スキー経験者が上級者コースへ颯爽と飛び立って行く中、私は邪魔にならない建物の隅っこで雪だるま作りをせっせと勤しんでいた。
「めっちゃ増えとるやん」
5つ目の雪だるまを形成し終えた頃、上級者コースを滑っていたはずの親友がゴーグルを外し、ニヤリと笑っていた。私の近くでドカッと胡座をかく。その豪快っぷりにズボンが雪でびしょ濡れにならないか心配になる。
「✕✕✕、もう滑らんの?」
「疲れたからええわ~」
手をヒラヒラと振り、同じ上級者コースを滑っていたグループに離脱宣言をする。後ろ髪を引かれながらも、再びリフトへと向かっていく。
「ほんまに行かんでええの?」
彼女がまだ滑れることを私は知っていた。
「もう、義理果たしたしええやろ。うちはスキーなんていつでも行けるし。あんたとおるほうが大事」
タラシめ。
「スキー滑っとるの、かっこええのに」
「あー?そうゆうて自分雪だるまに夢中で見とらんかったやろ?」
「見とったよ」
親友が滑っているところだけ見て、それ以外は雪玉を捏ねていた。
「しゃーっ言うて雪削りながら滑りよるん、雪が反射してキラキラしとった。上手い人やとあんなキレイなんやね」
「······どっちがタラシなんよ」
首を傾げれば彼女は笑う。
「ゆうてもう時間ないし、大人になったら二人でこよ」
大人になったら。
遠い遠い未来の約束は、私達にとってか細い糸のように不確かで不明瞭だ。それでも。
「下手くそやからって置いてかんとってよ」
「ちゃんと教えたるから大丈夫やって」
私は六つ目の雪だるまを親友の傍に立てた。
目を開けると、恋人の胸元がドアップで現れて吃驚した。吃驚しすぎて身体が跳び跳ねそうになったけれど手足ががんじがらめに固定されていて動けない。どうやら私は恋人に抱き枕代わりにされているらしい。
どうしてこんなことになっているのだろう。思い返してみても心当たりがない。無理矢理腕の中から顔を出すと、目を閉じた彼の顔が写る。
「✕✕✕?」
彼の名前を呼ぶ。反応はなくて、代わりに寝息だけが聞こえてくる。
「寝てるの?」
返事はない。本気で寝ているみたいだ。
こんな風に抱き締められた記憶が今の今までなくて、心がむず痒い。次第にポカポカと胸の中が温かくなっていく。
「✕✕✕」
もう一度呼ぶ。反応はない。
むくむくと沸き上がる欲求に私は自分の腕を彼の背中に回して、胸元に顔を埋めた。さっきより彼との距離が縮まる。とくとく、と静かに奏でる心臓の音が心地よい。
「だいすき」
か細く告げた声に返事をするように、彼の腕の力が増した。
「手が冷たい人は心が暖かいんだって」
俺の手を暖めるように包み込んだ彼女はそんなことを言う。
「それは俺の手があまりにも温もらない皮肉か?」
「なんでそういうひねくれたこというかなぁ。優しい幼なじみに対する賛辞だよ」
「嘘くせぇ」
「ほんとだよぉ。だって、✕✕は私が先生に当てられる前に起こしてくれたり、忘れ物があれば貸してくれたり、失くしたものがあれば一緒に探してくれたり」
あれもこれもと過去のやりとりを指折って言いはじめる。羅列する内容には俺が憶えていないようなことまであった。
「てめぇがおっちょこちょいなだけだろ」
「ひっどーい」
「相変わらず、仲良いね」
その声に先ほど繋がれていた手がほどけ、彼女は声の主へと駆けていく。
「先輩!」
俺と彼女の部活の先輩。一つ上の彼は優等生を絵に描いたような優男。見た目通り、彼は生徒会長をやっている。そして、彼女の恋人。
「じゃあ、私先に行くね」
「へーへー」
彼女は俺を置いていく。さっきまで俺と繋いでいた手は恋人と繋がれている。俺とは到底やることのない恋人繋ぎだ。
わざとペースを落とし、マフラーに顔を埋める。
「心が暖かい人な······」
ありえない、と鼻で笑う。
心が暖かい人ならば、さっさと別れてしまえ、という呪詛を唱えやしないのだから。
雪原の先へ
雪原の向こうには天国が待っている。
そんな余談話を信じた若者がひとり、ふたりと村を出ていき、二度と戻ってこなかった。
膝まで埋まってしまいそうなほどに降り積もった雪道を歩きながら、天国とはそのままの意味で死の国を意味しているのではないだろうか。それならば、二度と帰ってこなかった理由もわかる。
僕は余談話をまっすぐに信じられるほど幻想主義者ではなかった。ただ、生贄と称して口減らしに遭うぐらいなら、天国だと言われる場所へ行こう、というそんな軽い気持ちだった。今、現在進行形で後悔しているけれど。
ザクザク、というよりずぼっ、と落とし穴に嵌まるような音をたてながら歩く。
寒いとか死ぬとか、そんな言葉で言い表せないほどの猛吹雪に指先からは血を噴き出し、体外へと溢れる鼻水や涙は氷柱に変わる。心臓を動かす脈だけが唯一暖かい。
足が動かない。無理矢理前に進んだせいで両足とも雪に沈み、目の前の雪山にダイブした。
寒い。
目を閉じたら死ぬと分かっているのに、目蓋は重い。意識が遠い。対岸の先で余談話を本気で信じて、お務めを放棄して勝手に村を捨てて行った兄貴の幻覚まで見えはじめてきた。最悪だ。
暢気にこちらへと手招く兄貴が恨めしい。
クソが。
「死にたいの?」
薄れゆく意識の中、青緑色の長い髪を持つ少女に声をかけられた。その瞳は人間とは思えぬほど明るい鮮血のような赤。雪原の中だというのに、白い布切れ一枚しか纏っていない。
雪蟷螂。
村で伝わる人の皮を被った化物。
その容姿の美しさに見惚れ、殺された男は多いという。
「死にたくねぇ」
呻くように呟いた先で「分かった」という少女の声を最後に意識は完全にブラックアウトした。
昨晩から降っていた雪は降りやむことなく、今もなお、道を白くしようとせっせと働いている。ほどなくして、半纏を着た主人が廊下の向こうからやって来る。寒さに耐えきれなかったようで足元はふわふわふかふかのスリッパを履いている。
「おはよう、主人」
首元が寂しい主人にもこもこの白いマフラーを巻いてやると、苦笑した。
主人が生贄としてこの屋敷に来て、早くも八十年が過ぎた。最初は村へ帰れとやりとりしていたころが懐かしい。帰る場所がない、という主人が居座って、最初は警戒していた連中も今ではすっかり仲良くなった。
「あなたも物好きねぇ。もうこんなお婆ちゃんになってしまった私を今でも甲斐甲斐しくお世話するなんて」
「俺の楽しみだからな。それに、言っただろう。幾つになっても愛していると」
「しょうがない神様だこと」
呆れたように、肩を竦めた主人の手を握る。瑞々しく若々しかった肌は年月が経つにつれ、衰え、皮と骨のような手になってしまったことが主人と俺の時間の差をいやがおうにも実感させられる。
「私が死んだら、好きにして良いからね」
「勿論、好きにさせてもらう」
愛しているよ、主人。
だから、きみが死んでもずっと一緒だ。