キャンドル…
キャンドルって言ったら、冬、12月、Christmas、イルミネーション、エトセトラとなるわけで、発想が貧困で、思い出がいっぱいって言ったらアルバムってくらいなので、、ロウソクって言ってみた、ロウソクって言ったら「チーン、南無南無」で、キャンドルの世界とは掛け離れた。
そして、ゆらゆら揺れる蝋燭の灯りは季節外れの怪談話を思い起こさせる。
その昔、浪人の萩原新三郎という、無口で生真面目な青年がおりました。ある日、新三郎知り合いと梅を見物に出かけ、帰り道飯島平座右衛門という侍の別宅に立ち寄ることになりました、仕官先を求めていた新三郎は、人付き合いは苦手でありましたが、誘われるまま出向きます。
そこで新三郎は「お露」という大層美しい姫御前と年老いたお付きの女中と出逢うのでした。
必然、新三郎とお露は恋仲になり、一目惚れどうしの恋は柔らかな灯籠の炎を薙ぎ倒し 江戸の火事のように燃え上がるのでした。そしてお露は新三郎に「また、お逢い出来ないのであれば死んでしまいます」と告げるのでした、新三郎もまた帰ってからもお露に逢いたい逢いたいと思いましまが、生真面目過ぎて逢いに行くことが出来ないでいました。
それから数カ月、新三郎は先の知り合いからお露が死んだことを知らされます、自分が逢いに行かなかったことを悲観して女中共々死してしまったと聞かされたのでした。
それからというもの、新三郎はお露のために念仏を唱えるだけの毎日を送っていました、一年ほどが過ぎた秋の名月の頃、月を見上げて新三郎が物思いに耽っていると、どこからともなくカランコロンカランコロンと下駄の音が聞こえて来ます、音のする方を見てみますと、牡丹芍薬の灯籠を携えた女中とお露が歩いて来ます、我が目を疑った新三郎でしたが、名月の青く妖しい光が透き通るように青白いお露の細い項から顎にかけ差して俯きかげんのお露の伏し目がちな目元を輝くほど美しく浮き上がらせているのでした。
返す言葉も見つからず、息を呑んだ新三郎は、ただ再会を喜びました。次の晩もその次の晩も新三郎とお露の逢瀬は続きました、新三郎は近頃様子がおかしく、日増しに窶れて行く様子でした、それを訝しく思った下男が、ある満月の夜、新三郎の家を覗くと、ハゲ散らかした髑髏が新三郎の首にかじりついているのを、月明かりの下に牡丹芍薬の灯籠の火が映し出しているのを見たのでした。腰を抜かした下男は、日頃新三郎が親しくしている僧侶の元へ相談に行きました、相談を受けた僧侶は新三郎の元を訪ね正気を諭します。
「このままでは、連れてゆかれます」
新三郎は、やっとお露が怨念が変幻した魔物だと気づき、真言般若心経の御札と死霊除けの海音如来像を受けて来たのでした。そして新三郎は家の周りに御札を貼り付け、海音如来像を身に着けて般若心経を唱えるのでした。
何も知らないお露は今夜もやって来ますが、中に入ることが出来ず、外から新三郎の名を呼び御札を剥がしてくれと頼みます。
それを見ていた下男は、はじめはお露を怖がっていましたが、お露に寄り添う女中がお金を見せると、御札を剥がす力を貸すと言い、次の日には、御札を剥がし海音如来像も取り替えてしまうのでした。
お露は、ついに新三郎の家に入って行くのでした。
夜が明ける頃、呪いの妖女の手引きをした下男は後ろめたい思いから、僧侶を伴い新三郎の様子を見に行きます、戸を叩いても返事がない新三郎の家に、恐る恐る入ると、新三郎は物凄い形相で虚空を掴みながら息絶えていたのでした、その首元にはハゲ散らかした髑髏がかじりついていました、朝焼けの白い月がかかっていました。
ご存知、日本三大怪談話の「牡丹燈籠」の話は、ざっとこのような風であったかと、いやはや、怨念とは恐ろしいものだと子供心に思ったものでした、欲とは念とは人を醜く変える、何時までも同じ思いにしがみつき壁に向かって子々孫々の歴史の怨みを何方が悪だ正義だとやり合う愚か、そんなものどちらも悪で正しさという怨念に取り憑かれた悲劇と理解せねばならない、そして最後はより多くのものを殺して手を血で真っ赤に汚した者が正義の味方の御託を並べて、ルールは変わるそれが世を照らす灯籠の(キャンドル)の揺らめく炎の中に彩られる物語が世の東西を問わぬ歴史であろう。
令和6年11月19日
心幸
11/19/2024, 12:43:45 PM