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2/18/2025, 1:03:07 PM

手紙の行方

一章 

紙飛行機みたいに飛ばした手紙の行方は知らない。差出人は昭和を生きてた誰か、宛先は今を生きる人たちへ…。

イナゴは稲穂とお友達かい?大量発生したイナゴを、どうするか?って聞かれたよ。

そりゃあ害虫だから駆除しなきゃいけないねぇ、それが人の世の掟だ。いくらね、イナゴが俺が正義だ、稲穂とイナゴが一緒に騒ぎたいと言っても、イナゴは駆除され稲穂は刈り取られる、額に汗して働く人の手によって。

流行りに流され飛びつくミーハーたち、ブランド志向は自我の無い弱さの現れ。肩書やエリート意識のブランド学歴志向は自意識過剰と裏腹の自信の無さの集団意識の画一化、戦前の価値観か?www

正義を大義名分にした石打ち私刑をして、一時の自慰にふけり次に飛ぶ、実は自信がなくてそのくせ殿様で謙虚さなく誰かの丹誠を喰い散らかす群れなきゃないられないイナゴたち。

被害者意識は人一倍強く、善人のフリだけは得意。イナゴは殿様バッタ気取りなので、上級国民意識だけが強いが実は孤独だからナイーブで悲観的で否定的。上げておいて下げる刹那な快感に飛びつく自我無き生き物それがイナゴ。

悪口なら人なら言いますよwww 聖人君子でもなければ誰でも言います。愚痴ります。

けれど心ある大人なら、そんなのは、お互い様だよと、指差し合って笑うところです。水に流せる日本人の美徳です。それが寄り添える人の優しさです。殺し合う前にそれが出来るのが寄り添える優しくあれる人でしょう。チンピラでもあるまいし 仮にも文明人名乗るならです。

流行りに人の意見に一斉に飛びついて自分の頭で考えず、正義感の大義名分で喜んで被害者ぶって叩いて逃げる腐れ外道。 そんな人に限って寄り添うやら、優しくありたいやら念仏みたいに唱えます。それもやっぱり流行り言葉だからでしょうか? 流行りとブランド「私もぉ…」が大好きで、多数派に身を置くとやたら下衆で下品で野暮ったく人に石を投げます。

昨年他界された名俳優の当たり役の名物父さんは、今の時代のイナゴたちが観たらとんだコンプライアンス違反のハラスメント毒親父となるのでしょう。けれど、そのお父さんは、今の時代のイナゴたちが束になってかかったって敵わない誰よりも人と人を隔てる壁の無い、ちょっと煩いくらいの愛情で寄り添う優しく強い父でしたね。


二章

手紙というものは、もう、紫式部さんの時代からそれ以前から有りました。紫式部さんの時代には連歌などをしたためて愛を確かめ。恋文という手紙は千年前から同じ目的で同じ様に存在し、戦地からの手紙になり、ペンフレンドになり、電話や携帯や様々な気持ちを伝えるツールが出来ても、便箋は有り、封筒はあり、切手は有りペンは有り続けます。

便箋に癖のある肉筆から、その行間から読める差出人が受け取り人に込めた想い、それが手紙。

ラインよりメールより電話より面倒で時間がかかるから有り難い、、「手紙、ありがとう」の書き出しから始まる返信が自然に寄り添う優しくあれる思い遣りや気遣いの心を育てる。

その手紙の行方は、あなたの心に。

今の時代電話もメールもありますが、電話でもメールでもなく手紙をください。

「手紙、有り難う、元気にしてる?…」

お母さん様 (笑) 


郵便局員ではありませんwww 


今夜も後書きwww
キモ、友達いないの?
あなたとなんか、ここだけの事にしてちょーだいwww 馬鹿じゃないのかwww




令和7年2月18日

心幸 





2/17/2025, 11:43:17 AM

輝き

前説 

馬鹿とは、知力、知識、知恵のない奴だと思っているが、とどの詰まりに「おまえの、かあちゃんーーそぉ」とか「なんじ、なんぷん、なんよーびーぃに、いったんだよぉー」みたいな事を恥ずかしげもなく大人になって、言ったり書き込んだりする、大人の皮を被った子供でwww 実はイナゴだから長文は書けず3行呟くくらいでwww でなきゃキモくて下衆で下品な表現の羅列きっと、そんな漫画くらいしかその世界には無いのだろう哀れな人www 

そして、叫ぶのだろう僕たちは被害者なんだ!ってね、PTSDとか云うどこかのセンセーたちがくれた、僕たち私たちをくるむ真綿を駆使して隠れ蓑にする。真綿に包まれて腫れ物にでも触るように育てられる世界を与えられたから、僕たちは私たちは大人にならないアダルトチルドレンで良いんだ!アダルトチルドレンを理解しない奴は悪魔なんだ!って青筋立てて叫ぶ正義感の暴力を振るうサイコパスの出来上がり被害者は加害者になる。そもそも最初から被害者ぶってるイナゴ。事故に巻き込まれなくても自分で事故を創作して、その作品に閉じこもり生き辛い時代の可哀想な被害者になる。別に強制的志願で片道燃料の戦闘機に乗せられるわけでもないのに…そんな時代でもないのに。事故で両脚失くなったとて、自分がその気になれば、いくらも楽しく思うまま有るが儘に生きる道は幾つもあるのに、全くポンコツな連中だ。脚が無いより視力が無いよりポンコツな感受性のポンコツさ。

手のつけられないネットイナゴみたいな悪童が飛び交ってると噂を聞いた、だから私は此処へ来た被害者を加害者にしないため。 
少しは外に出て命を削ってみろwww 権利の主張は義務を得て果たしてから、それが大人の順番。

己の好きとか嫌いとかに囚われるうちは子供だと気づくよ。

だってね、好きも嫌いも興味って上で同じです。共に対義語は無関心好きの対義語も嫌いの対義語も無関心なんだ実はwww だから好きも嫌いも相手への興味なんだなこれがwww それに拘っているうちは実に子供だと言える。だから、悪童は好きな子にも嫌いな子にも「おまえの、かあさん、ーーそぉ」と囃し立てる。
そぉーいうところだよ、そぉーいうところが何時まで思春期の厨ニ病だって言うのwww その悲観的で批判的な目線で世の中や周りの身近にいる人を見て、カオナシナナシの偶像を崇拝する。物語を悲観的に批判的に捉えれば世の中分かってるって思うって、重症でしょwww
あなたを食べさせるため雨梅雨嵐北風から守る家を創作する為に父母は輝きの中で燃えつきて粉になっても幸せなんですよwww
それが大人です。

大人になれば、外へ出たら他人様の中で働くようになったら好きだ嫌いだのと言っていたら仕事にならないんだよ。嫌い嫌いも好きのうちで嫌いなと思う奴との仕事の方が成果出たりもするもんなんだ。好きと嫌いは対義でも表裏でもなく、心理的に言えば相手への興味ってことで同じなんだなこれがwww だから、その感情の機微が分かんねぇ奴は人の心に寄り添えない、つまり孤独を晒しているwww お可哀想に、わたしはあなたが君が救われることを願うだけです。
大人とは、歳だけとった子供ではありませんwww

愛を受けて育った子は愛を返せる大人になり、自分を大切に出来ます。そして他人も大切に出来ます。
愛を受けず恨んで育った子は愛を返すことが出来ず、自分を粗末にします。そして、いつも他人のせいにします。

子育ては花を育てる様です。
時間は止まらないので歳だけは重ね、子は育ちますが、根っ子が歪むと茎も歪み花も実もつけません。水は与え過ぎても根腐れを起こし日をあて過ぎても葉は枯れます。何時までも可愛い息子ちゃん娘ちゃんを高い高いして外の風にもあてず、栄養過多な肥料ばかり与えていても、花も実もつけないままなんですよね花も子も。 人の子も命あるものは同じなのでしょう。

過ぎたるは及ばざるが如し、与え過ぎは与えないと同じになるのかも知れません。何事も塩梅を考える力と知恵と知識の深さが必要なのでしょうwww

イナゴは空の彼方の星からワープ可能巨大ヘリコプターで殺虫剤を撒くか、幼虫の段階で駆除することが大切でしょう…どちらも骨の折れる仕事ですwww


「輝き… 千光年のお伽噺 〜いつかの続き〜」

素顔にメロディー焼きつけて君は今
輝きながら大人のドアをあけて…

壊れかけのRADIOから遠い声が聞こえてくる
あの日、サーカスに売られた少年を心助は見つめていた。サーカスの一番下のペーペーで地べたに這いつくばり掃除して鞭でぶたれた。少年は飛び出して今度は船乗りに拾われた、船乗りに騙され船に乗せられまた下働きからはじめるが、また酷い仕打ちが耐えきれず出奔、当て所無く彷徨って、あの日別れた燃える星と黒ぐろと迫る嵐の雲の下嵐の中に走って行った友を思い出している様子だ、母の顔も思い出しているのだろうか、心助が彼の顔にズームすると、空を見上げる目に光る涙が瞼をひとつ閉じる度頬を伝っていた。

まだ、引き返せるのではないのか?心助は思った。心助は、見ていた、別れたもう一人の少年は母の元に帰り、立派な青年になり、妻を娶り今では人の親である、それほどの時間が二人の間に流れたが、自分の今だけを抱きしめて何時も気分の良くなる様な接し方を最初だけはしてくれる人を求め日向を探しているうちに、想いとは裏腹に自分で自分の自由を奪い可能性を潰していることに気づけない少年であるように見えて、心助は少年を心配しながら見ていた。

何にも出来ない、見ているだけだが。せめて君のために祈ろう。心助はそう呟きながら今日も巨大望遠鏡から少年を見つめていた。

少年は、またくだらな〜あいといった憮然とした表情で、船乗りの仕事に後足で砂をかけ出て行って、結局またどこか別のサーカスで下働きをしていて、相変わらず見当違いにコミュニケーションが下手で、いつも自分しか見えていなくて自分主役なものだから、先輩たちに酷く叱りつけられ、時には殴られたりもしている。一人のピエロがやって来て、水とご飯を運んで来てくれて傷の手当てもしてくれた。ピエロはサーカスの道化で人から笑れるのが仕事だがそのピエロの道化を笑うために、お客は金を払ってサーカスを観に来るので、ピエロはサーカスの舞台裏では誰にも笑われない、皆に大事にされていた。少年はどうしたらピエロになれるだろうか?と考え、その次の日からピエロに弟子入りした。やがて、少年はやっと居場所を見つけたようで、張り切って酷い扱いや叱責にも「ご指導、有り難うございます」と言う様に頭を下げた。何故そんな態度が出たか?それは、母が地主に何時も取っていた態度だったからだ。彼の根っ子は確りしていた。「三つ子の魂百までか…」心助は笑った。

やがて家出少年は、そのサーカスで人気者の道化ピエロになっていた。


そんな、あるまた嵐の夜に、少年たちのサーカスが、あの村にやって来たのだ、今回はもう村の中だ。もう一人の少年が村長になり村にサーカスを呼んだのだった。

嵐は、黒い空を従えて、激しく窓を叩いていた。そんな村に到着し集会所に通された。酷い嵐で、招かれた方の少年はそこが何処だか分からない様子であったが、サーカス団の団長の前に村長が現れた時、ピエロの少年は思わず声を上げて立ち上がり吹き荒ぶ嵐の中へ走り出た、走り出す少年の後を村長になった少年が追いかけやっとの思いで、ピエロになっていた少年の腕を掴み手を取った。激しい稲妻が降る星も月も無い夜、彼等は抱き締め合った。

ようやく、輝く朝が来た。

村には朝から笛や太鼓の音が聞こえ、赤や黄のアドバルーンが上がっていた。青い青い空には、天高くまだ燃え滾る前の燃える星が出ていて鳶はその星目がけて飛んでは途中で真下へ旋回する芸を見せていた。

帰って来た息子の楽屋へ母は震える足と手で入って行くと、鏡の前で黙々と化粧する息子が母には見えたようだ。母に気づいた息子は走り寄り手をついて詫びた。母はそんな息子の背中を叩いてしゃがみ込んで泣いていた。

分岐点は最終地点で、また交わる人生の面白さ輝きは、そこから分かる。

心助は、巨大望遠鏡から目を上げて、輝くものを見た時のように、少し眩しそうに目頭を押さえた。

               完

 
令和7年2月17日     

              心幸



後書き

彼女たちは文書降りて来ないから、わけの分からん呪文のような言葉で埋めるのか?行数稼ぐのか?それ物語なの?www「どもからともなくどもからともなく…ビビデバビデブーwww」下衆大魔王の下品な救出劇もwww 今夜は語彙力は大事と学びました。脚の生えたマシュマロ想像してみ美脚。脚長ならキモいwww 太短い方が可愛く思うけどwww🤣

有り難うございますwww 


おやすいみ〜🐠





2/16/2025, 1:23:17 PM

時間よ止まれ

汗をかいたグラスの 冷えたジンより
光る肌の香りが 酔わせる
幻でかまわない 時間よ止まれ
生命のめまいの なかで

都会の匂いを忘れかけた
ただの 男と女
想い出の恋になると 西風が笑うけど
幻でかまわない 時間よ止まれ…

「時間よ止まれ」 替え歌

やっぱ、「時間よ止まれ」って言ったら、これしか思い浮かばない。良い詞だよね、好きとか嫌いとかズブズブの直接的な言葉はひとつも出て来ないけど、煌めく夏の熱い想いがさらりと描かれている。


「モンロー・ウォーク」 作詞 来生えつこ

爪先立てて海へ モンロー・ウォークして行く
いかした娘は誰 ジャマイカあたりのステップで

目で追う男たちを 無視して腰をひねり
ブロンズ色の肌 光受けなまめく

昼下がりの ざわめく浜辺
噂のうず 巻き込む潮風

胸元の汗キラリ 目のやり場にも困る
口説き落としたいのに 隙もないね君は…♪

やっぱ、プロは違うよね、これぞプロの神表現の嵐は、この一節だけで、彼女がどれほど魅力的で主人公の心を惑わせるのか、読み手(聞き手)に其々の女神、モンロー・ウォークの彼女の姿を有り有りとイメージさせる。最早文芸小説の出だしのようだ。これなんですよ、これ、素人が逆立ちしたって乗せられないフレーズをサラサラと書く、それが作家の作品の創作ってやつ。憧れるよねぇwww 憧れるのは勝手だけど厨ニの日記じゃあ、いや、逆に厨ニの日記を四十、五十で書けたらある意味天才?かも知れんがwww けれど、やっぱり俗っぽい形容詞の羅列じゃあ、詩でも物語でもないし、書きっぷりは書きっぷりで創作意欲の創作者が日記でも嗚呼、やっぱりここなんだわなと分かるよねぇ素人は素人なんよな、自称はそれこそ自画自賛伯爵だろうが芥川賞作家だろうが、日本が誇る最後の語部だろうが、優しくありたい繊細さんだろうが、天才・秀才・バカだろーが勝手にしやがれだけど、謙虚さは大事だよなとしみじみ思うのであったぁ〜。 

厨ニ病は、拗らせるとやっかいだ。
世界が灰色に何時も見えて、好き嫌いが善悪の基本で、自分が嫌えば世界中がそれを嫌いだと思っている。そうでなければ駄々をこねる、自分の好きなものに対しても同じ執着を示すだからストーカー気質。自分の好き嫌いが通らないとなると、他者が悪者に見えて、自分がか弱き被害者になる。灰色の悪魔に追いかけられた可哀想な自分を助けてってなる、君のことだよ。日記だか短編だか創作意欲がないのに態々書きに来る君、文学賞にでも応募したまえ、そして、落選したら選考者が悪者なんだろ?君たちみたいな人って、おお、恐ろし。やっぱ、思った通りの馬鹿だwww「とどまれ」は「止まれ」のカナ表記 どちらも「とどまれ」とも読めます。カナにすると曖昧になり、古文ぽくなるから賢そう?www らしいですねwww バカと天才は紙一重www



わたしは、今夜も神々の作品を愛でるように模倣するだけ。自分が生きて来た現実も結構気に入っているから、それもいい。夫と子供たちと孫と、細やかなわたしの仲間家族とつくりあげたこれこそが、わたしの創作の作品なので、十五の夜のじゃなかった方の夢は夢で玉手箱の中で眠らせておいて、いや、5番街に預けておいて、たまに酒の肴にあれば良い。それはそれで、とても幸せだ。記憶が曖昧だと思う程忙しく走りまわっていた1990年代終から2000年代始め。今ようやく、古い日記の中にある先のことなど考えず、刹那に今だけにと粋がって今を生きるとか格好つけて、支え続けてくれた人の心を気遣わず寄り添わず、若さを無駄にして都会の隅で雨の日は雨に濡れ、熱い夏には日陰探して自由に生きていた、自分のことにただ忙しく生きていた青春の日々も、それはそれで馬鹿で可愛くも輝いた私たちの日々だからと、その日があるから、変わらない十五の夜の夢を笑って語れるのだろうと思う。そして、支え続けてくれた人達に心から感謝出来るようになって、道は開けたのだと思う。今ようやくゆっくりと周りの景色を楽しみながら歩ける時が来たのだ。


「時間よ止まれ〜千光年のお伽噺」

心助は、何時ものように巨大望遠鏡を覗く。
どうやら、千光年先の青い星を、今しがた心助が丁度反転させた場所は真夏のようであった。東の空が白む頃ズームを合わせた先には二人の少年がいた。朝帰りか、二人の家は向かい合わせのようで、まだ静かなうちに互いの家に戻ろうとしていたら、奥から戸を開ける音が静かな朝のまだ温まりはじめたばかりの少しひんやりとした空気を切るように響いたガラガラガラと同時に二人の母親らしき女が、同じ格好で出て来た。やおら互いの息子に気づくとカミナリがはじまって、二人は母親と取っ組み合いの喧嘩になり、母親達は互いの息子の頬にビンタした。それもそのはず、どうやらぷらぷらとして今朝も朝帰りこれから部屋に帰って また、日が西に傾く頃まで一休み一休みだとさっき二人で相談している様子で、今夜もまた、丑の刻参りの予定を二人で組んでいたのだった。心助は不思議な儀式でも見るようにその丑の刻参りを見物していた。月を読んで何時やら見た妖怪使いにでもなるのか?それなら働いてほしかろうに、二人の母親は、先ほど引っ叩いた息子たちを放り出して、朝から野良仕事に出掛けて行った。

二人は、大層な怒りようで、暫く二人で母親の悪口でも言っていたのだろうか、話込んで、やがておのおの家に入ったかと思うと、荷造りをして旅姿で出て来た。脇にはちゃっかり母親の拵えた握り飯を抱えて、頬張りながらまだ鶏が鳴き始める前に家を出て行く様子であった。
これが、世に言う家出と云うやつか!心助は興味津々見つめていた。

どれくらい歩いたのだろう、えらく大きな燃える星は歩く二人の真上に差し掛かるところだ、二人が行く路は白く埃を巻き上げ、地下からも熱が噴き上げる様で、息を吐く口は、水を貰えぬ犬さながらにハァハァと言っていることが千光年先の心助にも分かった。すると、一転にわかに掻き曇り、黒い空を連れてきてその黒を割くかのごとく稲妻が走った。さっきまで空一面我が物顔で燃え滾っていた朱色の大きい奴は、その燃え滾っている奴が吐いた息の塊が爆弾抱えて突っ込み返したみたいな奴に追いやられている、やがて黒が支配する頃、勢いよく天が破れたように水が落ち嵐がやって来た。二人は遠くに追いやられた燃える星が差す光目がけ走った。そこには、そう大きくはないサーカスのテントらしきものが見えて、青い空に赤や黄色のアドバルーンをあげていた。二人は光目指して走った。やっとの思いで嵐を駆け抜け、青い空と燃える星の下に出た。「ヤレヤレ」二人が顔を見合わせた時、サーカスのテントから男が出て来た。「おまえたち何処から来たんだ?ずぶ濡れじゃないか」そんなことでも言っているのだろうか?二人に大きな布っきれを手渡すと話し込み始めて、一人の少年をテントの中に手を引いて消えた。もう一人は、テントの方を見つめていたが踵を返し、来た道を嵐目がけて飛び込んで行った、後から一人の少年を連れて行った男が追いかけていたが、少年の足は速く嵐の中へと吸い込まれて、やがて嵐を追い越しまた燃える星の下へ出た。空は一面オレンジ色になっていて、鴉が寝床へ向け飛んでいた。少年は野良仕事を一日終えて帰って来た母親たちに、急いでもう一人の少年を向かいに行かなければ
いけないと促し、二人の母親も行こうとしたが村の男衆に止められた、見上げると空は水しぶきと風稲妻でゴォーゴォーと音を立てて荒れ狂い始めていた。明日嵐が止んたら帰って来るだろうから、もし嵐が止んでも帰って来なければ迎えに行こう、そんな話になったのだろう。その日、村の家々の戸は早々と閉ざされた。気づけば、時間が止まったように嵐は三日三晩おさまらずに、ようやく燃える星がその村に昇ったのは四日目の朝だった。けれど、あの少年は帰って来ない。村人総出で、もう一人の少年の案内で、サーカスの場所をあたるも見つからない、そもそもサーカスが来ていた噂さえない。

少年の母親は心配そうに泣き崩れ、村の男衆達は、家出だから、そのうち帰って来るだろと言い合っているようだ、そのうちに二ヶ月が経ち三ヵ月が経ち、相変わらず無し
の礫に心配を募らせる母親に、いつもと変わらぬ真夏の燃える星は頭の上を過ぎ、時間は決して止まらず季節は変わり、母親は日々の暮らしと追いかけて来る仕事に追われ季節をやり過ごしている。何処からか「あんなどら息子、いい歳してんだ、ほっときなよ」てな声まで聞こえて来そうなほど、村の暮らしぶりは時間が止まっているように変わらなかった。変わったのは
もう一人の少年、少年はあの日空で燃える星と黒い嵐が喧嘩して黒ぐろしい嵐が燃える星を端に追いやり月からの矢のような青い稲妻を地上に降らせた晩から目に見えて変わった。実に黙々とよく働く青年になった。「あの日が二人の分岐点だったのか、その場の気分感情に流れ
今だけに自分だけに生きた少年と 背中に感じるもの嵐の来る家に心寄せた少年との違いかな」心助は呟いてコーヒーを入れ替える。

「時間よ止まれ」は、決して時間は止まらないから止まれと願う人の情なのだ。けれど時間は止まらないから私たちは悲しみも苦しみも憎しみも時に委ねて生きて行ける。 

「時間は止まらない」生きている限り。

             いつかへ続く


令和7年2月16日

              心幸 
        






   



   







2/15/2025, 12:22:27 PM

君の声がする

「情けないねぇ」
「ありがとうのひとことも言えないなんて」
「時代かねぇ、世も末だよ」ふふ。
ばあちゃんの声がするよ。

「感謝の心がない奴は、なにをやらしても心がこもってねえ」
「そんな、張りぼての性根じゃあ碌な仕事も出来ねえだろうから帰りな」ふふ。
父さんの声がするよ。

三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
我ながら笑っちゃうよ、ばあちゃん父さん。
それでも、黙っちゃいられないんだよね、あなた達の血を引いてるからwww 

「ありがとう」が違和感なのは「ありがとう、ごめんね」か「ごめんね、ありがとう」か知らないが、打ち消しの言葉をつけて「ありがとう」を考えているって何故気づけないのだろう?わざと気づかないふりをしている厨ニ病か?
本当に誰かに感謝したことも感謝されたこともないのだろう。「ありがとう、ごめんね」そりゃあ、言われたら違和感だ肯定して否定している言葉だもの、「ろくなものじゃない」や「ごめんで済んだら警察いらない」と同じ、言ってる意味分かる?つまり「ろくなもの」は「まともなものや人です」ので「ろくなものではない」は「まともなものや人ではない」と、「ろくなもの」を打ち消している言葉ですね。「好きになってごめん」「愛しちゃってごめん」なんだ?ストーカーか?殺人鬼か?お前さんなんかに好かれたら彼女の値打ち下がっちゃう?お前さんはそんな奴かい?www 値打ちがないねぇ。「ごめんで済んだら警察いらない」も「ごめんでは済まないから警察は要るのです」の意味ですね、だから「ありがとう、ごめんね」も「ごめん、ありがとう」も 「ごめん」が相手に伝えたい言葉になります。許しを請う許される為に「ごめん」と言い許してくれて「ありがとう」をセットにしています。だから「私の気持ちを勝手に決んな!」「許されると思ってんのか!」でモヤモヤしますね。「感謝」の「ありがとう」とは真逆の意になりますからね、よーく考えて仰有ると良いかと思いますよwww それを「感謝」の「ありがとう」とすり替えてモヤモヤして「感謝」の言葉を否定するのは、国語力の低下でしょうか嘆かわしいことです。

まあ、そんな弄って取る必要もなく「ありがとう」は「ありがとう」ですよ。

「有り難う」は、有ることが難しいと書きます
ので対義語は「当たり前」となりますでしょうかね。せっかく、検索するなら何を云わんとしているのか考えないとと思いますよ。否定してやろうとしてただ検索しているだけでは、自分の意に寄せての解釈さえ、覚束無い様子ではお話にならないかと思います。

「有り難うは、私に与えられたあなたの慈悲、愛、想い、行動、存在、出逢いが、当たり前ではなく有ることが難しい得難いものです」と噛み砕くと、そう云う心を表現した言葉でしょうかね。日本語って奥深いですねwww

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

感謝の心は、謙虚さです。


「感謝なさいな、何事も」
「厳しい事を言われたら、嫌われ役をしてくれた人に感謝なさい」

「重い仕事を与えられたら」
「感謝なさいな、強くなれる学べる場が与えられたと思いなさい」

「あんたって娘は!ここにお座りなさい!」
「背中を伸ばして!」
「人の話しは姿勢正して、お聞きなさい」

「今は、まだ振り返らずに行きなさい」
「ばあちゃんは、いつもここに居るから」


君の声がする 

替え歌
「春よ、来い」 作詞 松任谷由実


淡き光たつ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香りはじめる

それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る

春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし 君の懐かしき声がする

春よもうすぐ   咲く花よ
春よこの土深く  わたしを支え続ける
春の大地深く  わたしを立たせる根よ

春よ浅き春よ わたしはここにいます
君に習いしこの心を 紡いでいます
 
流るる雨のごとく 流るる花のごとく


君の声 流るる小春 受けし躾糸をなぞらえる

                  心幸  


「日日是好日」 感謝の気持ちがないと、なかなかこうは行きません。それは、今現在周りの人にだけではなく。今、ここに自分が生きていることが出来る、有り難く尊いこの時間を有り難うです。この日一日は二度とない有り難くかけがえのない日であります。有り難い有り難い 有り難うでございますよ。 

最近、若者がなんとなく元気がなく感じるのは、利己主義でちょっと自分が気に入らないと、卑屈にとってしまったり、悪者探して毒つけて人を呼んだりするのは、「感謝」する心を忘れてしまったからでしょうか?
イナゴは害虫ですけどねwwwどうしたものでしょう。
日本が衰退して見えるのは、ひょっとしてそんなことが原因かな?と思ったりします。

だからぁ、謎はネタバレしたら謎の物語でも語部でもなんでもないでしょwww 

嫌いって言葉を好きって言葉を、そんな単細胞な直接的な言葉を使わずに、相手の心に届くように語りかけなきゃ、それが心に残るフレーズを生み詩になり物語になるのですよ。

嫌われているってのもねぇ、お前さんが嫌いなら複数形てのも、幼稚なズブズブで下品な表現だし…
それで語っちゃってるつもりって凄いなぁwww


頑張って




令和7年2月15日 





 
 






2/14/2025, 11:50:32 AM

ありがとう

前説

昨夜のテーマは「そっと伝えたい…」そして一番多かったネタが「ファスナーいじり」だった。人の羞恥を笑う下衆な心が私には垣間見れたが、それが普通なのたろうか?そっと伝えられた方は羞恥心で顔を噴火させ「ありがとう」と言うのか?礼を言われた方は満足そうに「いいえ、どういたしまして」とか悦に入り、胸を張り誰かに面白そうにその話をするのであろうか?全く分からないが、やっぱりそこはどうなんだろねぇ…。
ふと、夕焼けの満員電車で、自分の前に押し出された人に黙って席を譲り礼も言われず、また押し出された人に黙って席を譲りを繰り返し下唇を噛み締めて美しい夕陽も見ることが出来なかった少女の可憐な奥ゆかしさが、そっと頭を過った。

「ありがとう〜バレンタインの夜空〜」

地球から一千光年ほど離れた地球によく似た星に住む心助、それはまだ心助が青年だったころ
その日も心助は、研究所の巨大望遠鏡で青い星を観察していた。

ふと、焦点を合わすと、雪の帷の向こうに小さな窓の灯りが見えた。心助はズームした。

ブロンドのたおやかな腰までとどくような髪を編み込みにし、ベージュ色のワンピースを着た女性の後ろ姿が蝋燭の灯りに照らされて光っている。彼女は何やら考え込んで、やがてこの夕暮れにサラサラと降る雪の街に出て行った。やがて彼女は、ウィンドが大きく前に出た店屋の様な建物に入って行った。暫くすると彼女がすっぽりと肩に巻いていた赤茶色のショールを頭に被せて頭から肩を覆うようにして出て来た。それから彼女は、雪の中をまた歩き出し別の灯りに吸い込まれて行った、また暫くして彼女が出て来た時、風が彼女のショールを動かすと、あのたおやかなブロンドの長い髪が短く切られているのが見えた。心助は驚いて「この寒いのに、あんな短くよくしたなぁ」と呟いていた。また彼女は雪の中を歩き出し、自分の部屋に戻ったようであった。 

そこには、彼女の夫であろうか恋人であろうか背の高い痩せた体に似つかわしくない広い背中をした青年が白いシャツに、こげ茶色のツイードジャケットに揃いのハンチング帽子を被り今帰ったばかりだという風に、彼女の方を振り向いた。彼女はショールを頭から取らずに彼のそばに歩み寄り、何やらその手に包みを渡した。すると彼もジャケットの内ポケットから包みを取り出し彼女に渡した…。彼女がその小さなリボンが掛けられた包みを開けると…鼈甲の髪飾りが出て来た。彼も彼女から手渡された包みを開ける中には懐中時計につける金色の鎖が入っていた…。すると、彼女はみるみるそのアーモンド型の目をパチパチと幾度か瞬きをさせ鳶色の瞳からポロポロと星の雫のような涙をながしながら、そっとショールを取った。短く刈り上げられた少年の様な髪をした彼女の姿に鳩が豆鉄砲でも食らったような彼の顔が、やがて満面の微笑みに変わり彼女の髪を撫でその鼈甲の髪飾りを彼女の短くなった髪につけ自分が着ていたツイードのジャケットを広げ彼女が贈った懐中時計の鎖をつける懐中時計がもうないことを彼女に示して見せたのでした。二人は見つめ合って、それからとても長い時間しっかりと抱きしめあっていました。

それを見ていた心助は、胸が締め付けられそうです。けれどなんとも満ち足りた気持ちになって、なんと、三人の精霊を呼びました。えっ!精霊?精霊が出て来るの?ってなった、あなたは、つまらない人ですねぇ~、これは物語ですので書いてる奴が、その世界を創作する、これぞ創作の醍醐味www 書く奴はその世界の神ですから、書く奴らは、それになりたくて書くのですwww

人が犬でも、人魚でも構わないし、精霊でも妖精でも八百万の神々でも地獄の糞大魔王だろうが魑魅魍魎だろうが、満月に丑の刻参りの老婆だろうが構わないのですwww 
その物語を書いてる奴がそう書けば、その物語の世界に置いてはそうなのです。文句ある奴は自分で自分の世界を書きやがれなのですwww

とりあえず、ここは心助は三人の精霊に頼みます。

「あの二人が、今愛のために払った代償を、僕に買い取らせてくれないか」

三人の精霊は、相談して一人が懐中時計を一人が彼女が売った艷やかなブロンドを買い戻しに行きました。そしてもう一人の精霊が懐中時計に金色の鎖をつけて彼のツイードのジャケットの中に、彼女のブロンドを彼女がさっきまで巻つけていたストールのように頭に巻きつけると彼女の髪は、鮮やかなブロンドの長い髪に戻り髪には鼈甲の髪飾りが光っていたのでした。

二人は、何が起こったのか分からないといった表情を互いに見合わせ呆気に取られ窓の外の天を仰ぎました。

黒い黒い漆黒の夜空に煌めく星は踊っていました。その遠い夜空から舞い落ちる白い雪に三つの流れ星が見えました。

「ありがとう」

幾つもの、ありがとうがバレンタインの夜空にこだましました。


心助は、帰って来た精霊たちに尋ねました。

「あの星では、そんなに髪が売れるのかい?」


バレンタインに寄せて。
「賢者の贈り物」 
 作者 オー・ヘンリー
               オマージュ。


後書き

謝罪の言葉は、自分を楽にする許しを請う言葉です。謝って簡単に許されると思っている人は何度でも許される為に反省もせず謝るのでしょう悪童のように悪徳政治家のように。「謝ってすむなら警察要らぬ」はよく言ったものです。謝罪は言葉より態度で、謝罪の言葉は、その命終える時ひと言で。

感謝の気持ちは、必ずその時その場で。
相手の気持ちに応えるコミュニケーション最初の扉。感謝の気持ちが言葉に出来ない人はコミュニケーションが下手な人が多い。逆に、感謝の気持ちを素早くスマートに伝えることが出来る人は、他のことが少々ポンコツでも好かれる。人間ってそんなものです。

そうするとまた
自惚れさんのよくやる私なんかぁ〜と言いながら、自称作品の自称作家の言葉がはじまってwww ものすご〜い承認欲求を感じずにはいられないのでしたwww 
まあ、自称は勝手にしやがれですwww

「恥ずかしくないの〜ぉ」www

ちょっとまて、「ありがとう」って皮肉に聞こえるって、相当な歪み様で心配です。「ありがとう」は「ありがとう」です。相手の過ちを許さなければならない謝罪とは違います。「ごめんなさい」と言われたら許さなければ言われた方が歪んだ人のようになりますが、感謝の言葉は素直に受けても誰も傷つけませんし互いに引き立て合える言葉です。そして受け取る方の心が試される言葉でもあるのだと、今夜発見しました。「ありがとう」感謝の気持ちを素直に受け取れないって、、怖ろしく恥ずかしいです。

私の周りは、大人でも子供でも夫婦でも「ありがとう」は日常的によく使われている言葉なので、驚きました。

色々ですね~www 
本当色々です。

屁理屈大魔王伯爵は相当な歪みっぷりで、性格悪すぎる。 お子さんがいるなんて「嘘だろ!」な厨ニぷりです。「ありがとう」を強制された?酷い話しで、思わず可哀想って言葉が出ました。まあ、先生とか礼を言われぱなしのバカ殿様気質だと礼は言われるもので言うものではなき!とか変なプライドと持論と屁理屈があるのかもしれないけどねぇwww


お可哀想なのは。
「ありがとうは、ここかぁ」と、ありがとうのタイミングを学ぶ子供さんではなく、それを屁理屈で「強制されたぁ」って取る大人です。子供が目の前の嬉しい事に気持ちがはやり夢中で、お礼を忘れた時、「ちょっと待って」と順番を学ばせることは、落ち着きにも繋がりとても大切です。 

お可哀想に、きっと口先だけの言葉しか話されておらず、感謝もされたことも、したこともないのでしょう。

子供さんの躾は奥様に丸投げなのでしょうかねwww

礼を知らない、感謝が出来ない恥知らずで図太い人は、「恥の文化」の日本人気質とは違いますね、薄れ行く日本人気質に哀愁を感じずにはいられない。何が寄り添う〜優しくありたいでしょうねぇ。大和魂も泣いていることでしょう。「感謝」出来ない図太い人は成功しませんよ。もし仮に、その恥知らずな図太さで他者を踏みつけ感謝もせずに成功しても三日天下で勘違いして、問題起こして寝首欠かれるのが関の山でしょう。


嗚呼、無情。





令和7年2月14日

            心幸           







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