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1/17/2025, 1:21:52 PM

風のいたずら

見え透いた両手の嘘、私は知っている
キミがつく淋しい嘘を。
意味のないガラクタのようなひとり芝居の
言葉のカケラが風に舞っているよ。
キミは気づいているの?誰かに差した人差し指を自分に向けてごらん、大人になるにはそこから、ただ生きた年数じゃなくて、考えて生きた年数が問われる。だから経験は重要で「苦労は買ってでもしろ」と昔の人は言った。苦労を知らないまま70まで生きたって、どうしょうもない人の見てくれ一言呟くだけの老害になる。せめて、もう少し愛情込めて人の見てくれどうこう言う時は言いましょう、ならば自然と言葉は長くなる、吐き捨てるような冷たさキツさが和らぐ。70年も生きてたら身につけたいわね。

移りゆく街並みに寂しさを覚える。
「大事なのは変わってくこと、変わらずにいること」矛盾のお守りを子供は理解出来ない。
移りゆく時間の中で、変わりゆくものの中で変わらずにいることはとても難しい、けれどその一炊の夢を諸行無常の中に人は見るから美しいのだ。

たとえば、初恋の人は30年40年時を経て見てくれは変わってしまっても、想い出は変わらない色褪せても変わらずにそこにあるから尊く誰かの心を励ますことが出来る。

たとえば、初恋のアイドルは、スターとは、ファンの夢を壊さない、初恋のアイドルであり続けることを移りゆく時間の中で己の使命とするから見るものを力づける、公園にいるくたびれた無職のオッサンでは駄目なのである。「私が、私であるために」努力が必要なんだよ。

こんなもんだと誤魔化してはいけない、誤魔化しは姿勢に出る。


言ってごらんよ、今幸せはありますか?
丑三つ時にSNSのブルーライトに向かうキミ
素直に生きたいと、誰もが願うのに昼の太陽の下は歩けない、何故なら朝日が昇る頃までSNSのブルーライトを見つめているから。
伝えたいのは言葉なんかじゃないだろ
その頬を伝う涙。

これで全てうまく行くと信じていたのに裏切られた、それはね、キミが信じたその人の一面がキミの想いと違っていただけ、信じたキミにも責任はある、傷は授業料。

何度目かのため息、空っぽな優しさに、世界は灰色で可哀想な自分に浸っていたい?周りに気遣わせるだけ気遣わせているのに気づけないの何故ならキミだけだから自分の心だけ見てるから、自分が嫌いなら鬼って人差し指を差して自分の物差しで他人を図るから。

そんな人に限って、今流行りの「よりそう」やら「多様性」やら「変わらなきゃ」「優しくありたい」「正しくありたい」だのそれこそ多様する、足りないから多様し必要だと叫ぶ。寄り添っていないから
画一的だから独善的だから優しくないから正しくもないからそう有りたいと足掻き他人に期待し求め結局思う通りに得られないと自分の物差しを振りかざし裁く。

でもね、痛いのよ生きるってことは、精一杯生きるって事は死ぬことよりも痛いこと、その痛みを感じることが出来るのが生きているってこと、その痛みを分け合ってもいいんだと気づけることを仕合せと呼ぶんだ。

今夜も浮かぶ月の真下に居るのか?
独りは寒くない?部屋に二人で居て寒いよりはマシなのか?それは冬のせいなのか?

違うよ、キミのせいだ。

伝えたいのは不満なんかじゃなく
一人寝の、淋しさだろ
変わらなきゃならないのはキミの方だ。

変わってしまったから
変わらなきゃならないんだよ
あの頃みたいに。


風の声に耳をすませてごらん。
春の足音が聞こえる、春は必ず来る。
同じように花が咲きコートを脱ぎたくなる
虫やカエルが歌い出す春だ、もしも変わって行って沈黙の春が訪れたならどうだか想像してごらん、変わって行くものの中に変わらないものがある尊さそれが矛盾のお守り。


今 荒城の夜半の月
変わらぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただかつら
松にうたうは ただ嵐

天上 影は 変わらねど
栄枯は移る 世のすがた
写さんとてか 今もなお
ああ荒城の 夜半の月

変わらないものに護られて
変わってゆく弱さ儚さを
素直に感じとらえたらと


風は告げました
春夏秋冬日本人には
四季を愛でる心があります。

移りゆく季節
順番通り変わらずに
おとずれる季節

矛盾の中に私たちは生きているんだよ。

風のいたずら…。


令和7年1月17日

              心幸

1/16/2025, 4:28:14 PM

透明な涙

普通に涙というものは透明でキラキラキラしていて、悲しいときでも嬉しいときでも悔しい時でも、うんと涙をこぼせばキラキラキラ光る透明な心の汗が色々洗い流してくれて案外スッキリするものなのだと思っていたが。

今からちょうど30年前1995年(平成7年)1月17日(火曜日)午前5時46分に起きた地震で今まで見たことのないものを私たちは見せつけられたのである。

その頃の朝は早くもうその日も起き上がり、1日は始まっていた、弁当づくりに朝の準備その頃はまだ子供も一人だったから弁当もひとつをやたら丁寧に作っていた…その時ゴォォォという音と共にバンと何かが弾けるように上下し揺れが始まった、今まで感じたことのない揺れに一瞬何が起こっているのか分からず台所でガスを止めるのがやっとだった。その後2階で寝ていた夫が子供を抱えて飛んできた食器棚からクローゼットから物が飛び出し本棚は倒れ家も斜めになったかと思われたが、なんとか全員無事で、慌ててその頃は離れにあった義両親の家と店に安否の確認に向かった幸い無事、ようやく神戸の方で大きな地震があったことを知る、大阪は震度6とされ、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市は震度7と知るところとなる、学生時代を神戸市で過ごした、今も友人知人が多く住む街、宝塚市には従姉妹が住んでいた。電話は繋がらなくなっていた。夫の身内も芦屋市西宮市に住んでいたため、夜が明けるのを待って夫は徒歩で神戸に向かった。

残された家族はとりあえず、店の片付けと従業員の安否確認に随分とかかった。朝になりようやく神戸の街の姿を目にした背筋が寒くなった。子供は不安からか手を離したがらず結局おんぶ紐でおんぶして数日を過ごした。まるで悪い夢でも見ているような数日が過ぎ、夫が悪い夢の続きの知らせを持って来た。

従姉妹が死んだ…。

姉弟のいない私にとって姉のような存在の人だった、明るくて綺麗なその人に私は随分憧れた。直ぐに私も行こうとしたが、「見ない方がいい」と夫に言われた。夫は他の身内も回って安否を確認し、私の従姉妹の葬儀も手伝ってとりあえず帰って来た。

従姉妹には母(叔母)も夫も子供もいたが、私は聞けずにいた。叔母は私たちの故郷から宝塚に行けず荼毘に付されてから娘との再会となってしまった…。

あれから30年、叔母も娘の元に逝き、代は彼女の娘叔母の孫の代になりました。

最近になって、ようやく、あの時一度だけ夫から聞いた、彼女の最後の顔の話を想い出せるようになりました。夫はひとこと「赤い涙を見た」とだけ私に教えてくれました。

それから、この日が来る度に、彼女の綺麗な横顔に伝う赤い涙が想い起こされます。

赤い涙もやっぱり透明で、あったはずだと思いたい。

彼女彼たちのもっと生きたかったという想いを胸に生きたいと思います。


赤くて透明な彼女の涙に 

              「黙祷」


令和7年1月17日 

               心幸  






1/15/2025, 5:21:58 PM

あなたのもとへ

遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日を
この街で迎えたい

外苑の桜は咲き乱れ
その頃になるといつでも
新幹線のホームに舞った
見えない花吹雪を思い出す
まるで七五三のような
ぎこちないスーツ姿も
今ではわりと似合うんだ
ネクタイも上手く選べる

同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
「元気かどうか心配です」と
手紙をくれるみんなに

遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
この街で見つけたい

大事なのは
変わってくこと
変わらずにいること

どんなに高いタワーからも
見えない僕のふるさと
失くしちゃ駄目なこと
胸に抱きしめていて

遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
その街で見つけなさい

あなたのもとへ…

「遠く遠く」      作詞 槇原敬之


この曲を聴くと今母さんは君たちのことを思うよ。と、母は独り言を呟く。

もう、何年も前は、この曲を聴くと義妹の話が思い出されていた。

「お母さんたら、兄ちゃんがお父さんと喧嘩して家出した時、兄ちゃんに電話でご飯の炊き方を聞かれて受話器を置いて泣き出しちゃって大変だった」って話だ、その時は、ちょっとジンとしたけど笑い話になってたけど、今ならはっきり言って滂沱の涙だ。ましてやこの曲とセットだと涙止まらなくなる。

母は、独り言のように、「元気かどうか心配です」と「上手くやれているのか心配です」と「いつでも帰ってくればいい」と真夜中の電話に口走りそうになり、ぐっと堪えて「しっかりしなさい」と発破をかけ、送金しそうになるのを鬼の気持ちで留まって、米や食べ物をせめて段ボールに詰めて送る、あなたのもとへ。もしかしたら迷惑かも知れんねぇ(笑)だって自分も何十年も前にそうされて「一人で食べきらん程送らないで」とか電話した記憶が蘇る(笑)そういう時は何時も「誰かにあげなさい」って言われたけれど、田舎の婆ちゃんがつけた漬物やら煮付けた佃煮やら自家製の野菜「誰にあげろって言うのよ」って言いそうになってやめたことを思い出す。今ならハッキリと分かるねぇ、送る方の気持ち送らずにいられない気持ち。そして、一人暮らしを始めた息子に「飯の炊き方教えてくれ」と電話で言われて泣き出した義母の気持ち…親孝行したい時分には親はなし。

この気持ちを届けたい
あなたのもとへ


令和7年1月15日 

             心幸 

今夜は遅くなりました、おやすみなさい🌠

1/14/2025, 3:22:18 PM

そっと

そっと受話器をおく片想いの相手にか、相手を気遣ってますのアピールに営業のやること。

そっとおやすみは、相手はいないひとりぼっちのさびしんぼうのひとり芝居独り言ぬいぐるみに「そっとおやすみ」

そっと寄り添うは、寄り添ってますと伝えたい相手にみんなにそんなあざとさアリアリの時に使う言葉、そっと優しくありたいなんかと同じ

本当に、そっと寄り添う人は黙って寄り添い寄り添ったことを相手にみんなに気づかせない、優しい人も同じで「…ありたい」なんて偽善な自己アピールの言葉は使わない。

そっとは、そっと部屋を出る、そっと消える、そっと別れる、そっと嘘をつく、そっと裏切る、、そんな風に使う言葉だ。


さよならはそっと。


令和7年1月14日

心幸 


1/13/2025, 5:00:01 PM

まだ見ぬ景色

人生に何度か全身麻酔をしたことがある。

出産、病気、事故、いつもストンと真っ暗な闇に落ちる気がするそして、どこか遠くで人の話す声と物音がする、微かな声と音がする方に意識が向き、やがてそちらの方に白い影が動いているのが見える、声がより一層ハッキリと聞こえて、執刀医と看護師の会話が分かる。そして目覚める。朧気な臨死体験のようなもので、あの落ちた暗闇の向こうにまだ見ぬその景色があるように思えてならない。事故の時はよりそれが強かった、落ちた闇の中で何度もジャンプしているような気がして黒い闇の奥の方に向かって心地よい風が吹いているようだったのだけど、なぜだかその風に向かって泳いでいるように進み、何度も時計の音のような信号の音のようなものが聞こえたり、白い光の向こうに人影が動いて、重なり合う声がひとつひとつにハッキリと聞こえたり、またグレーの影がかかるように届かなくなったりを繰り返しながら、やかて目覚める。きっとあっち側から帰って来たのだろうと思う、暗闇の向こうは何か気持ちが良く無重力のように体がポンポンボーンと浮くような気がするが、声のする光に吸い込まれると、とたんに体は重くなり、聞こえていた時計音のような信号機の音のようなものが自分の体に着けられた機械の音だと気づく、体がやたら重くて、そして痛いそして自分は事故に遭い運ばれたのだと気づく・・・これが生きているってことか?手術室からの執刀医の声も麻酔が効き過ぎて覚めるのに時間がかかり医者看護師達がバタついていたことも覚えている、その会話の内容もだ、それを真っ暗な心地よい無重力の中で浮かびながら聞いていた、あの闇の向こうに広がる銀河のような黄泉の世界があるのだろうか?なんて考えながらリアルな痛みを実感していた、痛みそれこそが生きる生きているということだと実感した日の話。戻って来たのだから逝く時は、きっとその逆なのだろう、闇の中に吸い込まれるように落ちて行くと痛みは薄れやがて感じなくなる体は軽くなり深い深い闇の中にフワフワと吸い込まれて行く、微かに動く人影も見えなくなるが、声は何時までもやまびこのように響く、その声に揺り起こされ痛みに目覚めるか、声に包まれて闇の深みに吸い込まれて行くのか?その闇の向こうにまだ見ぬ景色を何時の日にか見るのか…小さな臨死体験。

臨死の床、声だけは最後まで届き、また揺り戻されるのも声であることを忘れてはいけないと思った経験。

自分を棚にあげて裁く人ってのは幽霊よりも厄介でヤバイ人である、自分もしっかりSNSサイトでそのサイトの規約破りの無関係な投稿、迷惑投稿かましておいて人を指差してこんな場所で投稿する奴はと投稿する、分かってますか?あなたの死の淵の闇に、この声届いてますか?あなたのやってることもあなたが馬鹿にしている行為ですよ。あなたも、こんな場所で投稿する稀な人ですお気の毒(笑)気づけないのもっとお気の毒、多分気分は無重力な暗闇の私たちがまだ見ぬの景色の世界にイッチャッテルのね、それでも現世で彷徨ってらっしゃるってことは地縛霊みたいなものなのかしら、お可哀想に。

ご愁傷さま。 「まだ見ぬ景色」


本日は、地震で眠れぬ夜をお過ごしの皆様、南海トラフ御懸念の皆様、お気をつけてお休みください。 

昨日と同じ静かな朝が訪れます様に。


令和7年1月13日  

               心幸 




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