愛さで、後ろめたさを姑の立場を使い、嫁である喜久子にあたる。そんな中、夫に愛人がいると知り深夜に慟哭しても昼間は楚々と家に仕える喜久子に不憫を越えた気づいてはならないような音を感じる尾形なのであった。
喜久子への淡い恋心を自覚する尾形。喜久子もまた、舅の優しさに、辛い身の上を寄せ慕っていた。
そんな中、尾形は自分たちと息子夫婦は別居すべきと考え、喜久子に切り出し、息子の愛人宅へ向かう。愛人は、戦争未亡人で、荒んだ顔を寂しさと悲観的な青白い顔に漂わせた病弱気な女であった。そして尾形は、この愛人がもうすでに息子の子を堕胎までしていることを知らされる。そればかりか、息子の醜態、酒を飲んでの暴力、そして何より喜久子のことを、「子供過ぎて抱けない」とこぼしていると知り、純粋な生娘のまま嫁に来た喜久子に対する侮辱に我が息子のことながら怒りを収めることに必死であった。
息子は、あの戦争から帰って、どこか変わった。おそらく、愛人もあの戦争で、変えられたのであろう。尾形の最初の息子は、昔は、小さな動物や花を愛でる男であったが、今は、なぜか刹那に春風ともに吹きすさぶ夜中に舞う桜吹雪のような狂気を感じるのである。
優しくありたい息子であったため、戦地で見たものはあまりにも過酷であったのか、息子は心の傷病兵であったのだ。愛人もまた、夫を戦争に奪われ人生を狂わされた、心の戦災婦人であったのだろう、二人は同病相憐れむで惹かれ合い貪り合ったのか、、尾形は無情に拳を握り締めた。
お茶を嗜む喜久子は夫の全てを承知し、慈童面を顔にあて、舅を迎えた。喜久子の能面に隠れた小さな顔の顎から喉元へ涙が流れる。喜久子は離婚を決意し、「もし、あのひとと別れてもお舅さま(おとうさま)とお茶をしたい」と小声で囁いた。
結局、尾形は堕胎費用、愛人への見舞金手切れ金を用意し、息子を諭した。息子は「喜久子は自由だと、お父さんから伝えてやってください」と言った。尾形は出戻り娘の夫、義理の息子の心中騒動を思い出し苦笑いした。「長女も離婚した、喜久子さんも自由だ、喜久子さんもっと自由におなりなさい」そう言った。その瞬間、春風とともに鳩が飛びた立ち、その音が天からの音のように聞こえた。喜久子は鳩を見送りながら、
「わたしは、自由でしょうか」と涙ぐんだ。
ご存知文豪川端康成氏の傑作を罰当たりにも端折りアレンジし季節も春に変更(本物は夏のお話し)その他諸々でしたが、この話、要は昼メロな話で御座んすが、これが川端康成の才筆にかかれば、「山の音」クラッシックに聞こえちゃう。でもな、山の音を感じる感受性がないと文豪の言葉も、モーツァルトにもショパンにも聞こえない訳だか、数え唄で解らないところ数えあげるアンチョレ音頭やってもさ、伝わらないものは伝わらない解らないものは解らない訳だ。「解ってーぇ」でも「解らせてーぇ」でもなく「考えろ!」な訳だが、人間諦めが肝心な時もある(笑)別にあんたに解られなくても、文豪もプロは困らない。
読者も視聴者も、おめーだけじゃねぇんだよ!
まあ、考えるのは自由だから、考えてたらwww
それでは、またね 🌸 See You.
令和7年3月31日
心幸
涙
「涙の数だけ強くなれるよ♪」とは、よく歌われるけど、実際心からそれを気づけるには、
心から泣いた、泣きたくなった経験が必要なのであろうと思っている。だから、早いうちに親しい身内の死を受けて悼み涙する気持ちを知ることや人生の挫折を経験することは大切なのだと、近頃テレビドラマの感想なんて読んでいるとつくづく思うのである。昔は、人と人の距離が近かった。家族や親戚近所には親しい年寄りは大勢いた。そんな年寄りの葬式を通して子供たちは、生まれたものなら命ある者なら必ず平等に訪れる死を学んでゆくのであった。
私の一番古い記憶は徳川十五代将軍徳川慶喜を子供の頃に見たとかいう明治生まれの近所の寺の和尚さまのお葬式であった。私はまだ未就学頃だと思われる頃の話し、おそらく和尚さまは明治半ば頃の生まれかな?徳川慶喜って大正2年に亡くなられたらしいから。 何しろ話しの面白い和尚さまの話しを聞くのが私は大好きであったが、和尚さまは死んでしまったからもう話しを聞くことは出来ないのだなぁと、そして、人の死とは、こんなものなのか、別れとはこんな風におとずれるものなのかと小さな子供ながらに実感した。昔は、葬式は葬儀場ではなく近所の親戚とか年寄りが中心になってあげていたから、近所周りの葬式にも子供たちは自然と出る経験を持つ。そんな風にして耐え難い最も近しい人の死を予行練習でもするように、繰り返し人を送り、涙を強さや優しさに変えて行くことを覚えるから、〇〇ロスなんて自尊の自意識の固まりみたいな言葉はあまり聞かなかった。あったとしても、人は我の為に逝った人の喪失に明け暮れることを恥じる。それが亡き人の心に寄り添う優しさだ。見送るものが辛いと同じほど逝く方も辛いのだから、その涙は自分の為に流すのではなく逝く人の為のものなのだ。だから逝く人が「泣かないで、私の為に笑って生きて」と言われれば、そうしなければならない。成仏できなくなるほど引き留めては行く道を間違う、真っすぐ阿弥陀様の元に行けるように。昔は90まで卒寿まで生きたら赤飯炊いて送り出すものであった。
それが強さであり優しさだと私に教えてくれた人がいた。確かにいた、けれどそれでも涙流れるのが今生の別れなのであろうと理解出来るのも、やはり不条理な別れを経験するからであろう。
「愛しい(かなしい)人」
その人は 眠るように逝った、その時を 分かったように、安らかに 旅立った。
身体は、まだ温もりがあった、夜半前のことだった。
私は何度も何度も、手を握り呼んだ。けれどもう、時間は残されていなかった。
彼女の小さな身体はより小さく硬くなって行き
別れは静かにおとずれた。
私は抱きしめているのになぜだが抱きしめられたような気がしていた。
ようやく 死亡宣告を受けた。
看護師さんがエンゼルケアをしてくださった。
私は、当時まだ11歳だった為にその時外に出て待っていた。
母と父と家族三人家に帰ったのは、夜半過ぎ。白い割烹着を着てシャンと立つ祖母と親戚たち近所の人たちが集まって待っていた。
時間は、慌ただしく過ぎた。
湯灌が始まった、湯灌とは遺体を洗い清めることだ。
その当時、私の故郷ではこれは家族でするものであり、だいたいは祖父母の葬儀で湯灌デビューする。私も祖父とのお別れを以前に済ませていたので二回目だった。ぬるま湯で死者の身体を拭いてゆく、故人に親しい人一人ひとりが順繰りに身体を拭いてゆく。何処を拭いても良いのだが、私は、どうしても母のお腹を拭きたい衝動にかられた。母は私を37歳の時に帝王切開で出産した、今からもう60年近く前のこと、母のお腹には物凄い傷跡が残っていて、子供の頃一緒にお風呂に入っては、その傷跡を触っていた。何故だか哀しいくらい愛おしくて、そして安らぎにも似た優しさと強さを感じるその傷跡に、私はもう一度触れる必要があると子供心に確信し、母のお腹の傷跡を最後に湯灌した。
不思議と涙は出なかった。それよりも母への畏敬の念が私の身体を心を抱きしめていた。
その夜は、母の隣で眠り、翌朝母の手に触れた時、人形みたいに硬くて冷たくて、もう母は居ないことを実感した。
私はこの時はじめて、悲鳴のような声をあげて泣いた。もう母の温もりに触れることが出来ないことを子供ながら分かり声をあげて泣いた。それが、私の涙というものの体験談だ。
あれから、随分時は過ぎ、私は親になり子を持って知る親の恩も経験し、気づけば母の年も父の年も追い越して、もっかババァの年に迫るべく追走中であるが、最近ボチボチ同年代の見送りをする回数が出来始め、また、生かされていることへの感謝を感じるようになると、さらに私をこの世に送り出し育ててくれた人たちへの
感謝が深まる。
どんな下手くそな愛し方であったとしても、愛は長さはなく、深さなのかと思うのである。それを読み解くには、やはり涙は必要で経験と年の功は必要であると思うのである。
人情を感じ取れる感受性は人生経験に比例する。
by 人生幸朗(笑)
令和7年3月29日
心幸
今日の後書き
誰でも自分のことには甘くなりがちですが、あまりにも、アリが巣でもこしらえそうなくらいの甘さですね。チェちゃんに飼われてるホルモン焼き屋の小鉄みたいな笑笑 人間関係をつくれる笑笑 いや、人間関係は選びましょう笑笑 なんでもいい人間関係はつくれるとは言わない笑笑 ガラクタの寄せ集め。 ブレーンちごてブーメラン頭に突き刺さってますよ笑笑 日曜劇場ならぬ、ひとり劇場ですか笑笑小鉄さん、、なんちゃって笑笑 お大事に笑笑 ああ、本当にアホと病人は相手しないと決めたので。教えといてあげる、私はあんたを嫌っているんじゃなくて、お生憎様、嫌う値打ちもないと思っていて馬鹿にしている、残念(笑)ネットしか人間関係が無いって可哀想だと思っている。もし引きこもりの中高生でなく、人の親になるような年の世代ならゾッとする。
飾りじゃないのよ涙は♪
私は泣いたことがない…
それは本当の恋をしていないから
いつか、本当の恋人に会えるとき
私の世界が変わるとき
私 泣いたりするんじゃないかと感じてる〜♪
井上陽水はメンヘラの心を掴んだねぇ(笑)
お涙頂戴大嫌い、恋なんかしない涙なんか流さない…厨二病か〜笑笑。
でもな、「男はめったなことで泣くもんじゃない」とは確かに言う。
これは、明治生まれの爺さんと婆さんの躾であったから。昔は女に生まれることも業だったけど、男に生まれることも大層な業だった。かと言ってそれが多様性の無いことだとは、私は思わない。むしろ昔は自由だったと感じるからだ。「男はめったなことで泣くもんじゃない」そんなこと言われて育った叔父さんが、婆さんの葬式に目を擦って涙を堪えていたのを、誰も笑いもしなければ、もっと泣けとも泣くなとも言わずに杯交わす。それが優しさで寄り添うってこと。それはそれで綺麗な背中なんですよ。そんなことを泣く方が良いとかどうとかメンタル解ってるセンセーみたいに、決めつける不粋さよな〜。
「本当、昔の男は泣かないんです」そんな価値観はそんな価値観であったっていいじゃない。
だから、男の涙には値打ちがあるんです。いい年の男がビービー泣くもんじゃないとは思っています、そう言われて育ったから。でも、そんな人でも泣くんだな人知れずと思った時、こっちの涙腺もやられるしね。
最も、嫌らしいのが「泣いて良いのよ」って然りげ無いマウント、寄り添ってあげるでしょ〜、優しい人でしょ〜なやつ。
そんなもん、他人に言われるもんじゃないわ笑
高倉健か〜?いや、菅原文太がイイ〜。
作家?ここにはそんな大センセーがいらっしゃるのか? 作家を自称する自惚れ屋なら目に出来そうだが、プロはタダで自分の小ネタもコメントも披露しないでは?と思っているが笑笑
それが、プロの気位だと思っているが笑笑
プロと素人の違いは
「春風に 才筆披露の 請求書」
おそ松さん
私?わたしは、ど素人の一炊の夢です(笑)
「減らず口!」花に舌打ち はい、凡人
おそ松さん✌️
では、また今夜〜🐠