図書館が燃える。
赤やオレンジの火花を散らしながら、僕の家が燃えて、崩れて、喪っていく。
だめだ、
燃える図書館に引寄せられるように歩き出した僕の腕を引く彼女がいた。最近、僕が言語を教えている年上の女の子だ。
「何しようとしてるの?!」
「だって、本が!」
本を守るのが僕の役目なのに。
本を守るために生まれてきたのに。
バシッ、と頬を叩かれた。叩かれた頬がジンジンと痛む。彼女がそんなことをするだなんて想定外の僕はきょとんとしてしまう。彼女は僕なんかより痛みを堪えたような、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「あんたが死んだら元も子もないでしょう!?」
ぼろぼろ、と涙を溢す彼女に何と声をかけて良いのか分からない。普段は強気で、僕を引っ張ってくれる彼女が声をあげて泣いている。どうしたら泣き止んでくれるのかが分からない。
「泣かないで」
「うっさい、バカ」
僕はその瞬間だけ、図書館の存在を忘れ、目の前にいる彼女を泣き止ますのにせいいっぱいだった。
「あ、起きた」
「これは、どういう状況ですか?」
僕は小柄な彼女を抱き枕のように抱き締めてベッドに横になっていた。服は着ているから過ちを犯したわけではなさそうだ。
「珍しく酔っ払って帰ってきたかと思えば、だっこしてそのまま、ベッドに連れていかれて寝た」
不覚。僕は片手で顔を覆う。今度から酒を呑むの止めよう。
「すみません。何かやらかしたりとかしていませんか?」
「嘔吐していたわね」
「え゛」
「嘘よ」
シレッと宣った彼女の指が僕の頬に触れた。
「魘されていたけど、怖い夢でも見たのかしら?」
「そんなたいした夢ではありません。······貴女にはじめてビンタされた夢です。だから、そんな風に睨まないでくださいよ······」
彼女には逆らえない。正直に吐けば、ため息で返された。彼女は僕の腕に手を回す。
「二度寝するから枕になりなさい」
「買い物は良いのですか?」
「あとで考えるわ。おやすみ」
有無を言わさず、眠りに落ちた彼女に彼女らしいな、と思う。
眠くなってきた僕は彼女の懐に顔を埋める。
次の夢はきっと良いだろう。
また、夢を見ていた。
夢の中にいる私は塔に住んでいた。
「きみは特別だから、ここに住んでいるんだ」
「外は危険だから、出ようだなんて考えてはいけないよ」
何度も繰り返し語るお父様に反抗しようだなんて思ったことがなかった。
夢が飛ぶ。
ある日、お父様は男の子を三人連れてきた。
「きみのツガイになる子だ」
そう言って紹介された男の子二人より、紹介されなかった黒い羽の男の子が気にかかり、私は彼に話しかけることが多かった。とはいえ、他人と関わったことなどないに等しい私は彼にイジメのような態度ばかりとっていた。
冷たく当たっても、酷いことを言っても、彼はずっとニコニコして、私の後ろを忠犬のように付いてきていた。
夢から覚めた。
「どうかしたか?」
私が眠るベッドの傍にいた恋人は私の頬を撫でた。その手はとても優しくて、私は彼の手のひらに頬擦りする。ちゃらっと、首輪から伸びる鎖が音を立てた。
「夢を見ていたの」
「そう」
真っ白な壁で囲われ、窓ひとつないこの部屋は夢の中に出てきた塔の中のようだ。
「外は危険だから、出ようだなんて考えてはいけないよ」
夢の中で何度も繰り返し語るお父様によく似たことを語る恋人は、夢の中の忠犬によく似ていた。
私には秘密があった。
私の瞳には他人の寿命が見えていた。
「ふーん」
これまで誰にも言ってこなかった秘密をはじめて他人に暴露したというのに、彼は心底どうでも良さそうで、目線すら合わせようとしない。他人に興味なさそうな彼の反応は想定内だと言うのに、拍子抜けするほどどうでも良さそうな彼の態度にちりっと喉の奥が焼けついた。彼がそういう人だとわかっていて告げたと言うのに、傷ついている私自身に驚いてしまう。どうして、私は彼に自身の秘密を打ち明けてしまったのだろうか。
「······で、俺の寿命は?」
ようやく顔を上げた彼は不敵な笑みを浮かべていた。
いつもヘッドフォンを首から下げ、物憂げに窓の景色を見ている様は絵になるように美しい彼の姿に、隠れファンが多い。口を開けば皮肉の嵐だから、残念なイケメンという立ち位置なのが惜しい。
「見えない」
「はっ、だろうね」
他の人なら頭上で浮かぶ寿命が彼だけはモザイクがかかったみたいに数字が定まらない。
「貴方は人間じゃないの?」
「失礼だな。一応、人間だよ」
彼とのやり取りはそれっきりで終わってしまった。
数年後、社会の仲間入りを果たし、仕事に忙殺されていた私は彼を改札の外で見かけた。銀髪なのか真っ白な髪の毛の女を連れていた。世界なんてどうでもよいと、破壊願望にまみれたあの日の彼とは思えぬほど愉快そうに話しかけていると言うのに、隣にいる女は昔の彼を想起させるほどに無表情だ。年の離れた兄妹と思いたいのに、その手は恋人のように甘ったるい繋ぎ方だ。
あんな女の何が良いんだろう。顔はかわいい方だけれど、彼には到底釣り合うとは思えない。
彼と視線が、合う。
睨み付けるようなその視線は心の内を読まれたかのような気味悪さがあった。そのまま、私に背を向け、彼女らしき女と人波に消えていく彼にちりっと喉が焼けた。
ああ、そうか。
私は彼が好きだったのか。
好きだから、私を見て欲しくて秘密を打ち明けたのだ。
なんて、子どもみたいな真似をしたのだろう。
もう、終わってしまって、今更だけど。
ゴォゴォと獣のような唸り声を上げながら、風は私や彼女に襲いかかる。凍てつくような風に、指先から血が滲み、周りの草木さえ寒さに震えている。
「寒い、寒い、寒いっ!」
彼女は両手で二の腕を擦りながら叫ぶ。
「嫌なら帰れば?」
「なんでそんなこと言うのー!」
「あんたが勝手に着いてきただけでしょ」
「ううう······」
さむいよぉー、と泣き言を言いながらも、寮には戻りたくないのか、彼女は私の後ろに着いてくる。かつて整備されて山道は道筋があるだけ登りやすい。
「着いたわよ」
ランタンを掲げた私の目先には墜落し、原型をほとんど留めていない戦闘機が転がっていた。1人乗り用のそれは普段、私が乗っているのと大きさは変わらない。顔を上げた彼女の瞳は心なしキラキラと輝いている。
山の中腹。墜落した戦闘機が一台転がるその場所は二月前に起きた東西戦争の名残だ。壊れた戦闘機を修理する金も遺棄する金もない貧乏国家である我が国ではそのままだ。ここから半壊した街がよく見える。死んでしまった街はきっと、永遠にこのままで、忘れ去られていくのだろう。
戦闘機をまじまじと見つめる彼女に内心複雑な気持ちだ。こんな残骸、彼女には見慣れているだろうに。
私は彼女が戦闘機に夢中になっているうちに用意していたキャンプ用の小さな焜炉で水筒の水を沸かし、コーンスープを作る。もちろん、お湯を淹れただけでできるインスタントだ。
「なんでそんなに準備が良いの?」
「夜営には必須スキルよ」
「そうじゃないよぉ~」
彼女の言葉をはぐらかし、私はコーンスープが入った紙コップを渡す。寒さには耐えきれなかったのか、彼女はちびちびとスープに口を付ける。頬を蒸気させ、ご機嫌な彼女に問いかける。
「勝てると思う?」
戦闘員とは思えぬ弱気な発言。上司が聞いていれば懲罰ものだろう。そんな私の弱さを吹き飛ばすように、大丈夫だよ、と彼女は笑う。飲み終えた紙コップを握り潰した彼女は月を背にして立ち上がった。
「だから、私がいるんだもの」
そのために生まれてきたのだと語るように、口元を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた彼女はこの世を操る神様のように光輝いて見えた。
「お願い叶えてあげようか?」
僕の前に現れた少女は黒いローブを身に纏っていてまるで、魔女や死神のような風貌だった。ローブの隙間から覗く髪は白く、瞳は天ノ川のように澄みきった川のような青に星が散っている。問いかけに考えあぐねていると、少女はランタンを掲げた。見た目通りの杖や鎌ではない少女の相棒であるそれは、青白い光、少女の瞳と同じ色を放っていた。
「このランタンは記憶を代償に願いを叶えるの」
「魔法のランプみたいだな」
「魔法のランプは三つまでだけど、これは記憶が有る限り無制限に使える」
「代償が、記憶だなんて重くないか?」
「なんでも、だから」
少女は淡々と答える。その声はあまりにも色が乗っていなくて、少女の感情が読めない。
じっとその瞳を見つめても身動ぎひとつない。完全にお手上げだ。脳内でホールドアップする。
「叶えて欲しい願いなんてないな」
「知ってる」
少女はボソボソと呟いたが、タイミング悪く吹いた風に掻き消され、何を言っていたのか分からず仕舞いだ。
「じゃあ、どうして未だにこんなとこにいるの?」
少女の問いに、なんでだろうな、と答える。すっとぼけているわけでも、誤魔化しているのでもない。ただ、なぜか、深夜になると僕はここ、学校の屋上にいた。
実は僕は既に死んでいて、夜中になると現れる亡霊にでもなっているのだろうか。そんな妄想を繰り広げながら、僕はタバコに火を着けた。
「そろそろ、家に帰ったらどうだ?」
少女は首を振る。その向きは左右。
「契約したから」
「そう」
少女から目を離し、タバコへ集中する。吐いた息が夜空に消えていくのを見ながら、思う。
ああ、厄介なことになった。
僕は記憶を代償にこの少女に願いを叶えてもらった挙げ句、契約まで交わしたみたいだ。