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8/16/2023, 12:37:41 PM

彼は言った。
「誇りは穢れないための標だ」
彼女は言った。
「誇りがあれば立ち上がれる」
あのひとは言った。
「誇りなんかに縛られたくない」
あのこは言った。
「誇りなんかじゃ食べていけない」
──ひどく、不思議なことに。
そのたった3文字は、人々の対立のもととなることもあれば、人々が協力するためのタネになることもあるのだという。目に見えないものなのに。手で触れないものなのに。舌で味わえないものなのに。
その3文字のために彼らは争い、血を流し、手を取り、傷を癒やしていた。
ならば。私にとって誇りとは、僕にとって誇りとは、俺にとって誇りとは、己の誇らしさ、というものは──。

8/11/2023, 12:35:21 AM

終わりのない旅だった気がする。
あてのない彷徨だった気がする。
ただ、遠くへ。
どこか遠くへ行きたいと、そう願っていたような。
──とうに働きを失った心の片隅で、そんなことを、思っていたような。
ぼんやりとした思考で足を進める。意思も目的もなにも持たないまま、ただ世界の果てに向けて歩む。
身につけた鎧と剣が重い。■■の証は擦り切れはてて、微かに名残が見えるだけ。だってここにいるのは■■の絞りカスだ。なにもなし得なかった残骸だ。
使命、とか。
平和、とか。
■■、とか。
なんだっけ。なにか大切なものがあったはずなのに。
ぜんぶ、ぜんぶ、わすれてしまって。
──ああ。
はやく、おわってしまいたい、と。
そんなことだけを祈って、棒きれのような足を進める。

8/10/2023, 4:59:39 AM

 息を吸う。吐く。手の震えを抑えて、そっと顔を上げる。眼前の人は、疑問と期待の間で揺れ動いているように見えた。──あるいはそれも、都合の良い錯覚かもしれないが。
 どれだけの大舞台の前だって、これほど緊張したことはない。けれど仕方ないだろう。だって、これが本当の、「一世一代の大舞台」というやつなのだ。
 成功しなくても良い、というのは、きっとただの強がりだ。受け入れてもらえなければひと月は寝込む自信がある。……まして、私達は女同士。ひどい拒絶なんてされたら──いや、いや、今は考えまい。
 もういちど。息を吸う。吐く。緊張したら深呼吸、というのは、ずっとずっと前、あなたが私に教えてくれたこと。あなたが覚えていないほど前のこと。
 カーテン越しの夕陽がやけに眩い。きっとあなたを背負っているからだ。そんなことを思って、私は輝きに向かって口を開いて。

「あの、あのね。私、あなたのことが、ずっと──」

8/7/2023, 4:15:57 PM

「運命ってのは、最初から決まってるんだよ」
 それは彼女の口癖だった。彼女はいつも達観していて、どこか遠くを見据える瞳で、なにがあってもそんなことを言った。
「私の親が死んだことも、私がいじめられてたことも、君が私に興味を持ってしまったことも、私達が付き合ったことも。全部、全部ね」
「……じゃあ、そのあとは? 私達、どうなるの?」
「──知りたい?」
 彼女はひどく寂しそうに笑った。その笑みに、言葉に、嫌な予感だけを覚えたから、私は緩やかに首を振って拒絶した。──きっと離れてしまうのだ。これだけあなたが好きなのに。これだけ愛し合っているのに。そうでなければ、その笑みに理由はつかなかった。
 せめて、終わりの時までは。この愛しい時間がいつか消えてなくなってしまうまでは。精一杯彼女を愛そうと決めて、そして。


 ──あなたは、純白の汚れないドレスを纏って、私の横で笑っている。


「──ねえ。私達が結婚することも、運命で決まってた?」
「もちろん。──君が、私達のミライを知りたがったときからね!」

8/6/2023, 11:15:50 PM

 きみに焦がれていた。きみを想っていた。
 その笑みに、声に、ひとびとを救うきらめきに、小指の先だけでも触れることができたなら。きっと、わたしの人生には意味があったと胸を張ることができる。そんなことを思っていた。
 ──逆説。きみに近づけないのなら、わたしの人生に意味はない。
 うつくしくなるために努力した。
 他人に好かれるために努力した。
 勉強に励んだ。運動に励んだ。
 綺麗で、善人で、きみの隣にふさわしいような。太陽の横で笑う天使になるために、わたしはわたしの穢れを濯ぎ続けた。身の丈に合わない努力でも、身の丈に合わない地位に立つために、頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って──頑張り続けて、頑張り続けた、のに。

 どうして?
 どうしてきみは、そんな顔をするの?
 わたし、きれいでしょう? やさしいでしょう?

 きみにふさわしいでしょう? ねえ。

 だってそのために頑張ったんだ。そのためだけに頑張ったんだ。きみに認めてもらえなければいままでの努力にまったくの価値はなくて、だからほら、笑ってよ、褒めてよ、きみの隣にいさせてよ、そうじゃなきゃ、そうじゃないと、そうじゃないなら、だって、そんな。

 ──偽物の天使《イカロス》じゃ、太陽《きみ》のそばにはいられないの?

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