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11/18/2024, 12:41:08 PM

たくさんの想い出

想い出を馬鹿にする人は心の寂しい人間だ、その人は仰った、人間にだけ許された感情と感慨それが想い出。

無限の時間を持たないからこそ想い出は残り、今だけに生きる他の生きもの達よりもより鮮明な想い出を持つことを許された人間だからこそ時間を宇宙を自分以外の生をより深く想えるのに、なんと勿体無いことか、与えたものを取り上げようと、その人は仰りたくさんの想い出なんて死に近い年寄りの戯言だ!孤独な自称毒親育ちはそう言って、オドロオドロしい言葉を吐きました、その瞬間たくさんの想い出をもつことを人間に許した人は、オドロオドロしい言葉を吐く人間の想い出を仕舞う袋を破りました、中に詰まっていた、その人間の想い出がサラサラサラと流れて落ちて消えて行きました、あたりに白い煙が立ち込め、その人間の顔を覆いその人間の世界が灰色になりました。

世界が灰色に見える、、誰のせいなんだ!
その人間は他に向けた人差し指を自分に向けることが出来ず、目もグレーの歪な紗がかかっているので、全てが歪んで見えて色もありません。こんな状態で人差し指を他に向けオドロオドロしい言葉を吐いていても、気遣っていて優しくありたくて繊細なんです、その人間は今夜も世界がグレーに見えるその薄暗くて狭い場所でブルーのライトを顔に充てて言うのです、「たくさんの想い出話しなんてする奴馬鹿」犬でも猫でも3日飼えば飼い主の顔を、その想い出と共に覚え、人間ならば3歳のころ見た夕焼けを遊んだ友を、親の匂いを、たくさんの想い出として留め仕舞い時々開いては生きる喜びや力にします。それが神が、複雑な命を与えたものに与えた力でした。それを無くしてなお気づけない気遣ってさんに憐憫を感じずにはいられません。

たくさんの想い出は、あなたの味方でしかありません、そして人生を愛し人を許し気遣える魔法の袋です、たくさんのキラキラ光る想い出を集めたいものですね。

どんなに辛い想い出も生きる力に変え、与えられた辛苦は見込まれているからだと思いなさい、いずれそれさえも呑み込んで、たくさんの想い出を仲間にしなさい、それがきっと優しくあれることですよ、優しさは包容力です(笑)


令和6年11月18日

               心幸


11/17/2024, 11:32:21 AM

冬になったら

碧色の五月雨が少し冷たかった去年の5月
近頃、痩せて小さくなった貴女からの電話
鬼の霍乱と笑ったのも束の間、貴女は入院してしまいました、苦しそうな素振りも痛そうな素振りも見せない貴女は、ただ小さくなって私の心に一粒の不安の種を蒔いた、、精密検査の結果は、胃癌ステージIVもう血液にも癌細胞は飛んでいた、子供たち特に夫は医師のこの言葉が信じられず、セカンド・オピニオンに「白い巨塔」の大学病院に、癌センターを巡った、その間にも季節は速足で過ぎ、砂時計の砂は落ち続ける、気丈夫で少々短気で病気ひとつしない貴女が私の前でどんどん小さくなって行きました。足の速い貴女が、何時もよりも速足でスタスタスタと駅まで続く坂の細い道を歩いていた日を想出します、「ちょっとは歩かなきゃ駄目よ!」よく通る声で私や夫を叱咤していたのはつい昨日のことです、貴女が手の施しようのない状態だと告知を受けた夏のはじめ、その細い坂道を初夏の雨にうたれ、言葉さがしながら私たちは歩いた。

余命宣告、「長くて3ヶ月」落胆は私たちの方が大きかった、あんなに気丈夫で健康だった貴女が居なくなるなんて、私には想像出来なかった、3ヶ月って、、お義母さんには秋も冬も無いってこと?キツネに抓まれたようだった。

医者は嘘をつかなかった、ついてくれよと思ったが、ついてくれなかった、貴女の砂時計は勢いを増して砂を落とし、みるみる貴女は小さく小さくなり、私がおんぶできるほどになりました。それでも貴女は痛いとも苦しいとも言わずに、ただ夫が神頼みで日頃不信心なくせに、癌の病封じデンボ(腫れ物)の神さんに御参りし御札や御水を戴き、初夏の雨のにうたれながら坂道を登って来るのを目を細めて待つのでした。

貴女は、何時も強くてそんな状態でも、遺して行く夫(義父)のことを心配し、何時もと変わらずに、あれやこれやと私に指示し、何時もと変わらずに毒を吐き、嫌味を言い、嫁の小言を吐きました。夫には、「兄ちゃん、じーちゃん(義父)が直してくれやんから庭の花に水やりするホース直して」と何時になく甘え、夫はいそいそと庭の水やりホースを直して、母親に初めてくらいに褒められたように喜ぶ貴女を見て喜んでいました。貴女が、春に植えたピーマンとトマトの実が小さい実をつけ始めていました。

貴女は、本当は大好きだったお兄ちゃん(夫)が直した水やりのホースで何度水やりをしたでしょう、、夏の光の中で貴女は倒れそのまま病院に運ばれました、義父はただ黙って義母を見送っていました。


本当に、本当に、最後まで、せっかちな貴女は律儀に先生の言葉を守り、5月の告知からキッチリ3ヶ月8月の半ばに永眠しました、嫁いでから30年以上、嫁姑の仁義なき戦いは幕を降ろしました、はっきり言ってキツイ義母でした
けれど、実母より長く「おかあさん」と呼んだ人でした。義母が私に遺した言葉は「じぃちゃん(義父)頼みます」始めて貴女にお願いされました、しかも丁寧に「…頼みます」私は、何故だか、急に寂しくなって「いやだ、おかあさん、らしくない言葉つかわんといてよ」って笑いながら泣きました。

秋の風が吹いて、紅い彼岸花が
貴女からの 便りを風にのせているようでした
あれから、急に年老いた義父でした。
落ち葉つもる道は 夏の想い出道、「もう少し、おとうさんをあの人(夫)の側に置いておいてあげてよ」私は病院の帰り道あの細い坂道を登りながら姑に話かけました。

それから、冬が来て年が明け春風が吹きまた、5月の雨が降る頃、お母さんがお父さんを迎えに来ました。お母さんよりも早くに胃癌宣告を受けてお母さんより先に逝くはずだったお父さんなんだか安心したように妻の一周忌目前にお母さんを追いかけて逝きました、三途の川の渡し場で待ち合わせでもしていたのでしょうか、
幸せそうなお父さんの最後の寝顔をお母さんの一周忌の前に私たちは見送りました。

二人共に生前の性格通りせっかちで、そして常に子供思いでした、いっぺんに終わってしまいました、親の看取り。出来ることなら、私もかくありたいと思います。

今年の秋は何時もの秋より長くなりそうな気がして、ガランとした実家を訪れ片付けをして、遠くにあなた達の声を聴き、冬が来る前にも一度あなた達に巡り会いたいと思っています。

冬になったら 
夢でもし会えたら
庭の花壇は、私が受け継ぎましたと伝えたい。

冬になったら
夢でもし会えたら
来年の春は、何の種を蒔きますかと尋ねたい。


冬になったら…。


令和6年11月17日 

                心幸 




11/16/2024, 12:20:39 PM

はなればなれ

学業を終えたあとも、親の援助のもとで自分は働かず生活する。自分は働かないくせに部屋に籠もり暇だから本を読み頭でっかちに本から得た知識の自分の正しさ理想のみの元に生きようとする。高等遊民いわゆるニートそんな人間だから必然分不相応な恋愛は必要ないとしなければ誰かの人生なんぞ背負いきれない、にもかかわらず、友人の妻に横恋慕して略奪するという、阿呆な暴挙を描いた作品が誰もが知る文豪が書いた文学といわれるものです。

正しさや正義感、倫理観、道徳心からは、はなればなれですね。おまけに高等遊民だとか、ただの無収入の男があっちだけは一人前で、これまた、西洋かぶれで働かずに政治世論を語るのもまるで正義正論、道徳心、倫理観とは、はなればなれで滑稽ですらあります。

こいつ、働かなくていいことを良いことに
「労働のための労働は悪である」とか吐かします、「パンがなければお菓子を食べれば良いじゃない」と同じ感覚です。社会人なら何故働くか?学業終業したら何故働くか?考えるまでもなく、生きるためですが、それが通じない人種もいます、こういう層が、戦争を起こし労働者階級の市井の息子は鉄砲玉みたいに使われました、それが古今東西今昔の戦争の歴史でした。

「それから」、阿呆な高等遊民はこうも吐かします「自然児になろうか、意思の人になろうか」・・・どっちでも良いから横恋慕の末に掻っ攫った友人の妻の為に働け!となるが、それで懸命に額に汗して働いては高等遊民の名が廃れ文学では、ないのです。そんな道徳心は溝にでも捨てるのが文学です、文学は倫理観や道徳心とは、はなればなれなのです、だから人間の内なる欲や業を抉るのです、それが、ドラマです。

この阿呆な高学歴ニートの高等遊民は、働くことを馬鹿にし働かないことに固執しますが、結局働きますザマアミロです、自分が1番蔑んでいた労働のための労働を、欲しかった女を手に入れたが為に、彼的に労働者に成り下がります。

高等遊民無職の男は、無駄なリスクを負わまいとしながら、友人の妻への恋慕断ち切れず、ついには告白、略奪します。

無論友人とは絶交、無職の男は愛する女を手に入れますが、多くの社会的まあ、もともと社会責任を追わないニートですが、その安楽の立場さえ失います、失ってお先真っ暗ならぬ真っ赤だったりして、働かないことが偉いこととでも思っていたボンボンは、背徳の愛の代償として
半人前の理想論や安穏とした守られ与えられた暮らしや友情とはなればなれになり貫いた愛の代償として生きることになります。

・・・ そりゃあ引きこもりの無職の立場じゃ恋愛否定も社会批判も仕方がない、自分には分不相応だから、否定批判するより他ない。

現実を生きるとは理想論を語るより難しいことだということを学んだ、夏目漱石の「それから」という一冊をご紹介しました。

言うが易し行うが難しですね(笑)

他人を責めるのは簡単で、自分を責めるのは難しいです、特に「私が悪いの」なんて言って、返しの「そんなことないよ」を求めている、寄り添ってさんや、自称繊細さんは、、高等遊民も自称繊細さんですから(笑)世の中とは、はなればなれなのでしょう。

あくまで、個人的感想です。
嫌なら、読むなー(笑)

いや、「それから」は真剣に馬鹿をやってのける馬鹿の見本みたいな噺ですので面白かったです。


令和6年11月16日

               心幸 










11/15/2024, 12:58:56 PM

子猫

「えぇ〜! おい!また猫かよ神様!」
「ああ、すまぬすまぬ間違えた、間違えたがもう生まれてしまったから変えられんのじゃ、後は、また死んで戻って来たら話そう、まあ、ゆるりと見物しろ、今度は生まれながらの飼い猫じゃ、まあ、達者で暮らせ」
「何が、達者で暮らせだ!ヘボ神様、何度も何度も猫に生まれさせやがって!もう何周目?いや、もう百万回ねこだ!」
「今度は、犬のお巡りさんになって可愛い子猫ちゃんの世話をしたかったのに!」

彼は、百万回猫に生まれ変わって今また神様の手違いで猫に生まれ変わり、子猫から始めることに悲観しているのであった。

「もう、退屈だ、退屈でしょうがない、今度は生まれながらに飼い猫のようだが、日がな一日ぐうたら生活だ、兄妹たちも母親もみんなそうだな、デブだ!ルーティンは決められたこの狭い檻の中、俺の特等席は違うものたちが通り過ぎて行くのが見物出来る場所だけだ、つまらない話だ、そこから日がな一日、目に写り通り過ぎるものをあくびをしながら時に毛づくろいしながら眺め、飯食って、糞して寝るだけだから肥える、見ろ今の俺の姿、ブヨブヨのデブ猫で野生のカケラもない」子猫のくせに爺のような小言を吐きまくるのは、猫百万回目の子猫だから許してやって欲しい。あくびをひとつ、また猫百万回目の子猫は文句をたれ始める。

「俺は、その時誰の猫でもなくて…ってのやっただろこの前、それで白い猫に出逢うんだ、あの白い猫どうしているだろう、また猫に生まれていやしないか?」
「今度は漁師の猫でもなくて、雨の中濡れてカラスに狙われていた子猫だったな、あの時は肝を冷やした、生まれて来たと思ったら逆戻りか、まあ、俺たちは、人間みたいにてめぇでてめぇの命を終わらせるような意気地のない鬼畜でも殺し屋でもねぇから、その最後の瞬間まで生きる、生きるだけだ…まあ、寿命があれば死のうとしたって生きてるもので、その時俺は救われた、書生とかいう人間に抱かれて先生の家に行った、確かあの時は、吾輩とか自分を呼んで、先生の残した酒というのをしたたかに失敬し、したたかに酔って候、いい気持でお勝手場まで歩いて行き、喉が渇いて水瓶の縁に登り中を覗き込んだところで記憶が途絶えた、、、それから何回生まれ変わったろう、何度生まれ変わっても猫だ、猫でしかないな俺、、」

子猫は、その時大きなお屋敷の飼い猫でしたが彼は、猫なので金銀敷き詰められた絨毯も高そうなブランド品の食器にも興味がないのでした、そして親兄弟姉妹たちのように子猫のくせにふてぶてしく肥った野性味のない自分の姿にもため息が出て、そんな自分を「かわいい〜」って、臭い体や毛やベタベタした顔に擦り付けられるのが嫌で仕方がありませんでした、以前は、ここよりも広い広い仕切りのない場所を自由に歩きまわり、狩りをしたり、時に人間にすり寄ってゴチになり、沢山名前を持ち、喧嘩をしボスと呼ばれ、いつか喧嘩に負けて人知れず去る、そんなことを繰り返し、ある、冬の寒い日に縁側で婆ちゃんに「寒かろう、温たたまってゆけ」と言われて縁側の奥のコタツという夢みたいに温かいものに包まれた時、飼い猫ってのも良いなと思い目を閉じたら開かなくなり、それから何度も野良あがりの飼い猫をあの手この手で人間に近づいてはやっていたが、今度は生まれながらの飼い猫だ、何の不自由もなく寒くもなく暑くもなく飢えもなく、狩りも喧嘩も人間で言えば生きるための戦いも冒険もない暮らしだ、ふと子猫は、人間が自分で自分の命を殺す理由が分かった気がしていた。

百万回目の子猫物語

★追記、これは幾つかの物語をリスペクトしてオマージュした物語です、多頭飼いとか飼育方法とか持ち出す物語を読むセンスの無い方には不向な噺ですので悪しからず。


令和6年11月15日

               心幸

11/15/2024, 7:58:33 AM

秋風

もう秋も深まり、秋風も日毎に爽やかさから肌寒さに変わる立冬も過ぎた枯れ葉舞う夕暮れ…ほらほらまた歌いたくなる気分をグッと抑えて
今日はマイルス・デイヴィスの「Autumn Leaves」にしよう、「枯れ葉」直訳「秋の葉っぱ達」ってちょっと笑っちゃうけど情緒に欠けるなぁ、流石英語と思うけど、「秋の葉っぱ達」ってちょっと可愛くもあると思ったのは中学の頃だったろうか、、あの頃は秋とか言えば失恋ソングで女の子は髪を切ったり伸ばしたりするのであったね、「髪は女の命」とかまだ言われていた時代だった、別れて伸ばしはじめた髪が背中まで届いたとか、前髪1ミリ切り過ぎて彼に逢うのが怖いとか、これは男だけど髪が伸びて君と同じになったら結婚しようとか、、ちょっと怖いんですけど、でも今聴いてもクスッとなる可愛らしさと叙情溢れる歌謡曲の詩の世界である。

詩人天才、作家は神。そんな想いは中二病の頃から今も変わらない、あの頃心ときめかせた中二病万歳な歌も文章も、その頃の大人が紡いでいたのかと思うと、中二病は偉大な作家であると想う、物想う秋なのでありました。

秋風が急に冷たくなって来た頃合い、皆様お体ご自愛ください。

秋風に乗せて…枯れ葉よ♪(笑)

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