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3/15/2025, 11:06:14 AM

心のざわめき

心のざわめきに遠い海。
その人は、やはり海にいた。

何時かの海で、その人は、日傘を差して、ひとり海を見ていた。

遠い人を、来ない人を待ち続けるような愁いを含む黒い瞳を長い睫毛の下に湛えた、凛とした佇まいと、白く透明な肌は、少年たちの憧れだった。

また、何時かの浜辺で、その人に出会ったとき、やはり海が見たいと言った。すぐに来る哀しい予感を悟った。愛することは海の底、とても深くて危険で、けれども美しい宇宙。

春のはじまり潮干狩り、煌めく喧騒の夏は直ぐに過ぎ去り夏の終わり。勝手に時間は無限にあると思っていた…若き日の過ち。

寄せては返す漣に、あの日の遠い海を想い心ざわめき、一人歩く「海に連れて行けなくてごめん」そう詫びながら海に君のサラサラとした白い遺骨を流す。

何度も、ここではじまり終わる。

「また、戻って来てね」と言うように波は静かに寄せては返す。遠い海は穏やかで深い深い海の遠い遠い海の哀しい歴史を語らないのか歌わないのか。

きっと、また来る、その人を見つけに。
遠い海を見つめながら、何度も繰り返す私たちの生と死を想い、心ざわめく。

目を閉じると、どこか遠い遠い記憶の片隅に海を見る。成就することのない恋がそこには、桜貝とともに忘れ去られたように波打ち際に転がっている。「人間というものは、みんな遠くに見える海のようなものをもっています」と文豪は言ったが、心ざわめくその想いと、そしてやがて来る哀しい予感を抱きしめて、人間は命の歴史を、この海に鎮めて来た。けれど、それもたまゆら人と生まれし霊は、何度も繰り返しこの潮に身を任せ彷徨い見つけまた、その契りを結んだ手を離し海に鎮める、哀しい愛しき業を背負う。

人の心の海鳴り、遠き海より哀しい予感を背負いながら、我を呼びし、逆らうことは出来ず、ただ、遠い海に凛とした、その人の姿を想い、今も心ざわめく。

「遠い海」 
   
    作者 井上靖 リスペクトオマージュ


「潮(うしお)のざわめき」   
             
               作 心幸

令和7年3月15日 
 

本日の後書き

人に差した人差し指は自分に向ける勇気を。自己評価ほど甘いものはありません笑笑 他人様を見て「心がざわざわ」するのと、「心のざわめき」は随分違うが笑笑 心がざわざわする他人様の欠点は、自分の欠点だったりするものです。自由に語れる場所で「訳知り顔で、しゃしゃり出てくるな」は全くもって直情的ですねぇ(笑)ウケましたねぇ、なかなかの兵揃いのセンセー方の集まりで、「同類相求」とはよく言ったものですね笑笑

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」全く笑笑

東大卒も中卒も無職ニート引きこもりでは同類、社会のお荷物でしかない。きちんと納税者になってから、知った口利くは道理というものです。

意見は納税額の高いものからは、資本主義の掟だから、掟破りは社会主義国へでも。




3/14/2025, 11:08:44 AM

君を探して  


「君を探して…運命の二人へ
       ホワイトデーに寄せて」

いつも僕を見ている君は、なにかあるとすぐに現れた、呼んでもないのに、呼びたい時に現れるんだ。君は丸くて大きな空一面を茜色に染める夕焼けの太陽だった。僕は、その茜色につつまれて一人また一人お母さんが迎えに来る友達を見送って、最後に君と二人きりになる。何時だって君は茜色の大きな笑顔で僕をつつんでいた。いじめられた時もお父さんが事故で突然お母さんのところに行って、漁師のおじいちゃんと二人きりになった時も、茜色の笑顔の君は僕を包んでくれて、「世の中には早く大人にならなきゃいけない子供がいるんだ」と教えてくれて、その一人が僕だとも分かるように示してくれて、それまでの間の帰り道二人で帰ろうと言ってくれた。君はいつも笑っていて、バカみたいな遊びや、くだらなく皮肉いっぱいの辛辣な歌や物語を聞かせてくれた。君は僕が嬉しいとキラキラ輝いて長い長い影を描いた、僕は君がこしらえた影と駆けっこをして帰った。君の笑い声が何時までも聞こえていた。僕が涙の時は君は小さくなり、影も声も潜めた、けれど僕にだけは君は見えていた。そして、友達が一人づつお母さんに手を引かれて帰る後ろ姿を見送る気分の時には、素知らぬ振りで、真っ赤に燃えて僕の帰り道にデッカイ笑顔をこしらえて、僕の影を創った。僕はそんな君につつまれて一人走って帰った。

春は穏やかに花に揺れて、夏は涼しい風を運び秋には紅葉と紅色比べをし、そして冬には焚き火の煙を映えるように映して僕をつつんでいた。

その時は、僕の気づかない時に訪れた。
その夕日が君と僕の最後の帰り道だったなんて僕は知らなかった。僕が17歳の夏はじめての朝を彼女と迎えた日の夕暮れ君の声も笑顔もフッと消えた。

それから、随分僕は夕暮れ時空を見上げ君を探していたような気がする…。ような、気がするのであった。何故ならその記憶さえ曖昧になり何時しか、君が最後まで公園にいた僕を照らして一緒に歌いながら話しながら帰ったことさえ夢物語であったような気がして、何時しかそれさえ思い出せなくなり、都会のアスファルトばかり見て歩いていた。

何度か恋をし恋を失くし、ある日君を忘れていたことを気づかせてくれた人に出会った。やっぱりその人はデッカイ笑顔の人だった。僕はあれは夢物語なんかじゃなかったと気がついた。

ずっと、探していた君を僕は見つけた。

父のように祖父のように親友のように
母のように祖母のように親友のように

君を探していたんだ、やっぱり君だったんだね。

僕をつつんでいた、デッカイ笑顔の夕日。


君を探して。


いけちゃんとぼく  作者 西原理恵子

ときめきトゥナイト「夕焼けのお姉ちゃん」

        作者 池野恋 

リスペクトオマージュ 作  心幸 


令和7年3月14日
            

〜雑感〜

何時も、こういうのを読んでいると、「死にたい、生きていたくない、生きる価値もない…」と呟く方々を拝見します。お可哀想にと思う反面、罰当たりなと思ったり正直します。本当は誰よりも生きていたいから、私はここにいますと叫ぶ変わりに「死にたい」と呟くのでしょうか?全く自己中で身勝手な思考ですよね、繊細でもなんでもなく図々しささえ感じる。本当に人様に迷惑かけたくなく、生きていることに絶望したなら、きっとそんな人は黙って逝ってしまいそうなそんな気がしてなりません。「死にたい」と言ってるうちは「死ねない」気がします。もしも死にたがりやさんがいて、騒いで楽になったり、どうこうなるものなら騒げば良いけど。もしも命を粗末に出来る自由があるなら、生きたいもっと生きたかったと願いながら逝く人達に、命を与えて頂けたらなと思わざるを得ない。

僕が生きる今日は、もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから…そんなこと歌ってらっしゃる方もいます。

それにしても、あの「御上」の見世物小屋は愚かしい。学歴しか自慢することがない者とそれを批判する者と、ある者もない者も有るのは学歴コンプレックスという同じ者同士の落ちる穴
。全く、両極端は結局同じでwww ひょっとしてドッペルゲンガーじゃなくて同一人物だったりしてwww 何事も過ぎたるは及ばざるが如し。ドラマはドラマと割り切って観れないし何でも深刻に無理矢理政治絡めて見当違いのスットコドッコイな野次野郎は何処でも困ったものだwww 


コンプライアンス無視の、ド素人の雑感でした草もえる。

3/13/2025, 11:38:06 AM

透明

「好きな女の子のタイプは」
「透明感のあるコ」

そんな彼の言葉が、彼女に届いたのは彼女が真新しいセーラー服に袖を通した日だった。

四月から女子中学に通う彼女は、小学生の頃からの幼なじみである彼に片思い、父の陰謀で四月から、その時代その田舎では珍しいミッション系の中高短大一貫校の所謂、その地方ではお嬢様学校と呼ばれる名門校に入学した。友達と別れることも寂しかったが、何より彼と会えなくなるのが寂しかった若干満12歳の彼女の春を知ってか知らずか、名門女子中学のセーラー服姿の娘に父は燥いでいた。彼女がその中学を受験したのには訳が有った。その2年前の2月彼女の母は長年の病の末に身罷った。その母の母校、母との約束「お母さんと同じ中学に行って同じセイラー服を着てお父さんを喜ばせる」彼女は母との約束を果たしたが、初恋の彼は遠くなり、想いはつのるばかりなり。

ふと、そんな彼の噂を聞いて、春の日差しに気も漫ろで、「女性の透明感について考える」12歳の少女だった。

今思えば、その姿こそ、なんとも初々しくも透明感のある姿のように思えるが、当の12歳の少女には、「女性の透明感」なんのことやら考えあぐね「そうか!透明感は肌の白さだ!」に行き着く、「なんで?」と思いもしますが彼女は今、若干満12歳の田舎の少女ですから、目に写ったままに感想を述べる今時の情緒性のない子供と変わらないのかと思えばさにあらず、彼女は彼女で、「透明感」を「雪の白さ」のように捉えていたのでした。まだ、春浅い日に菜の花畑に降る、なごり雪、はらはらと舞い落ちては早春に咲く菜の花の黄色い花に吸われてしまうように、一瞬ひかっては消える。その白く儚げな様を「透明感」だと彼女は感じたようで、「なごり雪のように儚く白い…肌は透明感の証」となるわけでございました。

彼女の使命感にも似た「執念の美白」はその時から始まったのでありました。

夏は日焼けどめクリームは必須アイテム。帽子に日傘に夏でも長袖、夏服のセイラー服には、その当時は校則違反のカーディガンを肩にかけて、日傘をさして登校する。クラブ活動は屋内のものに限るエトセトラ…自分なりの拘りのルールを作り日夜美白に励んだ結果かどうかは分からないが、彼とのグループ交際は始まったがやっぱり、この春の日差しの中で、その初恋は終わりを告げる。最後の言葉は忘れもしない「同じクラスのコ、好きになった…」だった。

「同じクラス…」その言葉が、今度は彼女にとって、一番の「キラキラ、透明感」フレーズになったことは言うまでもない。

そうして、彼女たちは、高校1年生の春を迎える。女子中学もちあがりの女子高なのかぁ…彼女は悲嘆に打ちひしがれるが、なんと県下有数の名門女学院は、バブル景気と少子化の行く末を鑑み歴史ある女学院改め男子の入学を決め、彼女たちが高校に上がる年から男女共学となりもちあがりの女生徒と一般入試の男女が席を同じゅうする夢の「同じクラス…」フレーズの仲間入りをしたのでありました。

はてさて、彼女の「同じクラス…」物語はどうなりますことやら。 それは、また別の機会に。


この歳になりますと、学生時代そのものが透明で、キラキラとクリスタルのように光り輝くものに見えます。


まだあげ初めし 前髪の林檎のものと
見えしとき

前にさしたる 花櫛の花ある君と思ひけり


現代訳

まだ、前髪をあげたばかりのあなたが、林檎の木の下に現れた時、前髪に花模様の櫛をさしたあなたが、花のように美しいと感じた。


嗚呼、初恋は透明。


令和7年3月13日 

              心幸  


後書き

透明なのに中身が見えないのは、きっとあなたの目のせいね😂 老眼鏡は、お持ちになった?

透明は透明、混じり気のないものを指す。

今日も、混じり気のない気持で生きましょう☀️

嗚呼、どうしてそんなにマイス思考で否定的なくせに人をどうこうアドバイスをしたがるのだろう?気の毒だわ。別にイイじゃない、少しくらい迷惑かけたって、みんなお互い様で世の中回っているし、大切な人だから一番側にいる人だから甘えて良いのよ(笑)甘えたら甘えさせてあげればいし、そんなの順繰りよ🤣 人を傷つける傷つけないのと騒ぐより、傷つけられたら、きっと蹴り上げた空き缶が今日は当たったのね、きっと何処かで誰かを知らずにでも傷つけた分今日傷付いてお相子と思えばイイじゃない。他責思考で自分だけが傷付けられているなんて考えると怨み節になっちゃうのよ。全く人を傷つけずに生きていますなんて自負する人ほど人を傷つけているものよ。完璧を求めるから生きづらいんじゃない😂

その昔、司馬遼太郎という作家が、こんなようなことを書いていた。「何でもないようなふりをして何時も笑っている人間の方が、心の内の傷も想いも情も深い」私はそれを信じている。

好きとか嫌いとか言っている時点で厨二病ー🤣🤣 本当は尖っていて透き通っていてだから自分が怖くて嫌い。好きとか嫌いじゃなくて尊いのよ、混じり気の無いものって。それは清濁併せ呑んでもう帰れないグレーに染まると判るわ。でも、その清濁併せ呑んで長いものにはくるくる巻かれる大人も尊いのよ多分きっと(笑)好きとか嫌いで語らないのが清濁併せ呑むってことでしょ(笑)そして直ぐに自分の好き嫌いや正義を持ち出して、「不透明だ!白黒つけろ!」って叫ぶのがキラキラひかる透明な純粋さだわな(笑)










3/13/2025, 8:53:34 AM

終わり、また初まる、

昨夜はのっぴきならない家族の都合で、この夢遊たちの扉を開けなかった。
新しく親戚になる方々と初まりのご挨拶。身に余るような、ご縁を持って来た我が娘にヒヤヒヤの両親を尻目に、誰に似たのか誰が育てたのか、天真爛漫さと物怖じしない勇ましさで、度々我が家の台風の目で有った末っ子には、最後まで、驚かされ放しである。

終わり、また初まる、季節は巡った。

桜が葉桜に変わるころ、私たちの手もとに来たあなたは、またその季節が巡る頃、嫁に行く。
大切な我が娘、苗字は別になるけど、あなたの最初に与えられた苗字は一旦そのページを捲り第一章は、終わり、また初まる新しい苗字の章ですから、あなたらしくあなたの家族を作って欲しいと思います。もう、私の腹から出た私の子と云う時代は終わり、気づけばあなたの時代、末っ子だからと何時までも自転車のサドルを転ばないように掴まえていた父も、加速するあなたの自転車のサドルに置いていた手を離し、追いかけるのも終わりになるのでしょう。

「よし、前だけ見てペダルを踏め」あの日と同じように父はあなたの背中に言うのでしょう。

けれど、あの日と違うのはもう私たちのところが、あなたの帰るお家じゃなくなるってこと。

けれど、あの日と同じように、いや、もっともっと、ずっとずっと見つめているからね。

「よし、前だけ見てペダルを踏め」

終わり、また初まる

あなたの時代へ。


3月9日       
 
            作詞 藤巻亮太

流れる季節の真ん中で
ふとし日の長さを感じます
忙しく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く

3月の風に想いをのせて
桜の蕾は春へと続きます
溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます

大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で
新たな世界の入り口に立つ
あなたは一人じゃないってこと

瞳を閉じればあなたが
瞼のうらにいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい

砂埃はこぶ旋風
洗濯物に絡まりますが
真昼の空の弱い月は
それは、それで綺麗です

上手くいかぬこともあるけれど
天を仰げはそれさえ小さくて
青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに流れる

花咲くを待つ喜びを
分かち合う喜びを知る時が来た幸せ
この先も前を見てそっと微笑んで
いつもいつまでもここで見ています


小さい頃から見ていた
あなたの背中が春霞の中に
小さくなって見えなくなりそうな
そんな季節が巡って来ても

瞳を閉じればあなたが
瞼のうらにいることで
どれほど強くなれたでしょ
あなたにとって私もそうでありたい


後半 替え歌は、心幸。


記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているかもと思うような、想いにかられる1990年代から2000年代はじめにかけて、それでも早朝まだ暗がりに起き出して目を擦り子供たちの寝顔を見て、この曲を聞きながら、お弁当作りをしたことは、はっきりと思い出せる。この曲をこんな気持で聞く日が来ようとは、こんな緩やかに流れる春の小川のような暮らしの中で、この曲を聞く日が来よとは、想いもしなかった。あの日の私に「頑張れよ」って言ってやりたい。

3月9日は、ありがとうの日なのだそうだ。

ありがとう、あの日のわたし
ありがとう、わたを見つけてくれて
ありがとう、わたしのところに来てくれて。

遅くなったけれど、ありがとう、これからも宜しく。

終わり、また初まる、


令和7年3月12日の分  

                心幸    













3/11/2025, 12:09:15 PM



前説

星は何でも知っている笑笑 
昨日あの娘が泣いたのも…ってど古い歌はカワイイけれど、星は何でも知ってます。
「嗚呼…」とスマホで検索かけてみると「溜め息」って簡単に出ますが、この溜め息が出る感情をどう表現できるか?ってことを考える、それが国語力的思考力。馬鹿の一つ覚えみたいに「嗚呼」とあげるのは溜め息だから鬱々とネガティブ思考しか思いつかないと、理系の応用問題も解けない訳よ笑笑 溜め息には憂鬱もあれば、安心、緊張、緩和、美しいものを見た時の感動ちょっとあげただけでもこんなに有るってことを、お勉強しましょうねえ〜。


星 

When you wish upon a start🌠

和訳

星に願いをかける時
あなたが何者であろうと
こころの底からの願いは
きっと叶う

こころが夢で満たされていれば
どんな夢でも無茶ではない
星に願いをかける時
夢見る人がするように

運命の女神は慈悲深い
愛に溢れる人ならば
ずっとこころに秘めた願いを
かならず叶えてくれる

青天の霹靂のように
運命の女神が手を差し伸べる
星に願いをかけたなら
あなたの夢は叶う

あるところに、ジェッペットという木こりの独り暮らしの淋しい老人がおりました。子供がいないジェッペットは、ある日、大工に貰った霊が宿るという樫の木で人形を創作しました。すると霊が宿る樫の木で創作された人形はまるで人間のように喋り出します。人間のように喋り動き出す人形にジェッペットは「ピノキオ」と名付け、我が子のようにして暮らし始めました。

やがて、ピノキオは学校へも行くようになり、生活が苦しいジェッペットでしたが、ピノキオに教科書を買い与える為に寝る間を惜しんで働きます。しかし、ピノキオはサーカスを見るために、その教科書を売ってしまいます。教科書を売ってしまってから後悔するピノキオを見て憐れんだ、サーカスのオーナーがお金を返してくれました。再び学校へ向かうピノキオですが今度は狡賢いタネキとウサギに出会い、そのお金を騙し取られてしまいます。

ぐんぐん鼻が伸びてしまう魔法をタヌキとウサギに掛けられたピノキオは、仙女に助けられいくつもの冒険をするのですが、直ぐに恩を忘れてしまい得意になってその度鼻が伸びてしまう樫の木のピノキオは、玩具の国の子供部屋で怠けて寝て暮らしているうちに、ついにロバになってしまいます。ロバとして売られそうになりピノキオは海へと脱出し波に拐われ打たれます。そんな旅の最後に、海に放り出されたピノキオの噂を仙女から聞いたジェッペットは海へピノキオを探しに出ていました。やっと二人は鮫の胃袋の中で再会します。再会を喜ぶ二人は仙女の力を借りて、鮫の胃袋を脱出しました。

そうしてやっと、ピノキオはジェッペットの元に帰り着いたのでした。

ジェッペットは星を見上げ、感謝の歌を歌います。

「輝く星に願いをかけたなら、夢は叶う、運命の女神は慈悲深い」

人間のように動き喋る人形ピノキオは以来、海に出て波に拐われ鮫の胃袋に入りながらも自分を想って探し続けてくれた、ジェッペットの恩に報いるように、愛を忘れず精一杯にジェッペットを愛し暮らしジェッペットの為に働くことを楽しく思うようになりました。もう、以前のような子供部屋で寝ている怠け者でも、タヌキやウサギとツルンでいるピノキオでもありません、そんな子供時代を卒業した青年のようなピノキオ。その姿を見ていた仙女によってピノキオは自我のない人形から、しっかりとした自我のある人間の子供にしてもらいました。


3・11 に寄せて、御存知「ピノキオ」の物語を星空輝く海に漂う幾つもの聖霊御霊が愛する人と再び巡り会う物語に変えてみました。


星に願いを 
幾つもの夢をのせて。

                心幸  

令和7年3月11日


本日の後書き

真実は幾つもある。
同じ物事でも立場が違えば見えるものは違う

自分の真実真実と言う偽善者になるなかれ。




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