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11/23/2024, 12:55:25 PM

落ちてゆく

「分かっていたわ、あなたが苦労知らずで生きて来たこと。聞いてれば分かる」場末のスナック「Lilly」のママはその着飾って澄ました顔の女性客に言った。

「じゃなかった人生も五番街に仕舞っておく密やかな想い出も過ちもないようね、だから裁いて断罪出来る、知ってたわよ言わなくても、言葉の節々に出てるもの、本当は知らないことが怖いだけ、与えられたものの中でぬくぬくと生きて来た、けどそれって、それはそれで悪いことじゃないわよ、悪いのは、ぬくぬくと誰かの思いに乗っかって乳母日傘で生きてきただけのくせに分かったような気になって、独善的に裁くところ、まあ、それが何も辛苦を知らない苦労知らずが透けて見えるところなんだけど、だったら人を裁きなさんなって、あんたの正解や正義で」

まあ、一杯いかがという風にボトルの口をあけながらママは続けた。「人間あっちこっちぶつけてたら傷が出来て、そこから腐れてくることだってあるって日本一有名な先生も仰ってたし、人は悲しみが多いほど人に優しく出来るらしいわよ、優しくありたいなら、いっぱい間違うことだと思う、いっぱい間違うといっぱい解決方が見つかって、正解を導き出す方法はひとつじゃないんだと知る事が出来るし、間違った人を理解することも出来るようになるから、共感でも同情でも許すでもなく理解することが出来る…」

「幸せは自慢できる事だけど苦労知らずは自慢にならない、覚えておくと良いかもね(笑)」

場末のスナックのママは、カラオケのマイクを差し出しながらそう言って笑った。

曲がはじまった…。

「時の過ぎゆくままに」   作詞 阿久悠 

あなたは、すっかり疲れてしまい
愛することさえ 嫌だと泣いた
壊れたピアノで 想い出の歌
片手でひいては ため息ついた

時の過ぎゆくままに この身をまかせ
男と女が 漂いながら
落ちてゆくのも 幸せだよと
二人つめたい からだ合わせる

からだの傷なら 治せるけれど
心のいたでは 癒せはしない
小指に食い込む 指輪を見つめ
あなたは 昔を思って泣いた

時の過ぎゆくままに この身をまかせ
男と女が 漂いながら
もしも二人が 愛せるならば
窓の景色も かわってゆくだろう…

落ちてゆくのも 幸せならば
窓の景色も かわってゆくだろう…

「この歌の二人は優しさを知っていて幸せも知ることが出来て、好い人たちよね」とママは言って拍手をした。中年の客は気持ち良さそうにマイクを置きグラスを空けて 「ママ、おかわり」と言った、午前零時の小さなスナック。

落ちてゆくのも幸せだろう…。


令和6年11月23日

               心幸

11/22/2024, 2:33:27 PM

夫婦

長らく、妻が夫を支え、その結婚生活で不貞をはたらいても夫の場合は甲斐性で妻の場合は刑事処罰であり、不貞の子を抱えて浜辺を歩くのは妻であったが、今は妻が不貞で産んだ子を自分の子と信じて愛しはじめた夫が子を抱いて泣きながら浜辺を歩く…。

男は随分と女々しくなった。

僕のことをからかったの?
そんなにアイツが好いの?
僕はもう要らない?

君のシグナル見逃していた?
お互い様じゃないの?
僕を責めるの?自分をせめるふりして

それでも構わない君のシグナルもう一度
気まぐれかな?それでも構わない
君と君の子と家族でいたいから

愛情って何かな?ただ欲しい
愛が欲しい?君と居たいから
嘘でも、どうぞ構わない

その子を、僕の子だと騙し続けてくれ
辿り着いた世界はもう、惚れた妬んだを越えて
ただ、女々しく君といたいだけ

そんな事を、男に言わせておけば
男女平等のフェミニズムの世界なのか?
それで時代は前に進んだのか?
肩肘張った女が男になっただけという気が
しませんか?阿久悠様。

せめて、少しは格好つけて
行ったきり幸せになるが良いと背中に言ってくれ、落ちて行くのも幸せだよと涙見せずに行ってくれ…。

先輩たちは、男も女も潔かった。

夫婦の愛情物語も、言葉の行間にその愛を感じ二人の人生を人間像を想像させます。

見た目とは裏腹な多面的な人間の物語は常に濃く湿っぽくもあり渇いていて軽く、軽薄さに傷つきながら重い重厚さで傷つける。けれど優しくありたいと偏った優しさで傷つける者が傷つけたものを、強さで癒す者がいた。
そんな物語があった。

結婚記念日

若くして妻を、亡くした男がいた。
再婚の話を持ちかけられるが、自分は二度と結婚しようとは思っていない。

妻のことを、愛しいとも美しいとも思ったことはなかった。彼女は無骨な職人の家で育ったため、品というものもなかった。そんな妻との結婚生活は、慎ましくも地味であった。

或夜、再婚話を持ちかけに来た友人を見送り、男は妻との、楽しかったような楽しくなかったような箱根旅行を思い出していた。その思い出すやりとりが何とも可笑しく、悲しく、愛しい。いつも、隣にいる人間が、どうしょうもなく大切に思える瞬間、「彼女はもうこの世にいないのだ」という喪失感を与えるのだ… あれが、愛情でなくなんであったのか?と男は冷たい妻の何ものにも替えがたい、いじらし生きものの身体を自分の体温で温めた日を追想するのであった。

井上靖 「愛」

11月22日 いい夫婦の日に寄せて。


                心幸 
追記 友がみな 我より偉く 
   見ゆる日よ 
   花を買いきて 妻と親しむ

   石川啄木 「一握の砂」

妻でも夫でも構わない、外には7人の敵がいる中背中合わせで戦って行くのが夫婦だが、また向かい合って癒し合える日も来る、その時間こそがかけがえのないもの、夫婦愛である、男と女は互いに無いものを愛しみ合えるから夫婦になる、ライバルでも敵でもない同志なのでありたい。






11/21/2024, 10:34:10 AM

どうすればいいの?

「どうすればいいの?」と問う孫娘に、おばあちゃんは答えた、「どうすればいいのか分からん時は、どうもできん時やから、何もせんくていい」「どうしてよ、そんなの駄目じゃない」涙声の孫娘に、おばあちゃんは続けた、「人生は、どうにもならんことの繰り返しだよ、そんな時は下手に逆らったりせずとも、なるようにしかならんもんさね、あんた自分の力を過信しちゃあかんよ、それこそ駄目だわ、何事もどうしょうもない、どうすればいいのか分からん時は、時任せの神任せでいいんだよ、どんな煮え湯も喉元過ぎれば熱さを忘れる、せいては事を仕損じる、そのうち何処からか他力の風が吹くものさ、そん時に思い切り帆を張れるように、どうすればいいのか分からなくなった時は、帆を仕舞って、時に任せなさい、なるようになるから」そう言って、おばあちゃんは笑った。

「他力の風を信じ、感謝する気持ちがあれば、どうすればいいの?と途方に暮れる時も道は開ける」おばあちゃんの金言でした。

孫娘は、そんなおばあちゃんの金言を胸に今日も生きてます。

おばあちゃん、ありがとう。

令和6年11月21日

               心幸

11/20/2024, 11:04:09 AM

宝物

わたしの宝物、それは時間。
あなたとわたしの間に流れた時間、わたしへあなたへ続いた時間、そしてわたしとあなたから生まれ繋がった時間全てが宝物。

時間を感じることが出来ることは、とても素晴らしい。

時間という概念がなければ、昨日は存在しないし明日も存在しない、過去も未来も存在しない、無論たくさんの悲喜こもごもな想い出も存在しない、想い出を懐かしむ郷愁もなければ、明日を夢見る希望もない。

限りある時間があるからこそ、それを感受できるからこそ、限りある時間の刹那と怖さと優しさがあるからこそ、人は考え思い遣り愛しむことが出来る。

昭和という時代が終わった時、私はこんな言葉を聞いたことを今でも覚えている、「明治の終わりは活字で読み、大正の終はラジオで聞いた、そして今、昭和の終わりをテレビで観る」
「昭和という時代は、背中合わせの時代であった、それを天皇陛下は身を持って示された、神と人間、戦争と平和、貧困と繁栄、弾圧と自由」。

その頃私は社会に出たばかりで、この昭和という時間の終わりをテレビで見ていた、その当時大正生まれくらいの御老人方が皇居の門前で手を合わせ、膝まづき涙していた姿を今も思い出す、それは「封建的社会だ!」という言葉で片付けて良いはずがないと思った、同じ日本人なら。

ある御老人の言葉を私は今も忘れない「戦争を乗り越え、貧しさを乗り越え、そして今があり、その象徴の天皇陛下が亡くなられた、感慨深く寂しいですね」

そして、次の新しい元号が発表された「平成」平和を達成するという意味が込められていたそうです、更にそこから30年時間は流れ、平和な平成最後の日は、お祭り騒ぎだった、、達成されたのか?平和。

新しい元号は「令和」万葉集に由来するそうで美しい調和を意味するのだそうだ、時間は流れ平和を達成し続け、美しい調和が千代に八千代に、さざれ石が大きな岩になる程に続きますように、、宝物は、この流れ続ける時間。わたしの時間はそこに流れる一滴。

時間は逆に流してはいけない、「未来が知りたいなら過去を学びなさい」救われるとか救われたいとかそんな今だけを見た知ったつもりの自分本位な考えではなく、過ぎた時間から自分で学びなさい、大昔の哲学者は言いました。

時は偉大な作家である…。


令和6年11月20日

                心幸
 


11/19/2024, 12:43:45 PM

キャンドル…

キャンドルって言ったら、冬、12月、Christmas、イルミネーション、エトセトラとなるわけで、発想が貧困で、思い出がいっぱいって言ったらアルバムってくらいなので、、ロウソクって言ってみた、ロウソクって言ったら「チーン、南無南無」で、キャンドルの世界とは掛け離れた。

そして、ゆらゆら揺れる蝋燭の灯りは季節外れの怪談話を思い起こさせる。

その昔、浪人の萩原新三郎という、無口で生真面目な青年がおりました。ある日、新三郎知り合いと梅を見物に出かけ、帰り道飯島平座右衛門という侍の別宅に立ち寄ることになりました、仕官先を求めていた新三郎は、人付き合いは苦手でありましたが、誘われるまま出向きます。

そこで新三郎は「お露」という大層美しい姫御前と年老いたお付きの女中と出逢うのでした。

必然、新三郎とお露は恋仲になり、一目惚れどうしの恋は柔らかな灯籠の炎を薙ぎ倒し 江戸の火事のように燃え上がるのでした。そしてお露は新三郎に「また、お逢い出来ないのであれば死んでしまいます」と告げるのでした、新三郎もまた帰ってからもお露に逢いたい逢いたいと思いましまが、生真面目過ぎて逢いに行くことが出来ないでいました。

それから数カ月、新三郎は先の知り合いからお露が死んだことを知らされます、自分が逢いに行かなかったことを悲観して女中共々死してしまったと聞かされたのでした。

それからというもの、新三郎はお露のために念仏を唱えるだけの毎日を送っていました、一年ほどが過ぎた秋の名月の頃、月を見上げて新三郎が物思いに耽っていると、どこからともなくカランコロンカランコロンと下駄の音が聞こえて来ます、音のする方を見てみますと、牡丹芍薬の灯籠を携えた女中とお露が歩いて来ます、我が目を疑った新三郎でしたが、名月の青く妖しい光が透き通るように青白いお露の細い項から顎にかけ差して俯きかげんのお露の伏し目がちな目元を輝くほど美しく浮き上がらせているのでした。

返す言葉も見つからず、息を呑んだ新三郎は、ただ再会を喜びました。次の晩もその次の晩も新三郎とお露の逢瀬は続きました、新三郎は近頃様子がおかしく、日増しに窶れて行く様子でした、それを訝しく思った下男が、ある満月の夜、新三郎の家を覗くと、ハゲ散らかした髑髏が新三郎の首にかじりついているのを、月明かりの下に牡丹芍薬の灯籠の火が映し出しているのを見たのでした。腰を抜かした下男は、日頃新三郎が親しくしている僧侶の元へ相談に行きました、相談を受けた僧侶は新三郎の元を訪ね正気を諭します。

「このままでは、連れてゆかれます」

新三郎は、やっとお露が怨念が変幻した魔物だと気づき、真言般若心経の御札と死霊除けの海音如来像を受けて来たのでした。そして新三郎は家の周りに御札を貼り付け、海音如来像を身に着けて般若心経を唱えるのでした。

何も知らないお露は今夜もやって来ますが、中に入ることが出来ず、外から新三郎の名を呼び御札を剥がしてくれと頼みます。

それを見ていた下男は、はじめはお露を怖がっていましたが、お露に寄り添う女中がお金を見せると、御札を剥がす力を貸すと言い、次の日には、御札を剥がし海音如来像も取り替えてしまうのでした。

お露は、ついに新三郎の家に入って行くのでした。

夜が明ける頃、呪いの妖女の手引きをした下男は後ろめたい思いから、僧侶を伴い新三郎の様子を見に行きます、戸を叩いても返事がない新三郎の家に、恐る恐る入ると、新三郎は物凄い形相で虚空を掴みながら息絶えていたのでした、その首元にはハゲ散らかした髑髏がかじりついていました、朝焼けの白い月がかかっていました。

ご存知、日本三大怪談話の「牡丹燈籠」の話は、ざっとこのような風であったかと、いやはや、怨念とは恐ろしいものだと子供心に思ったものでした、欲とは念とは人を醜く変える、何時までも同じ思いにしがみつき壁に向かって子々孫々の歴史の怨みを何方が悪だ正義だとやり合う愚か、そんなものどちらも悪で正しさという怨念に取り憑かれた悲劇と理解せねばならない、そして最後はより多くのものを殺して手を血で真っ赤に汚した者が正義の味方の御託を並べて、ルールは変わるそれが世を照らす灯籠の(キャンドル)の揺らめく炎の中に彩られる物語が世の東西を問わぬ歴史であろう。


令和6年11月19日

          心幸


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