魔法
「魔女目線の人魚姫」
十五の誕生日祝いに一人深海の人魚が住む世界から水面に行く許しを得た人魚姫は、深い深い闇が暗転幕の様に、海の世界と陸の世界を遮る幕の向こうから、月の光に導かれ水面に手を伸ばし進みました。海の底より空気が濃いそこは人魚姫の胸を落ちつぶしてしまいそうでした。
人魚姫は、水面にようやく顔を出し月明かりに照らされる陸の世界を目の当たりにしました。
宇宙(そら)と海の間に幾つもの光る貝を思わせる輝くものが揺れていて、生まれて始めて聞く風の音に乗って聞こえる音楽を耳にしました。人魚姫は高鳴る胸をおさえて、大きな岩のところまで辿り着き、岩に登って、その明かりから聞こえて来る音に耳を澄ませていました。光の中に脚のある生きものが沢山見えて、その音に合わせて踊っています。人魚姫は自分もあの光の中で踊ってみたいと思いましたが、ふと自分の脚を見ると脚は無く、鱗に覆われた尾鰭がありました。人魚姫は切なくなって岩場から海に飛び込み海の底の自分の世界に戻ります。来る日も来る日も月の明かりに取り憑かれたように地上を目指す人魚姫はある夜、嵐の水面に顔を出しました、月に騙されたのでした。月が隠れた大粒の石の様な雨とゴォーゴォーと闇を裂く風の音の中に、あの何時も見る煌めく明かりが激しく揺れやがて波に飲み込まれてしまったのでした。尾鰭を持たない生きもの達が一斉に海に投げ出されるのを見た人魚姫は慌てて助けようとしますが、人魚姫一人では救い切れず、人魚姫は、どうにかこうにか一人の王子様を救うのが精一杯でした。どうにかその王子様を波打ち際に戻し、息があることを確かめると、ようやく顔を出した意地の悪い月の明かりに嵐が去ったことを知らされ海の底に帰ったのでした。
あの嵐の夜から、人魚姫は助けた王子様のことが気になって仕方がありませんでした。たったひと目嵐の夜に助けただけで運命を感じてしまった人魚姫は人間になりたいと父母に打ち明けます。父は激怒し母は泣き崩れました。人魚姫を激しく怒鳴り平手打ちしようとする父を人魚姫の姉たちが必死に止めました。人魚姫は健気にも一途で強情で父に思いをぶつけ、思い余った父は人魚姫を座敷牢に軟禁してしまいます。「頭を冷やせ!」父の背中に人魚姫の泣き叫ぶ声が響きます。父は人魚姫に背を向けたまま目を落とし苦悩する顔を覗かせましたが、その顔は人魚姫には届きません。
三日三晩泣き続けた人魚姫は、思い通りにならないことを恨み卑下し泣き続けていました。それを見ていた、母は心を痛め、深海の森に住む魔女に相談しました。魔女は、「人魚姫は十五の満月の魔法を月に掛けられてしまったのだ」と言いました。「今は、人魚姫の言う通り逃がしてやりなさい、そして人間になりたくば、この魔女のところに来るように人魚姫に伝えなさい」と母に告げました。母は深海の森の魔女を信じ言う通り、人魚姫を座敷牢から出し父の目を盗み深海の森に住む魔女のところに行けと人魚姫に告げました。
人魚姫は、棘の出た長い蔓の絡まる細い路を母に言われた通りに進み、魔女のところまでやって来ました。
「人魚姫、お前はそんなに人間になりたいか?」
「はい、もしも願いをお聞き入れ下さるならなんでも致します」
「そうか、では、お前に脚を授け人間の姿にするためには、その尾鰭を取り、深海まで戻れなくしなければならないが良いか?そして、この世界のことを口外しない為に声も無くすが良いか?」と尋ねました。今はただ人間の姿になってあの王子様と踊ることしか胸にない人魚姫は
「はい、構いません、私を人間の姿にしてください」と即答します。
魔女は、魔法をかけた人魚の鱗の欠片を人魚姫に飲ませました。
人魚姫は、波打ち際に気を失い白い羽衣を一枚掛けられただけの姿で倒れていました。やっと目覚めた時、あの日助けた王子様の乗る船に助けられて居たのでした。王子様はこの船の主の息子、船は商船幾つもの街を商売して渡る船でした。あの嵐の夜海に投げ出された王子を助けたのが人魚姫でしたがそれは誰も知り得ません、王子様当人さえも、人魚姫は助けられ名を王子様に尋ねられますが声を脚のかわりに魔女に差し出したので話せません、悲しくなりましたが、自分には王子様と同じ脚があることに気づき嬉しさに飛び跳ねます。何故だか、人魚姫に見覚えがある気がしてならない王子様は人魚姫に「シーノ」と名付け丁寧に接するように召使いに命じます。
王子様との運命的な出会いと再会人魚姫シーノは、月を見上げ秋でもないのに天馬ペガサスが
夜空から自分と王子様を迎えに駆けてきて、王子様は、その天馬ペガサスに飛ぶ様に跨り乗ると人魚姫に手を差し出すという夢に浸っていました。けれど、歩き慣れていない脚は立っているだけでも辛く、踊ると悲鳴をあげるくらいに痛く、赤く腫れ上がり血が滲みます。人魚姫は声にならない声をあげ泣きました、海を見つめて、叱責する父の姿と泣き崩れた母の姿と心配する姉妹の顔とが思い出され海を見つめてただ泣きました、この脚では歩くことさえ難しく、この体では海の底へ戻ることも叶わない、もう死んでしまいたいと泣きました。
その時、海の底から姉妹が顔を出し、魔女の言葉を伝えます。「お前の覚悟はそんなものか?ならばお前を元の姿に戻してやろう、この剣で王子の心臓をひと突きにし心臓を取り出して海に身投げしたお前の口に入れ替えれば、お前にもう一度、命を与え人魚の体に戻す魔法をかけられる、もう一度魔法の力が必要か?もうしてみよ!」魔女の言葉に天を見上げた人魚姫に魔女は続けます「お前は、十五の満月の魔法にかかかり、幻想に迷って多くの信頼を傷つけ捨てた、一度は許してやる、十五の満月の魔法だからだ。お前は自ら選んだ路を十五の満月の魔法せいでしたとするか?その自ら選んだ路を誰のせいにもせずに受け入れて進むか?説明はしたはずだ、脚のかわりに声は無くなる、その姿では深海には戻れない、どうするか自分で決めよ」
魔女の言葉に人魚姫は揺れる水面を見つめ考えます。姉たちが、魔女から渡された剣を持ち上げ人魚姫に手渡そうとします。人魚姫の脳裏に厳しくも何時も愛情深く見守っていてくれた父母の顔が浮かびます。
人魚姫は、夜空に涙を預けました。そして、きっぱりと言いました。「父様、母様、お姉様たち、私は自分で選んだ路に泣きません、必ず生き抜いて見せます」と。そう言って魔女の魔法に頼らず魔女が魔法でくれた人生を受け入れて背負うことを誓いました。
姉たちは、心配そうに顔を見合わせ深海へ帰って行きました。
それから、人魚姫は血が脚から潮の様に吹き上げる程の痛みと苦しみに耐え、王子様と共に歩き共に踊る様になりました。
言葉は伝えたい想いは今宵の今宵までの人知れず長いドレスのしたで流した血と共にありましたが音にはならず。人魚姫はあの十五の夜に見た煌めく貝の様な光と音楽の中で王子様に抱かれて踊っていました。
魔女が、人魚姫の涙を天にあげ星に変えると流れ星が流れました。
王子様が、その流れ星に願いをかけていました。
「彼女の声を聞かせてください」
流れ星は、静かに「イエス」と彼女に魔法をかけて消えました。
アンデルセン「人魚姫」リスペクトオマージュ
令和7年2月23日 心幸
君と見た虹
それは、春休み前の半ドンの土曜日。絶賛反抗期中の厨ニ病は、かっぱえびせんを噛りながらぼんやりラジオを聞いていた。
はい、FM00をお聴きの皆さま、週末の午後に皆さまにお届けする、こちらの番組。今日のゲストは人生幸朗さんです。おなじみ人生幸朗は語り始めた。すると隣の爺さんも窓の外の縁側に座り黙って人生幸朗の話を聞いていた。
最近の若い奴は、言葉を大事にしない、全くもってケシカラン。言葉には意味があり歴史がある、その基本を知らずに崩して使うとは言語道断だ!とご存知人生幸朗の独壇場が始まった。
「上級国民」とは、大正デモクラシーの頃に憲法学者が使った言葉で、新しぶっているがキチンと元ネタのある新しくない言葉である。
最早、「役不足」「力不足」の誤用のように後から使われている言葉の意味の方が一般的な言葉があるが、成り立ちを知る必要はある。
「唯我独尊」という言葉があるが、これを自分勝手に自分が優れていると思いあがる時に使うことが一般的になったのは、暴走族の旗が原因だ。「唯我独尊」にマイナイメージの語意をことさらに言うのは子供である。何故なら暴走族の旗でしかこの言葉を見たことがないと言わずとして知れるからだ。「唯我独尊」は釈迦の言葉であり、「我、唯 独り 尊し」と申された言葉である。「自分だけが優れている」なんて言葉ではなく、「この宇宙に、私という存在は、唯、独りであり、そのまま有りの儘、存在していることが尊い」という意味である。ちょっとは、勉強してから言葉を使ってくれ。ましてや知ったかぶり他人様に向かって使うなら! 「宗教」と言えば壺売りの新興宗教しか思いつかん奴も、葬式にも出たこともなく、家族親戚の臨終にも立ち合ったこともないのだろう。そんな奴は一人前の大人とは言えん!こんなもんばかり製造しくさって!責任者出て来ーい!
「ㇷ゚、ププッwww」と厨ニは寝ぼけ眼が覚めたように目を開いて起き上がり、ラジオをニヤケ顔で聞いていた。ふと縁側の爺さんを見ると
腕組みをして、頷きながら人生幸朗を聞いている、「ええーっ!笑うとこちゃうん?」は厨ニの心の叫びで、ますます顔はニヤける。
小春日和の低く長い日差しに猫と共にのびながら、ラジオから届く人生幸朗の話を聞く爺さんの顔を眺めていた。気づけば、やめられないとまらない〜♪の、かっぱえびせんの袋は空になっていた。
忘れてしまう様な、あまりにも何気ない一瞬は、結構歳をとってから思い出す。人生幸朗を目を閉じて腕組みをし頷きながら聞く爺さんの姿を繁々と見つめた日を昨日のことの様に最近思い出しながら、今日の若者を見る。厨ニはあの時の、あの爺さんの歳くらいになっていて笑うが、あのラジオから聞こえた、人生幸朗を黙って頷きながら聞いていた爺さんの姿の意味を今、噛み締める。あのラジオ聞いていて無駄では無かったと思うからだ。
爺さんと厨ニがその時見た景色に虹は掛からなかった。そこでは違うが、厨ニが爺さんの歳になる頃には、その隔たりに虹が掛かる。
子供は決して万能の聖人君子ではない。そう思っている大人は、嫌われる役目が出来ない無責任な怠惰な大人だと人生幸朗なら言うに違いないwww しっかりしろ大人、子供に無責任にいい顔するな!
子供は、寧ろ何色にも染まる「無垢な無」の存在であるだから幼気で尊いが、反面何色にでも染まるのだから、間違いもする。間違うことが出来、間違いながら大人になる、なれる自由だ。間違ったら何度でもそれは違うと嫌われようが好かれようが気にせず教えてくれる大人がいるから、いたから子供は大人になれた。だから、躾は必要なのである。
誰も叱ってやる大人が居なかった、チヤホヤされて大人になった子供大人が、問題起こすんじゃねえのか? それ芸能界見てたら分かるよなぁ。しっかりと子供を叱れる大人になれ、それが愛だろ! 責任者出て来ーい!
厨ニがあの頷く爺さんのように、人生幸朗に頷く時、爺さんと厨ニは同じ虹を見る。
その時、爺さんの体は厨ニの側にはない。しかし、爺さんの心は残る、あの日の穏やかな午後の小春日のように、お天道様の匂いと光と遠くに続く空の橋に掛かる虹のように。
君と見た虹と、ラジオから聞こえる人生幸朗www
君も歳をとれば分かるよ。
令和7年2月22日😻
心幸
今日の後書き
計算も言葉も知識がないと使いこなせないwww 応用力は基本が大事。
貴方と同じ景色は見たくないwww
慇懃無礼と文脈で分かる者に用はない。
自分は人気者だと自称する者にも用はない。
「みんなで…」とかいう偽善的で画一的の極みのような言葉にも用はない。
Stand Alone 凛として立つこと。
それが、有るが儘の私の心であります。
あの頃の厨ニは歳を取り、爺さんと同じ虹を見ることが出来るようになったことを嬉しく思っている。同じ虹を見ることが嬉しく思えるか思えないか、これは理窟ではなく直感であるから仕方がないwww
夜空を駆ける
今夜もまた、夜の帷は降りて数多の言霊が夜空を駆けるわけですが、こんなところでカウンセラー気取りの人こそ鏡が必要で、ご自身をカウセリングすることをお勧めしますwww そんなチャンネルもあるのでしょう?よく知りませんが。そんな不粋はやめて、夜空を駆ける星の噺をしましょうか。
冬の夜空を駆ける、丁度この2月の澄んだ夜空今ごろ、夜8時頃に北の空頂上近くまで見上げますと昇る、今が見ごろの星座があります。冬の天の川を横切るガベラを乗せた冬の天上に輝く馭者座の噺をしましょう。
鍛冶の神ヘファイストスと知恵の神アテナの子として生まれたエレクトニウスは、アテナの元で育ちアテナイ国の王となります。
エレクトニウスは善政を尽くし民衆に慕われました。四国を治める大王となります。
聡明で知恵のあるエレクトニウスは車椅子のような馬車を考案し、不自由な自らの脚をものともせず戦場を駆け抜ける勇敢な兵士でもありました。馭者とは馬を動かす「御者」のことです。
エレクトニウスは、生後すぐに月の魔女に「決して開けてはならぬ」と言われ箱に入れられて預けられた、脚を蛇に噛みつかれたまま生まれた子供でした。しかし、この子は箱から出て母アテナに抱かれて育ちます。そして、この子は神から授かったギフトを我が力に変え立派に成長し、脚が不自由な自分の為に自ら自分用の四頭立ての馬車の用な一人乗りの戦闘用の車椅子を創造し作り出し自ら乗り込んで、敵に斬り込み武勇をあげる優れた兵士でありました。
その、苦難をも力に変えるギフテッドの武勇を天から見ていた大神ゼウスは、エレクトニウスの姿を馬車に乗り自由に夜空を駆ける者として天に上げました。
天に上がったエレクトニウスは子山羊を抱いて馭者に乗り描かれますが、子山羊は神に捧げられし幸運のシンボル即ちエレクトニウスの脚を表します、エレクトニウスは生まれつき脚が不自由であったため、自ら鍛錬し研究しその道を開きました。その運命を切り開く鍛錬する力こそが天より与えられしギフト、ギフテッドであるという、お噺でした。
今夜も星が綺麗です🌠
「ギリシャ神話 馭者座より」
一部脚、創造脚色しております。
ペガサス座は秋の星座、夢はお預けかな(笑)
僕は自由だーあ、それじゃあ神話意味ないじゃーんwww 基本を踏まえて応用はある、「型をしっかり覚えたあと自由に型破りになれる」「守破離」「基本がないのに応用は出来ないということ」
令和7年2月21日
心幸
ひそかな想い
長崎から船に乗ったイナゴは神戸に着いたら、カラカラカンピンタンの呪文で干からびて神戸の海に捨てられたwww
ないたら、あかん
ないたら、、悲しくなるだけ〜♪
それは、大阪の海や!
ひそかな想いwww
よく、自分のことを隠したがる人がいるけど
最近よくいるけど、なんか後ろめたいことでもあるんか?
ひそかな想いwww
隠し事は特にないが、ひそかな想いはある。
「あんた、それを言っちゃあ、おしまいよぉ」と寅さんが言うか言わないかは知らないけれど
私の、ひそかな想いはナイショですwww だって、ひそかな想いですからwww
それとは別の噺
「ひそかな想い〜カケラの話し〜」
いつかの続き…。
カケラは、どんどん進めるようになった。
どんどん進んで加速がついて、誰よりも速く進んでいる。風を斬って鮮やかに、斬る時は丸い刃では痛みを増す、そんな時はひと想いに斬ることが出来るように、昔懐かしいあの角が欲しいと思う時があるけれど、カケラは構わずひと想いに転がりぶつかっては倒し転がり続け、やがて、どんな球体より鋭く速い球体になった。
今なら、「アイツにだって負けない」そう思った時、足をすわれたような、誰かが遠くで泣いているような声が聞こえた。
それでも、転がり続けたカケラ、カケラは擦り減り白い煙をあげ始めていた。摩擦は体に火傷のような後を残した。
止まりたい、止まりたいんだ…
カケラは泣いていた。
速く転がれ、誰よりも速く風を斬って、いかに垂直に直角に真っ直ぐに走ることが出来るか?いつしか、カケラは、紋白蝶に休息の場を与えることも、イモムシと伴走することも、小石たちと語らうこともなく、白い粉煙をあげて走り続けた。
止まりたいんだ、止まりたいんだ…
カケラの、ひそかな想いが宙に舞った。
遠く遠くに堤防が見えた、その端の端海に繋がる場所めがけてカケラは転がり続ける。
遠い海は、やがて近くなり、カケラはポチャンと海に落ちた。
どれくらい漂っていただろう、カケラは暗い暗い海の中を漂って、波打ち際に辿り着いた。柔らかな波がカケラを流していた。いつか共に雨を待った細石が声をかけた、「随分、転がりましたね」「ここの海は、なかなか眺めがイイですよ、一緒に眺めませんか」カケラは自分もいつの間にか角がとれ丸くなって擦り減り細石と変わらない姿になっていることに気づいた。
それからカケラは細石と波に戯れて貝と遊び時折訪れるコアジサシに突っつかれ「俺は食えねよ!」とコアジサシに潮を吹きかけ、細石に言った「ここは、楽園かい」細石とカケラの笑い声のような潮騒が春浅い海にコロコロと流れていた。
辿り着くまでのひそかな想い。
潮騒によせて
令和7年2月20日
心幸
今日の後書き
先生と呼ばれる程の馬鹿じゃなしwww
今時サマンサタバサのバックを欲しがるなんてその生徒かな? まあ、厨ニなんでしょう。
センセーも子供相手だと精神年齢も厨ニで止まるのでしょう。そんなセンセーよくおられます、よく見ます。
センセーも大変ですねぇwww
そんな子は、きっと住所調べて落書きしたりビラ貼ったり人目盗んでするのでしょう。正義の味方気取りで、親の顔が見たいわ。
きっと親も親で、「最近あの人嫌だけど、まだ良いとこあるから様子見〜ぃ」とかママ友だかオバ友だか知らない寄り合いで語り合う裁き合う石投げ吊るし上げの暇つぶし聞かせてんだろう子にwww
注 吊るし上げ…大勢で一人の人を厳しく
非難すること。サシでの注
意は吊るし上げではない。
自分のことは棚に上げ、人にされたら大騒ぎでwww 胸に手を置いて、よ〜く考えてごらんw ブーメランなんだろうよ、君の好きな嫌いなwww
昨夜遅くのことだった。ここへ来て始めて光る言霊を見つけた。この宇宙のような砂漠で随分と長いこと探していたような、ピュアさのあるキラキラした言霊。私は始めてお気に入りってやつに登録した。同じ野菜でもこうも違うものかとしみじみ思ったのは置いておくがwww 花なら自分を薔薇だと言う奴と、かすみ草だと名乗る人との違いくらいかなぁ、、まあでも、ちゃんとかすみ草はかすみ草で価値ある花だと知っているようなそんな言霊だった。
かすみ草の私なんかと言いながら、ソンナコトナイヨって言われるのを待っているようなものではなく、ちゃんとかすみ草として輝いていた。
今日のもなかなかだった。
あのギャグで笑う人っているのか?と首を捻ったり、厨ニ房かと、ひそかに想うものや色々だけど、砂漠の宇宙で輝くものを探すことは、やっぱりイイものだ。
寝る前に読むのならああいうのがイイねぇ〜。
2月21日 朝 晴れ
世の中明日から三連休。
その前日の日待ちの静かな午前。
四十路倦怠期の話、昔みのもんたが、相談のってたような話を読んだ、そこは奥さん役不足じゃなく力不足じゃない?と突っ込み入れるより、今の時代の人なのかと、、ひょっとしてタイムスリーパー? 何時代の方なんだろとそっちに突っ込み入れるwww
暇つぶしには、ああいうのもイイwww
大変そうだなぁ、、旦那さんwww
あなたは誰
「あなたは誰?ここはどこ?」ってのは記憶喪失で今の時代は一過性健忘とか解離性健忘とか言うのかな?詳しくないけど、ここにはメンタル・ヘルス科のセンセーだか患者だか沢山いらっしゃるようだけど、
そもそも「ここは何処?」「何するところ?」
「書く練習するところですwww」
ならば、好き嫌いなんて単細胞な「な形容詞」
も「優しい」なんて形容詞も使うと態々書く練習してる人の練習帳じゃなくなります。それとも何?自分をカウンセラーだとでも思っているの?それならお門違い書く練習の場ではなくて自分のブログででもやりなさい。そもそも好きや嫌いなんて優しさなんて人によって取り方も在り方も様々に違いがある形容詞を、乱暴に「好き」「嫌い」「優しい」で表現する表現力の無さをここでは考えながら文章を書く表現する練習をしたいと思います。
「好き」「嫌い」この汚れた手で心を図々しく鷲掴みにする、画一的な「な形容詞」あなたの好きは嫌いはどんな気持ちなのか、どんな心情から生まれているのかを、この単細胞な形容詞を使わないで表現するのが文章書く表現する練習の場所でしょうにwww そもそも、単に「私は好きだ嫌いだの」だったら読み手も「それがどうした」しか無いわよ残念ながら、「お前さんが好きだ嫌いだの、こちとらの生活には関係ねえや」になりますwww それを読み手が立ち止まって感情を考えるような文章、それが表現力のある文章ですねー。「好きだ嫌いだの」を書かずにその気持ちを伝えてある文章、読んだ人が勝手に思い描く、それが意図するところにいかに近くなるか、近くすることが出来るかが書く練習ってこと。
「ああ、これは恋だね」とか「こいつは、こいつの敵だね」とか思い描かせる文章、それが表現力で、ここはそれを練習する場所。
優しい日記は、どんな日記なのか?お前さんにとっての優しさは受け手の優しさとは違うから優しいって言葉も簡単には使わない方が味わい深い文章と言えるのだ。
優しいの反対は厳しいか冷たいと表現される。けれど厳しい優しさも冷たい優しさも文章の表現次第で表現出来る。優しいの反対は怖いとも表現出来るが怖いけど優しいってのも表現出来る。それが文章を書く表現することの面白さであり、人の心の機微だ。これを考えながら書くのが書く練習だよwww そうすると、黒髪が一夜にして白髪に変わる人の心の機微、心情も理解し寄り添うことが出来るんだよwww
「ここは何処? あなたは誰?」
「ここは書く練習をするところ、君は書く練習をする人…それ以下でも、それ以上でもない」
「あなたは誰〜カケラの話し〜」
僕はカケラを探してる、足りないカケラを探してる。
ある日、カケラは一人で座っていた。誰かがやって来て、何処かへ連れて行ってくれないかと思いながら。
カケラは自分のカタチに合いそうな奴が通る度に自分をアピール。
・・・けれど、どれもこれもシックリ来ないシックリとは何なのか?気持ち悪い違和感がなくフィットすること。理想なら知っている、正しさ正論なら百も承知だ、カケラはずっとここで待って居るのだから何でも知っている。そうカケラは嘯いた。カケラの理想は大きくてカケタところの無い奴だ。
ある日、そんな奴が転がるように走ってきた。
アイツなら僕を何処かへ連れて行ってくれるかも知れないとカケラは声をかけた。
「君となら行けそうだ!」とカケラが言うとソイツは答えた「君のハマるところなんて無いんだよ、僕とは無理だ!他あたれよ」「それに、君一人で転がれないかい?そこにだけに居て待っていたって、出会う奴は少ないさ、外を歩く奴よりずっと不利だ」とソイツは言った。
カケラは、「僕はカケラだから一人じゃ転がれないんだ」そう言い終えたカケラを見つめソイツは言った。「やってみたことは?」あまりに強く見つめられたカケラ、生まれて始めて感じる強い語気と視線にカケラは自然と腰が引けて小声で「角が尖って、転がるように出来ていない」と見ても分からない風なソイツの言葉に傷ついた素振りを見せソイツを睨みながら声を詰まらせて言った。ソイツはカケラの傷ついた気持ちを全く意に介さない風に続けた「角はそのうち、とれて丸くなる、わたしもそうだった」そう笑いソイツは去って行く。
カケラは取り残され暫く、また、誰かを待って座っていたけれども、ソイツを意地悪く思って憎々しく考えて唇を噛んでいたけれど、そのうち体を持ち上げてパタンパタンと進み始めました。
すると、どうでしょう。
あれあれ、加速が出て来たパタンパタン、ゆっくりと進むカケラの体に紋白蝶は旋回して止まった。イモムシと競争だ、カケラより小さなカケラも進みを諦めていない事に気づいた。路傍の石のカケラより小さな小石は降る雨を利用して歩みを進め、細石になって転がるのだそうだ
カケラは共に雨に濡れながら進んだ、やがてアイツの言った通りに、カケラの角は削れてとれて丸くなって、転がりやすくなっていた・・・
いつかへ続く…。
「僕を探しに〜ビッグオーとの出会い〜」
作者 シェル・シルヴァスタイン
オマージュ
令和7年2月19日
心幸
後書き
自分の好きだ嫌いだのが受け手にとって重大だと思ってるイナゴさん、あなたに嫌われる事は好かれる事は、そんなに、この世の人々が誰かが生きることに影響を及ぼしますか?あなたはヒットラーですか?アウトレイジですか?北の国の偉い人々ですか?それならあなたに嫌われるとマズイのかな?www 一度聞いてみたいと思っていたんだwww。それでも、今この時代に生きる日本人の市井の民間人なら、自分の胸に誓って道理なら、誰にどう嫌われようが関係ないって思うんだけど。 人生において嫌われたら生きていけない人って、そんなに沢山いないと私は何時も思う。それ以外ならその人例えばそれは連れ合いだったり、友人だったり親だったり子だったり、自分自身だったりするけど、それ以外になら嫌われたって全然平気だ。その限られた嫌われたくない人に嫌われたくないから、色々頑張り、決まりも約束も守るのよwww 誰でもそうだ、そこの訳知り顔の聖人君子のイナゴも。
それよりも、有るが儘でいることの方が大事だと思っている。誰も悪者にしなくてイイようにwww
ここに由々しき問題が生じる、親は子が愛しいのだ、そのはずであるが、子の思うがままに言うがままに嫌われることを恐れて、優しく寄り添うのが愛ある親であるのか?ということだ。そんな礼節を弁えないような、良くも悪くも生まれたての無垢な幼気な子を、子の言うが儘に子の我儘にしていたら、結局、外で誰かに叩かれ簡単に潰れされてしまう子を育てて、他者を悪者にしか出来ない世の中を恨むサイコパスを製造してしまうのだ、それが無限ループで親から子、その子が親になり、またその子へと続くうち、石打ちが何より好きなイナゴ他罰的な悪童は育つ。
だから、そこはもう親の徳と業だと親は我を信じて、巣立つまでは、子に対する責任と一宿一飯の恩をきせ、お節介やきまくらなきゃなのだwww 嫌われたくないが嫌われ上等で立ち向かう。愛する我が子が被害者から加害者になってしまわぬようにだ。
壁に向かって受けた傷を呟き続けて身を滅ぼす阿呆にならぬようにとするだけだ。
やがて月日流れて、気づけば、もう親の助けは要らぬところに子は行っている、子が嫌らおうが好こうが、容赦なく変わらないものそれが親の愛ってやつだったなと、今更後で我が身も気づくものなのだwww
ヒヨコの雄雌は鑑別師がつける、日本人なら知っている、職人魂だ🐥🐥🐥
職人技と素人仕事は違う。職人技を身に着けられるように鍛錬すること。 まあ、そのままで良いならそれも良し、なら素人は素人らしくだなwww 謙虚さ大事。
それにしても、イナゴ大丈夫か?日本語www 頑張ってwww
分からない?
お可哀想に、お大事に。
また、明日🐠